二十二、金切り声とステーキ・後編
妾は時々、思う。
話を聞けば、あの者が彷徨っておったところを最初に拾ったのが彼の者たち。
シュリに最初に手を伸ばし助けた、ガングレイブたちだと。
もし、もしもこのとき。
シュリが最初に出会ったのが妾であったのなら。
この運命を変えることもできたのかと、思うてしまうのじゃ。
妾ことテビス・ニュービストがそれを見たのは本当に偶然であった。
ある日のこと、妾はスーニティ城の廊下をウーティンを伴って歩いておった。
夜ご飯をいただきに、直接シュリのところに出向こうとしてのことじゃ。全く、王族に足を運ばせるとは。シュリも罪作りな料理人よ。
そのとき、廊下の曲がり角にさしあたった辺りで、ウーティンが急に警戒を始めたのじゃ。
「いかがした、ウーティン」
妾が聞いてみると、ウーティンは警戒態勢を解いて、妾に一礼した。
「あそ、こ、に、エクレス、と、ギングス、が」
なに? エクレスとギングスがいた?
この両者は且つて、領主の跡目候補を巡って争っていたことがある。正確には、争っていたというよりも争わされていたと言った方が正しいか。
周りが両者を持ち上げ、このお方こそが領主の後継者にふさわしいと騒ぎ立て、結果として多くのものを失った。よくある領主の内乱……だったはずだったのじゃ。
しかし、その裏ではあるものが行動し、領主を亡き者にしようとした挙げ句、自分の子供を領主の跡目に据えようと画策しておった。
その企みも、シュリとガングレイブたちの動きもあって阻止され、結果としてガングレイブに国を明け渡す結果となった。
黒幕の名前はレンハ・スーニティ。スーニティ領の領主の正妻。すなわち、ギングスの母なのじゃ。
企みが失敗に終わった後はギングスを捨て置いて逃亡したのじゃがな。そこを妾たちが捕まえたと言うことで。
さて、話を戻すと、そのエクレスとギングスが伴って歩いておったということじゃが……。
確かに、最近の二人は仲が良い。ガーンも含めた三人兄弟、仲直りが出来ておるように見えた。
前はどこかよそよそしい態度が目立っておったが、最近では話をするところも見るようになっておる。
何がきっかけ……と言えば、シュリが何かをしたのを聞いておるが、それがきっかけであろうな。
あの者は何かと世話を焼き、それを良い方向にすることができる、数少ない御仁。
まあ、妾もシュリの料理で、だいぶ変わった気がしないでもないが。
そのエクレスとギングスがのぅ……。
「ウーティン。そなたが警戒したと言うことは、何やら二人の様子がただ事ではないと思っておるのじゃな?」
妾の質問に、ウーティンは一度首肯した。やはりか。ウーティンだって、二人が仲良くしている光景を見ておる。
それでも警戒をしたというなら、ただならぬ雰囲気を纏っておったと言うことじゃろう。
……これは興味深い事例。
「二人が何をしておるのか。ウーティン。調査に行くぞ」
「主、様。ここは、私、だけで」
「いや、この目で確かめたい。あの二人が、何をしておるのかをな」
自分の目で確かめた方が速かろう。何より、妾自身が知りたいと思うた。
「それでウーティンよ。どこへ向かったのじゃろうか」
「方、向、から、察する、に、地下牢、かと」
……ふむ、地下牢か。あの二人が地下牢に用があるとすれば……。
「やはり確かめに行くぞ。付いてまいれ」
「……かしこまり、ました」
妾が隠れることをしないと悟ったのであろう、ウーティンは承諾した。これでウーティンの顔が表情豊かであったのなら、呆れた顔をしておるじゃろうな。
しかしのう、妾は気になるのじゃよ。あの二人がレンハとどう話をしようとするのか。
現在、地下牢にはレンハが捕らえられている。他の者との接触もないよう、特別に一人だけじゃ。だから、エクレスとギングスが二人で、レンハと正面から何を話すのかが気になったのじゃよ。
妾はウーティンを伴い、地下牢への道を行く。夜も深くなった頃合いなので、地下牢の闇もまた一段と深くなっている。灯された蝋燭がなければ、足下すら覚束なかったであろうな。
そうして一番深いところ……レンハが捕らえられてる牢屋に近づいた瞬間、
「ふざけるな、何も知らない子供風情が、私に説教をするなぁ!!」
と、女性の甲高い声が地下牢全域に響き渡った。そのあまりのやかましさに、妾は顔をしかめる。耳の奥に劈くような音が、地下牢を反響した。
やっかましいのぉ! 耳鳴りが酷いわ!
思わず文句を言いたくなるような声量の中、その声は聞こえた。
「おやめください母上。もう俺様……俺の意思は固まりました。この領地の行く末を、ガングレイブに預ける。俺……たちはそれを支えることで、スーニティの系譜を繋げることにしたのです」
「寝ぼけた事を言うなギングス! お前は私の息子だぞ? 領主正妻の、由緒正しい血統を引き継いだ人間なのだ! 領主の跡を継ぎ、この領地のトップに立て!」
「無理です奥方様。ボクもギングスも、この戦乱の時代で領地を守れるだけの力はない。それよりも、ガングレイブを支えることで、この領地を……」
「黙れ! 貴様如きに、何がわかる! たかだか文字計算ができるだけの小娘が! その姿で、ガングレイブとギングスを籠絡したか! この売女め!」
なんとまあ、聞いてられぬ暴言の数々よ。妾が溜め息を吐きたくなるわ。
それでも、エクレスとギングスが何をしようとしたのかはわかった。この領地に最後に残った禍根……レンハへの説得をしていたのであろう。
聞こえてくる文言から察するに、レンハに納得を得た上でガングレイブにこの地を任せようとしたのか、それともこの先で反乱の首魁になり得る可能性を潰しておきたかったのかもしれない。
その対応は間違ってはおらぬ。妾とて同じ方法をとるであろう。妾は……ニュービストの場合は、父上は健在であり、亡くなった我が母上を愛する心を貫くために側室も後妻も取らず、妾を次代の女王として扱ってくれておる。妾も実力と実績を示すことで、周りにそれを納得させることができた。だから、跡目争い、後継者争いなどというものとは縁遠いものである。だから、妾にはその本質……というか凄惨な内情など、伝聞でしかわからぬであろう。
しかし、エクレスとギングスは違う。二人は争うように仕向けられ、血のつながりがあるものたちの戦いの悲惨さを身をもって知っている。だから、母親が敵になるような事態は、避けたいのであろう。
そのためのレンハへの説得であるが……しかし、妾はもっと簡単な手を打てるだろうとも考えてしまう。それは、当事者でも身内でも無い妾だからこそ言える方法。
すなわち、レンハを殺すことにある。
将来的にレンハが敵にとなり、この領地に仇なす可能性があるというのなら、先に芽を摘んでしまえばよいのじゃ。そうすれば、無駄に血が流れることもなかろう。
それは家族の一員でない妾だからこそ簡単に言える方法で、実際に手を下すわけでは無いから言えることである。
なので、直接妾がこの事をいうつもりはない。全てはエクレスとギングスが決めることなのだから。
さて、これ以上聞いていても仕方があるまい。妾はウーティンに目配せし、この場から離れることにした。
しかし……後継者問題というものは、どこで起ころうが誰が起こそうが、碌な結果にならんの。
それから数日、妾はウーティンに指示を出し、エクレスとギングスがどれだけレンハの所に通っているか調べてみることにした。すると、かなりの頻度で向かっておることがわかったのじゃ。
それだけレンハの問題が根深いと取るか、それとも彼らが甘すぎるのか……。
妾はその報告書に目を通してから、今晩の食事の前、会議に向けた資料の整理を行っておった。
無論、内容はレンハを捕らえたことによる報償とそれに類する前例のチェック、現在のスーニティ領内の情報から離れておる間のニュービストの現状と。
やることは山ほどある。しかし、妾はここで仕事をすることはそんなに苦ではない。
なぜかって? シュリの料理が食べられるからじゃ!
シュリに確約を取れば、近日中に麻婆豆腐が食べられるはずじゃ。ふふ、それまでのらりくらりと会議を延ばしてやろうかとふつふつと欲望が湧いてきよるわ。
しかし、しかしそれでも妾は王族。仕事に手を抜くことはしてはならぬ。
王族が責務に背を向ければそれだけで何百という民が死ぬであろう。それだけはしてはならぬ。王族は、頂点に君臨すれども下を気にかけねばならん。下がなければ上もなし、地がなければ天もなし。粛々とこなしていこうではないか。
「ふむ、今日はここまでにしておこうかの」
魔工ランプの灯りに照らされた室内で、妾は一通りの仕事を終えた。
この魔工ランプ。聞けばリル殿の発明品と。
白色の灯りが部屋全体に広がり、まるで昼間であるかのような明るさである。
これも、シュリから構想を得て作ったそうな。いやはや、シュリの発想の幅広さには驚かされるばかりよ。全く、なぜあやつがうちの国に来なんだのか。本当に悔やまれる。
あやつの料理の腕を除いても、その発想力は良いものだというに。
「ああ、考えても詮無きことよの! それよりも晩餐を期待するかの」
ま、今更じゃ。今はあやつの料理に舌鼓を打つ。それでよいじゃろう。
そして、今晩の料理はなんじゃろうか。わくわくするの。
「のう、ウーティン。そなたもそう思うじゃろ」
妾は部屋の隅、僅かに闇がある場所。
そこに漂う、よく目を凝らさねばわからぬ気配。
何年も共にいるからこそ、ようやくわかる存在。
ウーティンの特技でもある、部屋の最も気配の薄いところに入り込み、気配も存在も全て消失させる密偵術。
これは戦闘でも活用でき、短刀で切りつけると思いきや隠し持ったもう一本の武器で殺すという。
相手の視線と集中を逆手に取った技。これにはクウガも手こずるであろうと妾は思うておる。
まあそれはさておき。
「私、別に」
「嘘を吐くでないわ。無表情ながらも、喜んで食べておろう。仕事の労いとしてシュリからチャーハンなる料理をもらっておるの、知らぬとは言わせぬぞ」
そう、この密偵術。なぜかシュリには通じぬときがある。
晩餐の際も妾の警護で部屋の隅に待機しておるウーティンを見つけ、チャーハンを差し入れるときがある。
無表情が常であったウーティンもそのときは飛び上がらんばかりに驚いておった。
そして、無表情ながらもチャーハンの旨さに酔いしれておるのがわかった。
「そ、それは」
「嘘ならば、今度から妾の護衛に餌付けするなと伝えておこう、かの?」
「ご、ご勘弁、くだ、さい」
「ちなみに、具は何がよい」
「卵、と、ネギ。シンプルなもの、を」
手遅れじゃの。すっかり胃袋を掴まれておるではないか。
まあ、妾も大概、人のことを言えんが。
そして、そろそろ時間かの。
「ウーティンよ。そろそろ晩餐の時間ではないか?」
「はい、王女様。時間も、日の、沈み具合も、その時分かと」
「よーしよし、では行こうでは……」
そのときであった。まさに、それは妾が嗅いだことのない、得も言えぬ微かな香り。
そして、ここに来る少し前に数度だけ嗅いだことのある香り。
これは、肉?
「ウーティンよ。匂いがするの」
「はい、王女様。なにやら、良い、匂いが」
「ふむ、良い匂いか」
そう、普通のものなら美味しそうな良い匂いと取るであろう。
しかし、この匂いは妾にとって無視できぬものであった。麻婆豆腐の香りではないがの。
これは、最近になって我が国で開発され、研究と研鑽がなされている、とある調理技法。
名は、酒焼き。
文字通り、肉や魚を酒で焼く技術であるが、これにはある特殊な効果がある。
それは酒精の強い酒を熱く焼けた鉄板の上に降り注ぎ、酒精を飛ばして香りを付与させる技法。
この技法によって、ただのステーキやムニエルといった焼き料理のランクが一段階上がったと言っても過言ではない。
じゃが、この香りはその上を行く。同じ酒焼きでありながら、それとは別の次元の香り。
そう、酒焼きの技術を極めた先、研究と研鑽の果てにある完成されたそれ。
「くふふふふ」
おっと、思わず笑いが漏れてしもうたわ。
妾の知る中でこのようなことができるのは、ただ一人。そのただ一人が、この技法を用いて料理をしたということじゃ。
その者が、この技法で作った料理。興味が湧いてきよる。
シュリよ。お主はまた何を作りおったのじゃ?
「ウーティン! 付いて参れ、この匂いの元を確かめるぞ!」
妾は椅子から立ち上がり、部屋を出る。
おお、部屋にまで香ることから想像してはおったが、そこかしこから旨そうな匂いがするではないか!
道行く中でも、城勤めのものたちが匂いに酔いしれておるのがわかる。
くく、シュリよ。
お主は本当に、飽きさせんやつよのぉ!
厨房に近づけば近づくほどに匂いが濃くなり、甘美なものとなっていく。
さぁ、楽園はそこよ!
「旨そうな匂いがしたから来たのじゃ!」
厨房の扉を開けば、そこにはガングレイブとシュリが、皿を奪い合っておるところであった。
妾は確信した。
あの皿にこそ、匂いの元があるということに!
「お! シュリよ、もしやそれは酒焼きで作ったステーキか! さすがシュリよ、我が国の最新技法まで知っておるとは!」
「あ、テビス王女」
シュリもこちらに気づいたのか、呆けた顔をしておった。
「さぁ、さっそく食堂に行こうではないか! その渾身のステーキ、味わわせてもらうのじゃ!」
「いえ、これはレンハさんの」
「旨そうな匂いっスね! 訓練場にまで来たっスよ!」
「ええ匂いがするのぅ。今日の晩飯は豪華やな」
む!? クウガにテグじゃと?!
そうか、もう訓練が終わって夜勤警備のものへの指示も終わって来よったか! 後ろからゾロゾロと現れてきよる!
「良い香り……お腹が空いてきますね」
「……」
「 シュリくん、やたら良い匂いといい音がしてたけど、どうしたの?」
「仕事終わりの俺様の腹が鳴りそうだぜ……。たまんねぇ匂いだな」
く! 仕事終わりに残りの隊長格とエクレスにギングスまでも!
いかん、見る限り皿にあるステーキだけで、ここにおるもの全員分はないものとみた……!
つまり、あれが最初の一口にして最後の一品!
譲るわけにはいかぬ。
渡すわけにはいかぬ。
「お、それが今晩の飯か! シュリ、それはなんだ」
「ええと、ギングスさん。これはですね」
「待てギングス。まず俺から試食だ。新作のステーキだからな」
「あ、ずるいっスよガングレイブ!」
「そうやぞ! こっちは訓練で疲れとるんや!」
「待ってください。魔法師部隊も疲れてます。まずこちらから」
「……新しい発明品のインスピレーションを」
「リルちゃんはハンバーグでいいでしょ? まずはボクから」
「待てい。それを言えばエクレスも唐揚げでよかろう! まず舌が確かな妾からの」
「あわわわわ……」
一向に論争が終わらぬ。皆もわかっておるようじゃの。
この機会を逃したら、次にありつけるのは当分先になってしまうと言うことに。
なればこそ、ここで引くわけにはいかん!
「皆のもの、落ち着けい!」
妾が一喝すると、先ほどまで騒いでおったものが全員、動きを止めた。
「よいか。ステーキは一つ、妾たちは複数人」
妾の言葉に、この場にいる全員がお互いを見る。
そう、何も隊長格だけが狙っておったわけではない。料理番の部下たちも、指をくわえてみておった。
自分たちも調理に携わったのに、あんたらは偉いからって横取りするのか、と。
怨嗟の声が聞こえそうな目で見ておったのに。
ようやくこの場にいるものたちが気づいたのじゃ。
そうなれば簡単よ。
互いに疑心暗鬼。互いが敵。
「さて、この状況をガングレイブ殿はいかがする?」
ガングレイブ殿は息を詰まらせて思案する。
「オイラは部下との演習と警備配置で疲労してるっス! 即座の食事配給を求めるっス!」
「それを言ったらワイもやろ! 剣術の鍛錬に部下への武器の点検と配給の管理、警備配置とやることは多いんや! テグは副官に任せとる部分もあるやろうけど、ワイのところは脳筋ばかりやから自分でやっとる部分が多いんやぞ!」
クウガとテグの言い分が飛ぶが、妾に言わせれば理由が弱い。
「ならば、量の多い料理を作ってもらえば、いい」
リルのボソっとした声が、静かながら響いた。
言うとおりじゃ。疲れたなら、疲れが飛ぶような旨くて量の多い料理が一番じゃ。
「リルは、デスクワークと研究と開発が、中心。量はなくていい。でも、美味しいものが欲しい」
リルの反論と主張。これは先ほどのテグとクウガの意見よりも的を射ておる。
それがわかったのか、テグとクウガが悔しそうにしておる。
くくく、これぞ妾の望んだ展開よ。
互いに疑心暗鬼にさせ、落ち着いて討論させつつも否定をさせ合う。
こうすれば次第に食える資格のものが減っていく。
「リル。あなたはハンバーグが一番ではないですか。浮気をしてもよろしいので?」
「……っ!!!」
リルの目に、驚愕。それは、自分の矜持を曲げてしまいかけていた己がいたことに、気づいた目であった。
リルの目の色が、驚愕から悲しみへと変わり、ハラハラと涙が流れ出しておる。
なんじゃろうか? これ?
「り、リルは、リルは裏切ってはいけないものを、裏切ろうと?」
その場に膝をつき、何かを呟いておるが放っておこう。関わっておっても仕方あるまい。
顔には深い悲壮と絶望が浮かび、今にも倒れそうになっておるが、まぁ死なぬであろう。
そこに、後ろから声をかけられた。
「王女様」
声からしてウーティンであった。
「なんじゃウーティン。妾は今、大切な」
「シュリが、おりま、せん」
なんじゃと?
咄嗟に回りを見てみれば、確かにシュリの姿がなかった。さては、今の騒ぎの間に逃げおったな!
どさくさに紛れて逃げるとは、それほど渡したくない料理ということか。逃がしてなるものか!
「ウーティンよ。シュリは何処へ言った?」
「地下牢へ」
「む? 地下牢と言えば……」
シュリの料理、皆に配る気配のないご馳走、そして逃亡……なるほど、先程も言っておったな。レンハさん、と。
なるほど、そういうことか、あれはレンハのために作られたということか。
あれは、レンハの我が儘か何かで作られたものということじゃ。うーむ、あれだけのご馳走、レンハが一番に口にするというのは業腹ではあるが、仕方ないのかもしれぬ。
レンハは、『扱いに困る』ものじゃからな。
「ウーティンよ。こっそりと地下牢に行くぞ」
「御意」
妾は、こっそりと、本当にこっそりと調理場から出た。あやつらは未だに言い争いをしておる。
ざまぁ!
ともかくとして、妾は地下牢に向かって歩き出した。
しかし、地下牢というものはジメジメとしておって好かん。妾の城にもあるが、好んでいくところでもない。
まぁ、罪人と看守しかおらぬところに、慰労以外で訪れる理由もないのじゃけど。
「……テビス王女~……」
「ほわああ!?」
いきなり後ろから話しかけられて、飛び上がらんばかりに驚いてしもうたわ!
「どこへ行きなさるのかね?」
振り向くと、そこには柱の陰からこちらを見るエクレスがおった。とても怖い笑顔をしておる。
さては、出し抜こうとしたことを責めておるな……!
「あそこにおっても、食事はできんのでの。食堂へ」
「地下牢がなんですかねぇ?」
く、聞いておったのか!
「仕方ないのぉ……シュリは地下牢に向かったようじゃから、妾もそこに行こうとしておっただけよ」
「え? 地下牢に?」
「あの料理は、どうやらレンハの我が儘で作られたものであるそうでの、妾としても卑しいことはわかっておるが、料理の感想を一番に聞いてみたいと思ってな」
「……奥方様に、ですか」
エクレスの顔が暗くなったの。まあ当然か。エクレスも正妻に邪険にされておったじゃろうに。目を合わすことも、避けておきたいのじゃろう。
さらには、先日確認した話し合いのこともある。この様子を見ると、相当エクレスは消耗しておることじゃろう。心身ともに疲労しておるに違いない。
しかし、いつまでも逃げておることはできまい。過去とは、今現在に繋がる己自身。どこかで受け入れるか、克服するしかあるまいて。だからこそ、ギングスと共にレンハを説得する、という話になっておるのじゃろうが。
まあ、ちょうどよい。
妾も、レンハに言わねばならぬことがある。
それはギングスにも繋がる話じゃ。
下手をすればエクレスにも、そしてこの領地を実質支配しておるガングレイブにも繋がる。
それほどの秘密を、レンハは握っておる。
それに気づいておるのは、おそらく妾だけであろう。
息子のギングスも知らない秘密。秘密と言うより、なぜあんなにレンハが強気で居られるかという理由かの。
考えてみてもおかしかろう? 今にも処刑されそうな人間が、命乞いもせずにひたすら強気を貫き、あそこまで我を通そうとするのは。
考えられるのは、それをしても問題のない『後ろ盾』がある、ということであるがの……。
「ちょうどよい、エクレスも来るがいい」
「え」
「いつまでも、正妻であるレンハの影に怯える必要もあるまい?
側室であるそなたの母はどうなっておるのか知らぬが、一応レンハは、そなたの義理の母親じゃ。逃げ続けるわけにもいくまい」
「……はい」
渋々といった感じにエクレスは納得した。うむうむ、過去と立ち向かうには今しかないことを心得ておろうに。
できれば、ギングスも一緒が良いのじゃがな。こやつらの問題も、ついでに解決しておけばよかろう。貸しを一つ作れるしの。
急ぎ地下牢へ足を運んでみると、うむむ、匂うぞ。
「匂いがここからするのじゃ!」
「あ、シュリくん。ここにいたんだね」
階段を下りていくと、確かによい匂いが広がっておった。たまらん。
急ぎ階段を下りてみると、シュリがこちらを見て驚いた顔をしておる。驚いた、というよりは怯えた、が正しいじゃろう。
だって、こっちを見てビクビクしておるのじゃから。そんなに怯えんでもよかろうに……取って食わぬわ。
もらって食べるがな。
「というのは冗談での。シュリ、それは話に聞いたレンハへの食事であろう?」
「ボクたちも奥方に用があってきたんだ」
嘘ではないの。
「え? 用事?」
「その通り。妾は話がしたくての」
「ボクはその付き添いだよ」
付き添いと言いよるか、エクレスよ。この話、お主も居る意味があるというにな。
「まあ、構いませんよ。ステーキを奪おうとしなければ」
「約束はせんが、まあ善処しておこう」
「保証はしないよ。でもわかったよシュリくん」
言外に、虎視眈々と狙っておるよと言うてるようじゃが、仕方あるまい。
だって、美味しそうなんだもの。
とか言いながら、妾とエクレスはシュリとともに階段を下りていくことにした。
「ところでシュリよ。お主が先ほど肉を焼くときに使った技法。あれは酒焼きかの?」
「酒焼き?」
おや、シュリは名前も知らずに使ったのか?
「お主が赤ワインを加え、香りを封じ込めた技法じゃよ」
「ああ、フランベですか」
ほう、シュリはフランベと呼んでおるのか。
ふむ、酒焼きよりも、良い名前じゃ。今度からそういう名前で広めるように通達しておくかの。
「お主、あれを誰かから習っておったのか」
「ええと、ほぼ独学です」
……シュリには本当に驚かされるのぅ。
妾の国の料理人たちが、研究と研鑽を繰り返す中で、独学だけであれだけの技法を使うとはの……。
つまり、自分で思いついて完成させたのじゃな。
「素晴らしいの! 妾の国でも、本当にここ最近開発され研究を始めた技法じゃ」
もう妾には褒めることしかできん。
「酒焼きとはそんなにすごいんですかテビス王女」
エクレスが不思議そうな顔をしておるが、まあ仕方あるまい。
未だ酒焼きの技術は広まっておらぬ。
「うむ、シュリが使ったあの技法は酒精の高い酒をフライパンに落とし、一気に酒精を飛ばす方法じゃ。
最後の仕上げに用いられ、熟練した業前を持つものが行えば素晴らしい香りを付けることが可能じゃ。
先ほども言うたとおり、妾の国ニュービストでも最近になって生まれた技法であり、まだまだ研鑽の余地がある。最初に行ったものが作ったステーキを口にしたが、あれはなんとも言えぬ素晴らしい匂いを放っておったのじゃ。
遠くからでもわかったじゃろう、エクレスよ」
「ああ……どおりで遠くからでも良い匂いが届いたと」
そう、酒焼きで付与された香りはとても素晴らしいものじゃ。味が伝わるほどの濃厚な匂いは、食事が始まる前だというのに、唾液が漏れそうなほど。
「さて、そんな素晴らしい料理を初めに口にするのがあの女とは。いやはやなんとも言えぬ」
妾の嘆きは最早、おおげさにせねば表せぬほどじゃ。なぜ、このような食文化の最果てを行く料理を、料理を知らぬ、あんな高飛車な女が一番に口にすることになるとは。
ああ、嘆きが止まらんことよ。
嘆きが止まらん、いや、本当に。
妾の嘆きを感じてくれたのか、シュリの表情に暗い色が見えた。わかってくれておるのか。
「素晴らしく新しい技法と、新しいソース。そして新しいステーキ。どれをとっても妾が口にするのが一番相応しい。妾でさえ匂いで虜になるというに」
「あのぅ……そこまで褒めてもらうのはちょっと背中が痒いです」
褒めるとはまた……、妾は事実を言っておるだけよの。
「ふん、下賎な身の上のものは、貴族に食事を運んでくる際も静かにできんのか」
ふむ、どうやらすでに、目的地にたどり着いておったようじゃの。
地下階段を下りた先にある地下牢。いくつかの牢があるものの、それらはほとんど空じゃ。入れられておるのはただ一人。
前領主の正妻、レンハ・スーニティ。
ここに他の罪人を入れぬのは、影響力を考えてのことじゃろうな。妾でもそうする。
まがりなりにも、レンハは正妻として今まで領主一族の権力闘争や派閥を生き残り維持してきただけのことはある。他の罪人や派閥のものを一同にぶちこんでは、どのようなことが起こっても仕方が無かろう。
レンハは、こちらを激しく憎んでおるようで、睨み付けるような眼差しを妾たちに向けておった。
「下賎とは言うのぅレンハ。ニュービスト王家に連なるものがおるというに」
一応、牽制はしておかねばのう
「っ! ……テビス王女もご一緒か」
「久しいのレンハ」
妾の声かけに、レンハの眉尻が歪んだ。
「私にとっては、つい昨日のようではあるがな! 私を嘲笑いに来たか! エクレスも!」
「奥方様、ボクはそんなつもりはありません」
レンハの憎しみは相当なものじゃ。それをエクレスは見事に流しておる。
いや、今まで生きてきて、慣れてしまったのじゃろうな。心だけがすり減っていくのに。
その上、連日の説得も通じないという辛さもある。エクレスの心を思うと、少しばかり胸が痛くなるわ。
「それで? そこの料理番は私の口に合うものを持ってきたと?」
そして、今度はシュリを目の敵にしておる。なんとも醜いの。
「ええ。とっておきです」
「ふん、たかだか一傭兵団の料理番風情。私の口に合うものなど作れるはずがない」
……なんとまあ、知らぬこととはここまで哀れとはのぅ……。
レンハが断ったら、妾がもらおうそうしよう。
「いえ、こちらがあなたに相応しいステーキ」
妾はレンハに憐憫の眼差しを向けておったが、ここでは誰も気づいておらぬようじゃ。
シュリは手に持った料理とナイフとフォークを、レンハの前に差し出した。
「赤ワインソースのステーキ、赤ワインの酒焼き仕立てです」
……ん? シュリにしては、料理の名にやたらオリジナリティを感じるような?
そんな妾の考えなど誰も気づかぬようで、レンハは驚きに目を開いておった。
当然であろうな。
「なん、だ? この香り……芳醇な肉とソースの香りが地下牢いっぱいに……! なんだ、それは。貴様、その料理に何をした!?」
レンハの顔が一瞬だけじゃが険しいものが消えたものの、すぐに警戒心を剥き出しにしておった。
仕方なかろうのぅ。酒焼きの技術はまだ世間に広まってはおらぬ。牢獄に閉じ込められているレンハでは知るよしもないし、そもそもそういったものに興味があるとも思えぬ。
しかし、大陸中の美食家たちならば、この料理の価値がわかるじゃろうな。
まだ見ぬ技術で作られた料理、美食家なら一度は味わいたい一品。
妾の目には、これ以上にない黄金の山に見えるが。
「な、何を、て。料理を調理しただけ……」
いきなりの罵倒に、シュリは戸惑っておるようじゃ。
自分としては、一生懸命に創り上げた料理なのに、どうして疑われなければならないのか。とか、思っておるのかな?
いや、シュリのことじゃ、さっさと食べてもらえばわかるのに程度しか思っておらんじゃろ。
「嘘をつくな! ステーキにそのような過剰なまでの芳醇な旨味の匂いが放てるはずがないだろう! いかな魔工を施した!」
なんと、なんというか、まぁ。
バカな言葉じゃ。
魔工などでこんなものができるかい……。なぜそのようなバカな言葉が出るのか理解できん。せっかく目の前に美味があるというのに、何を疑うことがあるというのか。本当に理解できん。
……ん? 待てよ? これは良いチャンスではないか?
「ふむ、魔工による罠だとするなら、妾が先にいただこう」
そう、毒味。毒味という名のつまみ食い。
ああ、許されよ我が父よ、陛下よ。妾は、美食を前に我慢できませぬ。
妾はナイフとフォークを手に持つと、さっそく料理に手をつけようとした。
シュリが止める前にさっさと口に運ぼうとしたとき、背後から剣呑な雰囲気を感じた。
ウーティンか。そういえばそうじゃったの。ウーティンは妾の護衛。毒味をするなら、一番にウーティンがせねばならぬこと。
じゃからこそ、ウーティンは気配だけでも妾に警告を出しておるのじゃ。
今回は、ウーティンも本気を出して闇に溶け込んでおるからシュリも気づいておらぬ。じゃが、そこまでの気配を出してしまっては、諜報員としての仕事に差し支えてしまうぞ。
「心配はいらんウーティン。闇におれ」
小声で言って、妾は口にステーキを運んだ。
ああ、なんと素晴らしい味か。
「ああ、素晴らしい。肉の柔らかさが妾の知っているそれよりも、遙かに柔らかく、唇でかみ切れそうなほどじゃ。かといって肉本来の食感を残し、ふつりと噛み切る度に素晴らしい香りが広がっていきよるわ。
肉の香り、ソースの香り、そして酒焼きによる風味付けが調和し、えもいえぬ快感が口いっぱいに広がりよる。これは酒焼きがなければなりたたぬ、そして酒焼きの熟練の業前がなければ作れぬ玄妙な香り。口と鼻に広がり、ああ、素晴らしい。
味ももちろんのことよい。にんにく、たまねぎ、赤ワイン、魚醤といったソースを肉を焼いた後の脂と合わせるという新しい技法。そのソースとともに、適切で正解で完璧な調理をなされた肉が良い味を出しておる。塩がとんがりすぎず、かといって薄くない、絶妙な使い方。コショウによる臭い消しによって肉としての臭みが消えておる。
どれもこれも、新しい技法、新しいソース、そして完璧な調理と計算の上で成り立った、まさに在来のステーキ調理法の完成の形であろう。この先数百年、これを上回るものが出てこぬほどに、な」
一気に感想が出てしもうたが、もはやこれに尽きるであろう。
もし、この場で感想を述べることをいつまでも許してもらえるのであったなら、一夜掛けてでも美句を並べておったじゃろう、それほど素晴らしかった。
言ったとおり、この料理には素晴らしい香りと味が詰め込まれておる。
そう、この料理は酒焼きの技術の完成を、十分に味わえるもの。
今まで試食したものの、目指すべき場所を示された感覚。
ああ、これを食べたら試食がつまらぬものになってしまうではないか。
またこれを、食べたくなってしまうではないか。
やはりシュリの技術は、料理は、妾を魅了して止まぬ。
この腕、この穏やかな性格、この権力に固執せぬ無垢な精神。
シュリは、どうしても欲しい。
自覚してしまうと、何故か顔が熱くなってしまう。まるで恋する生娘ではないか。
そうではない、と言いたいが……シュリと出会ってから、妾の人生は楽しくて仕方がない。またシュリの料理を食べたいと思うてしまうし、なによりシュリと会いたいと思うてしまうのは、それに近いじゃろう。
しかし、今は料理の満足感だけを、味わっておこう。
「さて、先にナイフとフォークを使ってすまんかったの。
しかし、妾でも我慢できなんだ。どうじゃ? 一度口にしてみては」
妾は充足感を得ながら、レンハにナイフとフォークを差し出した。
もう少し味わいたかったのは、秘密じゃ。
レンハも、妾の様子から興味を持っておったようじゃったし、ここまでが限界じゃろう。
レンハはおそるおそるナイフとフォークを持ち、料理を口に運んだ。
「……」
わかったようじゃの。レンハも。
伊達に領主一族のものとして、それなりのものを食べておるの。
「なるほど、確かにこれは私に相応しい、いや、私には過ぎたステーキだ」
コト、とレンハはナイフとフォークを置いた。
そして、妾を見つめてきておる。
その目に、もはや憎しみは宿っておらぬ。
「そうか、テビス王女。これが、あなたがこの者を、わざわざその身を晒してまで手に入れようとしたわけですか」
ほう、察しがよいの。ここまでとは思わなんだ。少々、過小評価しておったらしい。
「シュリよ。妾とエクレスは、もう少しこのものと話がある。先に戻っておいてはもらえぬかの」
「え?」
妾の頼みに、シュリは躊躇いを見せた。いきなりじゃから、とっさに流れを読むことができなかったのじゃろう。
「わかりました」
しかし、シュリはもともと頭は悪うない。すぐに自分が関わるべき話でないことを悟ってくれたのじゃろう、一言だけ断りを入れると階段を上っていった。
シュリが完全にこの場から去ったことを、ウーティンを通じて確認する。闇に目を向ければ、僅かに気配を表したウーティンが頷いたのじゃから。
さて、これでようやく、話ができるというものよ。
妾はレンハの前に座ると、改めてレンハを見た。
最早その目に憎しみの類いはない。ただ、妾を見極めんとする一人の女性がおった。
「さて、レンハよ。妾はお主に確認したいことがある」
「その前によろしいか、テビス王女」
「……うむ、よかろ。妾の話はすぐに終わる。お主の話から始めても、なんら差し支えはない」
「では」
レンハは一礼すると、言った。
「あのシュリという少年。この大陸の人間ではありませんね?」
その一言に、妾はレンハが同じ結論を抱いておったことに感心した。
後ろではエクレスが驚いておるが……まあ置いておこう。
「何故そう思う?」
「王女は先ほど、美句を並べて料理を褒めてらっしゃった。そのとき、一つ疑問に思ったのです。あれほどの料理の腕、先を行く技術と眼……とてもあの少年が一人で考えたものとは思えない」
「理由としては弱いの」
そう、ここまではただの勘だと言い捨てられるじゃろう。
「あなたが一人の料理人に固執するにはどうにも想像できない。そこで私は考えた。
あの少年の料理の腕に惚れ込むのはもちろんだけれども、もしかしたらテビス王女はシュリという少年の背後にある『何かの文化』を手に入れたいのでは?
シュリは、この大陸の人間が本来持ちうる『文化』や『常識』とは違う、決定的に異なる『歴史』を持っている。料理を見ればわかりました。
ステーキ、スープ、サラダ、パン……そして領主様にお出しした豚の丸焼き。ヒントは山ほどあった。気づけなかったのは、ひとえにあなたのおおっぴらな行動と、少年の飄々とした態度からだと」
「まだ理由としては弱い」
「そして、それを踏まえてシュリを見て気づきました。
あの少年は、この大陸の人間が持つ容姿のどれもを受け継いでいない」
……。
「ご存知の通り、サブラユ大陸は外円海の海流に阻まれ、海の外に、もし大陸があるのならですが、交流が絶たれてしまっている。自然と、大陸特有の人間の容姿が決まってくるもの。しかし、シュリという少年はどの容姿の特徴も持っていない。
いや、それよりもシュリという新しい人間が、この大陸に現れたかのような不自然な存在だと」
……くくく、そこまで気づいておったか。
「だから、あなたはシュリを手に入れたいのではないですか? 料理の腕はもちろんのこと、彼を通じて『外』の『何か』を手にしようというのでは?」
「半分正解。半分外れ、かの」
レンハの推理は悪くない。むしろ、満点に近いと言いたい。しかし、妾の狙いとしては半分と言っておく。
「妾は確かに、シュリの料理の腕に惚れ込んだ。権力闘争に心揺るがぬ無垢さが欲しかった。シュリならば、どんな状況でも誰かのための料理を貫く。その芯の強さに、妾は惹かれておる」
「一国の王女としては、問題発言ですね」
「そうであろうの。問題と自覚して言ったのじゃ、後悔はない。
そして、シュリを『外』の人間だと仮定してじゃが、妾がそれに感づいたのはほんの最近じゃよ。もっと言えば、この領地に来て、改めてシュリという人間を見て思ったことじゃ」
最初は、新たな調味料を生み出すその発想力と、新たな料理を創造する才能を持ったものだと思っておった。
しかし、酒焼きの技術を聞いたときに、妾は思った。
酒焼きをフランベと呼び、習得は『ほぼ』独学。
それはつまり、元となる知識があったか、もしくは完成され広まっておった知識を独学で得たから。
もっと遡ると、妾が持ってきたノーネルスを水で割ったときより違和感はあった。水で口当たりをよくする。ちょっと加減を間違えば口にすることすら憚られるほどの失敗作ができる。それを躊躇無く実行できたのは、成功品を見たことがあるからではないか?
この大陸にはないのなら、どこからそれを持ってきた?
考えられるのは、最早一つのみ。外からよ。
「妾がそれにようやっと、長い時間をかけて気づいたからには、本気でシュリが欲しくなったよ。待望とする『外』の文化を持つもの。聞けば、かのリルの発明品も、元をたどればシュリの発想ではないか。
『外』には、この大陸の人間には想像すらできん、高度な文化と技術力を持った国々が存在すると確信した」
「それが、あなたがシュリを手に入れたい理由か」
「『王女』としては、の」
王族は時として、心を殺し、心を隠し、心を偽り、心を騙して民のために行動せねばならんときもある。
『王女』としての理由なら、そうなる。『外』の情報を持つ唯一の生き証人にして、技術の知識を持ち、文化を知るシュリ。そんな知識の宝を持つシュリを、どうして欲しがらぬのか。
『テビス』として言うのなら。妾はシュリが欲しい。確かに料理は突飛で魅力溢れるもの。美食家として囲っておきたい。
いや、それもちょいと違う。シュリの料理は、どれもが家庭的で暖かくて、食べていてホッとする。
王族が食べる料理のどれとも違う。心が、温かくなる料理じゃ。
だから、欲しい。あのものが妾の側で料理を作り続けるなら、心を偽り続ける王族の責務の中で、温かさを失わずに済みそうだから。
いや、いや、それもちょっと違うのかもしれぬ。
結局、妾はシュリが欲しいのじゃ、という結論に至るのであろうな。
この『本心』は、この場では絶対に晒さんがな。
「さて、半分と言った理由と、妾がレンハに聞きたいことを重ねて言おう。
妾がシュリを欲したのは、『外』のことはもちろん、ガングレイブがすでにしておるように料理外交で、他国よりも一歩も二歩も先に行けるからじゃ」
料理外交はあながちバカにできぬ。
料理とは、そこに使われる調味料の数と配合によって文化を表す指針となる。その指針は、賢いものなら国の力だとわかる。
その料理外交にシュリがおったらどうなるか?
答えは、外交のバランスを崩すことができるということじゃ。
ガングレイブがしておるように、料理外交で先を行くからこそ、あの傭兵団は大きくなり、そして料理を活用したからこそ傭兵団を維持できた。
それほどの力を持つのなら、国がその力を伸ばして保護すれば、どれほどの強みとなるか。
「しかし、妾がシュリを欲する理由とするなら、『王女』として言うのなら。
レンハよ。お主に聞かねばならんことがある」
妾は、言った。
「レンハよ。お主はグランエンドの血筋のものであろう?」
その言葉に、今度こそレンハは驚愕に眼を見開いた。後ろで黙って控えておったエクレスですら、驚きに声を出せぬようである。
グランエンド。
この大陸において、最も覇に近い国。
その国が覇を唱えんとする大きな要因は、優れた王と優れた将軍の存在じゃろう。
内政においても軍事においても、圧倒的な才能を持つ王と将軍によって、急速に力を付け、あと十年もせぬうちに大陸全土への侵攻を可能とするまでの、その異常とも言える成長。
三輝将という名で名を轟かす、三人の将軍の存在。
王に絶対の忠誠を誓い、まさに大陸を平定せんと活動しておる。
「調べるのに骨が折れたわ。お主、ギィブ・グランエンドの四女であったのじゃな。強気であった理由もわかるわ。
お主に下手な手を打てば、大国グランエンドが牙を剥く可能性がある。じゃから、領主もおいそれとお主を離縁することができなんだ。
さっきまでも、実家の力を当てにしておったのじゃろ?」
「……」
「沈黙は肯定と取っておこう」
やはりそうか。かの大国は、敵対するものには容赦せぬ。
王であるギィブは、業火のような苛烈さと氷のような冷徹さを併せ持つ男。
自らの一族に何かあれば、血族を害された怒りと、そこから生まれる利権を冷静に天秤にかけることができる、矛盾した思考を持つ男じゃ。
同時に、一族が外に出ているのならその価値を示さねばならん。あの男は、価値のないものに使命を与えぬ。使命を果たせぬ一族はすぐに手元に戻し、教育を施す。
その教育は、一族と国のための苛烈という言葉では足りぬほどの、拷問に似た教育を施されるという。
レンハがこの領地に来たのは、内側からグランエンドの属国にするためじゃろう。
必死に抗ったのは、教育を恐れたからじゃ。
考えれば考えるほど、哀れでならぬ。
「レンハよ。妾は、あと数年でこの戦乱の世が終わると考えておる」
「……それは、父上……ギィブ陛下がこの戦乱の世を平定すると?」
「いや、妾はそう思えないのじゃ」
確かにグランエンド国は、強大な軍事力を保持する強大な国じゃ。
今のニュービストでも、食糧事情でさえも太刀打ちできぬ。むしろ、下手に手を出せばこちらが焦土に沈むじゃろう。妾でも、かつてユユビと敵対する前は、いかにあの国に良い条件で嫁げば、ニュービストが生き残るじゃろうかと思案したこともあった。
しかし、ガングレイブ傭兵団の台頭が始まり、歴史の流れの変革を感じた。
スーニティという国を手に入れ、これからガングレイブは大きな力を手に入れることになるじゃろう。
そのとき、果たしてガングレイブだけの力でことを為せたじゃろうか?
いや、きっと違う。そこに、シュリがおったからじゃ。
シュリが、きっとこの大陸の歴史を変える男となる、そんな確信があった。
じゃから、シュリを欲する。
「この大陸は、大きなうねりの中にある。お主が小さな領地を牛耳ることに執着しておる間に、歴史の流れはもはや予測できぬ方向へと向かっておる」
「……その中心に、あの変哲のない少年が関わると?」
「妾はそう思っておる」
さて、と妾は一区切りする。
「エクレス。お主は何か言いたいことはあるかの?」
「え?」
「ここまで来たんじゃ、正妻に何か一つでも言いたかろう」
妾の促しに、エクレスは戸惑いを見せておった。
「……ボクは、何も」
「エクレス」
妾ではなく、牢屋の向こう側。レンハが言葉を発していた。
その声色は当初とは違う、僅かな険を宿しておったものの、穏やかなものであると言える。
「言ってみよ。私は今、穏やかだ。聞かれたことには答えよう」
戸惑いはあるものの、その言葉にエクレスは決意を固めたらしい。
真っ直ぐにレンハを見て、聞いた。
「ボクと、ガーン兄さんの母上は、今どこにいますか」
「……やはり、その質問か」
レンハは眼を閉じると、言った。
「とある教会で幽閉している。下手に追放しても、派閥の部下が接触して盛り返されるからな。大丈夫、不自由な生活はさせていない。そこそこ、暮らしていっている」
「……本当に?」
「嘘はつかない。どのみち、私は消されるだろう」
ふ、とレンハは自嘲した。
「私は役目を果たせず、あろうことか取引材料に使われる。いくら父上……ギィブ陛下といえども、これだけの失態を許してくれるとは思えない」
そうか……妾にグランエンド国の一族とバレたのじゃ。どこに間諜の眼があるかもわからぬ。国の不利益となってしまう可能性のあるレンハを、あの男が黙って見ておるとも思えん。
むしろ、一族の教育として『いざというときは、自ら死せよ』と教え込まれておる可能性もある。
「ならばレンハよ。妾から一つ、提案がある」
妾はレンハへ顔を近づけて言った。
「お主を絶対に安全な地に匿おう。一応、妾の国のある場所じゃが、誰にも害することのできん場所じゃ」
なにせ、聖なる森の奥にある隔離施設じゃからの。隔離施設とも言うが、正確には王族の隠れ家の一つとも言える。疫病の隔離から、王族のとっさの避難場所でも使えるのじゃ。あそこなら、例えグランエンド国の諜報官でも進入できぬ。
「その代わり、三つの条件を飲め」
三本指を立てて、妾は言う。
「……私が祖国を売ると?」
「売らねば死ぬぞ?」
「それでも、だ」
「言っておくが、お主が死ねば次の矛先はギングスに向かう。それでも良いのか?」
妾の言葉に、今度こそハッキリと、レンハの顔に恐れが浮かんだ。
やはり、どこまで言っても母親であったのじゃな。
「……わかった」
「では条件一。スーニティの政治に二度と関わらんこと。
条件二。スーニティを害さないこと。
条件三。グランエンドと関わらないこと」
シンプルじゃが、ここで結べる約束としては、ここが限界であろう。
「……わかった」
「ならば、妾の護衛の何人かを貸そう」
「頼む」
レンハは、頭を下げて言いおった。
「息子を、どうか息子を、どうか守ってください」
「奥方様……」
その姿を見て、エクレスは安心した声で呟いた。
そうであろうな。今までの説得が、妾を通じてようやく実ったのだから。
これで、レンハを中心とした反乱の可能性は無くなった。これから、スーニティは躍進していくこととなろう。
少なくとも内側で考えられる最も大きな脅威は消えたのじゃから。
「こうして話してみてわかった。確かに、『外』から持ち込まれた技術を持った少年がガングレイブの下にいるならば、ギングスではそのうねりを乗り越えられません。あの子は、あくまで戦争に特化した才能を持っているが、大きな変革……歴史の荒波を乗り越えるには、器が足りません。
それでも、あの子は私の息子なのです。愚かでも、何でも……私の息子……愛情が無かったと言えば、嘘になる……。
心を鬼にしてきたが……」
レンハは頭を下げつつけておる。頭を上げず、ひたすらにこちらに請うてきておる。
ひたすらに、息子の安全を。息子の将来を案じておる。
ギィブの使命を果たすには、この女は芯の部分が優しい。シュリがきっかけであろうが、策謀には合わぬであろうな。
「ようわかった。その願い、聞き届けよう」
レンハの姿を見て、妾は母上の事を想う。
母上も、妾の身の安全を願ってくれておるであろう。
ならば、同じ母親であるレンハの願いを無視することは、できぬ。
妾はそう思って、レンハへの返答とした。
話が終わった後、妾たちは階段を上り、廊下を歩いておった。
どっちも黙ったまま歩いておったが……。この空気、いたたまれぬ。
「テビス様」
とか思っておったら、エクレスの方から話しかけてきおった。
「ボクは、あのとき、あんな質問をするべきだったのかな」
「母親のことか」
妾は瞑目して考えてから、言った。
「妾の母上は、妾が物心付く前に亡くなっておる」
「え?」
妾が記憶すらできないほど幼い時分に、母上は病で亡くなられた。
元々体が強い方でもなく、妾を生んで、数ヶ月生きただけでも奇跡じゃった。
物心がつくのが早かった妾でも、母上の記憶はないに等しい。
「妾が母上に会おうと思えば、肖像画を見るか、人伝に話を聞いて想像を膨らますことしかできぬ」
体が弱くても、活発で、回りを引っかき回して、結局笑顔にさせる。
そんなお方であったらしい。
その話を聞く度に、妾は思うわけじゃ。
生きていて欲しかったと。
「じゃから、生きておるのなら会いたいと思うのは当然ではないかの。むしろ、レンハが始末せずに、追放した後も政争と関わりの無いところで、幽閉という形ではあったが生かしておったのじゃ。
まがりなりにも、子を持つ母親として、子から母親を奪うことへ躊躇いでもあったのではないかの」
レンハは、ギングスに対してだけは感情を出しておった。
グランエンド国への貢献、その使命を胸にギングスを領主に仕立て上げ、傀儡化させようとしておったレンハが。
道具として扱うべきであったギングスに対して、あれだけ表情を変えておった。
このことが、母親としての愛情を捨てきれなかった人間であると、言い切れる証拠であって欲しいと妾は思うておる。
「会えるのなら、会いに行けば良い。会えるうちに会って、やれること、やらなきゃいけないことにケリをつけおくのじゃな。失ってからでは、どうしようもない」
失ってしまった妾が言うのじゃから、間違いないて。
「……そうだね。会えるときに、会っとかないとね」
「そうじゃそうじゃ」
「王女は、年に似合わず経験豊富なことを言うよね」
「余計なお世話じゃ」
王族としての経験が濃いだけじゃ。若年寄などではないわ。
次の日、妾はガングレイブ殿と密かに会っておった。
妾の方はウーティンのみ。ガングレイブ殿はクウガ殿を引き連れておった。
「……ということじゃ」
「それはそれは、どうもありがとうございました」
ガングレイブ殿はぶっきらぼうに言っておるが、内心ではホッとしておるじゃろうの。
内紛の火種となろうレンハを、平和的に隠居させたのじゃからの。
これで貸し一、じゃ。
「しかし、グランエンドが関わってくるとは思ってなかったぞ」
「妾も調べてみたときには目を疑ったわ」
「だろうな。俺も、最初の頃は傭兵団の実力をグランエンドに示し、騎士団なり部隊として認めさせ、功績を挙げて国をもらおうと思ったことがあるくらいだ。
……今、あの国とぶつかっても負けるだけだ」
「たとえば、ニュービストと組んでも無駄であろう」
「だな」
ガングレイブ殿も納得しておるの。
あの国の力は、天才と神童が揃うガングレイブ傭兵団の面々でも敵わぬ。
ニュービストが後方支援をしても、無駄じゃろう。負けるまでの時間が延びるのみ。
つまり、骨折り損。
「どうじゃ? ガングレイブ殿は、あと何年掛ければあの国と戦えると思うておるのかの」
「……五年はかかる」
五年か。ずいぶんとまぁ……。
「無理ではないかの」
「……こっちにはシュリがいる」
む?
「シュリを利用するというのか」
「……あいつは、どのみち首を突っ込むさ」
「ふむ」
それならば。
「首を突っ込みやすいように、妾がもらってやろう」
「おい」
「くふふ、あながち冗談でもないのじゃがの」
「なに?」
「妾が側室に迎え、立場と権力を与えれば、シュリは行動しやすいと思うが」
「冗談じゃない。ニュービストにそのまま取り込まれちまうだろうが」
ふふ、やはりそう思うかのぅ。
「どのみち、妾はシュリをもらうぞ」
ガングレイブ殿とクウガ殿の視線が鋭いものに変わりよった。
ウーティンからも闘志が漏れ出るが、妾はどこまでも涼しい顔をしておる。
「なんだと?」
「まあ聞け。妾の思うところ、この国が戦乱の世の終結に大きく関わることとなるじゃろう」
「それは、シュリの存在が大きな要因ととらえて、か」
「そうじゃ。そして、その流れの中でニュービストが生き残るには、シュリとなにかしらの姻戚関係が無ければ生き残れんじゃろう」
「……」
「どうじゃろうか、ガングレイブ殿。妾とシュリの関係を取り持ち、ニュービストと強固な同盟関係を築こうとは、思わぬかな? お互いに、損はないと思うのじゃが」
ガングレイブ殿なら、この持ちかけがどれほど魅力的かもわかるじゃろう。
王族との縁を結ぶのに、生まれの時点で不利な上のものが、部下を差し出すことで結ぶことができる。
これほど良い条件は他にないものと思われるがの。
「……それでも、最終的に婚姻相手を決めるのはシュリだ。俺が決める問題じゃない」
「そうかそうか。では、シュリの自由意志に任せることにしようかの」
ま、この一言を引き出せただけでも、よしとするかの。
シュリよ。お主は気づかぬうちにとてつもない、うねりの真ん中に放り出されておるのじゃ。
それに、いつ気づくかの? 楽しみじゃ。