十七、お久しぶりと豆腐ハンバーグ・後編
2016/7/29・大幅加筆修正。二話分更新していますので、ご注意ください。
リルは、今とってもご機嫌だった。
なんでかって? 決まってる。
シュリが戻ってきたから。
もう牢獄の中なんて、行かせない。今度こそ、シュリを守る。
そして、もうハンバーグが食べられないなんて悪夢を終わらせたい。
事件から数日後。
リルたち傭兵団は城に常駐することになった。というか、一応領主にギングスを据えてるけど、実際にはギングスはスーニティ兵士の取りまとめ役。エクレスは内政担当、その一番上にガングレイブが座ってる感じ。
これには理由があって、一連の事件でギングス自身が、自分には領地を取りまとめる、内側に対する能力がないことを自覚したみたい。
だから、これを機会にガングレイブに新しい領主として据わってもらうために、いろいろな引き継ぎをしている。
「俺様には、この乱世を渡り歩く能力はない。それは今回のことで重々思い知った。
かといって、このまま俺様が領地を治めるのも問題がある。下手をすると、スーニティが消えるかもしれねぇ。
なら、せめてこの土地と民を守れる人間に、任せるしかねえだろ」
ギングスはそう言って、ガングレイブに後を任せようとしてる。
エクレスに関しては、一応の領主の立場に立って貰おうとしたけど、本人が辞退した。
内政をエクレスに、軍事をギングスにすればバランスが取れるのは分かってる。それはガングレイブが調べた結果もそうだし、仕事の出来を見れば誰だって分かること。
でも、本人はガングレイブへの引き継ぎが終わった後は、ほどほどの仕事しかしたくないって。そりゃ、そんなことは許されないのは分かるけど、そもそもエクレスは女性。
しかも、問題の渦中にあった人であり、ギングスと同様、領主の立場に立つのは本来問題がある。
エクレスも、
「ボクはもう男のフリをするのは嫌だ。これからは普通の女の子として、仕事をして恋をしたい。
あと、好きな人と所帯を持って、幸せになりたい」
とか言いながらシュリを見てた。なんだか嫌な話。ガングレイブも微妙な顔をしてた。
じゃあガーンは? と言うが、あの人にも問題がある。
父親……前領主の血統ではあるものの、妾の子。正妻の子を据えられないからって、妾の子を据えるのは無理な話。そもそも、そういう後継者問題をさらにややこしくしないようにするために、ガーンは跡継ぎの資格をもらってなかったわけだし、今回を機に傭兵団が彼を領主に据えるのは、さらに話をややこしくすることになる。
それに、シュリがその意見に対して、否定的だった。
「いやいや、ガーンさんは僕の補佐というか部下というか。まあ料理番に入ってもらうって約束してるんで。無理に領主に据えられると、僕が困りますよ」
ということなので、ガーンはシュリの部下になった。
なぜか大男なアドラとかいうのも部下になったけど、リルには興味なかった。
誰がシュリの部下になっても、シュリが無理なくハンバーグを作れれば問題ない。
ハンバーグさえ、作れれば……。おっとっと、ダークサイドに呑まれそう。
そんなわけで、ガーンの処遇も領主の問題も終わった。
後は、機を見てガングレイブに領主としての地位と権力を引き継ぐ。
ガングレイブとしては、ギングスにもエクレスにも、変わらずここで働いて欲しいみたい。
領主になって国を手に入れたとしても、そもそもそういう、領地経営ができる人が不足しているから、手を貸して欲しいのだそうだ。
その時、ギングスとエクレスには相応の立場と役職に就いてもらうんだけど、その時に問題が起こらないよう、現在は根回しをしている。
本当なら、ギングスとエクレス、そして二人の息がかかっている部下全員を追い出して、領地を手に入れれば、内々の問題は全部消せるかもしれない。
でも、それをしても領地を治めるのに必要な人材が全ていなくなり、ガングレイブも困る。
ギングスやエクレスも、この領地を追い出されたくないし、できればこの領地で過ごしたい。
こうして三人の利害は、一応のところ一致したわけ。
さて、一応の領主が決まり、引き継ぎまでの段取りが決まれば、次にやることは決まっている。
すなわち、ガングレイブとアーリウスの結婚式だ。
ガングレイブとアーリウスはかつて、約束を交わしている。
領地を手に入れたら、結婚しようと。
本当なら領地を手に入れるまで婚約すらしないはずだったけど、かつてアルトゥーリアにおいて、その甘さが危機を招いた。
シュリの機転によって危機は回避できたものの、シュリがいなかったらどうなっていたかわからない。
だからガングレイブとアーリウスは約束を前倒しにして婚約をしている。
でも、結婚式はまだだった。
もちろん、今までが忙しくてできなかったのもあるけど、一番の理由は、推測だけどこうかもしれない。
これ以上、約束を前倒しにしたくはない
大事な誓いを必ず果たし、胸を張って娶るために。
格好良く言ったけど、これが一番しっくりくる。
そして、誓いを果たすべきは今だと思う。それはリルも同意する。
だからリルは今、それに向けて動いている。
「うむ、今日はここまで」
リルは城にある、自分の研究室で仕事をしていた。
城勤めの魔工師研究員。これはリルが昔から憧れていた職業でもある。
シュリと出会う前のリルは、それはそれは傲慢で……思い出すだけでも恥ずかしい。
必ずこうなるんだと思ってたけど、シュリと出会ってからは仲間を第一に発明をしてきたから、ちょっと忘れていた。
でも、今こうしてお城に自分の拠点を作ると、こう、なんというか。
凄くやりきった感がある。
もちろん活動はこれからなんだけど、どうしてもその思いは湧いてくるもので。
今だって、ガングレイブの結婚式のための色々な道具を作っていても、これが一番目の仕事だと思うと、もの凄く感慨深いものがある。
そう、結婚式。リルの今の仕事は、ガングレイブとアーリウスの結婚式に向けての準備だ。
調度品から装飾品まで、結婚式というものはたくさんの品物が必要になる。
リルはそれを作らなければいけない。
買えばいいんじゃない? と思う人も多いけども、そこにも理由はある。
まず、お金がない。
お金がないと言っても、この城にも団にも資金はある。領地をまとめるのに資金がないなんてことはない。
それとは違って、領地経営の資金はあれども、婚約金がないのだ。
通常、こういった領主若しくはその親類縁者の結婚式というのは、婚約前にそれ相応のお金を貯めておき、いざというときに一気に吐き出すように使う。
それは、領主一族の資金力を見せつけるための国威の誇示と共に、我が子のための新しい門出の祝い金。
でも、残念なことにエクレスもギングスも、結婚の予定はなかった。
つまり結婚式に備えた資金を確保していなかったのだ。
じゃあ何に使ってたの? と調べてみると、最近ここら辺りでは雨が続き、それに伴う土砂崩れによる道路の封鎖があったらしい。その工事のために使ってた。
一応、まともな使い道で資金が使われてたし、そもそも大切な結婚式に他人の金を当てになんてできないから、ガングレイブは言いたいことを全部飲み込んだ。
じゃあ傭兵団の資金を使えばいいのでは? という話だけども、これには悲しい事情がある。
まさかこんな状況で領地を、国を手に入れることになるとは思ってなかったから、貯めてたには貯めてたけど、足りないの。
ただでさえ傭兵団は、そこにそうあるだけでも金を喰う。
前にガングレイブは言っていた。馬、装備、備蓄食料、備品、修理道具、何より戦う人間そのもの……それらは時が経つと共に金を必要とする。
馬も人間も食わねば生きていけないし、そのためには食料だっている。ケガをすれば医療道具で治療が必要だし、ケガをすれば道具だって壊れる。
それでもガングレイブはやりくりして、ここまで来た。
でも、その金が足りない。
悲しいかな、世の中は金で回っているということ……世知辛い。
だから、自分たちで用意できるものは用意して、どうしても足りないものを購入しようということに。
道具作りをリルが担当しているわけ。
ちなみに、衣装は店で、式場準備はテグとクウガ、料理はシュリが担当している。
まあ、適材適所。
アーリウス? ガングレイブは仕方ないけど、主役の一人を働かせすぎるのも問題だと思うけど。
「では、リルはご飯を食べに!」
「ちょっと待ってください、たいちょー」
すぐさま食堂へ行こうとしていたリルを、部下の一人が止めた。
……こやつ、何が目的だ?
「仕事はまだ終わってないでしょーよ」
「あれ」
部下が文句を言うので、リルは部屋の隅っこを指さして言った。
そこには、今日のノルマ分の道具があった。
燭台に、皿に、机にと。
これを見てもまだ文句があると?
「いや、たいちょーの仕事は分かりました。
でも、報告書とか使った道具の管理書の記入とか、まだやることはあるでしょ」
「……ガッデム!」
なんてこった。リルにはまだ、管理職としての仕事があるということか。
くそぅ。しかし、リルにはやらねばならぬことがある。
呆れた顔をする部下の肩を叩き、リルは言った。
「リルには、行かねばならぬところがある」
「昼にはまだはえーでスけど」
「関係ない! ハンバーグがリルを呼んでいる!」
「あ、ちょ!」
部下の制止を振り払い、リルは駆けだした。
この城の内装は全て把握している。階段の段数、廊下の長さ、扉の間隔、天井の高さ、全てを。
その情報をもとに食堂への最短距離を演算し、リルは一直線に走った。
ときに廊下の角を曲がり、ときに階段を飛び降り……。
あらん限りの力を用いて、リルは走った。走って、走って、走り続けた。
そのときだった。曲がり角を曲がったとき、誰かと併走することになったのは。
「! リルですかっ」
「……アーリウスっ!」
宿敵がいた。そう、お昼ご飯を賭けて争う強敵が。
アーリウスはリルの隣をぴったりと併走している。というより、地面から僅かに浮いて滑っている、と言った方がいいかも。
魔法を使って飛んでるんだろうけど、この極限まで無駄を削いで速さに傾倒しつつ、正確な操作技術で事故を起こさないギリギリの速度で走っているところを見ると、アーリウスもこのときに備えて訓練していたに違いない。
無駄なように見えてその実、計算され尽くされた魔法。
見事……!
しかし……。
「アーリウス。あなたは今、式場の確認をしなければいけないのでは? 主役がその場にいないのは、問題」
そう、確かにアーリウスは主役で、基本的に指示を出す側というかもてなされる側ではあるけども、だからと言って離れて良いと言う理由にはならないはず。
「それを言ったらリル。あなたには、調度品作成の仕事があるはずでしょう。たとえ、ノルマが終わって時間が空いたからといって、そこから離れて良いという理由にはならないと、進言致しますが?」
く、お互いにこの一瞬のためだけに、仕事を抜け出したというのか。
なんという恐ろしい執念……!
いや、リルは後で報告書とか書けばいいだけなんだけど。
「ほらリル。先に戻られては? 部下の方々も困っているでしょう。
私は先にシュリの所に行かせてもらいますよ。今日は、湯豆腐とね」
「それはさせない! 天地神明がそれを許したとしても、リルは許さない!」
なんとしてでも阻止してみせる!
「なるほど……リルもこのときに備えて研究と開発をしていたようですね」
「……なんのことだか」
「とぼけても無駄です。その白衣に靴、飛翔と軽量化の魔字と、衝撃緩和の魔文を仕込んでいるのでしょう? だからリルの体格でもそれだけの速度を出せる……。それだけではないでしょうけどね」
さすがは強敵。わかってる。
そう、リルの白衣にはこれでもかと魔字と魔文を仕込んでる。袖には腕力強化と防御結界。胴体には刺突斬撃爆撃打撃あらゆる攻撃に対する防御結界を。背中には軽量化と感知結界と防御結界を。裾には飛翔を。考えられるあらゆることを想定して作った。
靴にもズボンにも服にも同様の設定を施してある。これだけの仕込みをしているのは、世界広しといえどもリルくらいだと思う。
そして、アーリウスには見切れなかった仕掛け。それは体に直接刻んだ魔文。
それは重力制御。シュリに聞いた重力という存在に目を付けて作った、最高傑作。右腕に刻んだそれは、リルの体と右手で触ったものに重力の影響を与えるもの。
体を軽くすることも、飛ぶことも、触ったものを軽くして持ち上げることも、そして触ったものを重力で押しつぶすこともできる。
無論、素肌にこれを刻むのは大変危険だった。もし、作成に失敗すれば、良くても腕が吹っ飛んでるし、最悪は体が弾け飛んでいただろう。
でもリルは成功した。体に直接、魔文を刻み込み、限定的な魔法の行使を可能とする、新たな技術を。
リルはこれを、魔工回路刺青と呼んでる。でも今回は成功したけど、失敗したら大変な事になるため、他の人にするつもりはない。
それはともかく、これら全部を使ってリルは食堂に向かってるわけ。
でも、その予定も変えねばいけない。
アーリウスは言った。『リクエストする』と。
ならばリルも行かなければいけない。
シュリの元へ。厨房へと!
「ですが、私も負けはしませんよ」
ニヤリ、とアーリウスは笑った。
「私の新しい魔法、滑走飛翔は習得難易度を極限まで下げ、魔法使いなら簡単に習得でき、安全性と速度を両立させたものです。
地面からほんの僅かに、シュリから聞いた重力と相対する力を発生させて浮き、運動力だけを望む方向へ進むように使います。こうすることで、地面の凹凸に引っかからずに済みます。
訓練すれば、高速移動しながら魔法を放つこともできるでしょう。高速移動魔法部隊の設立も夢ではありません。
今は、ただ望むもののために使いますけど」
これが本当の、才能の無駄遣いってやつなんだってわかった。
最後の曲がり角を曲がったとき、リルたちは互角のままだった。
リルが両足で地形に対応しつつ利用して速度を出すのに対し、アーリウスは有り余る魔法の力を使って一定の速度を維持して走る。
リルが追い越そうにもアーリウスの速度がそれを許さず、かといってアーリウスが突き放そうにもリルが地形を利用して追いつく。まさにシュリが言ってたイタチごっこ。
負けられない戦いが、ここにある。
「「見えた!」」
とうとう厨房の扉が見えた。あともうすぐ、三秒もあればたどり着く。
この三秒が勝負の土壇場。リルはスパートをかけ、アーリウスも速度を上げる。
そのとき、リルの耳に聞き捨てならない声が聞こえた。
「それで先生、今日のお昼は何しましょう?」
何しましょう?
それはつまり、お昼ご飯が決まってないと?
そんなバカな。お昼はハンバーグに決まってる。シュリの料理なのに、ハンバーグ以外を作る、と? それを捨て置くわけにはいかない。
やはり、来て正解。
「迷ったあなたにハンバーグ」
「昼にするなら湯豆腐で」
中に入ったのは同時。リルとアーリウスは並んで厨房にゴールしてた。
ち、これでは発言の優先権がない。アーリウスも悔しいのか、眉をしかめてる。
でも心配はない。シュリは話せばわかる人。笑顔で話せばわかってもらえる。
「まだ間に合います……笑顔で話せばわかってもらえるはずですよね……。彼は話せばわかる人……」
ちぃ! アーリウスも同じことを!
でも、まだ。まだ、なんとかなる。
ということで、リルは笑顔でシュリに話すべく、一歩一歩近づいていく。
それはアーリウスも一緒だった。笑顔になって歩いてる。
こうなれば、もう笑顔の爽やかさと邪気のなさが勝負。
なのにシュリはちょっと下がってる。なんで?
そんなシュリを後ろの部下たちが押して、リルたちの前に出した。
わかってる、彼らは。そう、怯える必要もないし、怖がることもない。
こんな邪気のない笑顔だから。ニコーっと。
それでもシュリが逃げようとするから、肩を掴んで止めた。
これで話せる。
「さぁ、シュリ。ハンバーグを」
「湯豆腐ですよね」
……。
なんということ。アーリウスも同じ事を考えていたとは。肩を掴んで友好さを出そうとは。さすが宿敵、ぬかりがない。
でもやっぱり、意見の対立は避けられない、か。
リルがアーリウスを見ると、アーリウスもまた、リルを見ていた。
わかってる。ここからが本当の戦いだと。ここからは口がものを言う。
「リル。シュリも久しぶりの料理ですよ。ここは簡単なものから入って、感覚を取り戻してもらうのがよろしいのでは?」
「アーリウス。久しぶりだから、シュリには得意な料理から入らせるべき。リルはそのためにここにいる」
そう、シュリの一番得意な料理はハンバーグだ。なんせ、リルがその試食と称して頼んでるから、数をこなしてる。
それに比べて湯豆腐? ふっ、あれは昆布と豆腐を煮ただけ。手がかかる且つ美味しい且つ得意なのはハンバーグに決まってる。
「リル、私はどんな料理が来ても美味しく食べますよ。あえて、あえて、あーえーて言えば、ここで湯豆腐を出してもらえると嬉しいなぁと思って来たのです。いえ、無理には言いませんよ勿論。ですが、私の部下たちも湯豆腐を待ち望んでましたよ。あ、別のでしたらそれはそれで仕方ありません。ですが、ねぇ? 久しぶりですから食べたいと思うじゃないですか? いえいえ、無理ならそれで仕方ありませんがねぇ……」
な、なんていう話術。敵ながら天晴れと言うほかない……!
このさりげなく、かつ要点を絞った論破。
く、このままでは負けてしまう……。何か、何か戦いの流れを変えるきっかけがないと。
「待ってください。食べたいものはわかりましたから」
なんと、今の間にシュリは決めてくれてた。きっとハンバーグに違いない。
ふ、流れはこちらにあったか。アーリウス、ここまで。これでリルの勝利は確定している。
なんかシュリの顔に疲労が浮かんでるけど、きっと色々考えた末にハンバーグを選んでくれたからに違いない。
「じゃあ牛肉取ってくる」
「いえ、豆腐ですね」
なん、だと?
アーリウスをちらと見ると、アーリウスも不思議そうな顔をしてる。これは、アーリウスも勝利を確信していたということ。湯豆腐だと思ってたってこと。
「豆腐を使いましょう」
そして、死刑宣告。
なに? 豆腐? 牛ではなく豆?
バカな、そんなバカな…………!
「ハハッ。面白い冗談」
そう、冗談。冗談のはずだ。
このどうしようもない、体の中に渦巻く熱い熱い衝動を、拳に込めて打ってみた。
腰を回転させ、肩、肘、手首と力を連動させ放たれる拳は、もう少ししたら人体の限界を超えるかもしれない。
「ただ、湯豆腐ではありません」
え? 湯豆腐じゃない? なーんだ。何か別のものを作ろうとしてただけか。
とか思えない。ここまでの展開でその裏切りは許せない。
アーリウスなんて、腕を鞭と化して振り回している。リルの髪にも擦ってるけど、一、二本を持ってかれるほどの威力だ。
人体に命中すれば、皮膚が爆ぜたようにダメージを負うに違いない。
「シュリ。私の耳がおかしいのでしょうか……。豆腐と言いつつ湯豆腐ではない……もしかして、言い逃れだったのですかねぇ……もう一度聞いていいですか?」
そうだ。ハンバーグでも湯豆腐でもないものができるということだ。
そんな横暴、許してなるものか。ここまで来て、大願を成就できないなんて見過ごしていけない。
「シュリ、さぁ牛肉を手に。豆腐が冗談ならば、できるはず」
「豆腐ならば鍋と湯を手に」
笑顔、笑顔で言えば。シュリはわかってもらえるはず。
努めて笑顔にしてるはずなんだけど、何故だろう。迸る闘気が漏れ出てしまう。
「豆腐を使ったヘルシーでハンバーグのような食事です。お腹にもお肌にもいいですよ」
「シュリ、さぁ料理をしましょう。手伝えることはありますか?」
「リルもやる。久しぶりに一緒」
あはは、リルはなんで荒ぶってたんだっけ?
ハンバーグの新作が食べられるなんて、やっぱりシュリはさすが。
そっか、ただのハンバーグだと久しぶりにはふさわしくないから、新作ハンバーグで派手に祝おうって事。
ならリルも手伝わないと。
アーリウスも清々しい笑顔。なんでリルたちは争っていたんだろう?
争いや荒ぶりなど、世界には不要だというのに。
世界は、そう世界は美しく、そして残酷で、とても輝いているというのに。
ちょっと何言ってるかわからなくなってきた。
「いえ、新入りの教育も兼ねて僕たちでしますので、食堂で待ってもらえ」
その言葉を聞き終わる前に、リルたちは走り出した。
思うまま、草原を走る少年たちのような清々しさで。
調理台を越え、厨房を出て、ただ一直線。
食堂へ向かった。
目指すは、配膳台に一番近い席!
じーっと食堂の椅子に座って待ってると、なんか悟りを開きそう。
一番に席について、ずっと待ってる。
リルとアーリウスは、厨房から一足も二足も速く食堂に着くと、配膳台に一番近い席を陣取った。
とはいえ、まだ早いから人が一人もいない。人っ子一人いない。影すらない。
「……アーリウス」
「リル。私は、譲りませんよ」
ち。見破ってたか。
ちょっと早いから仕事は? と軽く攻撃しようとしてたけど、さすがは強敵。先読みしていた。
ちなみにアーリウスも何か言おうとしてたところを被せて言ったので、恐らくアーリウスも似たようなことを言おうとしてたに違いない。
本当に油断ならぬ。
「あ、隊長ここにいたんですか! 探しましたよ!」
そのとき、食堂からリルとアーリウスの部下が入ってきた。
ち、邪魔者が来たか。
「ほら、昼には早いですから戻りますよ。みんなの仕事も終わりかけてますから、隊長がいないと仕事の終わりが出せないですよ。
他にも、別の仕事だってあるでしょ。城の整備とか。ほら、戻りましょうよ」
「帰りますよアーリウス隊長。あなたがいないと部下が訓練どころじゃなくなるんですよ」
ちぃ、残りを任せてきたというのにまだ指示を必要とするか。
アーリウスも苦い顔をしてる。多分、自分がいなくてもやることやれよって言いたいんだと思う。
それはリルも同じだから、リルも苦い顔をしてる。
「すみませんね副隊長。私、最近夜が忙しいのでお腹が空くんですよ。ほら、ガングレイブが、ね」
なんと、アーリウスが顔を赤らめながら言った。
副隊長も納得した顔でニヤニヤしながら「それは忙しいですね」とからかってる。
でもリルは知ってる。そんな事実は今のところはない。
確かに、ガングレイブとアーリウスは同衾してる。でも同衾してるだけ。行為にまでは至ってない。
なぜなら、今からアーリウスが子供を作ってしまうと隊の編成に影響が出るから。前に廊下でガングレイブと子供についてあれやこれやと相談してるのを聞いた。
リルもいつか、好きな人ができてああいう会話をするのかな……とかセンチなことを考えたけど、新作料理を食べたいためにその話題を出すとは……恐ろしい子!
「ほら、リル隊長は帰りますよ」
は! アーリウスは言い逃れして残れるけど、リルは言い逃れできる理由がない!
どうする……!?
「実は夜が」
「うそつけ! 夜はずっと自分らと結婚式の準備とかでしょう! 恋人もいないくせに、アーリウス隊長と同じ理由を持ち出そうとしないでください!」
な、なぜその理由を使うとわかったのか? 完璧な流れのはずなのに……!
「こ、恋人なら」
「あ、シュリ料理長はなしですよ。遠回しにハンバーグが恋人として自分の中でバランスを取ろうとしないでください」
「さすがにハンバーグは恋人じゃない」
「ですよね……」
「あれはリルの人生そのもの」
「タチ悪いです。ほら、帰りますよ」
く、しつこい……!
「いい? これからリルはハンバーグの新作を食べる」
「お昼にはまだ早いんで、仕事してからでも良いでしょう」
「違う! ハンバーグはリルの人生。その人生に新しい光が灯されるというのなら、リルはそれを見届けなくてはならない。
リルが隊の理念として掲げる創意工夫も、元を正せばハンバーグから始まった。
わかる? ハンバーグは隊の理念。それを確かめずに否定するのはリルの否定、ひいては魔工の否定に繋がる。
魔工隊に属するのなら、理念を大事にするのがモットー。さぁ、一緒にハンバーグの新作を食べよう。大丈夫、ハンバーグは逃げない」
「論点をずらさないでください。ようするにハンバーグの新作が出るから、一番に食べたいだけでしょ?」
ぐぅ……! アーリウスの真似をしても駄目だった……。
でも気づいてない。
すでにリルは勝利していることを。
「ところで聞くけど」
「? なんですか、自分は隊長を呼んだらすぐに戻りますよ」
「今は何時?」
それを言うと、部下は外を見て太陽の位置を見た。
そして、肩をグッタリと落とす。
「……昼ですね」
「じゃあ研究室に戻って、部下たち呼んできて。昼休憩にしよう」
「……わかりました」
部下は釈然としない顔をして、食堂から出て行った。
くくく、見たか。リルはずっとこれを狙っていた。
時間的には確かに昼には早すぎた。でも部下とのグダグダなやりとりによる時間稼ぎで、昼休憩を狙っていた。
昼休憩は、隊によって時間が違う。前線に出る歩兵や騎兵たちは、人数も多く食べる量も多いことから遅めになってる。警備や訓練で時間はまばらだけど、ともかくお昼を越えた辺りで食事を取る。
でもリルたち魔工隊は違う。魔工隊は基本的に、訓練と言えば野外の野営地設置や塹壕作成、武器や防具の早期修復になる。リルのように前線に出ても戦えるほどの実力や装備を持っていないから、自然と後方担当になる。人数も少ないから、歩兵たちと昼の時間をずらして早めに食べるように決められている。
さらに今日はあらかじめ、時間が被らないように更に早く昼休憩の時間が決められている。
それを忘れていた部下。君の負けだ……。
「ちっちゃい戦いですね」
うるさい。
待っていると、シュリが料理番の人たちと一緒に料理を運んできた。
配膳台に乗せて、一人分だけを手早く取り分けて配っていく。
そして、リルたちの前にも料理が置かれた。
不思議な形。
ハンバーグ、の形をしてる。なじみ深い楕円形の肉の形。
でも、いつもなら肉汁が出て良い色に焼けているはずのそれが、肉汁があまり出てなくて白っぽい。
「シュリ、これはハンバーグ?」
「いえ、豆腐ハンバーグです」
「見た目は……ハンバーグですよね?」
見た目は確かにハンバーグ。リルの眼でもハンバーグだとわかる。
でも違う。これが豆腐ハンバーグ?
「食べてみればわかりますよ」
「そうですね……久しぶりのシュリの料理です。楽しませてもらいましょう」
「ん、楽しみ」
そう、思えばこれはシュリの料理。それも久しぶりに食べられる料理。
今までは美味しくない宿屋の料理を食べさせられて監禁されて、ハンバーグはおろかアマザケすら口にできず……。
あぁ、ハンバーグ万歳。シュリが戻ってきて本当によかった。
ではさっそく。
わくわくとしながらハンバーグにナイフを入れてみる。
でも、ここで不思議な感覚があった。
なんか、フワッとしてる。ハンバーグのフワッじゃなくて、もっと柔らかくて肉の繊維にまったくナイフが引っ掛からない。
「なんか……感触が違う」
「そうですね。ハンバーグにしては感触が異なります。なんか、フワフワしてますね」
「そうですね。牛肉と豆腐を混ぜてますので、感触は違うと思います。食感や味も違いますから、それも楽しんでもらえれば」
ほう、それは素晴らしい。
リルはこの豆腐ハンバーグを一切れ、口に運んだ。
……。
これは……新しいハンバーグ。
そう、ハンバーグ。ハンバーグのはず。ハンバーグを食べたはず。
でも肉の旨味と豆腐の食感を併せ持つ、新しい何かにしか思えない。
肉の旨味を感じながら、豆腐の優しい食感が口の中で一杯になる。ハンバーグよりも柔らかいし、かといって柔らかすぎない、嫌なネチャネチャ感がない。
なにより、脂が強すぎない。ハンバーグは切り分けたとき、その切り口から肉汁が溢れ出る。その肉汁は旨味でもあり、同時に腹を一杯にする脂でもある。晩御飯には最適な、一日の終わりを締め括るのに相応しいご馳走だけど、朝とか昼とか、体調が優れないときには食べにくいときがある。女性にとっても脂が多くて体型を気にする人がいた。リルは太らない体質だから構わず食べてるけど。
でも、この豆腐ハンバーグはどうだろう。肉と豆腐。つまり、肉の使用割合が少ないからその分脂が少ない。でも肉の旨味を余すことなく豆腐が吸収するから物足りなくない。むしろ、豆腐という優しい食感と仄かな豆の旨味がプラスされることにより、肉だけの味わいが変わってとてもよい。
そうか、これらは出会うために生まれてきたんだ。
気づけば、リルは立ち上がっていた。体の奥底、魂の喜びを表現したかった。
隣ではアーリウスも立ってた。
あぁ、リルたちは廻り逢うため今この瞬間のために出会ったんだ。
「すばらしい。豆腐との相性がよい」
「そうですね。これなら肉の脂を取り過ぎることもないです。豆腐の柔らかい食感がミンチにされた肉とほどよくかみ合って、さらに柔らかく仕上がっています」
「さらにソースとの相性も良くなった。もともと豆腐と抜群の相性を持つさわやかなソースが、ハンバーグと豆腐が一緒になったことによって相乗効果を生んでいる」
「喧嘩してたの、バカバカしいですね」
「そう、無駄な争いだった」
争いとは奪い合い。
どうしてリルたちは争うんだろう。
リルたちは迷いながら、辿り着く場所を探し続けているだけなのに。
「平和が一番(love&peace)、ですね」
「その通り」
平和が一番。
「シュリ! いるか!?」
平和に浸っていると、ガングレイブが食堂へ入ってきた。
その顔は僅かに焦りが含まれている。
これは……よくないこと。
「おお、昼時だからここにいると思ってたが、よかった。ここにいたか」
「どうしましたガングレイブさん? お昼なら、今日は豆腐ハンバーグですよ」
「そいつぁ旨そう……いやいやそういう話じゃねえ。旨そうなんだが、そんな場合じゃ」
ゴキン、ゴキン、と手首や首を鳴らしてリルは戦闘態勢に移項シフトチェンジ。
どうやら、平和のために戦わねばならないみたい。
「豆腐ハンバーグがそんな程度? ガングレイブ、その首に消えない傷が欲しい?」
「ガングレイブ。これはすばらしい料理です。それを軽んずることはいけませんねえ」
隣ではアーリウスが屈伸運動をして体を慣らしている。
迷い続けて辿り着く場所を探してるだけでも、立ちはだかる壁は乗り越えねば。
「い、いや、悪かった。ああ、悪かった。だから膝の裏への回し蹴りは止めてくれ、な?」
さすがアーリウス。夫を調教済みらしい。ガングレイブが明らかに怯えてる。
「あ、いや、急用があるんだ。お前らも来てくれ」
「これを食べてから」
「だったら急げ。これは本当に急を要するんだ」
「何かありましたか?」
「正妻、レンハ・スーニティが見つかった」
ピシ、と空気が固まった。
これはリルでも神妙にならずにはいられない。
レンハ・スーニティ。今回の出来事の元凶。
権力に溺れたバカが見つかった。それはつまり、今回の出来事の本当の始末をつけるとき。
責任を取らせ処罰する。
だが相手は一領地の領主の正妻。問題は即効で終わらせられるかどうか。
「本当?」
「ああ。見つかったと言うより、捕らえられてここに連れてこられている」
捕らえられて……?
クウガやテグの部隊が見つけたわけじゃない
「捕らえた? 誰がですか」
「ああ、テビス・ニュービストだ」
リルは一瞬にして嫌そうな顔になった。自分でもわかる。眉が歪むほど嫌な相手だ。
最近のニュービストは、凄く力をつけてる。それは食料貿易の利益や隣の鉱山地帯の鉱石発掘と田畑開発で物量が豊かになったから。
それを行う王様と重臣たちが優れた内政能力を持っているが、それだけじゃない。
その裏には天才、『美食王女』テビス・ニュービストの存在があるから。
表で王様たちが仕事をしていて、裏方でテビスが交渉や商売、各地への情報収集をしているからだ。その裏方のおかげで、表側が円滑に仕事ができる。
きっと、やろうと思えば女王として君臨することも、さらに国内の発展もできるはず。
齢十を過ぎたまだまだ幼い子供が、領内の発展に寄与し他国との外交を互角に戦う。
そんな才能の塊がここに来る理由。先刻の事件の際、シュリが囚われたことに関してのこと。
そして元凶を捕らえたという有効な交渉の手札を携えて。
「最悪ですね……」
アーリウスの言う通り、最悪としか言いようがない。
その手札を利用して何をしてくるか。
もしかしたら領内の利権を奪うかもしれないし、商売の見直しか。
とか考えるけど、ここにいるシュリ以外の皆が思ってること。
シュリの身柄が賭けられるかも、てこと。
あの王女様の、シュリに対する執着は強い。刻印入りの包丁渡してるほどだから。
「ああ、来てくれるか」
「わかりました。リル、食事は後回しです。どうしてもというなら、詰め込むなら今のうちですよ」
「わかった」
さすがのリルも空気を読む。急いで豆腐ハンバーグをかっこんで、研究室へ足を運ぶ。部下たちと魔工隊の方針を整えて臨まないと。
シュリは奪わせない。必ず守る。
今度こそ、守ってみせる。
一連の騒動は後の世で、『スーニティ内乱戦』と呼ばれることになる。
戯曲や書物にも記されることになり、多くの人間がその戦について触れることになっていく。
なにせ、大陸王ガングレイブ・デンジュ・アプラーダが最初に国を手に入れ、そこから拠点としていき、その後現在の首都となるからだ。
さて、スーニティ内乱戦の後、時代は一つの大きな出来事を迎える。
歴史家の中には、『厳密に、戦国時代が終わり始めたのはこの出来事からだ』と語る者もいる。
有識者は『歴史の大きな転換点にして、後の世に続く決定的な出来事』と語る。
学園の学生は『英雄たちが夢見た世界への第一歩で、男を見せた』と言う。
とある職業に従事する人間は『私たちの仕事の原型はここからだ』と。
その出来事は、シュリ・アズマが指揮を執ったとされる、結婚式。
魅惑と未知を混ぜ、大いに好奇心をそそる料理の数々。
その当時としては、見たことも聞いたこともない催し。
最後には、大陸王とその王妃が公然と口づけを交わす取り決め。
大陸王ガングレイブ・デンジュ・アプラーダと、真理の魔女にして王妃アーリウス・デンジュ・アプラーダの結婚式があったという。
お待たせしました。
前回の失敗を反省とし、今後とも頑張っていきますので、よろしくお願いします。