二十四、結婚式と伊勢海老のグリル・転
「……ということなのですが、どうすればよろしいでしょうか?」
「知らないよそんなこと。ボクに言われたって困るさ」
私の切なる相談なのですが、エクレスに一蹴されてしまいました。
とことんどうでも良いと思えるそうで、エクレスは不快そうな顔をしながら書類と向き合っています。酷い。
私ことアーリウスは、とてもとても悩んでいました。悩みすぎて、エクレスの部屋に来て悩みを相談するほどです。
どこから紛れ込んだのか、リルも一緒にいます。片手にフォーク、片手にハンバーグの皿を持ってる状態です。ほんと、ほんとうにこの子はなんというか、いつも通りというか。
ある昼下がり、外が雨で訓練も早めに終わった時間帯。外は薄暗く、雨による地面や窓を打つ静かな音が部屋に響きます。ある種の穏やかな音色とも言えるかもしれません。
そんな日、私は悩みを拗らせてエクレスの部屋に突撃したのです。
「そんなことを言わずに……っ。私の死活問題なんです」
「知らないよ男女の恋の悩みなんて! それも結婚の約束を覚えてるかどうかとか、聞く人によってはただの惚気にしか聞こえない内容なんて聞いてる暇は、ボクにはないよ!」
とうとうエクレスが机に書類を投げ出し、私に向けて苛立った顔を向けました。
どうやら本当に嫌な様子。そんなに突き放さなくても……。私は悲しくて肩を落とします。
そう、私の悩みはガングレイブについてです。いえ、別に彼に不満があるわけではありません。かっこいいし、かっこいいし……。
私の悩みとは、以前アルトゥーリアで約束をした、あの婚約についてです。
「だいたい、自分から『国を手に入れたら結婚しよう』なんて言っておきながら忘れて、政務の引き継ぎと仕事をしてるなんて、酷いにも程があると思うけどねボクは!」
「あ、一応共感はくれるんですか」
「一応ね!」
なんだかんだでエクレスは優しい。シュリに対しては気さくで人懐っこい態度の彼女ですが他の人にはざっくばらんなところがあります。それでもこうして、人を思いやれる人です。
「それに、悩むくらいなら自分から言ったら? 『あの約束はどうなってるんですか』って」
「そんな……自分から言うのも恥ずかしくて……」
「わかるけど言わないと始まらないでしょ……」
エクレスは書類を机の上に投げて、溜め息を吐きながら答えました。まあ、言ってることはもっともなんですよね。私から言えば済む話なのです。
私が臆病なのです。約束を気にして小さい女と思われないか、そも結婚の話を女性からしてがっついててはしたないように見られるのが嫌だとか。色々と考えてしまうわけです。
私のそんな様子を見ていたリルが、私の前に立ちました。
いつも無表情でいる彼女にしては珍しく、笑みを浮かべて。
「アーリウスの悩みはわかった」
「リル?」
珍しい。ハンバーグと魔工以外に興味がないようなリルが、まさか人の色恋沙汰に理解を示すとは。どういう風の吹き回しだろう?
「お腹が空いてるからそんなことを考える。ハンバーグを食べよう。ビバ、ハンバーグ」
前言撤回、いつも通りのリルでした。光明を見いだした気になっていた自分を殴りたい。
「そうだね、お腹が空いてるんだよ」
と、ここで意外な同意が。
エクレスが机の上の書類を一纏めにして整理すると、椅子から立ち上がりました。
「そろそろ晩ご飯だよ。続きはそこでしようか」
「良いアイディア、出ますかね?」
「出ない。断言するけど出ない」
そ、そんな。あまりの無慈悲な通達に、私は涙目で言いました。
「な、何でですか?」
「最終的に、アーリウスが決断しないといけないんだけどね。その調子だと絶対に決断できない」
「うぐっ」
ど、ド正論です。確かに、このままだと私は何の決断もしないままです。
結婚どうするの?
その質問をした瞬間、ガングレイブに少しでも嫌な顔をされると考えると怖くて身がすくんでしまうのです。
今だって、それを考えただけで身体が震えてしまいますから。
「怖いんですよ……ガングレイブにそれを言って、少しでも嫌な顔をされるかも、て考えると……」
「あり得ないと思うけどねー……」
エクレスは呆れ顔で呟きましたが……なんて言ったのでしょうか、よく聞こえませんでした……。
「ごっはっん! ごっはっん! 行こうアーリウス、エクレス」
またも悩もうとした私に、リルが裾を引っ張ってきました。
「ここで考えても結論は出ない。時間を少しおいて冷静になる。それで何か思いつくかもしれない」
「リルの言うとおりだよ。ボクもお腹減ったし、行こう」
リルとエクレスはそう言うと、食堂へ向かうために部屋から出て行きました。
「ま、待ってくださいよー!」
私も慌てて二人の後を追い、食堂へ向かいました。
……確かに、長々と相談してたせいで、お腹が減りましたね。
「男の風上にも置けませんな」
食堂で食事を取った私たちは、後片付けをするシュリに思い切って相談をしてみました。
誰もいなくなった食堂で、私がシュリに言ってみたのです。ガングレイブは私との結婚についてどう思っているのか、と。
返答は、そんな話が出たこともないと。そして言われました。
「忙しくて忘れてるだけでしょ」
私はショックで倒れそうでしたよ。
私の様子を見たシュリは、全てを察したように言ったのです。
「愛する女性を待たせてここまで引っ張るのは、さすがに外道か鬼畜としか言いようがありません。僕からガングレイブさんに……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ヒートアップするシュリを、私は慌ててなだめました。ここでシュリに行動されては、私はどうすればいいのでしょうか?
「そうだよシュリくん。これはあくまでガングレイブとアーリウスの問題なんだから、外野が出しゃばったらいけないよ」
「むむ、そうでしたね」
意外ですが、ここでフォローを入れてくれたのがエクレスでした。さっきまで相談されることを面倒くさがっていたはずの彼女が、なぜ?
シュリはエクレスの言葉で冷静になったらしく、振り上げていた雑巾を下ろしました。
「ではどうするのです? ガングレイブさんは多分、日々の忙しさから結婚についてのことが頭の中から消し飛んでいると思いますが」
「同感。ガングレイブは夢があと一歩で叶うところだから、それに精一杯」
シュリとリルの言葉に、私はさらに落ち込みそうになりました。そうですか、夢ですか。大切なことですもんね。私とのことを忘れるほどに……。
思わず泣きそうになるくらい落ち込みそうです。
「アーリウスはこうやってうじうじしてるだけだからさ。シュリくん、何かいいアイディアないかな?」
「そりゃ言うしかないでしょ。結婚はどうしたんですかって。言葉にしないと伝わらない問題ってあると思いますよ?」
「うぐぅ。も、もっともです。私が言わないと」
「いや、ここはガングレイブさんに言わせましょう」
……は? 私は一瞬何を言われたのかわからずに、固まってしまいました。
それがないから悩んでいるというのに、シュリの答えは逆説的で理解ができません。
「シュリくん。ガングレイブが何も言わないからアーリウスは悩んでいるわけで」
「はい。それは理解しました。そして、できるなら自分から言いたいから、僕たちは静かに見てて欲しい。そうですよね?」
シュリが私を見て言いました。そう、そのとおり。できるなら自分で。
「でもできそうにないので、それとなくガングレイブさんに思い出してもらって、行動してもらおうと思います」
「ちょぉ!?」
「大丈夫。あくまでも、ガングレイブさんに思い出してもらえばいいのです」
そ、それはもはやガングレイブに聞いているのと変わらないのではっ?
「しゅ、シュリ。あのですね、それは」
「シュリの言うとおり。ガングレイブが思い出してアーリウスに責任を取ればいい」
「え?! リル?!」
「あー、その考え方があったか。ナイスだよシュリくん!」
「エクレスまで!」
私が関与しない間に、どんどん話が進んでいってしまってる! いけない、このままだと流されてはいけない!
これはあくまでも私とガングレイブの問題。それは先ほどシュリが自分で言っていた通りです。
なので、私が行動しないといけないのです。私の人生がかかってますから!
「アーリウスさんはこう見えても意気地無しですからね。僕たちがどうにかしないといけませんね」
……なんだ、と?
「シュリ、ちょっと待ってください」
「なんでしょうか?」
「私が意気地無し、ですか?」
「違うんですか?」
「違います!」
さすがに謂われなき侮辱は許しません! 私は思わず机から立ち上がって言いました。
「いいでしょう、私が意気地無しじゃないって見せてあげますよ!」
「無理しなくてもいいんですよ?」
「うん、アーリウスには無理」
「無理だろうねぇ」
り、リルとエクレスまで呆れ顔で言ってきましたっ。
「無理じゃありません!」
「ではどうやってガングレイブさんに伝えますか?」
「自分から言いますよ!」
「思い出してもらって?」
「そうですね、ここまで来たら忘れてるガングレイブにも怒りが湧いてきました! 思い出してもらって、私と同じように悩んでもらう方が一番です!」
「じゃあ僕がそれとなく伝えてからで?」
「それでいいですよ! それでやってやりますとも!」
「じゃあそれで」
「え」
私の頭の熱が一気に冷めてしまった感覚を覚えました。
もしかして、乗せられた?
「ではアーリウスさんの了解も得られましたので、作戦を立てましょう」
「同意」
「そうだねぇ。まずは二人っきりにする段取りから立てようか」
「そうですねエクレスさん」
あ、これはもう駄目ですね。私のいない間に作戦が決まる流れです。
私は冷めた頭を必死に回転させながら椅子に座りました。このままだと、私が主導で行うべきことをシュリたちがやることになってしまいます。
「あ、アーリウスさんに最後の決裁をいただきたいので話し合いに参加してもらえますか?」
「し、仕方ありませんね! 皆さんの協力、感謝します!」
なんか流されてるけど、まあいいかと思ってしまう辺り、私も相当な流されものですね。
まあ……最後の決定権を与えられてるので、良しとしますか。
で、様々な人を巻き込んで巻き込んで巻き込みまくって。
ガングレイブに約束を思い出してもらって、プロポーズまで受けました。
それはいいです。それはいいのです。
ですが……結婚式が迫ってくるに連れて私の心に一抹の不安が過ぎったのです。
本当に私で良いのか、と。
ガングレイブだったらもっといい縁談を結べるはずです。それこそ、近隣諸国との関係密度を上げるために他国から姫を迎えいれることだって。
そう考えると、私ではガングレイブに相応しくないと思ってしまうのです。
「はぁ……」
そんなことを考えながら、私は結婚式当日に準備室で一人、悩んでいました。
部屋に鍵をして、ひたすら悩んでいます。
「私なんかで良いのでしょうか……?」
何度も何度も自問自答を繰り返し、答えが出ずに、胸を切り刻み続ける。
部屋のドアが何度も叩かれる音も無視して、私はひたすら考えました。このままで良いのかと。
いいはずがありません。未来を考えたら、私は大人しく身を退くべきなのです。
国を手に入れる。その夢を見事に叶えてみせたガングレイブには、きっともっと相応しい人がいるはず。
そう、それなら私は正妻で無くても側室でも……。
いやだ。それはぜったいにいやだっ。
私の中の幼い私が、声を上げて否定する。目を閉じると、泣きそうな顔をする幼い自分が、じっと私を睨むように涙目で見てくるのです。
私だって嫌です。他の誰かにガングレイブを渡したくはありません。
でも、私は……。
「アーリウスさん。聞こえますか?」
そのときでした。シュリの声が聞こえたのは。
ドアの向こうから、シュリの穏やかな声が聞こえてきました。
「え? シュリ? シュリがいるのですか、そこに?」
私がドアに向かって声をかけると、返事が。
「はい。さすがに中を覗き見たりはしませんし、中に入ろうとは思いません。なので、ここから言いたいことを言わせていただきます。アーリウスさん。あなたはガングレイブさんを信じていますか?」
ガングレイブを信じてるか? シュリの言葉に、私は湧き上がる言葉をそのまま伝えました。
「もちろんです」
即答でした。当たり前です。そうでなければ、私はガングレイブとここまで来ていません。
あの人に惚れた。憧れた。側にいたいと思った。
だからこそ私はここにいるのです。ガングレイブと一緒にいたいと、ここにいる。
心から信じてる。私のおもいは 変わりません。
「多分、あなたが悩んでいるのは『私はガングレイブに相応しいのでしょうか? 国を手に入れるほどの才覚を持つ人間なら、私なんかよりももっと相応しい人を娶るのが一番ではないでしょうか……。それどころか、周辺の国から姫を迎え入れて、その血に正当性を持たす方が重要なのでは、それなら私は側室で居た方が良い』とか考えてるからじゃないですか?」
私は思わず口を閉ざしてしまいました。シュリはどうしてこうも、人の心を見事に察することができるというのか。
本当に不思議でなりません。彼は、まさしく私の心を言い当ててしまうのですから。
「大丈夫ですよ。ガングレイブさんも、僕も、みんなも。お二人が一番のお似合いだと思ってますから。どうやったってどういうことになっても、結局二人は一緒になりますよ。それだけの絆が、お二人にはあるのですから。
だから、大人ぶったことはしなくていいです。幸せになってください」
幸せ、に。私が、幸せに?
私が幸せになっていいのでしょうか。私が。
……いえ、そうです。この結婚は、私が望んだこと。私が夢見たこと。
そして、ガングレイブに言われたのです。結婚しようと。
私が望み、ガングレイブに婚約を申し込まれた。
回りのみんなは、それを祝福してくれている。
私は自分の姿を見ました。純白のワンピース型の、ウェディングドレス。
鏡も見ました。いつも簡単な化粧しかしない私に施された、美しい化粧。
外にいるリルとエクレスの、嬉しそうな笑顔が思い出されます。
テグとクウガの笑顔が頭を掠めました。
誰もが、私とガングレイブの結婚を祝ってくれている。
そう思うだけで、私の中の悩みが溶けていくようでした。
氷解していく胸の大きな何かを感じながら、私は―――。
「アーリウス!!」
そんなときでした。私の思考を中断させる、いや、中断したくなる声が聞こえてきたのは。
ドアを見ると、そこにいました。
愛しい人が。誰よりも、なによりも愛しいもの。
「ガングレイブっ」
私は椅子から立ち上がると、ガングレイブに駆け寄りました。
そのまま、胸に飛び込んで顔を埋める。
ガングレイブの体に戸惑いの震えが伝わってきました。しかしそれも一瞬。
すぐにガングレイブは私の体を強く、強く抱きしめてくれました。
「すまん、俺はバカだ。俺ばっかりが不安になって、悩んでいると思ってた」
「いえ、いえ。私もバカでした。あなたとの結婚を悩んでしまった」
「俺もだ。……俺はお前に相応しいのかと思ってしまった」
「私も、私はあなたに相応しくないのではと思っていました」
私は顔を上げ、ガングレイブの顔を見る。
彼の顔は、清々しい程の笑顔に充ち満ちていました。まるで、全ての憑きものが落ちたかのように。
「だが、そんな悩みはバカらしい! アーリウス。もう一度言うぞ」
ガングレイブは大きく息を吸って、心の準備を整えているようでした。
彼が何を言うのか、彼が何を思ったのか。
私はそれを一字一句聞き漏らさないように神経を集中します。
「俺と結婚してくれ。俺に相応しい、いや、俺はお前だけのもので、お前は俺だけのものだっ。他の誰が何を言おうが、お前に相応しい男は俺だけだ。受けてくれるよな」
「もちろん! あなたに相応しい女は私だけです。あなたは私のもので、私はあなたのもの。未来永劫それは変わりません!」
「なら、悩む必要もなかったな!」
「はい!」
私たちは互いに笑い合いました。今まで悩んでいたこと全てがくだらない。考えていた全てが愚かしい。
私たちは私たちでしか愛し合えない。他の誰でもなく、他の何ものでも無く。
目の前にいるお互いしか、私たちは番えない。
「あー……ウェディングドレス、よく似合ってる」
少し体を離して、ガングレイブは私の服装を見て言いました。
「ガングレイブも、その服が良く似合っています」
私も同様に答えました。
そして、誰に言うでもなくどちらから切り出すでもなく。
自然と私とガングレイブは手を握り合っていました。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
そう言って、私たちは部屋を出ました。
ありがとう、シュリ。
悩むだけ、無駄でしたね。