二十四、結婚式と伊勢海老のグリル・承
俺は今、一世一代の大イベントを前にして、緊張と不安で吐きそうになっている。
結婚というものが、これほどに心身に与える影響が大きいとは。侮っていた部分があったことを認めないといけないだろう。
現在、俺は結婚式当日で衣装合わせや準備を終えた所だった。花婿衣装に身を包み、椅子に座ったまま動けずにいる。
膝の上に置いた握られている手の中が、汗でじっとりとする感触がする。緊張、そして不安。この二つが、俺の冷や汗を止めどなく流れさせる要因になっている。
準備のための部屋に籠もり、どうしてこうなったのかを俺は考え始めていた。
それは一週間前のことだった。
「そういえばガングレイブさん、あの日はいつにします?」
「……? あの日、あの日とはなんだ?」
俺は仕事を一段落させて、食堂でシュリの飯を食べていた。時刻は昼頃、すでに周りには人がいない。結構遅い時間の昼食だ。
シュリの料理を食べていた俺に、皿を片付けていたシュリが聞いてきたのだ。
「え? そろそろあの日だと思ったんですけど……予定が立たないので? それとも別の理由があるんですか?」
「待て待て、そもそもあの日とはなんだ。俺のあずかり知らんところで何かイベントでも決めているのか」
俺が首を傾げてシュリに聞いてみたが……シュリはなんか、驚愕したような顔をしている。まるで、自分の予想外というか、考えてもいなかったような顔。
なんというか、俺がそれを忘れている事に対してすっごく驚いている感じだ。俺はますます考えてしまう。
シュリがわざわざ俺に聞くと言うことは、それほど重要なイベントであるに違いない。俺が忘れることがあっては絶対にならない、そんな様子がシュリから窺える。
しかし、何度も言うが俺には全く心当たりがない。シュリがわざわざ俺に聞くほどのイベント……なんだっけ、なんかあったかな?
そうして考えていた俺だが、シュリが冷静に机の上に、手に持っていた皿の類いを置き、俺の肩に手を置く。
「ガングレイブさん」
「な、なんだよ」
「これを忘れるのは、さすがの僕でも駄目と言わざるを得ません。アーリウスさんが可哀相で仕方ないです」
「なんだ? アーリウスも関係あるのか」
俺の問いに、シュリは大げさにのけぞりながら離れた。なんだ、こいつは何がしたい。
シュリは度々わけのわからない行動をすることがあるが、さすがに今回は俺に非があるらしい。
そうやって落ち着いたのか、シュリは呆れた顔をした。
「ガングレイブさん。アーリウスさんとの約束、覚えてますか?」
「約束? ……なんだろうか、デートの約束でもしてた……か?」
「かーーーっ!!」
とうとうシュリはしびれを切らしたような顔をした。
「ガングレイブさん、領地を得て安住の地を手に入れたら、アーリウスさんと結婚する約束でしょうが!!」
……あ!! そうだ、確かに俺はそんな約束をした! 初めてシュリに湯豆腐を作ってもらい、アーリウスと思いを通じ合わせたあのとき、確かに言った。
そしてアルトゥーリアでの事件で正式にアーリウスを婚約者にして、今に至っていた。
俺はようやく得心した顔をする。そうだそうだ、日々の忙しさにかまけて、すっかり忘れてしまっていたな……アーリウスには悪いことをしたな……。
「ああ、やっと思い出した。……アーリウスには悪いことをした」
「わかったなら、大きなお荷物が片付きつつある今、やった方が良いんじゃないですか?」
シュリは腕組みをして俺に告げる。確かに、今やった方がいいな。
テビスのこともレンハのこともエンヴィーのことも、落ち着いた今だからこそ結婚するべきだ。シュリの言うとおり。
俺もようやく、手段はあれだが領地を手に入れた。安住の地は手に入れたわけだ。
アーリウスとの結婚を妨げるものは、もうない。
「そうだな……元は傭兵団の俺とアーリウスの結婚。身内だけでささやかにやるか」
「え?」
「え? なんだ、何か問題があるのか」
俺、おかしいことを言ったか? 駄目だ、わからん。考えてみても、おかしいところはなかったはずだが……。
しかしシュリはまたしても呆れた顔をする。
「ガングレイブさん。あなたもう領主なのです」
「そうだな。領地を得て領主になった。手段はあれだが」
「この際手段はもう触れないでくださいややこしい。そうじゃなくて、領主とその婚約者の結婚が、ささやかにできるわけないじゃないですか」
「……まあそうだな」
シュリの言うことにも理はある。領主とその妻の結婚式は、けっこう大がかりというか、準備から忙しいものだというのは俺にもわかる。
そして俺は今や領主。アーリウスはその妻となるわけだ。その結婚式を、傭兵団時代の仲間だけで行うのはあまりにもおかしい。時として領主の結婚式というものは、町で大々的なパレードや祭りなんてものもやるほどだ。王国になるとさらに規模が大きい。
スーニティの領地や経済状況から考えても、そこそこ大きな結婚式をやるのが筋だろう。パレードや祭りまでやらずとも、城内で披露宴をやるレベル。
でもなぁ。俺は傭兵団の団長だったんだぞ?
「シュリ、確かにそうだがな……落ち着いて考えてみろ。俺は傭兵団団長だぞ? 披露宴をやろうにもお披露目する相手が仲間たちしかいない。これじゃ披露宴なんて話じゃない。せいぜいが身内の宴レベルじゃないか?」
俺がシュリに言ってみるが……シュリは少し考えてから口を開いた。
「そうは言っても、現在この城にはテビス王女がいるわけで。結婚式は身内だけでやりますのでどっか行っててください、なんて言えます?」
あ、そうか。今はニュービストの王族であるテビス王女がいるんだ。懇意……と呼べるかどうかわからんが、王族が城にいる以上、そいつをほっぽらかして結婚式なんてできるわけがない。
というか、こちらから頭を下げて出席を願わないといけない立場だ。国の規模からしても、それが筋って奴だ。
俺はそれに気づいて青い顔をしたが、シュリはさらに続けた。
「それに、領主が一族のものではなく外部の人になったって言っても、昔からこの領地と関わりのある有力な氏族に連絡もなしにやっちゃったら、不満が高まりますよ。国を手に入れたからには、有力氏族に気を使うことも覚えないといけないんじゃないですか? よくわかんないけど」
しまった。その線も忘れてた。
このスーニティには昔から付き合いのある国とか、有力氏族とか、有力商人がいるもんだ。そいつらになんの気遣いもせずに結婚式やっちまったら、確実に不評を買う。
まあ、俺が領主になると言ったら、そいつらとの縁が切れるのは間違いないだろうが、それでもこちらから招待する姿勢だけでも見せとかないと、不評どころか怒りまで買ってしまうのは目に見えている。
シュリの言うことが正論過ぎて、俺は項垂れてしまった。何故その可能性に思い至らなかったのか……自分が情けなくて溜め息が出てしまう。
「お前の言うことが正解だよ。俺はすっかり、この領地の引き継ぎにばかり頭がいってしまっていた。反省してる」
「反省は良いことです。同じ事を繰り返さないで済む。それで? 改めて結婚式は何時にしますか?」
そうだな……シュリは腕組みして聞いてきたので、俺は改めて考えることにした。
しかし、一番の障害に気づいてしまい、顔を真っ赤にして照れてしまう。
「あのさ、シュリ」
「なんでしょうか?」
「結婚式をするってことは、アーリウスにそれを伝えるわけだよな」
「当たり前でしょう。一人でやる結婚式なんてこの世に存在しないでしょう。それは結婚式とは呼ばない」
「それ、誰が伝えるんだ?」
「ガングレイブさんしかいないでしょう。え? ここでヘタレな意見を言うのは止めてくださいよ」
シュリがドン引きしながら俺に忠告するが……さすがに俺だってヘタレなことは言わんぞ。
「さすがに別の誰かが言うのは無しだろう……俺でもそれくらいはわかる」
「ならよし」
「お前、なんでさっきから上から目線なの?」
こいつもしかしてすでに……いや、ないな。こいつに限ってかつて結婚してたとかない。恋人がいたとかも絶対にない。
なんでわかるかって? 長い付き合いでシュリの人間性くらいわかってる。こいつは、自分に向けられる異性からの好意に気づきにくい、唐変木だからな。
「上から? 違いますね……ガングレイブさんがハッキリしないから、あなたから僕の高さまで来てしまっているのですよ。しっかりしてください、妻帯者になるんですよ」
「うっ……すまん」
「それで? 何時にするんです?」
何時か……改めて聞かれると、何時にするか困るな。
何しろ、まずはアーリウスに話をしないといけないから。つまりは完全な結婚の申し込み。これほど男にとって緊張する場面もない。一世一代の勇気が必要だ。戦場の勇気とはまた違う、男としての矜恃が問われてるわけだからな。
もちろん早いほうがいい。俺はアーリウスを待たせすぎた。いい加減、あいつを楽にしたい。幸せにしてやりたい。
それには俺が勇気を出さないといけないが……くそ、いつもならすぐに頭の回転が鋭くなるんだが、今だけは凄く頭の回転が鈍い。心臓もバクバクする。緊張もしてきた。
「なあシュリ、あの……」
「あ、アーリウスさんこんにちは」
「どうもシュリ。ちょっと飲み物をいただいても宜しいですか?」
え? ええ?! な、なんでここにアーリウスが……っ!!
アーリウスが食堂にやってきて、シュリと何か話をしている。どんな偶然だ結婚のことを考えていたら相手が現われるとか!
一気に俺は緊張で固くなってしまう。照れて赤くではなく、緊張で青くなりそうだ。
アーリウスは結局、何やらシュリに頼み事をした。シュリはそれを受けて厨房に戻る。
食堂には俺とアーリウスだけだ。昼の日差しが食堂に入り込み、アーリウスの姿を一段と美しく魅せる。結婚を意識すると、改めてアーリウスの女性としての器量の良さが目立つから、さらに言い出しにくくて困る。
「ガングレイブ」
「へぇえっ? あ、ごほん、なんだ?」
「どうしました? 何か……」
「な、なんでもない!」
やばいやばい、緊張のあまり変な声が出た……! 何を狼狽えているガングレイブ、しっかりしろ!
俺は居住まいを正して、アーリウスに言った。
「せっかくだから一緒にどうだ? 俺は昼飯を食い終わった後だが……」
「ええ、是非」
そう言うとアーリウスは俺の隣の席に座った。
さて、いざ言おうとなると……もの凄く緊張するものだな。
「ガングレイブ」
「ん? なんだ」
「最近は忙しくてお互いに時間が取れませんでしたね」
「お、おお。そうだな」
確かにそうだ。俺は領主としての仕事。アーリウスは魔法師の後進を教育、訓練する仕事と忙しかった。
と言うか傭兵団時代から忙しかったし命がけであったがな。それでも互いに時間を取り、二人でこうして逢瀬を重ねていたものだ。
それが最近はどうだ。仕事の忙しさにかまけて、アーリウスの相手をしてやることができなかった。これは反省しないとな。
「それは……すまなかった。時間がないとか忙しかったとか……は言わない。本当にすまん」
俺は頭を下げて謝罪する。
「あ、いえ! 別に責めているわけではありません。ただ少し寂しかっただけでして……。今日、こうして時間を取れただけでも、私としては嬉しいのです」
それに対してアーリウスは慌ててフォローしてくれた。
駄目だなぁ、アーリウスに気を使わせてしまった……。本来なら、俺から時間を作ってアーリウスと一緒にいるべきなのに。
アーリウスもわかってくれている。領主の仕事を受け継いで国を動かすことが、どれだけ大変なことか。だからアーリウスは俺に遠慮して、無理に会いに来ようとはしなかったんだ。
だから、俺が一刻も早く領主としての仕事を覚え、時間が余るようにしないといけなかったのに……。
「そう言ってくれるとありがたい。そっちはどうだ? 魔法師の育成は、上手くいっているか?」
「ええ。あの子たちも頑張ってくれています。しかし、シュリの教えを広めるにはなかなか難解のようでして……」
現在、アーリウスは後進を育て、新たな魔法師の発見と育成に尽力している。シュリが何故、魔法師に魔法のことでアドバイスができるのか疑問なのだが、深く追求することはしない。
クウガのときもリルの時もそうだったし、あいつの不思議さを考えてたら人生がいくつあっても足りないと思っている。
「それでも、魔法を使う意識や原理、魔力の使い方などを変えたら、随分と腕は上がりました。喜ばしいことです」
「そうか、それは良かった」
アーリウスに合わせて俺も笑顔になるものの、内心では修羅場ってる。
違うだろガングレイブ、話が違う。お前がするのは近況報告だけではなく、結婚式の話だろうよ。何を和気藹々としているのか。
よし、覚悟を決めた。言うぞ。
「アーリウス!」
「なんでしょうか?」
……あれ? アーリウスが神妙な顔をしてる……? 何故だ……。
まあいい、それはそれで構わん!
「俺も領地を得たじゃないか?」
「そうですね」
「領主になったろ?」
「そうですね」
「となると、昔の約束を果たさないといけないと思うんだ」
「私もそれを言おうと思っていました」
……あ、そういうことか! もしかしてアーリウスは、それを言うためにここに来たのか! だから神妙な顔をしているわけか。
いい加減約束はどうしたんだと女の方から言わせることになるとは……俺も情けない。それでも男かガングレイブ!
だがそれもここまでだ。俺は覚悟を決めた顔でアーリウスに向き直る。今度はアーリウスの顔を真っ直ぐに見て、目を逸らさない。
言うぞ、俺。言うんだ、俺!
「俺から改めて言うには遅すぎることはわかってる」
「はい」
「でも、言わせて欲しい。受け入れて欲しい」
「……はい」
俺は一度深呼吸をして、高鳴る心臓を少しでも鎮めようと努める。
しかし、心臓は早鐘のような鼓動を打つばかりで少しも落ち着く様子がない。体も熱くなって、目の前が緊張で真っ白になりそうだ。
でも、口は動く。
「俺と…………結婚してくれ。結婚式を挙げよう」
言った! 言ったぞ、俺! 俺はここが限界で、思わずアーリウスから目を逸らし、下を向いてしまう。
どうだ、どうなんだアーリウス……! アーリウスからの返答はなく、動く様子も見えない。顔を見ることができないから、どんな顔をしているのかすらわからない。
永遠にも思えるほど、ゆっくりとした時間が流れる。それどころか時間が止まっている感覚すらある。本当にこの世界の時間が今この瞬間、動かなくなってしまったんじゃ? とすら思う。
しかし、それは呆気なく終わった。
アーリウスは俺の手に優しく、自分の手を添えた。少し冷たい。心地よい体温が手を通して伝わってくる。
俺が顔を上げると……そこには涙を流しながら笑顔を浮かべているアーリウスの顔があった。
「こんな私でも、いいですか?」
「当たり前だ。お前以外にかんが、いや、アーリウスじゃないと駄目だ。アーリウスと、結婚したいんだ」
「私も、ガングレイブじゃないと駄目です。責任取ってくださいね。あなた以外では、私は嫌なんですから」
「責任取ってやるよ。一生大事にする」
「はい……こんな私ですが、よろしくお願いします」
やった、受け入れてもらっ、
「ぱんぱかぱーん!! おめでとうございまーす!」
「めでたいわー! 実にめでたいわー!」
「宴っスよ宴!」
「……おめでと!」
たと思った瞬間、食堂のドアを勢いよく開けて、シュリとクウガとテグとリルが入ってきやがった! しかもおのおの笑顔を浮かべて、実にいい笑顔を浮かべて襲来してきやがった!
リルは泣いているアーリウスに付き添って、何やら話をしている。
問題は残りの男性陣だ。全員、笑顔を浮かべてる。すげえ笑顔。ニヤニヤしてる。
その笑顔のまま俺を取り囲んで、上から笑顔を振りまいてやがる……! なんだこいつら!
「いやー、おめでとうございまーすガングレイブさーん」
「男らしいわー。実に男らしい告白やったわー」
「いいっスねー。ラブラブでよろしいことでー」
こ、こいつら……!
「ああそうだとも! 結婚を申し込んださ! 受け入れてもらったさ! 何が悪い!」
なので俺は開き直って、思いっきり噛みつくように言ってやった。ああ開き直りさ何が悪い!
しかし、それを言ったら……全員ニヤニヤした笑みからいつもの笑い顔に変わる。
「やっとですか。長かったですね。おめでとうございますガングレイブさん。ハッキリと男らしくて、いいプロポーズでしたよ」
「そうやなあ。あそこでぐちぐちと長口上並べられとったら、いくらワイでも割り込んで怒っとるわ」
「さすがのオイラでも嫉妬の心すら出ないっス。純粋な、混じりっ気のない心でおめでとうって言葉が出てくるっス」
なんだ? いきなりこいつら純粋に俺を祝福してくれてる? どういうことだ?
そもそもなんでこいつらはここにいる? シュリがいるのはわかるが……いつの間に厨房から食堂の入り口に移動したんだという疑問はあるが、そこは置いといて。
何故ここにクウガとテグとリルがいる? 何故俺が結婚を申し込むとわかってたんだ? タイミングがあまりにも良すぎる……!
俺が困惑した顔をしていると、シュリが苦笑を浮かべて俺の肩を叩いた。
「ガングレイブさん……実は僕、前にアーリウスさんから相談を受けてたんですよ。一週間前に」
「は?」
シュリが?一週間前にアーリウスから相談を受けてた? どういうことだ。
「いやね、アーリウスさん悩んでたんですよ。領地は手に入った、領主になれた。約束の条件は満たしたけどガングレイブさんから一向に話が出てこない。そのそぶりすらない。私のこと、どう思ってるんだろうって」
「えっ」
「それで僕が言ったんですよ。『忙しくて忘れてるだけだ』って」
ぐ、事実なだけに言い返せない……! アーリウスをそこまで悩ませておきながら、俺は仕事のやりがいと楽しさと忙しさにかまけて、ほったらかしにしてたからな……!
「アーリウスさんに言ったんです。『こっちから攻めたらいかがですか』って。そしたらアーリウスさん、一週間それとなく示して気づいてもらうって聞かないんですよ。絶対無理だって言ったのに」
心に鋭い刃を突き立てらたかような言葉に、俺は胸を押さえて苦しんだ。事実と真実なだけに何にも言い返せねぇ。
あ、てかこの一週間、アーリウスがやたらと俺の視界に入ってきてたのは、そういう事情があったのか!
ことある毎に、何かしら俺の視界の端に移ろうとした奇行が多かったけど、あれはそういう理由か……いじらしいというか、ずれてるぞあまりにも!
「なので、期限である一週間を過ぎたら、僕からアクションを起こしてガングレイブさんに気づいてもらうようにしますよ、て言って今日の事に及んだわけです」
そ、そうか。だからあのときシュリはこの話を始めたのか。そういう裏事情があったとは知らなかった。
シュリもシュリなりに、俺たちの仲を取り持とうとしてくれたわけだ……感謝の言葉しかないな。こいつに、要らぬ気を使わせてしまった。
「そうか……すまない、俺のせいで」
「反省してるなら、アーリウスさんの思いにきっちりと応えてくださいね」
「わかった、いやわかってる」
もちろんだとも、これだけお膳立てされたなら、責任はきちっと果たしてみせる。俺は決意を固めた顔をして答えた。
……あれ? そうは言っても他にもあるぞ?
「テグとクウガが知ってるのは何故だ。アーリウスがシュリに相談するのはわかるし、リルにもおんなじ女性として愚痴を零したのか事情を知っているのは頷ける。
だが、テグとクウガが知ってる理由は何だよ? こいつらにも相談するほどの思い悩んでたのかよ?」
そうだったら俺の落ち度だが……そうじゃないよな? さっきからシュリの目が泳いでるもんな違うよな?
俺がそれを聞くと、クウガは口に手を当てて笑いを堪えてる様子だった。
「くくく……!! いやなガングレイブ、シュリは何かとわかりやすい奴やからな? 隠し事をしてること、バレバレやったで」
「それでオイラとクウガで問い詰めて、吐かせたわけっス」
なんだと! テグまで笑ってるってことは……シュリ、お前!
「それはさすがに駄目だろ!」
「すみません、二人がどうしてもと仰るので、何か手段を考えてくれるかとつい……」
シュリが頭を下げて謝罪をしてくるが、正直複雑な気分だ。テグとクウガまで巻き込んだ怒りと、二人を巻き込まざるを得なかった状況に対する同情。
全ては俺の責任だ……。
「いや、その……全て俺が至らないばかりにこうなってしまったからな……俺こそすまん」
「そうやで……今の状況でも誰も来ないこと考えてみぃ。ワイらが封鎖してなかったら、今頃部下が全員ここに押し寄せて、心の準備もへったくれもなかったやろ。状況も悪いことになっとったかもしれんし」
……は? え? ……あ、そういうことか! テグとクウガは、ここに誰も来ないように配慮をしてくれたのか。
だから、今の状況でも誰もここに来ないわけか……俺とアーリウスが落ち着いて結婚について考えることができるようにしてくれたのか……。
「そうか……すまんな、クウガ」
「ええわ、もう。やることやったし、目的も達したわけやし」
「オイラも、部下に頼んでここに誰も来ないようにしてもらってるっスから。邪魔者がいないでこの結果なら満足っス」
「ありがとう、テグ」
「へへ、これくらい朝飯前っスよ」
テグが鼻を掻いて照れくさそうに言った。
全員巻き込んで、俺はようやくこの結果を手に入れたわけか……俺もまだまだだな。いや、未熟者もいいところだ。馬鹿だ、俺は。
みんなの力を借りてようやく、一人の愛する人に告白ができたとはな……。
「そのなんだ。みんなありがとうな」
俺は改めて礼を言った。
「どういたしまして」
「ほんま世話の焼けるやっちゃで」
「結果良ければ全てよしっス!」
と、そのときだった。
「話は聞かせてもらった!」
食堂のドアを勢いよく開き、二人の女性が入ってきた。
一人はいつもの無表情メイド、ウーティン……なのだがすごーく疲れた顔をしてるが……何故だ。
そしてもう一人が、いつもの王女様。
「あとは妾に任せるのじゃな」
かっこよく見せるためか親指で自分を示す、テビス王女だった。
てか、なんでここに来た? テグとクウガを見ると本当に驚いた顔をしている。どうやら、ここにテビス王女が現れたのは本当に予想外だったらしい。
そして、シュリも、リルも、アーリウスも驚いていることから、ここから漏れたわけでもなさそうだ。
何故ここに? そして話は聞いたとは……誰から俺とアーリウスのことを聞いた? そして封鎖してるはずのここにどうやって潜り込んできた?
「任せろって……どうしたのですか王女さま? どうしてここに? ていうか誰に聞いたんですか?」
俺が抱いた疑問を、シュリが代わりに聞いてくれた。
するとテビス王女は不適な笑みを浮かべて答える。
「ふふふふふ。妾の目と耳を舐めるではないわ。妾の部下は、このようなおもしろげふんげふん、重大な出来事を聞き漏らしたり見逃したりするほど、ぼんくらではないということじゃ!」
今こいつ、面白そうと言おうとした……っ。
「それで、任せるって何をですか?」
「決まっておろう、シュリ。領主が妻を迎える、これすなわち領内における重大な出来事。本来であれば知己の縁を辿り、このことを周辺国に知らせることは重要なのじゃぞ。外交にも大いに影響することじゃからな。
しかし! 二人は元々出自がわからない身の上! ならば祝う相手を見繕ってやろうということじゃ」
テビス王女はどや顔で言い切ったが……別にそれは必要ないのではなかろうか……。
「ですがテビス王女。私たちの結婚式は身内で密やかに行おうと思っています。知らない人が祝いに来ても、堅苦しいし疲れるだけだと思うのですが」
アーリウスはそう言うが、俺は内心助かったという思いもある。
シュリの話にも出ていたが、領主とその婚約者の結婚式はささやかに行われるなんてないからな。
俺が呼んでも来ないような領地内の有力者も、テビス王女の呼びかけなら参上せざるを得ない。一応の体裁は整えられる。
しかし、次に続くテビス王女の言葉は、俺の認識の甘さを突きつけるようなものだった。
「アーリウス、さっきも言ったが結婚とは外交に影響を与えるのじゃぞ。新しい領主が現れて、その奥方が誰か。それが周辺に知られると知られないとでは相手からの態度はまるっきり違う。
相手によっては、お主を目障りに思うじゃろう。どんな手段で領地を得たのか、どんな風貌の男か目にしたいと思う。その奥方も誰かを知りたいじゃろうな。そういう相手をいぶり出せる。
逆に、領地を新たに得た才気ある若者の奥方がいるかどうか、気にするものもおるじゃろう。婚姻政策でお主を籠絡、もしくは下に据えたいと思うものもおる可能性がある。
わかるか? お主たちの敵が誰か、味方が誰か。それを見極めるためにも必要なことじゃ」
熟々と並べられた口上に、俺は驚きを禁じ得なかった。テビス王女に言われて俺はようやく、祝ってもらう事以外の大切さを知ることができたのだから。
お披露目……そういう目的もあったのだと。
確かに言われてみればそうだ。俺は曲がりなりにも領地を得た。そして敵も増えた。
その相手を見極めることもせずに、身内だけで終わらせてはその機会も得ることができない。それではいけない。
これから俺は、守るべきものがたくさんできる。そいつらを守るために、誰と戦い誰と相対するべきか……判断しなきゃいけないな。
「すまん、アーリウス。俺は……」
「いえ、構いませんガングレイブ」
俺が言葉を続ける前に、アーリウスは笑顔で言った。
「私たちの結婚式は、もう私たちだけで終わる問題ではありません。それに、せっかくなら盛大に祝えば良いではありませんか」
アーリウス……それでいいのか。それで、良いんだな。
俺は正直、迷っていた。俺たちの結婚式は、是非ともアーリウスの希望に添ったものにしたかった。ここまで苦労させて待たせてしまったのだから、アーリウスには幸せな結婚式を体験させてやりたい。そう思ってた。
でもアーリウスは、その結婚式を政治に使うことを許してくれた。許さざるを、得なかった。
アーリウスはこれから、領主の妻となる。それはつまり、否が応でも政治に関わることになる。必要に迫られることが増えてしまう。
できるだけその事実や仕事に、アーリウスを関わらせたくない気持ちがある。こいつには、幸せな気持ちだけを抱いていて欲しい。幸せな人生だけを歩んで欲しい。
でもできない。俺は……情けない奴だな。愛する人間一人、完璧に守れないんだからな。
「そうじゃそうじゃ。いい加減領地を得るという自覚を持て。これからおぬしは、傭兵団の団長ではないのじゃからな」
傭兵団の、団長では、ない。
その一言があまりにも重すぎた。自由戦力として大陸を駆け回る時代は終わる。
これからは防衛及び攻勢戦力として、傭兵団時代以上の秩序と規律が求められるだろう。
「……わかりました。テビス王女、お願いしてもよろしいでしょうか」
俺は殊勝な態度を取り、頭を下げた。
その態度に、周りの奴らが驚く様子が窺える。当然だろうな、一領主が、相手国に頭を下げたんだからな。
それはつまり、相手よりも自国が格下と認めることだ。事実なのだから仕方が無いがな。
調べて見てわかった。スーニティは確かに、ギングスとエクレスの二人が仲違いをしつつも上手く領地を回していた。周辺領地よりも富んでいるのは間違いない。
しかしニュービスト。調べて見て、実際にニュービストとの格の差を見せつけられたもんだ。目の前の幼女が、どれだけ広大な領地と莫大な財産、巨大な規模の兵団を持ち維持をしてきたのか、発展させてきたのかを改めて知った。
格が違う。位が違う。
この相手と対等になるためには、いつかこの大陸に覇を唱えるためには下げれる頭を下げておく。必要な処世術だ。
「……良かろう。このテビス・ニュービスト。友人であるシュリの顔を立て、お主たちの結婚式の招待客を見繕うこととしよう」
それに対して察してくれたのか、テビス王女は尊大な態度で了承してくれる。
俺が込めた意味は、『こっちは頭を下げてそちらを格上にして立てるからな。今までの恩やらシュリの料理の感謝を返したけりゃ乗ってくれ。格下のこっちの願いを聞いてくれる格上、スーニティとニュービストは良好な関係だと周辺に言ってくれるよな?』
テビス王女が返答に込めたのは『了承したわ。この憎たらしい奴め。言うことは聞いてやる。しかしそっちはあくまで格下じゃ覚えとけよ。それとお前のためじゃなくてシュリのためにしておくから調子に乗るなよ』だ。
この時点でも相当バチバチだけど、仕方が無い。実際こっちは格下なんだから。
「ありがとうございます」
俺はそれに対して、あくまで態度ヨロシク返答しておく。
この微妙な緊張感やらを感じたのか、周りの人間たちは黙って見てる。本当は口出しをしたい奴だっているだろうが、黙っていてくれる方がありがたい。ここで変な口出しがあれば、この茶番に水を差すことになるからな。
「さーて! 決まったところで結婚式についてお話をしましょう!」
なのに……なのにシュリという奴は……! 満面の笑みで何を言いやがるつもりだ……!
「テビス王女。ニュービスト経由で運んで欲しい食材があるんですけど」
「お? 何じゃ? 新作か?」
「美味しくて縁起の良いものを、みんなに振る舞おうかと」
「それは良い! シュリの料理なら信用ができる! 是非とも用意しよう! それで何を用意すれば良い?」
テビス王女とシュリはノリノリで何かを相談している。こいつら、俺たちの結婚式で何をやらかすつもりだ……っ。
「……て感じの食材なんですけど……あります?」
「ふむ……似たようなものなら、妾も食べたことがあるからの。仕入れるのは問題ない」
「あ、なら僕の作る料理も食べたことがあるかもしれませんね」
「それでもシュリなら、二手三手上のものを出してくれると信じておるぞ! では妾はやるべきをやるためにさらばじゃ!!」
結局、テビス王女は言いたいことだけ言って去って行きやがった。助言がしたかったのか、結婚にかこつけて恩を売ってシュリの料理をタカリに来たのかさっぱりわからん。
残されたシュリはシュリで、満面の笑みを浮かべて妙な動きをしながら俺の両肩に手を置いた。嫌な予感が止まらない。ここで逃げろと本能を告げる。
「ガングレイブさん。あなた、このままでよろしいですか?」
「はい?」
何が言いたい? この満面の笑み。嫌な予感しかしない!
「……は! まさかシュリ、前に言ってた奴をやるつもりかい!」
「あれをやるんスか……っ。本気であれをやるつもりなんスか!」
え? 何? テグとクウガは内容を知ってるの? そんなに驚くこと、やるつもりなの? こいつ何を言うつもりなのよ?
ちなみにリルを見てみると、お腹が空いたのか虚空を見ている。こいつ、段々と謎キャラに染まっていくのだが……。大丈夫なの?
「アーリウスさんとの結婚式、特別なものにしたくありませんか?」
「は? 特別? 記憶に残るってことか?」
「記録にも残しましょ?」
き、ろく?
「まずですね。神様に宣誓するんですよ。永遠に愛すると」
「……なに」
神に宣誓、だと?
「神に、永遠にアーリウスを愛すると宣誓……するのか」
「はい。できますよね?」
「……本当に、やれと?」
「できます。よね?」
俺は困った顔をしてアーリウスを見るが……アーリウスは両頬に手を当てて顔を真っ赤にして、何かを呟いてるだけだ……っ。
「か、神様に……私たちが愛していると……愛し合ってる、と……す、ステキ、です」
駄目だ……夢見る女になっちまってるのか!
「さらに、みんなの前で指輪を交換するんですよ。互いの左薬指に、結婚指輪というものを渡すんです。これで、私には妻、もしくとは夫がいると周囲に喧伝するんです」
「え? 指輪……て」
「もちろん宝石と銀装飾が施された豪華な奴を」
「そんな高額な買い物をしろと!」
アーリウスを見ると、
「ステキ……夫婦の証だなんて……それに、ガングレイブからそんな綺麗なものをもらえるのは嬉しいです……私も精一杯良いものを用意しないと……何が良いでしょうか……」
と、恋する乙女の顔をしているからあてにならん。
「さらにですね」
「まだあるのかよ!」
「みんなの前で誓いのキスをするんですよ。接吻接吻。式場に来てるみんなの前で。こいつは俺のもの、私は彼のものってみんなと神様に見せつけるんですよ」
……俺は絶句して次の言葉が出てこなかった。こいつは何を言ってるのだろう。俺には、目の前の物体がなんなのかわからなくなるほどだった。言葉を喋る肉にしか見えない。
ことあろうに、こいつは人前でキスをしろと言ったのだ。公衆の面前で、アーリウスを自分のものだと印を付けろと。
できるか!!!
「そんなもん、できるわけなかろうが!! 何をとち狂ったこと言ってやがる貴様!?」
「僕の国では普通なんですけど」
その国、俺は絶対に行かない。殺されても行かない。
しかし、俺の考えとは裏腹にアーリウスは満面の笑みを浮かべて俺に言った。
「ステキではありませんかガングレイブ。是非ともやりましょう」
「本気かっ?」
こいつ、ロマンチックさに目が眩んでいるのか?
「はいもちろん。私はあなたのもの、あなたは私のもの。誰にも渡しませんともええ渡しませんとも!」
「どうした?」
「さあ……」
あまりに暴走を続けるアーリウスを見て恐れる俺。隣にいたクウガもドン引きしている。当たり前か。
「ではそういう流れということで」
ここで、シュリがパンっと手を叩いた。
「……え? まじで?」
「マジです。それでいきましょうね、ガングレイブさん!」
「ちょ、ま、か、勘弁してくれ……!」
しかし、願い虚しくシュリ提案の結婚式で、話が進むことになったのだ。
そして現在に至る。ほぼ全ての準備をシュリとテビス王女がやらかしてくれたので、俺がしたことと言えば周知徹底くらいなもの。要するに広報である。
城下町の民たちにどう思われているのかはわからんが、正直不安な部分もある。俺はそれを憂鬱に思いながら、準備室で椅子に座って頭を抱えているわけだ。
正式にこの領地の領主になり、アーリウスを嫁に迎える。そしてこれから評価を好転させるために身を粉にして働き、いずれは夢に描いた平和な国にしたい。
それはいい。それはいいんだ。しかし、日が迫るごとに俺の中で不安が鎌首をもたげてくる。俺の首筋にねっとりとまとわりつく蛇のような不快感がある。
俺は果たしてアーリウスに相応しいのかどうか。
アーリウスは、身内評価もあるだろうが美人だ、器量良しだ。世が世なら、きっと玉の輿に乗れただろう。いや、十分に今の世の中でもあり得る話だ。
それがどうだ、俺のことを一途に思ってくれて、こうして結婚相手にまでなっている。
俺じゃなくても、もっと良い男がいるのではないか? 俺がアーリウスを幸せにできるのか?
そんな不安ばかりが、俺の胸の奥底で燻っている。少しのきっかけで業火に変わるだろう、その小さな燻り。
「みんな待ってますよー。体調が優れないんですかー?」
そんな時だった。控え室の外から声が聞こえたのは。
俺は一瞬、飛び上がらんばかりに驚いた。頭の中では、ここには誰も来ないだろう。そんな考えがあったからな。
ふと気づけば、ここで控え室に鍵をかけて籠城紛いのことをしてから随分と時間が経つ。どうやら、いい加減ここで固まってる状況でもなくなったらしい。
もしくは控え室に籠ったままの俺に危機感を覚えた誰かが、シュリを連れてきたのかもしれない。
そういえば、さっきから外で誰かが俺を呼んでたな。あの声は……思い出してみるとクウガの声だった。
そうか、クウガがシュリを連れてきたのか。やっとその事に気づいた俺だが、同時に胸の中の不安も思い出す。
まだまだ未熟な自分に、アーリウスを幸せにできるのかどうか。
せめてもう少し、整理する時間が欲しい。
「ああ、いや、待ってくれ。ちょっと考えたいことが」
「うるせえ。クウガさん。宜しくお願いします」
「わかった」
え? と思う間もなく、いきなり扉が吹っ飛んだ。蝶番も鍵も何もかも壊れて部屋の隅まで扉が宙を舞い、壁に激突して破損する。
何が起きたのか全くわからない。待って欲しいと言ったら扉が壊れるんだぜ?
改めて目を転じると、鬼のような覇気を纏ったシュリが部屋に入ってくる。クウガも一緒だ。どうやらクウガが扉を蹴り壊したらしい。何を考えてやがる。
「な、どうしたんだお前ら!?」
「ガングレイブさん。聞きましたよ……将来が不安になって、いろいろと悩んでるって」
俺の疑問をまるっきり無視してかけられた言葉に、息が詰まる。なぜシュリがそれを知ってるんだとか、そんな疑問も氷解。
……シュリになら、ぶちまけてもいいかもしれない。根拠はわからないしなんでそう思ったのかもわからない。
でも……そうだな。今までのシュリへの信頼があったからだろう。こいつは今までだって、今のように悩んできた俺を助けてくれた。
だから、話してみようと思ったんだ。
「あ、ああ……いろいろと考えちまうんだよ。あいつは見た目通り、器量よしだし美人だ。これから俺と結婚すれば、苦労をかけることは目に見えてる」
結局、そこなんだ。
子供の時分から俺のことを想ってくれてたアーリウスだからこそ、幸せになって欲しい。
俺もアーリウスのことが好きだから。
「それならいっそ、大国の魔法師部隊に入れて、そこで王族にでも見初めてもらえりゃ、あいつも幸せなんじゃ……」
「こんの大馬鹿野郎が!!!」
シュリはいきなり近くにあった机を蹴飛ばしながら、大声で叫んだ。椅子が重いのかあまり動かなかったが……止めてくれ、これ以上部屋の調度品を破壊しないでくれ。
「いいかっ、良く聞けガングレイブ。一度しか言わん」
「お、おいシュリ、口調が荒いぞ……」
「黙れ。言うぞ」
今までに見たことがないシュリの荒ぶれる様子に、俺はただただ気圧されていた。
いや、違う。これは前にも見たことがある。アルトゥーリアでアーリウスがバカ王子に奪われそうになり、それをシュリが阻止したとき。
そしてアルトゥーリアを去った頃に、シュリが俺をぶん殴ったんだ。愛する人を守れなくてどうするんだ。そんな喝も込めて。
そのときと同じ顔をしている。同じ顔を俺に眼前にまで寄せて言った。
「アーリウスさんは、苦労するときも辛いときも、あなたと一緒に居ることを選んだんだ。それが幸せなんだよ。苦労も、辛さも、あなたと一緒に乗り越えることが幸せだと思うから、あなたを選んだんだ。そんなあなたが不安になってどうするんですか? 僕の知るあなたは、もっと強い人でしょう。これから民の人生を背負うという男が、愛する一人の女性の人生を背負えないなんて、情けないことは言わんでください」
苦労するときも、幸せなときも。
その言葉に俺は天啓を受けた気分になった。その通りだ、その通りだとも、シュリ。
もしアーリウスが嫌だったんなら、とっくの昔にここを去ってるだろうよ。そして別の誰かと結ばれていただろう。
アーリウスがそれをしなかったのは、自分で言うのもなんだけど俺のことをそこまで愛してくれていたからだ。命のやり取りをし、危ない橋を何度も渡った。
幾つもの、幾十もの、幾百ものの危険に直面してもアーリウスは一緒にいてくれた。
それがなんだ。今さら幸せがどうなの相応しい相手がどうだのと……そう思うんなら、とっくの昔にアーリウスと別れているさ。
そうだ。そこまで一緒にいてくれるなら、責任を取ってやるとも。愛を向けてくれるなら、愛を返してやるともさ。
俺の心に燻っていた、不安という名の黒い炎が消える。その代わりに燃え上がったのは、真っ赤な真っ赤な炎。
アーリウスを守り幸せにするという、誓いの炎だ。
「じゃあガングレイブさん。愛する人ときちんと、将来を生きてくださいね」
「お、おい、シュリ」
シュリはそう言うと、急いでる様子で部屋から出ていこうとする。
「僕はまだ行くところがありますんで。アーリウスさんもきっと、この日を待ち望んでいることでしょうし。ぐずぐずしている暇もないのです。……すみません、急がないといけないのでクウガさん。後は任せてもいいですか?」
「おう、任せとけ」
「では任せました」
矢継ぎ早にシュリは言い終わると、部屋から出ていってしまった。
壊れた扉を、まるで放たれた矢のように飛び出していったが……。
「やれやれやわ。シュリも忙しいからの」
「……そうだな。いらん心配をかけた」
「その言葉から察するに、もう心配はあらへんな?」
俺は椅子から立ち上がり、クウガを真っ直ぐに見据える。
「覚悟を決めた」
「遅いねん。この話が出たときいうか、アーリウスと婚約したときにゃ固めとけや」
うぐ! そ、そのとおりだな……。クウガの言うとおりだ……。
「だいたい女絡みでナヨナヨするなんぞ、男らしくないわ。サパッと決めてズバッと行動すりゃええねん。
女を見てみぃ。あいつらはサッパリしとるで。男よりも切り替えが早いわ。
あれを見習って、ガングレイブもうじうじと悩まんとけ」
「いや、一人の女に身を固めようとしないお前に言われても困るぞ」
「何を言うとんねん」
クウガは胸を張って言った。
「女の方が、ワイをほっとかんのや」
「後ろから刺されてしまえ」
ほんとこいつは……! 顔が良いからって調子に乗りやがって……!
「んじゃ、行くでガングレイブ」
「? どこにだよ」
「アホか! 使者が来とるから挨拶せにゃならんだろうが! そのためにシュリまで呼んでお前を引っ張り出そうとしたんや!」
「なに? 使者? 使者の方々がもう来てるのか!?」
失念していた、挨拶に行かねば失礼に当たるじゃないか!
「わかった、すぐに向かう。アーリウスはどうした?」
俺がクウガに聞くと、クウガはバツの悪そうな顔をする。ん? どうした、何があった。
「あー、その……あいつも引きこもっとるねん」
「なに? アーリウスが?」
「お前とにたような感じでな、シュリはそっちに……ておい! ガングレイブ?!」
俺はクウガの言葉を最後まで聞かず、部屋から飛び出した。慣れない婚礼衣装だが、走るのに問題ない。
いや、問題があっても走る。多少の不自由だろうが、構わなかった。
アーリウスが引きこもってる。俺と同じように。
俺のせいだ。俺がハッキリと態度を示さなかったから、あいつに不安を与えてしまった。どうしてそのことに気づけなかったんだ俺は!
俺が悩むのと同じように、アーリウスだって不安に思うことがあるだろう! それを自分のことだけしか考えなかったとは、情けない!
待ってろ、アーリウス。お前の不安、全部払拭してやるからな!