二十二、金切り声とステーキ・前編
離れ離れだった心が、ようやく通わせることができたのでしょうか、最近エクレスさんとガーンさんとギングスさんの顔が晴れ晴れとしております。
前は廊下ですれ違っても、どこか気まずさが見えたというか、会釈するにもぎこちなさが見えました。
でも、最近では廊下ですれ違おうとしたときには、軽く二、三ほど言葉を交わしている様子があります。
それを見る度に、心安まる思いです。家族でいがみ合いを続けるのを見るのも、嫌ですし。
皆様こんにちは、シュリでございます。
エクレスさんのプレゼント大作戦を成功させて、僕も安心して仕事に打ち込む今日この頃。ガーンさんも仕事への打ち込み方に、気合いが入るようになりました。
無茶はしないようにいってますが、ちょっと熱が入りすぎるようにも見えるので、注意しながら指導してます。
そんな僕に、今日もガングレイブさんが尋ねて来ました。
仕事中、できた朝食を食堂で配膳している時です。
「レンハが食事に口をつけないんだが」
なぜだかガングレイブさん、神妙な顔つきをしています。
「え? でもガーンさんや他の部下の人の料理を味見しましたが、問題ありませんでしたよ」
レンハ・スーニティ。今回のスーニティの内乱で裏で行動していた、黒幕でございます。
現代日本人の感性からするとわかりづらいところもありますが、改めて簡単に説明します。
まず妾さん……側室でも正室でもない、囲いの女性の長男がガーンさんになります。側室さんの長女がエクレスさんになります。ガーンさんの腹違いの妹になりますね。
で、最後に生まれたのが正室の息子、ここで言うところの次男さんがギングスさんになりますね。末っ子です。
これが現代日本の感性を持った僕から一言言わせていただければ。
ただただややこしく、ただただ重ーい話で、闇が深すぎる話です。日本だったら小説か少女漫画に取り上げられるレベルの関係になります。
話を戻しまして。
そのレンハさんは罪人です。黒幕……今回の騒ぎを裏で画策しておりました。
前領主の金属アレルギーをこれ幸いと利用し、亡き者にしようとしたのです。そして自分の息子であるギングスを領主に据えようとしたのです。その理由は不明ですが。
そういう経緯なので、必要最低限の食事を用意しなければなりませんが、それを部下やガーンさんに任せていました。
ガーンさんも任された仕事として、相手はともかく気合いを入れていました。
最後に味見をして、問題がないので送り出しましたけど……。
「いや、何でも『私はやんごとなき身分だ! こんな犬の餌など口にあわん!』とかただをこねてんだよ」
失礼な。彼らの仕事に間違いや失敗はないのに犬の餌って……。さすがに怒りを覚えてしまいます。
しかし、ガングレイブさんも呆れ果ててるというかなんというか……。こめかみを押さえて言ったのです。
自分でも困ってるなら、無視すればいいのにさ。
「でも、そういう罪人は厳しく処置するもんですよね。食事抜きにするとか。
人間、二、三日は飲まず食わずでも死にませんから、本当に食事が必要になるまでほっときゃいいじゃないですか」
はっきり言って、そういう我が儘な罪人をのさばらせるというのが理解できません。
現代日本の刑務所だって、そこまで甘く無いはずです。現代日本の二、三倍は厳しいこの世界では、てっきりもっと厳しいことをしてるものだと思っておりました。
しかし、ガングレイブさんは困ったように言います。
「いや、それがな……」
ん? ガングレイブさんが言葉を濁らした?
「まあ、レンハはスーニティ領主の正妻だ。ぞんざいに扱えないだろ。それに、未だに権力の柵から抜け出せないんだろ」
なるほど、ちょっと理解できました。
要するに、レンハさんをそのままぞんざいに扱うと、問題が起こるのでしょう。
そういえば、正妻派もありましたし。みんなが納得する処罰を与えないと、その人たちが暴動を起こすのかもしれません。
一応ですけど、そういった正妻派はすでにこのスーニティの町から遠ざけています。そこに傭兵団の監視付きで。
「そうですか。じゃあ今日は僕が作ります」
「すまん、面倒をかけるな」
「いえ、だだをこねるお客さんに、文句を言う余地がないほどの料理で鎮めるのも料理人の役割ですから」
さて、何を作ろうか。僕は顎に手を当てて考えてみました。
とはいえ、本人の好みも何もわかりませんし……手始めに、ちょっと手の込んだスープとパンでも持っていこうかな。
とか考えていて、ふと目を転じてみると。
そこにはジャガイモの皮を剥きながら、落ち込んでいるガーンさんの姿がっ。
「えーと、ガーンさん?」
「ああ、シュリか……」
やべぇ、凄く気落ちしてる。顔に覇気がない。
無理もないかもしれません、せっかく作った料理を犬の餌だなんて言われたら……。
「すまん、俺の腕じゃ、レンハを納得させられなかった……」
「ガーンさん……」
「はは、俺もまだまだだな……もっと頑張らないと」
口では前向きでも、目は沈んだままのガーンさん。これはいかん。すっかり自信をへし折られてる……。
僕は後ろから、ガーンさんの両肩に手を置きました。
「僕も昔、料理で失敗したことが山ほどあります」
「……」
「料理を止めたくなる時もありました。出来合いの物や、外食に逃げようとしたこともあります」
「……そうか」
「でも、その度に何クソと頑張りました。ガーンさん、肩の力を抜いてください。そして、修行を重ねましょう。そうすれば、きっと誰かを笑顔にできる料理が作れるようになります」
「……」
「だから、ゆっくりと頑張りましょ? ね?」
ガーンさんは俯いて、頷きました。
顔はあえて見ません。何も見ません。それも優しさだと思いますから。
さて、レンハさんの納得する料理、てなんだろうな……。
そんなことを考えながら、僕は調理に移るのでした。
「何をしに来た! この領地泥棒の片割れめ! その汚い顔を私の前に晒すな!」
はい、第一声がこれです。いきなり領地泥棒の罵倒です。いや、内心そこはおもっちゃったけど。
さて、僕は料理を用意し、レンハさんが囚われていた地下牢にやってきました。
そして、僕の顔を見たレンハさんの第一声がこちらです。
先に断っておきますが、僕はドMではありません。言葉責めで興奮する変態ではありません……ないよね?
なので、こんな言葉をもらってもイラッとするだけです。こんなイライラは、カレーライスを初めて作ったアルトゥーリアの馬鹿領主以来です。あの馬鹿領主、今は何をしているのだろうか?
と言っても、あのときのようにここで道化になっても仕方ありません。何をしているのかさっぱりわからないだろうし、逆に頭がおかしいと思われちゃうよ。
「え……と……。食事を持ってきたんですけど」
でもやっぱりこええ。声が震える。幾多の戦場を越えて生き延びてきたなんて言っても、戦場に出ているわけでも敵を殺したわけでも無く、ただみんなを支えるために料理を作ってきたのです。
なので、目の前で女性が髪を振り乱して荒ぶられては、さすがにビビる。
「いらん! そのような粗末な食事、私の舌に相応しいと思っているのか!」
レンハさんは怒り狂いながら言いますが……いや、味は問題ないので相応しいも何もないでしょ。
「料理番の僕が手の込んだスープと作ってきました。是非どうぞ」
とはいえ、このままブチ切れて帰るわけにもいきません。ガングレイブさんの頼みですしね。
このスープは、この世界に来たばかりころに作ったポトフです。
「いらぬ! 失せろ!」
イラッと来るなこの人……。手を払うようにして、僕が渡そうとした料理を受け取ろうとしません。
零したらどうするんだ、全く!
「とりあえず、食べてください。もう何日も食事を口にしてないと聞きます。水だけでは限界があるでしょう」
「黙れ下郎! 侵略者の分際で、文明を理解した語りをするな! 毒が入れてあるんだろう、その食事には!」
こりゃ駄目だ……。どうしようもないよ。ヒステリーでも患ってるんじゃなかろうか?
この世界に精神科もないわけなので、断言できませんがね。僕にはその知識もないので判断のしようもありませんし。
しかし、かなり頭にきました。
「別に僕は食べてもらわなくても結構です。ですが、あなたがそのまま我が儘を続けるのも問題ですし、死なれても困るから言ってるだけです」
「なんだその口の利き方は! 私はスーニティ領領主の正妻、レンハ・スーニティだぞ!」
「ですが、今のあなたはただの罪人です」
やべ、ちょっと口が過ぎたかな。でも、さすがに言わずにはいられませんでした。
料理を仕事にしてる人間に向かって、毒を入れてるなどという最低の一言を言われては、感情を抑えきれませんでした。
こめかみや眉間に力が入る感覚を覚えながら、僕はレンハさんを真っ直ぐ見ます。
さっきのような恐怖感はない。今僕を支配するのは、ただ料理を侮辱された怒りだけでした。
「ふざけるな! 私が何をしたと、何の罪を犯したというのだ! 貴様らの言いがかりも大概にせよ!」
「夫に毒となる食器を仕込み、やばくなったら逃げる。どう見ても罪人のそれです」
ここで無罪だと言う人も、神経が屋久杉並みに太いなぁ……。ある意味感心します。見習いたくないけど。
ですが、やることはやりましたし、帰りましょうかねぇ。
「待て、どこに行く」
「帰ります。食事をなされないなら、いる意味はありませんし」
「私の食事はどうするつもりだ!」
「担当の者に任せます」
付き合ってられません。金切り声で頭がキンキンして痛いです。こっちがノイローゼになるわ!!
……とも、言ってられませんよね。
「というのは冗談です」
ガングレイブさんの頼みは、出来ることなら叶えたいです。あの人には、今までにもらった、返しきれないほどの恩がありますから。
僕は再びレンハさんと向き合いました。
「だったら、どんな食事なら食べる気になりますか?」
「は! 貴様の料理など口につけん! 食べる気になるわけ無かろう!」
「んー……。そういった意地や気位は抜きにして、食べたいものがありましょう?」
そう、レンハさんはムキになってる可能性があります。
罪人として囚われ、地下牢に繋がれた元権力者。
気位だけは折れまいと、必死になってると思います。
でも、それでは今を生きられません。それじゃいけないのです。
せめて、食事はしないと。
「貴様……なんのつもりだ?」
このアプローチの仕方にレンハさんも予想外だったのか、面食らった表情で言いました。
うん、予想通りかも。今までの人たちもこの人目線で立たずに、罪人扱いの見下し目線だったのかもしれません。
僕は努めて冷静に、そして温和に言いました。
「単純な話、意地の張り合いにも限度があります。膠着状態は、あなたも望んでないのでは? いざというときのために、お腹を満たすのも悪くないかと思いますし」
うん、やっぱりこれが僕らしい。
相手の怒りの言葉をまともに受けて感化するより、流して躱して、懐に入る方が。
料理は、人のお腹だけでなく心も満たせるはずですから。
イライラするよりも、この方がいい。
「ふむ、いいだろう。貴様の頑固さ、確かに折ることは出来ぬようだ。
だから。こちらも一つだけの道を示してやる」
レンハさんは笑みを浮かべると、僕に言いました。
その目は人を見下す、冷たい目と冷たい笑みに見えました。
「私の口に入るのだ。豪勢な肉の料理を持ってまいれ。口に合えば、だがな」
ふむ……。
「肉の料理ですか」
「そうだ。下賎な身分の貴様がどこまで出来るか、見せてもらおうか」
肉の料理、ですか。はて、困った。
いえ、困ったのは肉ではありませんし、料理でもありません。
困ったのは、価値観の違いです。
僕は庶民の生まれですから、豪勢な肉の料理と言えば二千円を超えたら豪華だなと思います。
ですがレンハさんは貴族。つまり地球基準で言えばお金持ち。
例えるなら避暑地に別荘を持ってやんごとなくアンニュイな午後のお茶を楽しむような身分。価値観が違うのです。
となれば貴族の価値、地球の金持ちの価値観を基準にして料理を選ばなければなりません。
ふーむ、となると、一番に思いつくのは!
「いいでしょ、とびっきりのやつを持ってきましょ!」
ステーキ、だね!
ということで、ステーキを作ろうかと思います。
僕はさっそく厨房に戻り、そこで待っていてくれたガングレイブさんにお願いしました。
「なのでガングレイブさん、良い肉をお願いします」
「お前、よくあの相手から譲歩を引き出せたな……」
一連のことを説明すると、ガングレイブさんは呆気にとられたような顔をして、言いました。
あなた、自分で頼んでおきながら信用してなかったのですかい?
いや、あんなヒステリー相手だとそう思いたくなるのもわかるけどさぁ……。
「ま、誰だってお腹が空いたら意地なんて張ってる場合じゃないですし」
「なんか恐ろしい言葉だな」
ある種の真理ですからね。生物として、避けられないことでもあります。
「で、ガングレイブさん。肉の方は?」
「大丈夫だ。良いやつをまわしてやる」
「お願いします」
そして用意されたのは牛のフィレです。確かにこれは良い部位です。
しかし、この世界で肉を獲ることを前提に育てる牛は少ないです。全て家畜として農耕作業の手伝いか乳を絞るかに限られます。牛自体を食べる、という前提で育てることをするのはニュービストくらいかと思われますが。そうでもないのか?
ですので、フィレと言っても農耕作業をして年老いた牛の肉ではちょいと固いのです。
しかもこれ、フィレを小さくカットしたミニヨンと呼ばれるものになります。
そんなに量が無かったのかな?
「なぁ、これで本当に牛肉焼きを作るのか?」
「ガングレイブさん。ステーキです」
「おお、そうだな。確かにステーキだ」
ん? こっちでもステーキはあるのか。呼び方が同じと言うことは、同じ料理ってことなのかな。
まあだろうね。どこの世界にだって、焼いた肉はあるだろう。呼び名がたまたま同じだったって話かもしれないし。
「しかし、俺は牛肉のステーキをあまり聞かんな」
「そうなんですか?」
「ああ。牛はそもそも農耕作業の家畜か乳牛かだろ? それは知ってるよな」
「はい、もちろん」
「だから肉を獲るためだけの牛肉は少ない。それも知ってるな」
「ええ。ガーンさんから一通り聞きました」
この世界に来てから、僕はこの世界の常識や知識を得ようと、いろんな人にいろんな話を聞いて回るようにしてますから。
そのせいで変わり者扱いを受けている節もあります。失敬な、僕自身は普通の人間なのに。
異世界人だけど。
「つまりだ。牛肉を饗する領主一族や王族は少ない。その分、話もあまり聞かない。そういうことだ。味なんて伝わってないんだよ。これだって、良い部位を用意したが廃牛の一歩手前のやつだ。これでいいステーキなんて作れるのか?」
「うーん」
ちょっと切り取って囓ってみます。
たしかに、フィレにしてはちょっと固め?
でも味は問題ないかと。
「問題ありません。確かに固いですが」
「いや、問題ありだろ。固い肉を焼いたら更に固いんだからよ」
「それをどうにかするのが料理ですよ」
今回は秘策あり、です。
不思議そうな顔をするガングレイブさんをよそに、僕はガーンさんに声をかけました。
今回の料理のために、僕はガーンさんにお願いをしていました。
これが上手くいけば、レンハさんの評価を覆せますよ、と言ったところ、気合いをいれてやってくれましたよ。やはり、ガーンさんは悔しかったんでしょう。だから、このお願いに気合いが入ったのだと思います。
「ガーンさん。たまねぎの用意は?」
「おう、でぎだー……」
ガーンさんはボウルいっぱいのたまねぎのすり下ろしを用意してくれました。
でも、目が真っ赤で泣いてます。まさかっ。
「あ! たまねぎを切った手で目をこすってはいけないと言ったでしょ!」
「ずまん、わずれでだ……」
ありゃりゃ……。どうやら気合いが入りすぎて、たまねぎに関する注意を忘れていたようですね。
全く、世話が焼けます。
「氷嚢を目に当ててください。楽になりますから」
「わがっだ……」
「さて、にんにくも用意してますし、始めましょう」
ちょっと高級そうなステーキは、柔らかくてジューシーなものが一番に想像できると思います。
なので、それに近いものを作りましょう。
まず、すり下ろしたにんにくとたまねぎを、フィレ肉によく揉み込んで馴染ませます。こうすることで、下味を付けるとともにたまねぎの酵素によって肉がとても柔らかくなります。
さらにここでコショウをゴリゴリするあれで振り、ようく揉んでおきます。
ここで時間を置いておきます。
「ソースを作りましょうか」
「おい、これに塩はしないのか? それぐらいは俺も知ってるぞ」
「確かに必要なことですが、それは焼く寸前にすることです」
コショウはあくまで臭い消し、塩は焼く直前に振らなければなりません。
コショウは焼く最低十五分前には必ず振って、臭いを消す時間を作る必要がありますし、特に塩を早く振ると肉汁が流れ出てパサパサな肉になります。過去に同じ過ちを犯したことがあって、あのときは大変な思いをして食べました。
それと、焼いてる途中に塩を振るのも駄目です。塩が肉に馴染まないので塩の味がとんがります。これも同じ失敗をしました。ステーキとは、ただ焼くだけではないのです。
なので、今はしません。先にソースを作りましょう。たまねぎとにんにくを馴染ませている間に作ってしまいます。
「ガーンさん。隠し持ってた赤ワインを使わせてもらいますよ」
「え!!?」
知ってるんですからね。まだアル中が治ってないのに、たくさんの酒を隠し持ってることも、それをどこに隠してるのかも。
呆然とするガーンさんを放っておいて、ソースを作ります。
用意した皿に、たまねぎを半分すり下ろしとみじん切り、にんにくを細かいみじん切りとスライスを四枚ほど準備。あと必要なものは臭い消しをした魚醤とバターです。オリーブオイルがあれば最高ですが、ないので今回は妥協。いつか製造の目処を立たせたいものです。
さて、材料が一通り揃ったところで鍋に火をかけ、温めます。
「……ずいぶん手間がかかるな。焼くだけなのに」
「焼くだけに見えて、そこには料理人のこだわりと手間と工夫が必要なのです」
ガングレイブさんのぼやきですが、まあわからんでもないです。僕も最初の頃、前述の失敗の他に冷凍したものを解凍しただけで焼いたこともありました。
あれは冷凍庫から出したとき、常温に戻さないといけません。解凍と同じじゃない? と思いますが、解凍の仕方にもいろいろあります。
だいたいが流水解凍を用います。流水解凍とは、パックした冷凍牛肉を水を張ったボウルに入れて解凍すると思われます。肉が厚い場合は少しずつ水を溢れさせたりとか。
よろしくないのが強制解凍と電子レンジ解凍です。
強制解凍とは、文字通り一気に温度を上げて解凍状態にすることですが、これをすると旨味である肉汁が大量に流れ出てしまうのでやってはいけません。上面は溶けてるのに中心が凍ってる! みたいな残念現象も起こりますね。
電子レンジ解凍はいけないとはいいましたが、これはピンキリ。性能のよい上位機種のレンジなら優れたものもあるんですけど、シンプルなタイプのレンジ解凍はただ弱加熱するだけです。するなら、良いものを買っておきましょう。
などなど、解凍の仕方にもたくさんあります。今回は始めから常温なので焼きますがね。
さて、鍋も温まってきたので油をひき、焼きましょう。
コショウ、たまねぎ、にんにくを馴染ませたステーキに軽く塩を振って馴染ませ、鍋に入れます。このときも、火加減にコツがあります。
じっくり弱火で焼く人もいますが、ここは強火で焼きます。鍋からもくもくと煙が出るレベルの強火です。怖がってはいけませんよ。
それと、焼いている間に絶対に肉に触れてはいけません。よく押しつけたりする方もいますが、こらえましょう。こらえた分だけ、美味が待ってますよ。
じっくり強火で焼き、肉汁が浮いたらひっくり返します。
そして、フランベしましょうか。
「ガーンさん、あなたの赤ワインが極上の肉を作りますよ」
赤ワインを大さじ二杯の量で投入し、炎を上がらせます。
「おい! 火事にする気か!? 誰か水を!」
「アドラさん、それをしたら怒りますからね」
アドラさんの騒ぎを一言で制し、落ち着いて蓋をします。
「これで、よし」
「いいのか?」
「これでいいんです」
ガングレイブさんの戦々恐々とした声に、冷静に返しておきます。
うーん、こっちの世界ではフランベの技法はないのかね? いやいや、さすがにあるでしょう。
フランベの火が消えたことを確認したら、鍋から取り出し皿に盛り付けます。
さて、ここで残った脂を使ってソース作りをしましょう。
にんにくを加えて香りを出し、たまねぎを投入して炒める。
火が通ったら赤ワインを投入し、アルコールを飛ばすように煮立て、臭い消しをした魚醤を加え、バターを溶かす。これで出来上がり。
皿に盛ったステーキとは別に器を用意してソースを移し、完成です!
うむ、上手くできた。香りもよく、見た目も冴えてる。ばっちりだよ。
「さて、持って行きましょうか」
「待て」
僕が持って行こうとすると、ガングレイブさんに肩を掴まれました。何事?
「ちょっと、味見をさせてくれ」
「は? 駄目に決まってますがな」
ミニヨンなのですから、大して量がありません。分けてたらレンハさんの分がありませんよ。
しかし、ガングレイブさんは微笑むだけで理解しようとしてくれません。それどころか、徐々に詰め寄ってきます。
やめなはれ、そんなに迫られてもあげられませんよ。
「そこをちょっとだけ……な?」
「何をいきなり……また後で作りますから、その時にしてください」
「あんな旨そうな匂いと音をさせておきながらお預けだなんて、酷いぞ!」
「人の食事を取ろうとする人の方が酷いでしょう」
「旨そうな匂いがしたから来たのじゃ!」
バーン! と厨房を開けてきたのはテビス王女です。ウーティンさんも一緒です。
あなたたち、そういえば会議はどったの? お仕事があるんでないの? 確かそう聞いてたけど?
僕が呆然としていると、テビス姫は意気揚々と厨房に入ってきます。
ちなみにウーティンさんはそれを諦めた顔をして、随行していました。諦めちゃ駄目よ。
「お! シュリよ、もしやそれは酒焼きで作ったステーキか! さすがシュリよ、我が国の最新技法まで知っておるとは!」
「あ、テビス王女」
「さあ、さっそく食堂に行こうではないか! その渾身のステーキ、味わわせてもらうのじゃ!」
「いえ、これはレンハさんの」
「旨そうな匂いっスね! 訓練場にまで来たっスよ!」
「ええ匂いがするのぅ。今日の晩飯は豪華やな」
ええ、クウガさんにテグさん? 二人まで来たの?
「良い香り……お腹が空いてきますね」
アーリウスさんまで?
「……」
あ、扉の影にリルさんが!
「シュリくん、やたら良い匂いといい音がしてたけど、どうしたの?」
堂々とエクレスさんまで!
「仕事終わりの俺様の腹が鳴りそうだぜ……。たまんねぇ匂いだな」
あ、あれ? ギングスさん?!
「お、それが今晩の飯か! シュリ、それはなんだ」
「ええと、ギングスさん。これはですね」
「待てギングス。まず俺から試食だ。新作のステーキだからな」
「あ、ずるいっスよガングレイブ!」
「そうやぞ! こっちは訓練で疲れとるんや!」
「待ってください。魔法師部隊も疲れてます。まずこちらから」
「……新しい発明品のインスピレーションを」
「リルちゃんはハンバーグでいいでしょ? まずはボクから」
「待てい。それを言えばエクレスも唐揚げでよかろう! まず舌が確かな妾からの」
「あわわわわ……」
な、なんでしょう。ステーキの魔力が広がってしまってます!
とかいって、付き合ってる間に肉も良い具合に休めたでしょう。
ステーキの場合、作りたてが美味しいとは限りません。少し休め、中心に集まった肉汁を全体に馴染ませてやる必要があります。
さて、この人たちをほっといて行きましょか。
僕は騒ぎを起こしてる人たちに気づかれないように、ステーキ片手に気配を消して、厨房から出ました。
付き合ってられん。
さて、地下牢です。埃が入らないように綺麗な布をかぶせ、ステーキとソースを運んでおります。
たぶん、今頃地上では肉を求めて亡者《隊長さんたち》が彷徨っているでしょう。ここから帰ったら十字架という名のステーキを作りましょうか。
しかし……今回は鍋で作りましたけど、本当ならフライパンで作った方が美味しいんですよね。
今までもフライパンがないので苦労してます。ここから帰ったらリルさんにフライパンを発注しましょう。ハンバーグも美味しくなるでしょうから、喜んで協力してくれるはず。
「匂いがここからするのじゃ!」
「あ、シュリくん。ここにいたんだね」
は、見つかった!
テビス王女とエクレスさんが追いついてきました。
「というのは冗談での。シュリ、それは話に聞いたレンハへの食事であろう?」
「ボクたちも奥方に用があってきたんだ」
「え? 用事?」
「その通り。妾は話がしたくての」
「ボクはその付き添いだよ」
んー、一体何なのでしょうか? お二人に怪しい様子もないですし……。判断材料がないから、断りようもない。
「まあ、構いませんよ。ステーキを奪おうとしなければ」
「約束はせんが、まあ善処しておこう」
「保証はしないよ。でもわかったよシュリくん」
あれ? それって約束もへったくれもないってこと? 信じるもないし信用もないし、どう判断すればいいのこれ?
不安を抱えつつも、三人で階段を降りて地下牢を目指します。
「ところでシュリよ。お主が先ほど肉を焼くときに使った技法。あれは酒焼きかの?」
「酒焼き?」
「お主が赤ワインを加え、香りを封じ込めた技法じゃよ」
「ああ、フランベですか」
酒焼きってそのままだなぁ。
「お主、あれを誰かから習っておったのか」
「ええと、ほぼ独学です」
ネットって便利だよね。地球にいた頃、料理本だけではわからないこともネットで教えてくれるんだもん。
フランベだけは本当にわからなかったんですよ。コツとか、入れる量とか。全部調べて練習しました。
家庭でやるときは、本当に気を付けてください。テレビで見るよりも遙かに迫力があって、予想以上に燃えますから。
「素晴らしいの! 妾の国でも、本当にここ最近開発され研究を始めた技法じゃ」
「酒焼きとはそんなにすごいんですかテビス王女」
エクレスさんが不思議そうな顔をして聞きました。
「うむ、シュリが使ったあの技法は酒精の高い酒をフライパンに落とし、一気に酒精を飛ばす方法じゃ。
最後の仕上げに用いられ、熟練した業前を持つものが行えば素晴らしい香りを付けることが可能じゃ。
先ほども言うたとおり、妾の国ニュービストでも最近になって生まれた技法であり、まだまだ研鑽の余地がある。最初に行ったものが作ったステーキを口にしたが、あれはなんとも言えぬ素晴らしい匂いを放っておったのじゃ。
遠くからでもわかったじゃろう、エクレスよ」
「ああ……それで遠くからでも良い匂いが届いたと」
そんなにですかね?
いえ、もちろんこのステーキは成功していますから、作った僕でもわかるくらい良い匂いはしてますけど。
「さて、そんな素晴らしい料理を初めに口にするのがあの女とは。いやはやなんとも言えぬ」
テビス王女が大げさなモーションで嘆きました。
「素晴らしく新しい技法と、新しいソース。そして新しいステーキ。どれをとっても妾が口にするのが一番相応しい。妾でさえ匂いで虜になるというに」
「あのぅ……そこまで褒めてもらうのはちょっと背中が痒いです」
べた褒めとか……一回目、レンハさんに食事を持ってきたときとは正反対ですけども、これはこれでいたたまれないです。
僕が苦笑いをしていると、奥から何やら咳きこむ声が。
「ふん、下賎な身の上のものは、貴族に食事を運んでくる際も静かにできんのか」
地下牢の奥から声が響いてきました。いつの間にか最下層まで着いていたようで、レンハさんが不機嫌そうな顔でこちらを睨んでおります。
あらら……ちょっと騒ぎすぎましたね。
「下賎とは言うのぅレンハ。ニュービスト王家に連なるものがここにおるというに」
「っ! ……テビス王女もご一緒か」
「久しいのレンハ」
「私にとっては、つい昨日のようではあるがな! 私を嘲笑いに来たか! エクレスも!」
「奥方様、ボクはそんなつもりはありません」
あかん、レンハさんの不機嫌メーターが振り切れそう。
テビス王女とエクレスさんは冷静でいますが、それ対して比例するように、レンハさんの怒りが大きくなっている感じがします。
「それで? そこの料理番は私の口に合うものを持ってきたと?」
「ええ。とっておきです」
「ふん、たかだか一傭兵団の料理番風情。私の口に合うものなど作れるはずがない」
「いえ、こちらがあなたに相応しいステーキ」
僕はレンハさんの前にステーキ皿を置いて布を取り払い、それにソースをかけました。
途端に広がる良い香り。うん、成功だ。
「赤ワインソースのステーキ、赤ワインの酒焼き仕立てです」
ちょっとかっこよく言ってみました。
「なん、だ? この香り……芳醇な肉とソースの香りが地下牢いっぱいに……!」
おお、レンハさんの顔がようやく緩みました。
「なんだ、それは。貴様、その料理に何をした!?」
「な、何を、て。料理を調理しただけ……」
「嘘をつくな! ステーキにそのような過剰なまでの芳醇な旨味の匂いが放てるはずがないだろう! いかな魔工を施した!」
「ふむ、魔工による罠だとするなら、妾が先にいただこう」
え、と止める間もなく、僕の手からフォークとナイフを奪ったテビス王女は、地べたに置かれたステーキ皿の前に座り、その料理に手をかけました。
「心配はいらんウーティン。闇におれ」
え? と思ったときに、テビス王女は優雅な仕草で一切れステーキを口に運びました。
その顔に、笑顔が浮かびました。
「ああ、素晴らしい。肉の柔らかさが妾の知っているそれよりも、遙かに柔らかく、唇でかみ切れそうなほどじゃ。かといって肉本来の食感を残し、ふつりと噛み切る度に素晴らしい香りが広がっていきよるわ。
肉の香り、ソースの香り、そして酒焼きによる風味付けが調和し、えもいえぬ快感が口いっぱいに広がりよる。これは酒焼きがなければなりたたぬ、そして酒焼きの熟練の業前がなければ作れぬ玄妙な香り。口と鼻に広がり、ああ、素晴らしい。
味ももちろんのことよい。にんにく、たまねぎ、赤ワイン、魚醤といったソースを肉を焼いた後の脂と合わせるという新しい技法。そのソースとともに、適切で正解で完璧な調理をなされた肉が良い味を出しておる。塩がとんがりすぎず、かといって薄くない、絶妙な使い方。コショウによる臭い消しによって肉としての臭みが消えておる。
どれもこれも、新しい技法、新しいソース、そして完璧な調理と計算の上で成り立った、まさに在来のステーキ調理法の完成の形であろう。この先数百年、これを上回るものが出てこぬほどに、な」
おおう、テビス王女の解説がすごい……。
エクレスさんもレンハさんも、生唾を飲み込まんばかりの表情をしております。
さて、そんなステーキを改めてレンハさんの前に出し、被せてあった布でフォークとナイフを拭って添えました。
テビス王女は、満足そうな顔をしています。
「さて、先にナイフとフォークを使ってすまんかったの。
しかし、妾でも我慢できなんだ。どうじゃ? 一度口にしてみては」
レンハさんはおそるおそるフォークとナイフを手にし、ステーキを口に入れました。
「……」
驚愕、といった顔でレンハさんが止まりました。
「なるほど、確かにこれは私に相応しい、いや、私には過ぎたステーキだ」
コト、とフォークなどを置いたレンハさんは、真っ直ぐにテビス王女を見ました。
その顔に、先ほどまでの憎悪はありません。まるで、何かを見極めようとする目です。
「そうか、テビス王女。これが、あなたがこの者を、わざわざその身を晒してまで手に入れようとしたわけですか」
え?
「シュリよ。妾とエクレスは、もう少しこのものと話がある。先に戻っておいてはもらえぬかの」
「え?」
テビス王女もエクレスさんも、真剣な顔をしてます。
どうやら、僕が及ぶ領域を超えているようです。
この三人の中に、一体何があるかはわかりませんが、ここは大人しく引き下がりますか。
「わかりました」
一言だけ断り、僕は皿洗いのために戻ることにしました。
翌日、エクレスさんから、レンハさんが大人しく罪を受け入れると報告をもらいました。
一体何を話したんだ……。
ガングレイブさんも、大人しく罪を受け入れるというなら、辺境への流刑と放逐で済ますそうです。
なんか裏取引がありそう……。くわばらくわばら。