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傭兵団の料理番  作者: 川井 昂
三章・僕とお嫁さん
40/140

十八、王女さまと水割り・後編

8/9 加筆修正。二話投稿しております。

 以前より妾は知っていたはずじゃった。

 シュリの料理に対する知識と技術は飛び抜けておると。

 じゃから、妾はシュリを欲した。その美味を作る腕を、妾だけのものにしたくて。

 しかし、妾はその認識が甘かったことを知る。

 シュリの発想力は、妾の想像よりも遥か先を行くと。




「ウーティンよ。準備はよいか?」


 妾は会議室に入る前に、ウーティンに確認を取る。

 最高の果実汁ノーネルスを携え、これからスーニティとの会談に挑む。

 本来、妾がここに来たのはシュリの安否確認と刻印入りの包丁を下賜した料理人を捕らえた理由の追求、それに対する説明じゃ。

 無論、妾が懇意にする料理人を不当に捕らえたその罪を、ただで許すつもりもあらんが。


「はい王女様。こちら、も」


 ウーティンは頷いて答えた。

 ウーティンは、妾が信頼する隠密部隊の隊員の一人にして連絡役。そして妾付きのメイドで護衛を担うものじゃ。

 ウーティンの戦闘力は、隊の中でも随一。隊長でないのは、ウーティンは言葉を上手く喋ることができぬからじゃ。

 隠密部隊の者達は、総じて訳ありの者が多い。ウーティンであれば、目の前で両親を兵士に拐われ行方知れずとなり、誰にも文字はおろか言葉さえ教えてもらえなかったのが原因じゃ。

 妾が彼女を拾ったとき、もはや獣のそれと変わらなんだ。身体能力は高いが、言葉が通じず、生きるためになんでもしておった。漁も、狩猟も、人を襲うことも。

 そんなときに、隠密部隊の隊長に捕まって妾と出会った。あれはまだ、妾が齢五つになるかならんかあたりであろう。そのとき、妾はこう言ったそうじゃ。


『わんこみたい』


 いや、別にこんな時代があったからとかどうかではなく、ともかく、妾の目にウーティンは迷い犬のように見えた。

 それから、妾はウーティンの稽古を見学したり、勉学を共にしたこともある。何故か、ウーティンは放っておけなかったのじゃ。

 とにもかくにも、ウーティンが人の言葉と理性を手に入れた時には、妾の傍付きのメイドとなった。時々、報告を受けるためにいなくなるときもあるが、気づいたら戻っておることも多いので、気にはしとらん。離れておっても護衛としての勘が鋭いため、すぐに戻ってきよる。

 そんな妾にとって信頼にたるウーティン。

 今回は物探しをしてもろうた。


「ふむ、やはりか」


 妾がそれを見たとき、頬が引きつりそうじゃった。

 それは妾がシュリに下賜した包丁。王家の刻印が入った業物。

 捕まったと聞いたとき、妾はこれの存在を気にしていた。もしかしたらこれの存在に気づいておらぬか、気づいても即刻処分したか。どちらかじゃと思っておったが。


「どこで見つけたのじゃ、ウーティン」

「物置、です」


 物置か。やはり、捨ててあったか。

 この包丁が後で知られれば、処分しなければ問題となる。

 しかし、下手に売れば流通を経て我が国に流れ気づかれるかもしれんし、かといってどこかで捨てれば孤児や浮浪者が拾う危険もある。

 となれば、城のどこかで封印するより他はない。

 だが、これもこれで悪手だ。

 問題が片付いた今なら、シュリに返却しておれば良い。このように埃を被る必要も無かっただろうに。

 だが、実はこれも予想できたこと。

 シュリに返却しておれば全てが終わるかと言えば、そうではない。

 逆に、シュリが大事にこの包丁を持っておったら妾は『あの騒ぎの中でも我が王家への配慮を忘れずに包丁を守った事実、賞賛に値する』と言ったじゃろうな。

 そして、シュリはスーニティ側よりもニュービスト側に心があると大々的に喧伝したであろう。

 もちろん言うだけで何か効果を狙うわけではないが。

 あわよくば、シュリとスーニティ側の間へ波紋を作り、何かアクションがあれば良いなと思うくらいじゃ


「王女様。私、これ、持ってる」

「うむウーティン。ノーネルスと包丁、この二つがあれば相手を追い込めよう」


 妾の権謀術数とガングレイブ殿の権謀術数。

 果たしてどちらが優れておるか、試そうではないか。




「おお! 久しぶりじゃのぅシュリ!」

「あ、はい。お久しぶりですテビス王女」


 そして始まった会談。

 妾側はウーティンと護衛を数人従え、ガングレイブ殿の側は隊長各全員とシュリ、そしてスーニティの嫡子ギングスと……妙な格好をしたもの。

 なんじゃろ? 男のような女のような……あんなものいたかの?

 まぁよい。久しぶりにシュリと会ったのじゃ。少しくらい歓談してもよかろう。


「そういえば、以前お主から渡されたカレーとやらのレシピ。まだまだ未完成じゃが、まずまず作れるようになっておるぞ。あれも美味じゃ。素晴らしいの」

「え、はい。まぁ、スパイスの調合がちょっと難しかったかなとは思ってました」


 シュリにとっては少し、か。


「ちょっとどころではなかろう。城の宮廷料理人が頭を抱えて、日夜レシピの再現に励んでおるよ」


 そう、カレーとやらのレシピ。それ自体は至極単純。宮廷料理人たちも、最初は簡単だと思っておった。

 じゃが、実際に取り掛かると難問にぶち当たった。それが香辛料の調合比率、じゃ。

 料理人たちは頭を抱えて悩むはめになっておる。間違えればただ匂いが強すぎたり辛すぎたりと……。

 味と香りと風味を兼ね備えた黄金比率。それを探すことは広大な大陸の中でたった一本の針を見つけるかの如き困難さ。今ごろ料理人たちはきっと、妾がシュリよりその答えを聞いてくれると思っておるじゃろうがな。

 妾は聞く気はない。自分達で見つけねば、意味がないであろうからの。


「そうですか。今度からは調合済みのカレー粉をお渡ししましょうか? 固形物にして、カレールーってのにすれば」

「いやいや、最終的には作れるようにならねばの。美食大国ニュービストの沽券に関わるのじゃ」

「そうですか……」


 シュリは困ったように返答したがの、そこまで世話になることもなかろう。

 いずれ、我が国の料理人たちもシュリに追い付くと信じておるし。


「そうじゃ、カレーとマーボードーフを組み合わせた料理も開発中じゃぞ」

「え?」


 お、これにはシュリも驚いておる。てっきり妾は、シュリがこのレシピもストックしておるとばかり思っておったから、意外じゃった。

 そう、妾は以前より思っておった。カレーとマーボードーフ。この二つは、方向性は違うが辛みを主体に様々な味を付与することにより、その玄妙な味を生み出しておるのだと。

 マーボードーフは合わせ調味料による辛み。カレーは香辛料の組み合わせによる辛み。

 この二つの良い所を合わせれば、きっと素晴らしい料理ができると思い、料理人にカレーとマーボードーフのレシピ解析と平行して行うように指示をしたのじゃ。


「辛みと辛みの料理。一見するとただ辛いだけかもしれんがの。なんとかこの至高の料理を一緒にできんかと思うてな」

「それは凄いですね。僕でも」

「『作れません』とは言わんよな、シュリ? お主はこの料理の開発者。本当はそのレシピ、頭の中にあるのではないか?」


 探りを入れておいて損はあるまい。もしかしたら、作らないだけで作れる可能性もあるのじゃからな。


「本当に作れないですよ。僕でも、試したことはありませんから」

「ふむ。でも作れと言われれば、作るのではないか」

「まぁ……ちょっと試行錯誤は必要ですけど」


 ふむ、やはりレシピ開発者ならば試行錯誤をすれば作れるのか。

 これは良いことを聞いた。


「ならちょうど良い。妾と来れば」

「テビス王女。歓談中すみませんがね、それくらいにしてもらえませんか」


 ほう、会話の流れからシュリを引き込もうとしたのじゃがな。

 ガングレイブ殿、大分会話の流れを掴む能力がついておる。絶妙なタイミングで切ってきおったか。

 まあよい。ここまではただの遊びのようなもの。


「これは失礼したガングレイブ殿。先日の戦の折、随分と世話になったの」

「こちらも仕事ですんで」

「少なくとも、あの戦を乗り越えたおかげでこちらは窮地を凌ぐことができたのは事実じゃ。陛下よりお言葉ももらっておる」

「それはありがたき幸せ」

「このような巡り合わせでなければ、妾はそなたたちを召し抱えておったであろう」

「それは、仮定の話ですから」

「そうじゃの、詮無きこと。言っても始まらぬ」


 ふむ、ここまでは一切ボロを出さぬしヘマもない。会話の糸口が掴みにくいの。

 じゃが、まあ確かにガングレイブ傭兵団を召し抱えたかったの。そうすればこの強大な戦力を得られたじゃろうし。シュリも付いてくる。

 そうすればこの大陸で覇を唱えることもできたやもしれぬ。

 まあ、言っても確かに詮無きこと。


「それよりガングレイブ殿。貴殿はこれよりどのような展望を持って行動なさる気かな」

「……と言いますと?」

「貴殿は、十分に戦場稼ぎをしてきた。今ではその財力も戦力も、そこらの国に負けることも無いのではないか」


 ここ最近の戦の勝利と団の拡大を考えればあり得ぬ話でもない。

 そして、傭兵団の過剰な成長は周辺諸国に悪影響しか与えぬ。

 なぜならばどこにも属さぬ巨大で強大な戦力など、懐に両刃(もろは)の刃を抱えておるようなものじゃからな。

 抱え込めば自分を傷つけるかもわからぬ兵器。敵の手に渡ればこちらが刺される危険があるからの。

 傭兵団はどこの国にも組織にも属さぬ自由戦力。じゃからこそ、有事の際には雇い入れることで戦力のバランスを取る。

 そう、傭兵団など国から見れば戦力としてカウントするのではなく、戦力としてのバランスを取るためだけの存在。

 金で戦力を買う代わりに、いつ裏切られてもおかしくはない。

 そんな中でガングレイブ殿の傭兵団が信頼されておる理由は、金で雇われればその国や組織を絶対に裏切らず、最後まで仕事をこなしてくれるという実績に基づいておるからじゃ。

 そうでなければ、普通の傭兵団など戦には用いぬ。精々護衛依頼か汚れ仕事を任せるくらいじゃろう。

 そんな中で、ガングレイブ傭兵団が国を手に入れたとあっては、妾としても警戒するし、警戒せぬのは平和ボケしたバカくらいなものじゃろうの。


「買いかぶりすぎですよテビス王女。私は幸運だっただけです」

「幸運のぅ。幸運もまた、傭兵団に限らず戦場で生きる者に必要な才能じゃと思うがな」

「間違いではありませんが、こればかりは努力ではどうしようもないかと」

「努力でどうにかなる幸運は幸運とは言えぬ。それは計略と言うのじゃよガングレイブ殿。さて、質問を繰り返そう。

 ガングレイブ殿。貴殿はこれからどのような行動をなさるのかの? なんの目的を持って行動なさるのかな?」


 妾はまっすぐ、ガングレイブ殿を見て言った。

 これは何が何でも聞いておかねばなるまいて。財力と戦力に、権力を手に入れたガングレイブ殿が、これからどのような行動を取り、何を目的に動き始めるのか。

 しかし、ガングレイブ殿は閉口したまま語ろうとはせぬ。

 目を閉じ、真剣な面持ちで。

 普通ならば王族を無視したとして、十分に口撃できるじゃろうが、妾はしようとは思わぬ。

 ガングレイブ殿は迷っておるのだとわかったからじゃ。

 自らの目的を語るか否か。そして、その目的が高潔で気高く素晴らしいものであればあるほど語れぬじゃろう。

 恥ずかしいのもあるであろうが……その目的が、場合によっては大陸全土を巻き込む可能性もある。


「さあ? 私の征く道は未だ暗雲の中。夢の一端は掴めはしましたが、それもまだ途中です。

 多くを語るほど、良い物ではないかと」

「妾は是非に、聞きたいがの」

「一つ言えるのは、私はこの度、婚約者と正式に結ばれることにした、ということです」


 なぬ? ガングレイブが結婚を?

 これは驚いた。どこぞのものであろうか?

 いや、これは……。


「もしや、部下とか?」

「そうです。私の幼い頃からの仲間であり、愛した女性です」


 ほう、そこまで言うか。

 なるほど、後ろにいて顔を真っ赤にしながらも、平静を保とうしておる女性がそうか。

 しかし、なんとまぁ……。


「老婆心ながらガングレイブ殿。一つ言っておく。

 そなたがこれからこの国で何をするのかはわからん。しかし、この国を、領地をどうにかしたいなら、部下よりも近隣諸国から姫を娶り、後ろ盾を作った方がよろしいのでは?」


 それだけ、結婚における結びつきは、この戦国の世では強い。

 何よりガングレイブは何もない状態から、ここまで来た。

 これからは後ろ盾を上手く作り、利用しつつ利用されず立ち回ることが、この領地を安定させる一番の近道であろう。

 ガングレイブには後ろ盾となるような、『何か』を持っていない。

 それは王族の血筋であり、華々しい活躍をした一族であり、周辺諸国に鳴り響く武功。

 言うなれば、『説得力』。

 傭兵団としていくら武功を立てようと栄光を掴もうが。

 国として矢面に立つなら、そういった『説得力』を持たなければいけない。

 それはガングレイブもわかっておるはずじゃが……。


「俺は、俺が夢見た国を作りたい」


 ガングレイブの顔に、真剣さが出る。


「その夢を妨げる、邪魔な柵はいらない。国としての常識に縛られたくない。

 そして、俺自身が愛する者を守れないようなら、俺の夢は初めから叶わない。

 好きな人と、一緒にいたい。

 それだけです」


 拳を握りしめ、力説するその姿に、妾は僅かに気圧された。

 妾は勘違いしておった。こやつは、違う。他の凡夫とは。


 理想を語れる。

 理想に背を向けられない。

 理想を叶えんとする男。


 なるほど、ガングレイブも成長しておったようじゃ。

 幾多の戦場と修羅場を乗り越えたガングレイブの背には、確固たる威圧を持っておる。

 周辺諸国の王族の中でも、一握りしか持たない、王の素質。

 

 王威を纏っておるではないか。


 これは面白い。僅かな期間で、この男がそれほどまでに大きく成長しておるとは。

 同時に恐ろしい。これほどの男が、野に放たれていたというのは。

 これからが楽しみでもあり、恐ろしくもある。


「よく似合ってます」

「照れるねぇ」


 じゃというのに、ガングレイブ殿の後ろにいるシュリは、隣の性別不詳の者と楽しく談笑しておる。


「そこ、何を話しておるのじゃ?」

「す、すみません」


 さすがにこれは、妾でも看過できん。少し灸を据えるとシュリはバツが悪そうに言うた。


「まあよい。シュリも相変わらずののんびりさじゃの。初めて会った時から変わっておらぬな」

「そうですか?」


 あぁ、変わっておらぬとも。

 どんな場所でもどんな地位におる者の前にしてなお己が全く揺らがぬ。

 まるで静かに流れる川よ。どんな逆境も苦難も受け止めて、変わらぬ流れのまませせらぎ続ける。

 じゃからこそ、今でも生き残っておるのじゃろうな。


「しかしシュリよ。この度は不幸であったな。不幸の中でも変わらぬのは、ある意味強いと言えよう」


 そんなシュリを嵌めるようでちょいと気が引けるが仕方がない。


「そ、そうですか。牢屋暮らしはちょっとキツかったですけど」

「おお、そうじゃそうじゃ。今回はその牢屋暮らしについての話であったの」


 よし、自然な流れで本題には入れそうじゃの。それも、こちらから問いかけられる流れで。

 初めからこの話に持っていきたかったが、ガングレイブ殿は賢い。下手に切り込めば手痛い反撃をくらっておったじゃろう。

 すまぬがシュリ、お主の失態から切り込ませてもらう。

 ガングレイブ殿も苦虫噛み潰したような顔をしておることから、マズイことには気づいておるようじゃの。


「で? どういうことかの? ガングレイブ殿、ギングス殿。我が国と懇意にしておる料理人が、不当な扱いを受けて牢屋に入れられ、今の今まで妾に連絡の一つもないとは?」

「それは、時期が時期です。こちらからニュービストへ連絡し、実際にテビス王女が来訪されるまでの時間を考えれば、ガングレイブ傭兵団もスーニティ側も、どちらが連絡したとしても遅れるのは当然のこと。

 ですが、テビス王女がこちらに来るまでの時間を考えれば、むしろこれだけ早く王女が来られた事の方が不思議ですが?」

「それは、妾がこの件について何かあるとでも?」

「いえ、特にそのような事を言うつもりはありません。ですが、その辺りの事情を話してもらってもよろしいのでは?」

「質問をしておるのはこちらが先じゃ。質問に質問で返すのは、いささか王族に対してだけでなく、外交としても悪手と思うが?」


 質問返しに対しての反撃をし、妾は思案する。


「それで? 何か申し開きはあるかの?」

「……それは誤解ですテビス王女。俺たちもこの騒動の最中、囚われの身でした。外部への連絡はおろか、身内への連絡網を敷くので精一杯だったのです」

「では、スーニティに責任があるということじゃな。それもそうか、ことの発端はスーニティ側の身内の争いじゃからのぅ。

 それで? ギングス殿。そなたはどう説明をなさるのかな?」

「そ、それは……」


 口ごもるギングス殿だが、これも仕方あるまいの。端から見たら、ギングス殿の自爆が原因じゃし。

 そも、事の発端はギングス殿が領主殿を引退させようとした仕込みを、シュリが見抜いて阻止したことじゃ。

 それをギングス殿が説明すれば、「お前のせいだ。責任取れ」で終わるしの。

 そして、情報が正しければギングス殿は軍務に関しては非凡な才能があるものの、内務に関してはからっきしと聞く。

 こういった外交的交流や交渉に関しては不得手。弱点とも言えような。


「お、俺が……」

「すみませんテビス王女。ギングスは利用された罪悪感でうまく説明ができないようですので、私が代わって説明します」


 狼狽するギングス殿のフォローに、ガングレイブ殿が口を挟んできた。

 ふーむ、タイミングがいいの。確かにギングス殿は焦りと罪悪感を交えた表情をしておる。これではまともな説明ができん。

 ここで「妾はギングス殿に聞いておる」と一蹴するのもありじゃろうが、ギングス殿が厄介な自爆をされても困る。


「まずですが……」


 ここからガングレイブ殿の詳しい説明が入った。

 まぁ妾の知っている範囲に補足が付いたようなものじゃ。

 じゃが、後ろにいる男だか女だかわからない人物の正体が、まさか嫡子として名を知っておったエクレス殿だったとは……。予想外にもほどがあるわ。


「なるほどのぅ。それは災難であったな」

「……」

「……それで? ガングレイブ殿。此度のこと、いかに始末をつけるつもりじゃ?」

「領内の管理体制の抜本的見直し。そして軍の再編成ですかね」

「それだけかの? ウーティン、例のものを」

「はい王女様」


 妾がウーティンへ指示すると、懐より包丁を取り出した。

 妾がシュリへ授けた、刻印入りの業物包丁。

 実はこれ、よく見たら相当使われた後があって、その上手入れもきちんとされておったのを、好ましく思った。

 物置に放り込まれておったから埃を被っておったが。


「あ! 僕の包丁!」


 シュリが驚いて指で示した。

 これにもガングレイブ殿が苦々しい顔をしておった。

 そうじゃろうの。刻印入りの包丁をないがしろにして、しかもそれを本人が認めた。

 上司としては、これほどマズい失態はなかろうな。


「そうか、やはりこれは妾がシュリに渡した包丁であったか。それはそれは、面白いことじゃのう」


 さて、ここからが攻めどころじゃ。

 懇意にしておる料理人への待遇、それに対する連絡ミス、事後報告もなし、そして王家の刻印入りの包丁を雑に扱う。

 これらはニュービストへの侮辱行為ととって交渉するか。

 それとも妾のシュリへの信頼を裏切ったとして追求するか。

 さて、自然と視線も鋭くなってくるもの。

 ちょっとシュリが縮こまっておるけど、今は無視じゃ。


「のうガングレイブ? 妾はこれを、王家の印を刻んで下賜したもの。それがなぜ、物置の奥から出てきたのじゃ?」

「それは」

「ああわかっておる。捕らえられておる間に、没収されておったのじゃろ? しかし、騒動から時間が経った今、これを物置に放っておくのは些かよろしくない。

 そうは思わぬか?」


 ぐ、とガングレイブ殿は口ごもった。

 さすがにこの問題に関して、ガングレイブ殿もよい解決案は出せぬようじゃの。

 さて、どうせめていくか。


 じゃが、ここで予想外の事が起こった。


「ちょっといいですか!」


 突如として、シュリが声を出して議論の腰を折った。

 タイミングとしては絶妙であり、言葉としても非はない。

 さすがの妾も止まってしもうた。


「すみませんテビス王女。話の腰を折るようでごめんなさい。

 ですが、どうかお話だけでも」


 シュリが話とは? 珍しい、この料理以外では平々凡々なこの者が、この会議に口を挟んでまで言いたいこと?


「……かまわん、言うてみろ」


 ちょいと興味が湧いた。少し構ってみてもよかろう。


「テーブルの上のお飲み物、すっかり温くなっていると思われます。新しい飲み物を持ってきますので、休憩としませんか?」

「ふむ、飲み物か。確かに、議論を続けたせいで温くなったの。

 しかし、休憩は必要ない」


 なるほど、シュリらしい切り口で来たの。これもガングレイブ殿の仕込みか?

 確かに、ここで休憩を取ればガングレイブ殿の頭も程よく冷えて、対抗策も取れるじゃろうの。

 じゃが、それを快く許すほど妾は優しくないぞ。

 妾は後ろのウーティンを目配せすると、用意させておったノーネルスを取り出した。

 本当なら、会議が終わった時にでも振る舞い勝利宣言でもしようかとか、妾の流れの中で余裕を見せて出そうとか考えておったが、まさかシュリの攻撃を避けるちょうど良い盾になるとはの。

 何が起こるかわからんな、世の中ってのは。たかが齢十(とお)を少し過ぎたばかりの小娘が言う言葉ではないがの。


「こんなことがあろうと、すでにこちらでも飲み物を用意しておる。それも、我が国で取れる最高級の果実汁じゃ。銘はノーネルス。せっかくじゃ、皆に振る舞おう」


 ノーネルス。この言葉を聞いて、向こうの陣営は驚きを隠せない様子じゃ。

 それもそうじゃろう。ノーネルスは、我が国の聖なる森にしか現存しない聖木。かつて神が、木の下で雨宿りをした際に体から滴った高貴なる雫を吸収したことにより存在の格を上げたとされる。

 その聖木に実る果実を、皮や種ごと磨り潰して汁を絞り、何も加えずに果実の味をそのまま封じ込めた果実汁。

 味は申し分なく、風味も素晴らしく色合いも美しいものの流通量が少ないことで幻とされる飲料。

 それが我が国特産のノーネルスじゃ。


「さあ飲んで見よ。我が国でも最高のものじゃ」


 グラスを配り、全員に行き渡るようにノーネルスを注ぐ。

 妾も一口、口に含んだ。

 相変わらず素晴らしき味よ。

 果実の野性味、甘さ、風味……どれをとっても一級品であろう。

 ノーネルスの等級は、総合的な味の素晴らしさで決まる。野性味、甘さ、風味。それらでランク付けされたあと、さらに王族に供されるものは色合いと匂いが素晴らしいものに限られる。

 妾が持ってきたものは王族に供されても恥とされないほどのもの。

 この場にいる全員が、その味の虜となっておった。


「これは凄いっス……!」

「初めてですが……凄いですね、これは」

「ワイも初めてや。これがノーネルス……」


 ガングレイブ殿の部下たちも、その素晴らしさを隠せない。

 口々に旨い旨いと言うておる。


「どうじゃ、旨かろう? さあ、休憩なぞ必要ない」


 これだけの美味を味わったのなら、休憩なぞいらんだろう。

 なにより、これだけの物をなんなく用意できるという、国力の示しもできた。これにより、交渉もスムーズに続くであろう。


 思えば、この日この瞬間の油断こそが、最も大きな失態であったろうに。


「あ、ちょっと待ってください」


 会議を再開しようとしたその矢先、シュリが止めを入れた。


「なんじゃ、シュリ?」

「いえ、ちょっとそのボトル貸してもらえます?」


 ノーネルスを?

 なんであろうか? 味に問題でもあったと?

 いや、そんなはずはない。今しがた味わったノーネルスに何ら問題はないはず。妾も認める美味であったはずじゃ。

 そういえば、シュリはグラスを見ただけで何かに気づいた顔をしておった。

 それがなんなのかは妾にはわからない。しかし、シュリにだけは見える何かがあったのじゃろうか?

 好奇心が湧いてきよる。


「よい。貸してやれ」


 警戒するウーティンに、妾は許可を出す。シュリが何に気づき、何をしようとするのか。この完璧な飲み物に、如何様な感想を出すのか。

 ウーティンはシュリに近づくと、ノーネルスのボトルを渡した。


「一つ。それ、貴重なもの。壊す、駄目」


 無論、釘さしも忘れてないようじゃ。

 そのノーネルスは最高級品。そう滅多に手に入るものではない。


「いえ、壊しませんよ」


 一言、シュリは断りを入れてから匂いを嗅ぐ。

 静かに、味わうように匂いを確かめ、何かを確信したように頷いておる。


「わかりました」

「そうかそうか、シュリの舌だけでなく、鼻でも最高のモノとわかったか」


 シュリは舌や料理の腕だけでなく、嗅覚も優れておったのか。

 ふふ、そうなればますますわかったはず。そのノーネルスは、非の打ち所のない、妾も認める一級品であると。


「ええ、最高はわかりますけど。

 あ、新しいグラスを人数分、隣の部屋にください。それとアーリウスさん。ご協力をお願いします」


 シュリは言い切ると、脱兎の如く駆け出し、部屋を出て行った。

 アーリウスもその後に続いて急いで出て行く。

 なんじゃ? 何をしようというのか?


「王女、様」


 ウーティンも駆け出そうとしておった。そうか、下手したらノーネルスを奪って逃げたようにしか見えぬからの。

 しかし、妾は手でそれを制した。


「いかん。ウーティンはここに残れ」

「です、が」

「お主がここを離れたら、誰が妾の護衛をするというのじゃ。それにシュリは、食べ物を奪って逃げるような愚か者でもない。おそらく、ノーネルスに何かをしようというのじゃろう」


 しかし、妾でもわからん。あのノーネルスを使って何をしようというのか。

 料理に使う? いや、想像できん。あれだけの濃さとクセのある味と野性味をどう料理に使うと?

 新作の料理に合わせて出すと? いや、この場でそれをするのは意味がわからん。今は会食の場ではない。そのような場違いをシュリがするのか?

 菓子でも作ってあったと? 確かにシュリは以前、どこぞの国で菓子を作ったと聞いておったが、今から菓子を作るのは全く現実的ではない。王族である妾を待たせて、長時間の調理作業などせぬはず。


 では、なぜ?


「テビス王女。どうやらうちの料理番が、何かをしようとしてます。どうです? 国最高峰の飲料を、あいつがどうするのかちょっと見てみませんか?」


 気づけば、ガングレイブ殿がそう提案していた。

 それも九死に一生を得たような笑顔で。

 しもうた……! 相手に時間を与えてたか!


「その必要は無かろう。料理番が調理をしている間でも、会談はできる」

「ですがね。そちらの土産物を借りているんです。会談の片手間で待たせてもらっては、失礼では?」

「妾は構わん」

「いえいえ、こちらからそちらへの、礼儀と誠意の問題ですので」


 ぐぅ、正論じゃ。ガングレイブ殿の顔に、いつもの自信が戻ってきおったか。

 確かに土産物を調理しておる間に片手間扱いで仕事をされては、普通は気分を害するじゃろうの。

 しかも、その土産物を持ってきたのが他ならぬ妾。つまりは王族。


 天晴れじゃな、シュリよ。


 お主の行動が、ガングレイブ殿の流れを取り戻した。

 仕方が無い。今は会談を中止にし、雑談からの流れで糸口の掴み直しをせねばならん。


「そうじゃの。確かにそちらの礼儀と誠意をないがしろにしては、逆に失礼となろうか」

「テビス王女は、そういった事に敏感ですね」

「無論。王族の仕事は国の取り舵だけではない。その場その場の流れを制し、国をよりよい方向に発展させることであろう。豊かさを民に分け与え、守る。民あっての国であるからの。

 民をないがしろにした国になど、栄華はもとより存続すらできぬ。我らの仕事は、民を守ることと国を富ますこと。そうであろう」

「……昔、シュリが言ってた言葉と重なりますな」

「何?」

「『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』だそうですよ」


 ……。


「人は土台と言いたいのか?」

「いえ、『どれだけ城を強固にしても、人の心が離れてしまえば世の中を治めることができない。熱い情を持って接すれば、強固な城以上に人は国を守ってくれるし、仇を感じるような振る舞いをすれば、いざという時自分を護るどころか裏切られ窮地にたたされる』だそうです。

 深い、とても深い言葉です」


 なんじゃと……。シュリがそのような言葉を?


「バカな。シュリは国を動かしたこともない一般人。そのような含蓄豊かな言葉を悟ったというのか?」

「あと、『上を見るな、身の程を知れ』だそうで。

 ああ、これは侮辱ではありません。何でも、現状を把握し、確実に一歩ずつ進めていくのが成功への近道だそうで。

 テビス王女の今と、重なりますな。今、自分ができることを冷静に見極めてなさり、民草のために動く。素晴らしいことです」


 そうであろうか?

 妾は、そのように生きておれとるじゃろうか?

 なぜじゃ。なぜシュリがそのような悟りの言葉を知っておる。

 なぜ、ここまで心を乱される?


「失礼。私如きが、踏み込みすぎました」

「いや、許そう。よい言葉を聞いた」


 いかん、酷く心を乱されておる。今一度、心を落ち着けておかねば。

 動揺は思考を鈍らせ、混乱は行動を制限し暴走させる。

 心の乱れはそれすなわち、相手に弱点を晒すようなもの。

 今一度、心を律しておかねば。


「しかし、シュリは不思議な者よな。ガングレイブ殿、あの者をどのように引き入れたのかな」


 妾は会話は続けることで、動揺を隠して心を整える。

 いつもこのようにして、精神を静めてきた。今回もそうするつもりじゃ。


「引き入れたも何も、私の陣営に迷い込んできたのですよ。あれは随分前になります。陣営のど真ん中で、財産の一つも持たずにぶっ倒れていたのですよ。今思い出しても、あれは大笑いできます」


 ははは、と笑うガングレイブ殿の顔に、もはや先ほどまでの脆さはない。

 どうやら完全に立ち直られたようだ。

 これは、また最初から仕切り直さねばならぬの。


「陣営のど真ん中で、か」

「ええ。いつの間にか陣営にいるのですから、こちらも間諜ではないかと疑ったもので。あやうく殺すところでしたが、あいつが料理の腕前を見せてくれたので、生かすことにしました。それからは真面目に働き、今では傭兵団にとって欠かせぬ人材となっております。

 私にとって最も信頼出来る料理番としてね」


 薄く微笑むガングレイブ殿。

 後ろの隊長格たちも、それに賛同するかのように頷いていたり、顔を伏せて笑っておる者もおる。

 ……どうやら、妾は大きな勘違いをしておった。


 ガングレイブ殿がシュリを手放さぬのではない。

 彼らをつなぎ止める大きな楔として欠かせぬ存在となっておる。

 それはいて当たり前の存在となり。

 もはや離れないのじゃろう。

 そんな人間を引き抜くことは、もはやできまい。


 こうなれば、妾も方針を変えねばならぬのかもしれぬ。

 無理矢理引き抜かれた楔の後に、どんな大きな厄災が起きるのかわかったものではないのじゃからの。

 しかし、引き抜くのは無理だとしてもなんとか味方に引き入れておきたいの……。

 なんせ料理の腕と機転。これは妾にとって手放しがたいものじゃから。

 いっそのこと、スーニティごと属国か何かに取り込んでシュリを我が城の宮廷料理人として常駐させるべきか?

 いや、それをしたら余計にややこしいことに。

 妾は人生の中で最も難解な問題にぶち当たったことを感じながら、雑談を続けることにした。

 当たり障りのない会話を続けておくものの、良い考えが全く浮かばぬ。

 いや、今はどちらかというとこの会談の趣旨である、レンハ・スーニティの身柄を高額で引き渡すことを考えておくかの。


 そう思っておったときじゃった。


「ただいま戻りました!」


 いきなり扉を開けてきたのはシュリじゃった。

 やりきったという顔をして、ガングレイブ殿の後ろに戻っていく。


「何をしておった?」

「ちょっと、工夫をしてました。では、配ってください」


 シュリの合図を受け、料理番と思われる者達がグラスを運んでいく。

 人数分配られたグラスを見て、妾は怪訝な顔をして問うた。


「これは……なんじゃ? シュリよ」

「名付けて、水割りです」


 みずわり?

 グラスの中にあるのは、ノーネルスと思われる飲料じゃが……。

 ノーネルスよりも遙かに透明感があり、氷まで浮かべられておる。


「みず……なんじゃと?」

「まあ飲んでみてください」


 シュリが率先して飲み始めた。

 ふむ、毒の類いではないか。ま、シュリが毒を盛るような真似などするはずがないのじゃが。

 隣のウーティンも、毒味をしようと手を伸ばしたが、妾はそれを静かに制した。

 せっかくのシュリの気遣い。無粋な真似はするまいて。


「私も保証します。これは、先ほどのノーネルスよりも美味しいです」


 しかし、次のアーリウスの言葉が妾の気に障った。

 なんじゃと? さっきのノーネルスより美味しい?

 これは、シュリの秘伝の飲み物とでも言うのか。

 聞き捨てならん。

 あのノーネルスは、妾が認める最高の物。


「ほう、言うたの。我が国のノーネルス。その中でも最高級とされ、妾でも納得してたノーネルス。それより旨いというなら試してみようではないか」


 妾はグラスに口を付け、中にある液体を飲み込んだ。

 瞬間、妾の体に電撃が奔るようであった。

 これは、なんじゃ?

 確かにこれはノーネルス。今まで妾が飲んできたノーネルスの特徴をしっかり残しているのじゃから間違いは無い。

 しかし、これは!

 とても爽やかな飲み心地であった。従来のノーネルスにはないのどごしの滑らかなこと。

 口に入ってすぐに喉を駆け抜け胃に収まるかのような、それほどの飲みやすさを持っておる。

 そして味も素晴らしい。

 ノーネルスとしての味。果実の甘さや爽やかさを持っている。それらはするりと口の中を満たしていく。

 しかし、その中にあったノーネルスの苦さや野性味が存在しない。

 本来ならそれらも旨みの一つとして受け入れられていたものじゃが、ここまで無くなるともはやあった方が違和感が生まれてこようもの。

 つまり、果実としての旨みはあれども雑味が無くなったと言えばわかりやすかろう。

 そして、氷が浮かべられていることから想像できておったが、ものすごく冷やされておる。

 元来、冷やされた飲料は王宮貴族が口にできる贅沢品である。魔法師を雇っているものなら口にできようが、そのために魔法師を雇うのは馬鹿らしい。

 つまり、最高級のノーネルスが最高の状態で出されておる。

 確かに旨い。旨いが……!


「そんなバカな……! 確かにこれはノーネルス。それも最高級のもののはずじゃ。でも、これはそれよりも上を行く別の何かじゃ!

 甘さも酸いがちょうどよく、苦みがない……! 香草の香りが鼻と口を抜けていき、後味がスッキリしておる!

 何故じゃ! シュリよ、どうしてお主がこんなノーネルスを持っておるのじゃ!」


 そう、確かにこれはノーネルスじゃ。しかし、妾が持ってきたそれよりも遙かに上をいく。

 しかしわからん、なぜこれほどのノーネルスをシュリが持っておるかじゃ。


「これ、さっき借りたノーネルスですよ」


 そう言ってシュリが出したのは、まぎれもなく先ほどウーティンが出したノーネルスのボトル。

 中身が減っておるが、その減り方はおかしかった。

 先ほどよりも、減り方が少ない。

 つまり、ノーネルスをネタに別の飲料を混ぜて作ったものじゃ。

 しかし、わからぬ。

 妾の舌でも混在する材料の味は全くわからなんだ。


「そんなバカな! 一体何を加えれば、これほどのノーネルスができるというのじゃ! 秘伝の調味料でも加えたのか!」

「いえ、シュリはそんなものは加えていません」


 否定してきたのは、アーリウスじゃった。

 そういえば、アーリウスはシュリと共に部屋を出ておったの。

 そうか。そのとき、シュリが何かをしたのも見ておったのか。

 しかし、そんなものではない?

 秘伝の調味料でも無ければ一体何を加えたというのか?


「私も最初に見たとき、信じられませんでした。まさかあんなもので、これほどの飲み物を作るなんて夢にも思いませんでした。」

「あんなもの? 氷のことか! この氷に秘密があるというのじゃな!」


 そう考えれば、納得はする。この氷に調味料を混ぜ込み、徐々に溶けていくことで味を変化させた。

 しかし、そうなれば氷が溶けきったときにまた味は変化するはず。

 これはその味の変化を楽しむためのものか? いや、そんなちゃちな仕掛けではない。

 この味は、氷が溶けることでさらに良くなっておる。無論、溶けきってしまえば味が崩れる恐れもあるが、今のところそれはない。

 わからぬ。いったい何をしたというのじゃ?!


「いえ、この氷はあくまで飲みものの鮮度を保つだけみたいです。

 これに加えたのは」


 アーリウスは一度咳払いをして言うた。


「ただの水です」


 ……は? 水?

 妾は耳を疑った。いや、疑うどころではない。今聞いた言葉は、はたして妾の頭が正しく認識したのかと、己の正気を疑った。

 たかが水? これに含まれておるのは水だけ?

 慌ててもう一度飲んでみると、言われてようやくわかった。

 確かに、薄い。

 薄くなっておるからこそ余分なものを感じず、余分なものが感じぬからこそ旨みを感じる。


「それについて説明します」


 妾の驚愕をよそに、シュリは語り始めた。


「まず、ノーネルスそのものに関して、僕はとても美味しいと思います。それは皆さんが飲んで感じたとおり、揺るぎない事実であることを前提に言います」


 シュリは一つ、咳払いをする。


「僕には濃かったんです。ノーネルスはとても濃い。その濃さこそが美味であるならば、それは間違いではありません。この考えは僕の好みであるだけですから。

 ですから、水を入れる事で薄めました。

 水で薄めることは水増しとか悪い印象がありましょうが、料理においてはその限りではありません。旨みを足そうとスープで料理を作るより、ただの水で魚の旨みや出汁を抽出した方が美味しい場合があります。

 もちろん、この水を入れるという手法は間違えれば薄すぎて食べること、飲むことそのものができなくなる危険もあります。ですが、それは間違えれば・・・・・という話です。量、使い方を間違えなければこれだけ飲みやすい、食べやすいものを作ることができる原始的手法となります」


 シュリの説明が終わったときに、妾は脱力してしまいそうじゃった。

 その通り、その通りなのじゃ。

 食べにくければ、飲みにくければ作り直す、薄めるという方法がある。

 でも、妾はそれに気づくことができなんだ。

 なぜか? 簡単じゃ。


 あまりにも『簡単』じゃから気付けなんだ。


 妾のような美食家は、旨い料理にはそれ相応の理由と技術があると思っておる。

 それは料理人のたゆまぬ努力と研究、計算と研鑽が積み重なって生まれるもの。

 しかし、このノーネルスは違う。

 ただ濃いから薄めた。それだけじゃ。



「まさか……ただの水でここまでの味を引き出すとは……」

「引き出したんじゃなくて、引いたんです。

 飲みにくい、食べにくいものを薄めて食べる。それは料理における基本です。

 美味しくて食べ易い。それこそ、料理の根本でしょうから」


 シュリの言葉に、妾は苦い顔しかできん。

 余計な表現などをせず、シンプルに美味しくて食べ易い。それを求めておる。

 じゃからこそ、シュリの料理は常に斬新であり、どこか懐かしく、美味しく、続けて食べてしまう。

 シュリの信念は、常にそれを心がけておると言うこと。

 そうか、これがシュリの料理の根本。

 すなわち、心なのか……。


「あはははは!」


 と、ここで唐突にガングレイブ殿が笑い出した。

 なんじゃ? いきなりどうしたと言うのじゃ?


「ありがとうシュリ、いいヒントだ」


 ヒント? 今の間に、シュリは何かヒントを出したというのか?

 このノーネルスに、シュリが込めた意味があるというのか?


「テビス王女、話を戻しましょう。

 私としましては、今後の領地の運営において前正妻であるレンハの身が欲しいところです」


 何!? ここでそれを持ち出すか?

 会話の流れも何も無い。

 その上、自分から欲しいものを提示してきよるとは!


「ほう、そうか。それで? ガングレイブ殿は対価として何を差し出すのじゃ?」

「無論、テビス王女は首謀者レンハを捕らえてくださった。そのお礼と身柄引き渡しに問題の無い額の物を提示させていただきます」


 ほう、物でか。

 領主の前正妻にして事件の首謀者であるレンハの身柄引き渡しの額と、王族に対する礼となると相当な額の物をもらわねばな。

 無論、これは妾のメンツの問題でもある。そして、ガングレイブ殿自身の懐の大きさを示す事にも成ろう。

 さて、ガングレイブ殿は何を差し出すというのか?

 ガングレイブ殿は少し考えてから、言うた。


「まず、大根やにんじんなどの野菜類を荷車半分ほど」


 ……は?


「次に肉類。これも荷車半分ほど」


 なに? 何を言うておる?


「さらに武具や防具も荷車半分」


 妾が呆けておる間に、ガングレイブ殿は次々に提示を続ける。

 宝石に食物、武具に防具、特産品、布、建築資材……。

 次々に物を提示しよるが、その種類が70を超えた辺りで、妾は言わざるをえなんだ。


「待ていガングレイブ殿! それはどういう考えじゃ!」

「はて? 物品としては問題ないかと」

「そういうことを言うておるのではない!」

「そういうこと? あぁ、物品が少ないということですかな?」

「そうではない! 種類に関しては問題はなかろう!」


 じゃが、妾は言わざるを得ない。

 これは言わねばならぬ。


「種類に反して物品の量が少ないとは何を考えておる?!」


 王族への報酬としては問題のない量であろう。むしろ、過剰であると言える。

 しかし、今並べた物品たちは、とてつもなく量が少ない。

 野菜類が荷車半分ほどとは何を考えておる? 宝石が箱一個とは? 武具が荷馬車半分とは?

 ガングレイブ殿はほくそ笑み言った。


「いえいえ、今のスーニティでは1種類の物品、それも金貨や食物だけという報奨を払う在庫はありません。

 種類を増やし、恥ずかしくないようにしただけです」


 っ!


「そうだとしても、これは酷かろう! なんじゃ穀物荷車半分とは?! ニュービストに戻れば、これっぽっちなぞ大した価値にならんぞ!」

「ええ、ええ。そうでしょう。ですが、他の物品も含めてお支払します。

 なんせ、今あげたものを『全て』『適正価格で』『しかるべき所に』『売れば』、反乱首謀者であり前領主正妻のレンハの身柄を引き受けるのには十分を越えて十二分の価値の物をお渡ししておりますから」


 これか、これが狙いか!


「それに加え、王族であらせられるテビス王女へのお礼の品が、荷馬車で二台や三台ではこちらとしても気が引けますので」


 む、と妾は口をつぐむしか無かった。

 なるほど、そう来たか。

 本来であれば、ここは貨幣などで払うのが普通。しかし、今のスーニティではそれを払う経済力は無い。

 そこで、広く浅く、多種多様な宝物で誤魔化そうというのじゃ。

 もちろん、それに対する価値を換算すればレンハの身柄を引き渡す額には十二分すぎるほどじゃ。妾が記憶する、今ガングレイブ殿があげた物の価値は確かにそれに該当する。

 つまり、一極集中でその物品が致命的な不足にならないよう、広く、浅く、それぞれの物品が不足せぬ程に供出する。

 それこそがガングレイブ殿の狙いじゃ。

 この策、何がタチ悪いかというと『荷馬車の数としては申し分』ないことと『価値を換算すれば問題が無い』という二点にある。

 まず、荷馬車の数であるが、これは外聞的な意味がある。

 褒賞やお礼をもらったとき、荷馬車一台だけだと帰ったときに国民からあらぬことを言われることもある。『あれだけしかもらえないと?』とな。

 荷馬車の数が少なければ質の問題となるが、荷馬車の数が多ければ量の問題。

 数を増やすことで、質を下げつつも価値を確保し、外聞的な意味合いの補強を図る。

 つまり、みてくれも価値も問題が無いとなる。

 そして、価値換算すれば問題が無い。これがこの策で一番のキモとなる。

 どれだけ贈り物が少なかろうが、価値で換算すれば恥ずかしくない。

 これは、それに関してこちらが文句を言おうものなら『これ以上の贈り物が必要ながめつい奴』と取られてしまう。

 価値で換算すれば問題ないのだから、それ以上の追求をすればまた種類を増やしてしまえばすむ話じゃ。


 なるほど、確かに『薄めた』ような策じゃ。

 一極集中の被害を、薄めて広げることで、結果的に被害を少なくする。


 しかしそれをそのまま受け入れてはならん。

 問題ないとはいえ、そのまま受け入れては妾の沽券に関わる。


「ガングレイブ殿、そちらの申し出は妾にとっても良い物じゃと思う」

「そうですか」

「しかし、今すぐ決めることでもないと妾は思う。幸い、時間はある。今日の所は、ここまでとせぬか?」


 少しでもこちらの利権を獲得するためには、今は時間を稼いで策を練り直さねばならぬだろう。

 ガングレイブ殿としても、通用するなどとは思わぬはずじゃ。


「それもそうですね。今日はここまでにしましょう。私としても、詰めねばならぬことがたくさんありますから。

 失礼で無ければ、この城のいくつかの部屋を清掃し直し滞在できるようにしますので、そちらでお泊まりいただければと思います」

「ふむ、ではそうさせてもらおうかの。ウーティン」

「はい王女様。部下にも、伝えて、おき、ます」

「それから、シュリよ」

「はいっ!?」


 シュリは驚いた顔をしておった。

 ま、こんな話の最中で話しかけられるとは思っておらんかったのじゃろうな。

 ここら辺は、普通の一般人と変わらぬように見える。


「そなたのノーネルス、非常に美味であった。今宵の食事も、期待して良いか?」

「あ、もちろんです」


 頭を掻きながら答えるシュリに、妾は期待を持って待つことにした。





「ふむ、今日はしてやられたの」


 用意された部屋に通された妾は、ベッドに腰掛けて呟いた。

 調度品などの高級品は何一つ見当たらぬ部屋であるが、ガングレイブ殿の性格が反映されてるであろう、生活に困らぬ程度の家具は置かれておる。

 おそらく、内乱による困窮から高級品の類いは売り払ったのやもしれぬ。

 ここらの考えは、経済活動としてシビアな傭兵団を引っ張ってきた経験からきてるのであろうな。

 王族を滞在させるには質素すぎると言える。


「王女様」


 妾が思案をしておると、ウーティンが入ってきた。

 無論、部屋の外にも警備兵は置いておるが、この部屋に出入りをする部下は基本的にウーティンだけじゃ。


「部屋の、中と、外。盗聴の類いの、仕掛け、ありません。罠、も、ないです」

「ご苦労」

「それ、と、防衛、の仕掛け、も施し、ました」

「わかった」


 ウーティンのこういった仕事は妾も信頼を置くほどじゃ。ウーティンがそう言うなら、本当に心配はないということじゃ。


「しかし、今日はうまくいかなんだな」

「はい。あのまま、あれを、受け入れれば、問題もある、かと」

「あの場では言えない問題じゃし、妾の方に痛みが強い問題じゃ」


 そう、問題としてあげられるならあれを持って帰ったときに、周りから『寄せ集めをもらってでも金が欲しいか』と陰口をたたかれる可能性もあったじゃろう。

 それは王族として、あまりにも受け入れ難い陰口であろうのぅ。

 王族というのは、配下として従える将軍や文官達よりも尊き血脈を持ち、何より財力を持つ。なのに拝金主義と取られては、気位に障るというもの。


「ウーティンよ。向こう側はどう行動してくると思うかの?」

「これから、会議を、延ばして、お礼と、して、ふさわしい、物を調達、するかと」

「そう来るかのぅ……」


 それも考えられるじゃろうが、あのガングレイブ殿のことじゃ。

 シュリをヒントに、さらなる予想外で攻めてくるような気がしてならん。

 妾は苦い顔して思案した。


「妾が想像するに、調達するより調整するじゃろうな」

「調整?」

「ウーティン。今のスーニティでは治められない土地という物があるのじゃよ」


 それはすなわち、鉱山や農耕地帯と言った人手が無くて開発できない土地のこと。

 確かにニュービストは、聖なる森とユユビとの戦により手に入れた鉱山地帯を有することから、資源に関して問題はないじゃろう。

 しかし、資源を採掘、生産などの仕事を調整していけば必ず人口が増える。無論、人口が増えれば兵役、労役、税収、商業、農業、学業などの発展が望める。

 増えた分だけの仕事、つまりは役職があればの話じゃ。

 過剰な人材の配分は、必ずどこかを腐らせる。楽になりすぎるような仕事があれば、そこから怠け者が生まれ、怠け者と共にいる者を腐らせる可能性もある。

 なにより、仕事がない者が生まれることがマズい。そうした人材が澱みに集まりスラムを形成すれば、国としてできる対策に限りがあることから、スラム解消に時間と労力が取られるじゃろう。

 その前に、仕事と役割を与える。それこそが、鉱山での採掘活動や農業作業となる。

 採掘活動が活発になれば、そこが鉱山村として人と物が集まる。農業ができれば土地が開発され、食糧生産が増える。働いて食っていける環境を作るという、重要な政策を行えるのじゃ。

 今、ニュービストではこの問題に直面する前じゃ。父上である陛下もこの危険に気づいておる。

 じゃから、妾としてはただの物品よりも領地の租借という形でも良いから、そういった領地をもらいたかった。

 それが、価値として十分な物品やら種類を増やしただけの贈り物を、もらえないという理由じゃ。


「しかし、シュリにはしてやられたの」


 妾は苦笑して、思い出した。

 まさかあんな、水を混ぜるという行動だけで場の流れを変えてしまうとは。


「あの、冴えない、男が?」

「そうじゃ。妾が欲したものじゃ」

「確かに、機転、と発想力は、すごい、です。ですが、そこまでこだわる、ほどで?」

「そう、こだわるほどじゃ。知らぬか? 妾がマーボードーフに感動した理由を」

「美味しいから、と」

「そう、美味しいからじゃ。しかし、ただ美味しいからじゃないのじゃよ」

「では? どのような、理由、が?」

「あれは、新たな調味料を使っておるからじゃ」

「新たな?」


 そう、マーボードーフに使われておる調味料、トーバンジャン。

 あれは現在において、この大陸のどこにも存在せぬ調味料じゃ。

 全く新しい調味料を開発する。


 それは料理界において、どれほどの偉業であろうか。


 新しい調味料があれば、新たな料理が作れる。

 新たな料理が作れれば、今まで見向きされなんだ食材の流通が生まれる。

 食材の流通が生まれれば、商業が発達する。

 空想のような話じゃろうが、実際の話、調味料開発ができればあり得ない可能性でも無いはず。

 そして、シュリにはまだまだアイディアと技術がある。


 優れた料理人であると同時に、優れた発明者でもある。


 じゃからこそ、妾はシュリを手に入れねばならん。

 今はまだ、ガングレイブ殿がその可能性に気づいておらぬからつけいる隙があったというに、今日わかったのはどうやっても手に入れられないという現実。

 なんとまあ、救えぬ話よの。


「そうじゃ。手に入らぬなら来てもらえばいいのじゃの」

「え?」

「シュリは見る限り、懸想しておる相手がおるわけでもなさそうじゃし。

 伴侶がおれば、自然と来るかの」

「女を、あてがうと?」

「嫌な言い方じゃの……。まあ、ニュービストに嫁がおればニュービストに根を張って暮らしてくれるかもの」


 良いアイディアかもしれぬ。

 問題は、女の存在じゃ。


「さて、妾が娶っても良いが」

「陛下が、怒り狂う、かと」

「じゃよなあ。じゃあ、ウーティン。お主が籠絡せよ」

「うぇ!?」


 うぇ、てお主……。


「どうせお主、恋人もおらぬじゃろ?」

「で、ですが」

「まあ半分冗談じゃ。そうなればいいなと思っただけじゃよ」


 ふむ、しかし伴侶を見つける、か。

 その線で、考えてみるかのぅ。

長らくお待たせしてすみません。

予告している時間が惜しく、最後の確認をしてからすぐに投稿しております。

これからも、よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
ただ一つ気になってしかたがない。妾がめかけとしか読めない。
[一言] キーワードの繋ぎ方が見事でしたね。
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