二十三、天啓とチャーハン・中編
私は今まで、命じられるままに生きてきた。そして、今までそれを疑問にも思わなかった。これからもそうだと思ってる。それも悪くない、と思う。自分の尊厳よりも、あのお方の命令を大事にしている。
そもそも、私は拾われた身。拾われた身として、拾った主人に尽くすのは当然のこと。疑問を抱いてはいけない。希望を持ってもいけない。私は、死ねと言われれば死ななければならない。躊躇なく未練なく死に、あの方のためにならなければいけない。私はそれを、喜んで受け入れるだろう。
でも、できるならテビス王女の命令で死にたい。あの人は私を犬みたいで可愛いと言ってくださった。いや犬みたいだ、だっけ? ともかく、王女様は私を見てくださった。獣のような生き方をしてきた私を、女性として可愛いと仰ってくださったのだから。
あのお方のために、死ねる。それが、私。
特別工作部隊、間諜兵のウーティン。
私は最近、戸惑いの連続を過ごしている。というのも、その原因は傭兵団の料理番である男、シュリ・アズマのせいだ。彼のせいで、私の心は乱されている。
彼は不思議な存在。私の大切な存在である王女様の舌を虜にする料理を作る、不思議な料理人。彼の作る料理には、私も虜になってしまった。
彼は不思議だ。もう一度言うけど、不思議な存在だ。私が日常的に使っている隠密術を、どうしてか看破している。王女様を護衛するために隅っこで気配を消してたら、何故か私に差し入れを渡してきたことがある。誰も気づいてないはずなのに、一瞬で私を見つけてしまうのだ。
驚いた……。誰も気づいてないはずなのに、シュリだけが迷わずに私の目を見て、真っ直ぐに近づいてきて皿を渡してきた。
仕事中で食事は……と思ったけど、出された料理は簡素な物で、職務中であろうとも軽く食べられるから、ありがたくいただいた。本当はいけないんだろうけど、そのとき私はお腹が減ってたから。
それがなんとまぁ、美味しいことか。
そのとき食べたのは、米を野菜や肉と一緒に炒めただけの、簡単な料理。
でも、とても美味しい。手軽で、腹に溜まり、何より食べてて苦痛にならない。
間諜や隠密の役目を負う者のご飯は時として泥を啜らなければいけないことだってある。何せ相手を騙し、または隠れて情報を集めなきゃいけないから、まともな食事なんて期待しない、私はそれに加えて王女様の護衛を行っている。
だから食事の時間が一定にならない。食事が美味しい物とは限らない。そもそも、その食事がまともに食べられる食材とは限らない。
こんなにも美味しくて温かいご飯が食べられるのは、なんというか、嬉しかった。
で、その料理であるチャーハンが好きになった。
護衛の仕事中も、シュリが気づいてチャーハンを届けてくれるかな、と楽しみになったのは秘密だ。
で、今日はもの凄く驚いた。人生で二番目に大きな驚き。
なんせ、今日の朝、仕事として王女様の護衛をしていたら、指示が出された。
「ウーティンよ! 今日はシュリの護衛じゃ! 行くのじゃ!」
「はい?」
一瞬だけど、王女様の指示の内容を聞き間違えたのではないかと、空耳だったのかなと思ってしまった。少し耳の調子を確かめるべく、頭の横を叩いてみたりも。
だって、私は王女様の護衛だよ? 王女様の護衛をほったらかして別の人の護衛をする意味って何なの? 別の人の護衛をしている間に王女様に何かあったらどうなるんですか?
そんな私の疑問に、王女様は笑顔で言いました。
「大丈夫、シュリを護衛することは妾を守ることに繋がるのじゃ!」
「よく、わかり、ません」
私の疑問は尤もでしょう? どういう流れで言えば、シュリを守ったら王女様を守ることに繋がるのか? 困った、私の頭では理解できない。
しかし、王女様は途端に真面目な顔をすると仰った。
「まぁ、その理由は帰ってきてから伝えよう。
それと、エクレスの護衛でもあるからの。言わずとも、わかるな」
これはわかった。
エクレスはこの領地の血族。そのお方が、実の母親と会うとなれば何かしらの情報が手に入るかもしれない。
王女様はそれを、秘密裏に探れと仰ったわけですね。了解です。
「精一杯、つとめ、ます」
「うむ、情報二割、シュリの護衛八割じゃぞ!」
え?
私の疑問は言う暇もなく送り出され、、護衛の装備を整えた。
見た目はメイド服のままだけど、その内側には重装備をしている。
鎖帷子、暗器、短剣、投げ針などなどを携えて、馬小屋に向かった。
確か、彼女たちは馬で出発すると聞いたから。確かに、聞いた距離を考えると馬で行くのが一番効率が良い。疲労からしても速度からしても時間からしても。
「……ふーむ」
なので、馬小屋に行ったら不思議な光景が見えた。
馬に乗ったエクレスはわかる。わかるけども、シュリが乗ろうとしてなかった。
「ほらシュリくん。早く乗ろうよ」
「は、はい……」
シュリが何故か、馬を見て怯えてた。
普通の男性だったらあり得ないけど、なんだかシュリなら納得できる。
「ぼ、僕は馬に乗れなくて」
そう、シュリは馬に乗れない。というより、馬と合わない。
馬に乗っても落ちる、乗れても腰を痛める、そもそも馬と心を交わすことができない。
私は思わず頭を抱えそうになった。これだけ馬に嫌われる以前の問題の人間が、今、目の前にいることが信じられないから。あまりここで時間を食ってしまうのは好ましくない。早く帰って、王女様の護衛に戻りたいのだけど。
そもそも、馬に乗れるというのは誉れ、そして戦場どころか日常生活に必要な最低限の技能。農民ですら馬に乗らずとも、馬に荷物を乗せるために飼い慣らすこともする。
馬術の適性がない人間は、日常生活において大きな支障というか、不便になる。なるはず。彼の場合は圧倒的な料理の技術によってその欠点を補えてる様子はあれども、やはり馬に怯えている彼を見るとそうも思えなくなってしまう。
シュリは困った顔で葛藤をしてる。
「そもそも、僕が住んでた地域では馬に乗るという習慣もなくて、馬に乗るということ自体がレアな事例でして」
ふむ? レア? 馬に乗ることが? 不思議なことを言う。馬以外の移動手段があるかのような不思議な言動だ。
彼は時々、こんな浮き世離れした言動をする。料理自体が浮き世離れしているために目立たないこともあるが、彼は世間知らずなところもあれば変なところで聡いところがある。ますます不思議。
「ほら、おいで」
シュリに手を伸ばすエクレス。その手を掴むシュリ。
なんだろ? 一つの物語に出てくる姫騎士と王子の、劇的な一幕に見えるのだけど?
うーん……エクレスは男前すぎる。そのせいで、シュリの男前が薄くなってしまってるんだ。性別を入れ替えた方がしっくりくる。
「はい」
シュリ、その手を取ってしまったら、もう戻れない気がするよ……。
そして出発。
今回のお出かけの目的は、エクレスが実母に会いに行くということ。今まで所在不明だったエクレスの実母、情報ではエンヴィー・スーニティという女性。何でも、追放処分を受けた二人は国外へ行くことも許されず、かといって国内で誰かの干渉も受けない、干渉することができない場所に押し込められたそうだ。
下手に誰かと会って共謀されても困るし、外国で領主や王族と結託して反乱を起こされても困る。そういうことだろう。正しい対処と言える。
道筋は、初めは平坦な街道から出て森の中へ入り、その奥地にある寂れた教会にあるそうだ。結構時間がかかる距離。
シュリとエクレスは馬に二人乗りで、私は歩き。
シュリはともかくエクレスは足腰は弱くない方だし、森の中はある程度踏み固められているけども、それでもちょっと距離はあるから馬は必須。
でも、私は日頃から体を鍛え、王女様のために武芸や戦闘法、隠密術まで会得しているから、これくらいの距離は問題ない。
そこらの兵士よりも体力に自信がある。実際、下手な兵士よりも私の方が強い。
「ほらシュリくん、こっちだよ」
「は、はいぃ……」
そう、そこの料理番よりも私は確実に強いと言える。それどころか、純粋な白兵戦ならばクウガ以外はなんとかなるだろう。魔法、魔工ありだとアーリウスとリル相手には苦戦するかもしれない。それくらい私は自分の腕に自信がある。
それにしても……なんとまあ、情けない姿なんだろう……。
男たるもの、乗馬と武術を極めることは義務だと思う。むしろ、今の戦乱の世の中、それを極めることこそ生き残る術のはず。どこから自分を害する存在が現れるのかわからないのだから、せめて自衛の手段は手に入れないはずがない。
でも、シュリの腕に武力はない。あるのは料理の技術。
そして、技術を生かす機転の良さ。
こういう強さもあるんだ、と思い知らされる。彼はこの戦乱の時代で、立派に生き残る力を持っているのだから。敵を害する力ではなく、味方を支える技術という力。彼にはそれがある。
「大丈夫?」
「いえ、尻が痛いです」
「シュリくん、馬に乗ったことないの?」
シュリが首を縦に振って肯定する。
「ああ、馬に慣れない人なの」
「……まずいですか?」
「うん、この大陸の人間の常識からしたら、格好悪い」
エクレス、それは男に言ったら駄目だ……。シュリも涙目になってる。男としての自信が今にも砕けそうで可哀そうだよ。
「あの、シュリくん」
「はい……?」
「男は、涙を見せるもんじゃないよ」
……この二人はなぜ、性別が逆になっていないのだろう。
エクレスが男でシュリが女性なら、ちょうど良い絵面になると思うのに。
……いっそ二人とも男なら?
は! 何か新しい扉が見える気がする! でも開いたら戻れそうもないから開けずに鍵をしとこう。
「エクレスさん。格好良いですね」
シュリの絞り出した言葉には、ギリギリに保とうとする矜持となんとか出た皮肉が混じっていた。せめてもの意趣返しなんだろうな。
止めよ、シュリ。その罪悪感と加虐と被虐が混じった廃人のような笑顔浮かべるの。凄く怖い。
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
そして、意趣返しは意味も成さず、強烈な返しにてシュリの自尊心を木っ端微塵に破壊した! ああ、見てて切ない……! シュリの目が真っ黒な空洞のように、空虚なものに!
あれは見たことある……っ。絶望して死ぬ直前の兵士と同じ顔だ!
「……それで、ウーティンさんは何故ここに?」
は! これは砕かれそうになっている自尊心を守るために、こっちに話の矛先を向けてる!
「王女様が、いざという、ときのため、にと」
だが、この意見があれば大丈夫。
王女様も「シュリは幾分か単純な男じゃ! これで誤魔化せる!」と言っていた。
この疑問を切り抜けて、職務として与えられた役目、私は達成してみせる。
「いや、その王女様のいざというときのためにあなたがいるのでは?」
……。それを言われると……困る。
「……いざというときの」
「わかりました。守ってくれるなら文句は言いません」
ふぅ、どうやら誤魔化せた。少し冷や汗を掻いてしまった。
シュリは前を向いて、エクレスに尋ねた。
「それでエクレスさん。今回はガーンさんとエクレスさんのお母さんに会いに行くという予定ですよね?」
シュリが確認するように言った。王女様の考えを代弁して言えば「このまま行かせると、単なる親族紹介じゃろ? お嬢さんを僕にくださいじゃあるまいし、そんなことをさせてたまるかい」という事だと思う。
一人で会いに行くのが不安……その気持ちがわかるシュリだから、同行することを許可したんだと思う。
親……か。私にはわからない感覚。
いや、拾ってくれた王女様や隊長たち、仲間のみんなを家族と言えば、私は一切の否定もなくそうだと言える。
でも、血の繋がった親というのはわからない。血が繋がってなくてはいけないのか? 家系図に記された系譜の中に生きなければ、家族の枠組みに当てはまらないのか?
駄目、こんなことを考えてる暇があったら、護衛に集中しないと。
「うん……ボクも不安なんだよ。母上とは随分、会ってない。どんな顔をすればいいか、わかんないんだ」
「笑えばいいと思いますよ」
……笑う? シュリは指折り数えながら言った。
「ただいまか、おかえりか、久しぶりか……ともかく、笑って挨拶をすることから始めてはいかがですか?」
挨拶をすることから。
なんだろう、シュリは何の話をしてるんだろう? そんな簡単な話であるはずないのに。
挨拶をして、全てが終わるなら、そんな簡単な話なんてない。
「……そんな簡単な話でも……ないけど」
「そりゃそうでしょう。僕は難しい話をしました。簡単な話なんてしてません」
え?
「でも、難しいからって理由で、やらない理由はないと思います。それは仲直りのためや関係の修復のためだなんて思わないでください。あくまで、自分の決着のためです」
「決着?」
相手のためでなく、自分のため……。
いつの間にか、私もシュリの話に聞き入っていた。シュリの言葉には、どこか人を惹きつける謎の魅力がある。
「自分の中に踏ん切りをつけるんです。まずは、過去の自分と決着をつけてください。決着なんて言いましたが、憎しみ合ってるわけじゃないなら、自然と距離は縮まりますよ」
そう、なのだろうか。私は話をするシュリの横で思案してみる。
簡単な話じゃないのは、わかる。長い間、離ればなれだった親子が再会するわけだから、そこにどんな展開が待っているのかわからない。親というものを知らない私でも容易に想像できる。
でもわからないのは親も子も、どちらもじゃないか。
エクレスとその母親は憎しみ合ってるわけじゃないから、言えることなのかな。どうなのだろうか、母親はエクレスにどういう感情を抱いているのかわからない。
いや、シュリにはわかってる。きっと互いに会いたがっているのだと。だから言ったんだ。
憎しみ合ってないなら、笑って再会しようと。
……時々シュリには驚かされる。
いつもポヤンとしていると思ったら、こういう風に含蓄ある言葉を言う。
もしかしたら、普段の態度は擬態で素は聡明な人なのかもしれない。普段の様子を見てたら全然想像できないのだけど。
「……うん、ありがとうシュリくん。ちょっと勇気が出た」
エクレスの顔にも明るい色が戻った。
少し気分を持ち直した、てことだろうか。だとしたら、シュリは大した人だ。
「ありがとうね」
振り向いたエクレスのお礼に、シュリの男としての矜持が少し傷ついたように見えたけど、気のせいということにしておこう。全く、いっそ性別を入れ替えてしまえ。
「ここは何を崇めている教会なんです?」
「神様でしょ」
「いえ、なんの?」
「?神様は神様だよ。他にいないでしょ」
「名前とか、教義とかあると思いますけど」
「こんな世の中だから、とりあえず神に祈ってるだけだよ。教会をまとめてた総本山も昔はあったけど、今はもうないね。時の大国が、宗教献金を嫌がって攻め滅ぼしたんだ」
シュリとエクレスは何か会話しているが、私の耳には届かなかった。長らく歩いてようやく辿り着いた目的地を見ながら、私は感慨深い思いを抱いていた。無論、この場所には感慨はないけども、似たような光景を思い出した。
久しぶりに見たな、こういう教会。
私も昔は、教会の孤児として育てられていたこともある。親の顔も知らない私だが、一応育ててくれた人はいる。
でも、私が育てられていた教会は、ただ子供を軟禁しているだけ。教育も、食事も、満足に与えられなかったし行われなかった。とりあえず死なないように生かしてるだけ。
そしてある程度育ったら、どこかから大人がやってきて、連れて行かれる。
後でわかったけど、あれはたちの悪い傭兵団に肉壁として連れて行かれているらしかった。教会の人たちとグルで、金を貰って子供たちを拾い集めてんだって。
当時の私は詳しく知らず、ともかく怖い大人に連れて行かれるのが嫌で、教会を逃げ出し、生きるために何でもやった。売春以外、殺しも盗みもなんでもやって生きてきた。
そして最後には隊長に捕らえられて、王女様に出会って私がいる。
今、その教会がどうなっているかは知らない。関わってないし、あそこにいた子たちとは再会もしていない。一緒にいたけど、仲間意識もなかったから、どうにかしようとも思わなかった。私はその教会に、あれから一度も訪れてないのだから。
食事のために、少ない食料を奪い合っていたからかもしれない。あそこは、地獄だった。生き残るためには隣の子を陥れないといけない場面もあったから。
だから、教会というものに良い思い出はない。むしろ、忌避すべき対象だ。
「一応、教会は残ったけど、献金はないし信者もいない。今では、一握りの敬虔な信者が、自営で教会を維持する程度さ。それでも、それでやれてる神父さんは、みんなから慕われてるし、孤児を育ててたりもしてる」
そんな教会にいられれば、私の人生も変わっていただろうに。私はそれを聞いて、影で鼻で笑いそうだった。
現実は、そんなに甘くなかったってことか。私は、運が悪かったのだろう。
笑えてしまう。確かにそういう教会もあるが、実際には子供を売り払う教会だってある。信仰の名の下に略奪を行うたちの悪い教会もあるし、もはや武装集団と変わらない教会だって存在している。
エクレスが把握してない、というのも領主や国が把握していない、教会とは名ばかりの子供の監禁施設や献金強奪の施設だってある。
……止めよう。こんな暗い気持ちでいたって、仕方が無いことだ。
もう、過去のことなのだから。私はもう、そこにいる人間じゃない。
「でも、今から行く教会は、教会って名前をしてるだけで、実際は領主一族の隠れ家的側面が強いね。そして、今ではボクの母上とガーンの……兄さんのお母さんが囚われている場所さ」
そう、結局教会はそういう意図で残されることがある。
おそらく、あそこに神父という存在すらいないだろう。生活に必要な最低限の物があるだけ。教会が聞いて呆れる。
そんなことを考えながら教会の前まで着くと、シュリが馬から下りて辺りを見渡している。
珍しい物でもないはずだけど。彼は興味深そうに見渡している。
だけど、エクレスだけは馬から下りようとしなかった。
「エクレスさん?」
「……会うのが怖いな、やっぱり」
「エクレスさん……」
やはり、エクレスの恐怖というか、躊躇と言えばいいのか。
そういう躊躇はまだあった。
元気づけられても、こればかりは本人の一歩次第。私はもとより、シュリにもどうしようもない。
「エクレスさん、そこまで怯えなくても……」
シュリが心配してエクレスに近づくが、私はすぐに気配を感じて後ろを振り向いた。
扉を開けて、こちらを凝視する女性の姿。
銀色の髪を腰まで伸ばした、どこかエクレスと似た雰囲気の女性。
服装は農民のそれと変わらないものの、きちんと洗濯としわ伸ばしがされている。
ああ、そうか。私は全てを悟った。
私は腰に伸ばしかけていた手を戻し、事の成り行きを見守ることにする。
ここからは、私が関わることではないから。
「エクレス!?」
女性は私とシュリの横を通り過ぎ、馬の上のエクレスに近づいた。
「エクレス?! エクレスなの?!」
「え? え?」
「アタクシよエクレス! エンヴィー・スーニティよ!」
やはり、そうか。
私は黙ってそれを見ることにした。シュリなんかは驚きで固まっているけども。
「は、母上、なのですか?」
「そうよ! エクレス、エクレスなのね……よかったぁ……あえて、よかったぁ……」
そう、この女性はエンヴィー・スーニティ。
エクレスの母親。今回の目的の人物。
「あなたまで追放されたのかと……思ったけど……! 違うみたいだし……! 無事で、本当に……!」
「母上!」
エクレスは馬から下りると、エンヴィーを抱きしめた。
強く抱きしめて、泣いていた。
その顔は先ほどまでと違って、不安や恐怖はなく。
ただただ、微笑んで泣いていた。
シュリ、あなたの言い分は正しかった。会えた喜びで笑い合えれば、この二人は充分。
今までの空白を埋めるように寄りそう二人を見て、私はそう思う。
これが家族なのか、とも。
二人が落ち着くと、中へと案内された。
内装は昔住んでた教会と変わりがない。長椅子がいくつか並び、その先に壇上と机。
その昔、教会が全盛期を誇っていた頃はこういう場所で教義の教えを受け、祈りを捧げたのだという。
でも、私にはわからない。住んでいた場所では、そんなことをされた覚えもないうえ、逃げ出さなかったら何をされてたのか想像に難くない。売られたか、壁にされたか、もしくは搾取されたか。そんな感じ。
まあ、もう昔のことだからあまり思い出さないのも事実なのだけど。
別に辛いから忘れたわけではない。どうでもいいから忘れた。
だけど、この内装を見ると僅かづつだけど思い出す。
暗い部屋、粗末な服を着せられた子供たち、暗闇の中で少ない食料を狙うギラギラした目……。その中で生き残ろうと足掻いた自分。
止めよう、こんなことを思い出しても、仕方が無い。
「奥方様、いきなり外に出てどうなさ……!」
物思いにふけっていると、控え室からメイドが出てきた。
着古されたメイド服を着た女性。だけど、この人にも面影があった。
ガーン・ラバーの雰囲気に似ている。
「まさか……エクレス様……ですか」
「そうよマーリィル! エクレスが生きてたの! 何でか男服だけど、無事だったの!」
彼女が、ガーン・ラバーの母親、マーリィル・ラバーか。どうりでガーンと雰囲気が似ていると思った。しかし、この二人が一緒の場所に軟禁されていたとは。いや、もともと彼女はエンヴィーと関係が深い。体の良い世話係として押し込められたのかも。
それにしても……ちらっとエクレスを見ると、苦笑していた。
長い年月の間、男服を着続けて、結果として男服しか似合わない女性になってしまったなんて、言えるはずもない。本人もそれを気に入ってしまったなんて、なかなか言えることでもなし。
「そうですか……よかった……です……! さっそく、お茶をご用意致します! そちらへおかけください」
そう言うとマーリィルは控え室から、椅子と机を持ってきた。
ここにある長椅子と壇上の机じゃ話にならないし、当然だろうと思う。
シュリとエクレスは何かこそこそ話しているが、私はその間、することがある。
この施設の調査を行っておかなければならない。
そもそもおかしい。この場所に領主の側室と妾が押し込められることが。
確かにこの施設は、教会という外見に領主の避難場所としての機能を持たされているはず。なら、備蓄や逃走のための隠し通路があると思ってもおかしい話ではない。それを使われたら、ここから逃げられてもおかしくない。
二人だけだから無理があるかもしれない。
でも、何か違和感がある。
そもそも森の中に教会があるという時点でおかしい。
ここでは信仰のための信者を獲得もできないし、信者が通うこともできない。
信仰を通じて献金を得る。そして慈善事業に使う。その基本的な宗教活動すら想定していない立地と、施設の機能。
あまりにもちぐはぐすぎる。
私は彼女たちが話し込んでいる隙に、その場を離れた。
話は長くなりそうだ。時間はある。
控え室、懺悔室、執務室、寝床……。いろいろと調べてみる。
だが、ここで気づいた。
ここは宗教として必要な機能があまりにも欠けている。
教義としての象徴もなく、執務室には教義の本もない。
確かに、予想通りここは教会とは名ばかり。
そしてここは領主のための避難施設ではない。
領主一族の追放者を入れるための施設だ。つまり、ここは隔離施設。
どうしてその結論に至ったかというと、調べて見てわかったがここには避難のための隠し通路も備蓄食料を充分に確保するための倉庫の類いもない。一応そこそこの広さの部屋などもあるけど、領主一族を迎え入れたり最後の砦にするには、あまりにも心許ない。
「なるほど」
私は一通り調査を終えて、隠し持っていた筆と紙に記録しておく。
彼女たちは逃げなかったのではなく、逃げられなかったと考える方が正しい。避難通路も無く、人里から遠く離れている。街に行くわけにもいかず、かといって他国へ行くにもこんな場所にいたんじゃ用意もできない。そして自分の子供たちがまだ街にいることを考えたら、逃げるという選択肢もない。
……にしても、おかしい。
ここが隔離施設だと思うのは確実だが、こんな教会を模した施設を作るなら、作ってまで隔離しなければならない理由があるはずだ。
過去に、『そうしなければならない血族』がいたと思うのが正しいのか、『封じ込めなければならない人物』がいたのか。単なる想像だけど、これを仮定に考えてみる。
その『人物』は、一体何を犯したのだろうか。同族殺しか、もしくは……知ってはならないことでも知ったか。単純に権力争いに負けたか?
……執務室の本棚でも、他の部屋でもそれらしい痕跡も記録もない。日記も記録書もなし。
念のために、ここが隔離施設ではないという証明にもう一度隠し通路や隠し備蓄、隠し財産があるかどうかを調べてみたが、見つからない。
ここで一体何があったのか? それとも、何かがあったから作られたのか?
……駄目だ、情報がなさ過ぎる。見たまま、調べたまま、王女様に伝えるしかない。
幸い、ここにはシュリの護衛という名目でいる。シュリが帰るなら、私も帰ることになる。
シュリが家族の団欒を邪魔するとも思えない。帰ることになるのは早くなるだろう。
そろそろ、あの場から抜けているのも限界か。戻ろう。
私は全ての侵入した痕跡を余さず処理し、元の場所へと戻る。
謎ばかり……それはわかったので良いことにする。
このことを王女様に伝えれば、何か推測してくださるはず。
私はそれを信じることにする。
シュリたちの所に戻ると、シュリが別の部屋へと向かっているところだった。
この感じ……料理かな?!
私はそれを期待しながら、シュリの後をこっそりと付いてく。
幸い誰にもバレていない……。何故かシュリは私の気配を察する力があるが、今回は大丈夫みたいだ。
シュリの後を付いていくと厨房に入り、材料を選別している。
「チャーハンでも作りますかね」
「チャーハン……!?」
なんと、チャーハンとな。チャーハンとな!
私は目を輝かせてシュリの後ろに待機。味見に試食になんでもござれ!
シュリは私が後ろにいたことに気づいたらしく、振り返って言った。
「あなた、エクレスさんたちの護衛をしなければいけないのでは?」
は! シュリが白けた目でこっちを見てる! 大丈夫、ちゃんと理由はある。
「頼まれた、のは、シュリの身」
だけど私には最強の言いわ……理由がある!
「いえいえいえいえいえいえいえ! 僕よりもエクレスさんを守らんとあかんでしょが!」
シュリが必死な弁を並べて言っている。
でも、シュリ。その言葉はちょっと違う。
「……気づいてない」
そう、シュリは気づいてない。
「え?」
シュリ自身の価値を。シュリ自身の重要性を。
シュリ自身が理解できていない。
驚いた顔をするシュリに、私は真面目に言った。
「私は、王女、の、命で、動いてる。王女の命は、シュリの身、守ること。そして、王女は、意味のないこと、命じない。
王女は、今の段階で、エクレスよりも、シュリの身の方に価値がある、と判断してる」
王女様は簡単に言えば、シュリの身こそ、この時代に必要だと仰った。
この混沌とした時代にだからこそ必要な、起爆剤か劇薬。もしくは治療薬。
それにガングレイブ傭兵団のみんなにとっても、シュリは必要な存在として守っている。
シュリがいなければ、ガングレイブたちが一番困る。
料理の腕も、人としても必要な存在だ。
シュリの飄々としていて、天真爛漫で、天然な所。
その人柄がガングレイブたちの心を繋ぎ止め、安心させている。
だから、シュリがいないと困る。
ガングレイブたちを利用した、戦乱の終息もしくは停滞。
王女様の考えが通用しなくなってしまうから。
「まあいいや」
まあ、本人はそんなことに全く気づいてないけど。
本人は信じられないって顔をしてから、怪訝な顔をしてる。
「これから料理をしますから、邪魔は……」
「しない。絶対にしない。全く、する気もない」
「そうですか」
シュリはあんまり納得してないようだから、言った。
「チャーハン食べられるなら」
その瞬間、シュリの顔に恐怖が浮かんだ。どうして? なんだか、恐怖の根源に似たものを、私に見ているかのような? 気のせいだろうか。
「……まあ、いいや」
シュリの口からボソっと出た言葉。
その言葉が、もの凄い葛藤の末にやっと口から絞り出たような、諦めたような……ともかく、尋常じゃない葛藤の後に、否が応にも固めた意思の元にはき出された言葉のように感じた。でも、口ではなんと言ってても、シュリの料理の腕は素晴らしい。
料理を始めてから、淀みなく動き続けてる。まるで一つの動作の中に、先の動作三つ四つを把握して動いてる感じ。動きに全く無駄が無い。
残り物の飯を確認し、材料を確かめ、調理手順を瞬時に頭で構築。
本当にチャーハンを作るつもりらしく、米と卵を混ぜて炒め始めた。
焼くでもなく、かといって煮るでもなく。
焼けた鍋の上で食材をかき混ぜる。
この技法の意味があるのかと、過去に王女様に聞いたことがある。
そしたら王女様は、力説をなさった。
「何を言う! あれにはの……」
その後、延々と語られて疲れてしまった。
ようするに、違うというのはわかったので良いとする。
そしてシュリの技法は飛び抜けて凄いのはよくわかった。
なんせ、その炒めるという調理法を行っている今でも、手際よく、食材を綺麗に混ぜあわせる。食材が綺麗な弧を描いて鍋から飛ぶところなど、驚いた。
正直なところを言うと、私には調理法を見ても料理をしているだけとしか認識できないが、それでも、審美眼がない私でもすごいと思える。
それが、シュリ・アズマという人間だ。
そうして見ているうちに、料理は完成したらしい。
ああ、美しい黄金色の炒め飯。
見れば見るほど美味しそう……。
食べたいな。食べたいなぁ……。
「はい、ウーティンさんにもあげますから、静か」
私はその言葉が終わる前に、すぐに皿を奪う。待ってられない。
ああ、美味しそうだ。美味し……そうだ。
すぐに匙で米を掬い、口に頬張る。
おお、素晴らしい。
まず、鶏肉を入れるという点が素晴らしい。
このご時世、肉という物は稀少で高級品の類いに属する。
でも肉の種類によって、その価値は変わる。
まあ、言ってしまえば鶏や鳥はだいたいのものが安い。
鴨を除けば、あまり好かれてない。何故かというと、鴨は脂身があって美味しいが、鶏の肉はだいたい、卵を産まなくなった老鶏を締めて市場に出回ることが多いから。そういうのはたいがい美味しくない。
何故か知らないけどエクレスは鶏を使った、唐揚げとやらにご執心だけど。
だがこれに使われている鶏はきちんと下処理がなされ、柔らかく、今まで知らなかった鳥の味を感じる。
その鳥の旨味が、米や材料全体に広まり、ほのかな脂の甘みと鳥本来の旨味。
それがこんな味を生むとは、思っていなかった。
あと、肉というのは元々臭みがある。
でも塩胡椒とネギがその臭みを完全に消し去り、旨味だけを残すという結果を生んでいる。
あと卵。これは必要ある。絶対に必要だ。
脂はそのままだとくどく・・・なるもの。だけど、卵が米の一粒一粒に膜となって覆い、そのくどさを消している。
そして米粒へ塩胡椒が良く馴染むようにもなっている。
そう、塩胡椒だ。
普通だったら大量に使う塩胡椒を、味の引き締めに使うため、少量しか使っていない。
その加減も絶妙で、食材の味を生かしきっている。
それがチャーハン。
それが、ジャスティス。
『そう、それがジャスティス』
ん? 一瞬リルの声が聞こえたような……気のせい?
まあいい。
私は努めて、頭の中に響く謎の言葉を無視してチャーハンを貪った。
うん、やっぱり美味しい。
食べ終わったときには、私の体は満足感と満腹感による陶酔が襲った。
嫌なものではないので、ほんの少しそれに浸る。
「やっぱり、美味しい」
私はそう呟き、静かに皿と匙を調理台に置いた。
「ごちそう、さま、でした」
私は両手を合わせて、言った。
これはシュリが教えてくれた所作だ。詳しいことは知らないけど、要するに食材と料理人に感謝するものだったと思う。
なら、私はこれをする必要がある。
シュリが作ってくれた、私の新しい好物なのだから。とても満足してる。
食べ終えた皿と匙を洗い場に置いてから、厨房よりエクレスたちの様子をうかがうと、エンヴィーとマーリィルも満足している。美味しいという証拠だ。
それを見て、私はさらにシュリの評価を上げる。
彼の料理は、貴族を相手にしても通用する。
王女様が満足する以上、他の貴族王族領主が満足しないわけがないけど。
「じゃあ、後片付けしますね」
「あ、シュリさん。私が致しますが」
「マーリィルさんは待っててください。後片付けは、作った人の責任ですし」
にこにこ笑ってマーリィルに断りを入れたシュリは、机の上の皿を集めてこっちに持ってきた。
いけない、ここで私が不自然に見つかったら、調査されたと不審に思われる!
こうなったら、シュリと入れ替わりに……と思ってると、教会の扉が開かれた。
勢いよく開けたのは、クウガだった。
「おったおった、なんとか来れたわ」
クウガはズカズカとシュリに近づき……エンヴィーとマーリィルの姿を見て止まる。
「こちらはエクレスの母上様かい、シュリ」
「ええそうです。てか、クウガさん何しに来たんですか?」
「ん? まあの。その前に」
クウガはシュリの横を過ぎ、エクレスの前に立つとお辞儀した。
これには驚きだ。現スーニティ支配者の幹部が、前領主の側室に頭を下げるとは……。
「どうも、ワイはクウガ言います。スーニティで幹部をしとりますわ」
「その方言……名前の抑揚……東方の?」
「ええ。記憶にはないですがの。なんとなく、この喋りが気に入っとりますんで」
クウガは顔を上げると言った。
「このたびは、側室様におかれましては失礼でありあした」
「なんのことかしらね」
「本来なら、あなた様をお迎えして担ぎ上げるのが筋でありやしょう。それをせなんだこと、どうかお許しくだされ」
「それは、ガングレイブとかいう人の言葉かしら?」
「ガングレイブと、ワイら隊長格の総意ですわ。つまり、今の言葉はガングレイブの言葉そのものと取ってもらってもええですわ」
バチバチと二人の間に火花が散るようだった。
とらえようによっては失礼極まりない言動。
でも、エンヴィーは苦笑すると言った。
「そう、ならそう取っておくわ」
「ありがたいことですやな」
「今から騒いでも、私が権力者になれるわけじゃないわ」
「そうですな」
「それより、私をこの森の中で守ることの方が有意義でしょうし」
「わかっておいででしたか」
「これでも、頭は回るからね」
簡単なやりとりを行い、クウガはシュリに向かい合った。
「ほら、帰るでシュリ」
「え? 今からですか?」
「今からや。エクレスも用が終わったんなら帰るで」
「えっと、ボクは」
「エクレスは残りなさい」
エンヴィーは言った。
「もう少し、親子水入らずで話したいじゃない」
その言葉に、クウガは少し考えた。
「……そうやな。すると、どうするかね」
「そもそも、僕が帰らなくても大丈夫なのでは?」
「お前がおらんと、ワイらの料理がひと味足らんねん」
「ガーンさんたちは残してるでしょうに」
「ああ、まぁ……悪うはなかった。悪うはない。昔よりもええんや。でも、やっぱシュリがおらんと物足らんわ」
「そうですか……。なら、ウーティンさんに任せて帰りましょうか」
うぇえええ?!
私は居ても立ってもいられず厨房から出た。
極力、平静を装うができてる自信はない。
それだけ、シュリの一言が衝撃的すぎた。
「だめ、私は、シュリ、の、護衛」
「もっと護衛しなきゃいけない人がいるでしょうが。僕は一度、帰らなければいけないので、この場をお任せします」
結局、シュリは私にエクレスの護衛を任せて帰ってしまった……。
帰ったときの王女様からの叱責が怖い……。