二十五、新婚初夜と蜂蜜酒・後編
7/14 1/2更新
「あたまいてー……」
次の日、僕は痛む頭に悩まされながら、バルコニーへと向かっていました。
二次会は滞りなく終わり、みんなが酔いつぶれたところで終了したのですが……テビス王女とウーティンさん、最後に僕以外のみんなが全員めんどくさい酔い方をしてるうえ、部屋まで運んで寝かせるのも一苦労でした。
ガングレイブさんは「もうここで寝させてしまえ」と投げやりでしたが、そうもいきません。さすがにあの会場で寝ていたら、風邪を引いてしまいますがな。
なので、文句を垂れるガングレイブさんを説得して、せめて全員に毛布を掛けときました。風邪を引かなければいいやと、正直投げやりでした。
そして、僕は最後まで残って二次会の片付けをしたわけです。他の人も手伝おうとしましたが、お客さんに式の主役をそんなことでこき使うのはあまりにもあかん、と思ったので断りました。
現在、片付けの疲れと二日酔いと寝不足で頭痛になっているわけです。痛いわこれ。
「全く、はしゃぎすぎでしょー……気持ちはわかるけども……」
朝起きてから仕事をしようとしましたが、全員がもれなく寝てるし、会場で寝てる人たちもそのままだったので、朝ご飯を作るのを止めました。朝ご飯の時間に全員が起きてこないのは明々白々だからね。
なので僕は水を飲んでから、外の空気を吸おうとバルコニーに向かってるわけです。
しかし、こうして城の中を……静寂の中を歩いていると、昨日のことがまるで夢だったんじゃないかと思ってしまう。
熱に浮かされたような感覚が、まだ抜けてないのです。
「……ま、仕方ないか!」
パン、と両頬を叩いて僕は気持ちを切り替えました。とっとと朝日を浴びて風を感じて目を覚まさないとね! 今日から仕事だし!
そう思って城の最上階、バルコニーの扉を開けました。
「……なーんだ」
僕は思わず苦笑して、一歩外に出ました。
「先客が、いましたか」
僕はバルコニーを進み、手すりの近くまで行きました。
「おはようございます。ガングレイブさん」
「ん? おお、シュリか」
そこに居たのは、上半身裸のガングレイブさんでした。何故ズボンしか履いてない……?
深く突っ込むことをせずに、僕はガングレイブさんの隣に立ちました。
うーん、この感覚は何時だって気持ちがいい。朝日が顔を出し始め、地平線の彼方から光がやってくる。すると、段々と街並みが輝くように見えてくるのです。
空の色も変わり始め、その中間地点のコントラストはとても美しい。
風だって、本来は冷たいのですが、寝て起きたばかりの火照った体には良い塩梅。頬に当たる風も、肩を切る風も、足をすり抜ける風の感触も全てが気持ちいい。
早起きって、こういう得があるから辞められない。
「早いな。今日はまだ寝ててもいいんだぞ?」
「何を仰います。朝起きて二日酔いに苦しむ人たちに、水とかスープも作らにゃならんのですからね。それに」
僕は笑顔で、ガングレイブさんの手元を指差しました。
「酒を呑むなら、一人で静かにも良いですが二人で普段言えないことも話した方が、有意義で楽しいでしょう」
ガングレイブさんは右手に昨日の蜂蜜酒、左手に杯を持っていたのです。
ちょっと量が減ってるから、ここで朝日を見ながら飲んでたんでしょうね。
「それもそうか。しかしすまん。杯は一つしか無い」
そういうとガングレイブさんは豪快に杯に蜂蜜酒を注ぎ、一気に飲みました。
「ぷはー。旨い」
「そりゃ良かった。テビス王女には、無理して持って来てもらった蜂蜜で作った酒ですからねぇ」
美味しそうに飲んでくれて良かった良かった。
すると、ガングレイブさんは杯に再び蜂蜜酒を注ぐと、僕に差し出してきました。
「お前も飲め」
「え?」
「杯は一つしか無いのだから、二人で一つを使えば良いだろうが。言っただろう? 一人で静かに呑むのも良いが、二人で普段できない話をしながら呑むのが有意義で楽しいって」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
僕はガングレイブさんから杯を受け取ると、一気に飲み干しました。
「っぷは」
「お、いい呑みっぷりじゃねえか」
ガングレイブさんは苦笑しながら言いました。
「意外と酒豪なんだな」
「人並みに呑めるだけですよ。普段は呑まないだけで」
僕はそう言いながら、ガングレイブさんに杯を返しました。
これでも社会人だからね。付き合いで酒を呑むなんてことはたくさんありましたよ。
それに趣味の料理だって、料理に合う酒を用意して晩酌……なんてこともしますし。
鉄板は肉料理に赤ワイン。
「それに、料理人が仕事中に酒を呑んで舌を鈍らすなんて、アホ以前の話でしょ」
「それもそうだ!」
ガングレイブさんは愉快そうに笑いました。
ひとしきり笑うと、唐突に真面目な顔をしてバルコニーから見える景色を見つめます。
「なあシュリ」
「なんでしょうか?」
「お前なら、このいただいた国をどう仕切る?」
は? 何その質問?
僕は思わず笑って流そうかと思いましたが、止めました。
ガングレイブさんの顔が、真剣そのものだったから。
真剣に考え、真剣に悩み、真剣に僕に聞いてきた。
それを感じたから、笑うのを止めて考えてみます。
……いや無理。僕は料理人として雇われているのであって、国の差配に口を出せるほどの知恵も何もないですよ。
ここで現代日本のあれこれの知識を持ち出しても良いのでしょうが、果たしてそれがガングレイブさんのためになるかと聞くと……?(はてな)、でしょうし。
だいたい、現代日本の知識なんて現代日本だから成り立つものだって多いわけです。
それを安易に持ち出してこの世界で運用したって、確実に上手くいくとは思えない。
まず前提に、ガングレイブさんはそんな知識を聞いてない。
僕だったらどうするか、を聞いてるわけですから。
聞きかじりの、教室の授業のお話をしたって仕方が無い。
無理、という言葉を飲み込んで……僕が言えることを言ってみようかな。
「まず、食糧自給率を上げます」
「うむ、大切なことだな。食える分を確保できない国は、足下が脆い」
「次に料理教室を開きます」
「は?」
ガングレイブさんはマヌケな声を出しましたが、無視して続けます。
「料理教室と言っても、タダ単に美味しい料理を作る教室ではありません。食えないものも食えるようにする教室です」
「ほう?」
「食糧自給率を上げて飢餓を無くし、料理教室で凶作に備える。まずはみんなが腹一杯、食べ物が食べれる国を目指すでしょうね」
「なるほど、シュリらしい!」
ガングレイブさんはパシン、と両手を叩いて言いました。
「食べられるものを確保し、食べられるものを増やす。お前らしい視点だ」
「それができたら、道路を整備します」
「なに?」
ん? 僕はごく当たり前の事を言ったつもりなのですが……。
なのにガングレイブさんは苦い顔をしました。
「道路なんて整備したら、敵だって動きやすくなるぞ。そうなったら、防衛力に国力を割かないといけなくなるぞ」
「逆に国力を富まそうと思ったら、道路を整備しないといけませんよね?」
互いに疑問の顔を浮かべながら聞きますが、なんとも要領を得ませんね。
それはガングレイブさんも同じようで、考えてはいるようですが僕の意図を理解してないようです。
「……よし、まず俺から言って良いか?」
「お願いします」
なので、ガングレイブさんから考えを言ってもらうことにしました。
まあ、ここで齟齬が生まれたまんまだと、議論もへったくれもありませんからね。
「道路を整備。というと人の往来を楽にする、という認識で良いか?」
「間違いありません」
「良し。しかしその道路は敵も使用するわけだ。いざという時、敵の進行速度が上がるのは勘弁だ。しかも自分たちで作った道路でだぞ?」
「なるほど。防衛面から敵が使用する可能性もある道路を、こっちの費用で作るのは割に合わない。それで良いですか?」
「間違いない」
なるほど、なるほど。
つまりガングレイブさんが言いたいのは、『交通事情を整えてしまっては、敵に利用されることがある』と言いたいわけですね。
しっかしそれは駄目だろう。
「では僕から」
「ああ、良いぞ」
「食糧自給率を上げて、料理教室を開いて……そこまでやったとして、それをどうやって領民の皆さんに広げるんです?」
ガングレイブさんの目が点になっていました。
「領民にとって、何より大切なのは食べて生きていられること。それはガングレイブさんが一番良く知ってますよね? 金を稼いで飢えを凌ぐ。日々これの繰り返しです。しかし、それが改善されればガングレイブさんの評価は『領主の座を簒奪した無法者』から『領民を飢えから救った救世主』ですよね。そのためには、スムーズに食料を運び知識を広める。
これは早さ勝負です。早ければ早いほど良い。改革に反対は必ず出ます。
その反対の声が、寄り集まって行動を阻害してくる前に! 一気に改革を推し進めて改善する! それが一番なのでは?」
要するに僕が言いたいのは、輸送と往来を楽にしようってわけです。
しかも、僕たちの評価はさっきも言った通りただの簒奪者ですからね。今だってストライキした人たちは誰一人として帰ってこないし、街を歩けば睨まれる。
その評価を覆して政治をやるためには、僕たちが仕切れば領土を富ませることができるぞという実績をあげるしかない。
その手っ取り早い手段が、飢えの改善。
農業の推進、食糧輸送の速度上昇。少なくともガングレイブさんの下なら、飢えて死ぬことはない。そう思ってくれれば良い。
飢えって奴は厄介です。腹が減ると、人は命の危機が伴い。
減れば減るほど品性を失い、理性を失い、生命を失う。
それを避けなければ、改革もへったくれもない。
食べれるのなら、治安だって良くなるんじゃないですかね。少なくとも食料関係の犯罪は減らせるんじゃないかなー、と素人考え。
ガングレイブさんは顎に手を当てて、少し考えてるようでした。
「評価の改善、改革の速度……なるほどな」
少ししてガングレイブさんは僕の方を見て笑いました。
「ありがとう、参考になった」
「こんな素人考えで良いんですか?」
「素人だから縛られない考え方だってできる。が」
が?
「それをあのエクレスがやらなかったとは思えない。資料を見ても、道路の整備は少しずつだが進めているようだったし、農業の推進もしていた」
ぐは、やはり素人考えは甘かったか……。
「しかし、その中でやってないことはある」
「と言いますと?」
「料理教室だよ」
「あ」
なるほど。食えないものを食えるようにするというのは、なかなかできることではありませんからね。確かにそうだ。
だけど、僕も軽く言ったけど……僕だってそれをするのは難しいぞ?
山菜だってなんだって、その土地で暮らしている人たちの方がよく知ってるでしょうし。
しかしガングレイブさんは途端にやる気を出したようで、肩を解し始めました。
「よぅし、ならエクレスとギングスに相談して、段取りを考えてみるか。やれることはやらないとな」
「頑張ってください」
「お前も協力するんだよ!」
「え? 僕がなんの協力ができると?」
ただの料理人に何を求めてるの?
「料理教室。本当にやるときが来たらお前に任せるからな」
「あ、本当にやるんですか」
「やると言ったらやる。行動を早くして、評価を覆さなきゃいけないだろ?」
「は、はい」
「そういうことだ。あ、蜂蜜酒の残りはやる」
そう言うと、ガングレイブさんは僕に蜂蜜酒と杯を渡してきました。
慌ててそれを受けとった時には、ガングレイブさんはバルコニーから城へ戻ろうとしていたところでした。早いな!
「あ、そうそう」
だけど、そこでガングレイブさんは振り返って言いました。
それも満面の笑みで。
「それをアーリウスと一緒に呑んだが……まあ元気が良く出たぞ。ありがとうな」
それだけ言って、ガングレイブさんは城へ戻っていきました。
残された僕は、その意味を理解しようとして……理解して苦笑します。
「確かに蜂蜜酒にはそういう意味もあったけどなぁ……」
それをハッキリ言っちゃうかよ。
蜂蜜酒、てのは古代地球にて所謂、精力剤としても飲用されていました。
日本でよく言われるハネムーンの語源だって蜂蜜酒だし、古代ゲルマン人の間では、新婚夫婦がハチミツ酒を精力剤として飲んで、一ヶ月籠りっきりで……その……ねえ? 跡継ぎをその……とかそんな風習があったって聞いてますし。
僕は蜂蜜酒を杯に注ぎ、一気に仰ぎました。
「うむ、旨い」
コクの有る甘さでありながら、あっさり、さっぱりしている。口当たりは日本酒のそれに似ていますが、優しい甘さです。
「さて、頑張るかぁ」
僕は城へ向かって歩き出しました。
すでに日の出が上った頃。人々が起きてくる時間でしょう。
僕の仕事も始まりを告げているわけです。
さて、ガングレイブさんはこれからどうするのかな?
楽しみであり、不安であり。
そして一緒に歩けることに喜びがある。