九、怒りのカレーライス・後編
ワシの治めるアルトゥーリアは、本来人が住むには難しい雪原地帯である。
偉大なる祖先が道を拓き、なんとか魔晶石と鉱物資源の利権と発掘を得ることで、この地は人が住むことが出来るようになった。魔晶石さえあれば、あとは魔工で暖房器具や採掘道具を作り、家々を建てることが出来るのだから。
そうやって、とりあえず人が生きていくために、凍死という最悪の事態を避けることが出来るようになった時、次の課題として食料の調達があった。
この地は年中雪に埋もれる地域だ。作物を栽培するには困難を極める。動物の狩猟にも獣の数が少なく凶暴で、とにかく食料の確保が課題であった。
そこで目をつけたのは、先祖より研究研鑽を積み重ねてきた魔工の技術。
魔工師の育成と魔晶石の売買に力を入れることで、他国の領地とも対等に交渉できるようになり、食料の輸入も可能となった。
ようやく訪れた、飢えもなく凍えることもない日常。
そのとき、ワシを脅かしたのはたった一本の包丁であった。
その日は、ガングレイブ傭兵団との謁見を控えておった。
ガングレイブ傭兵団。聞けば聞くほど忌々しい連中よ。
昨年の戦争。アヤツ等は敵方について戦に参加した。
そのとき、ワシらの優勢であった戦の戦況は、たった一人の女によって覆された。
アーリウス。巷では“豪炎の魔女”などと呼ばれておる魔法使いよ。
あやつはたった一人の魔法によって、山の雪全て溶かすという神の御技にも似た術を行使しよった。
圧倒的な火力の魔法と、雪原に慣れておったワシらに草原での戦闘を強いる策謀。
そして、雪原に不慣れであった奴らが得意な草原となった途端に活気づき。
ワシらは撤退をするほかなかった。
幸い、賠償請求はなかったものの、損害により国庫にダメージを負ったのは事実。
今回、奴らはワシに魔晶石の販売を要求することだろう。
目にもの見せてくれる。
「キサマらのような野蛮人に売る魔晶石はない。帰れ」
ワシは開口一番、ガングレイブに告げた。
謁見の間で恭しく頭を下げる奴らに、だ。
「そこをなんとか。俺たちの活動に必要なのです。見返りとして」
「そうだな。見返りとしてそこの女二人を、息子のメス奴隷にするなら売ってやる」
無論、そんな気は毛頭ない。
売るつもりもないし、召し抱える気もない。
精々弄んで帰らせるだけよ。
「パパー、そこの芋臭い女なんか抱きたくないよー」
「大丈夫だよ息子よ。ちゃんと薬で消毒してあげるからね」
ふっくらとした体型の息子、フリュード。
ワシが年を取ってから生まれた可愛い長子で、知識は十分に与えてある。
ただ、菓子を食うのが大好きという困ったところもあるが。
ワシにとっては愛しい子である。
「王、フルレ様。その言い分は些か良識に欠けるものかと。周囲の王族や領主に知られれば、どういう目で見られるでしょうかね」
ガングレイブはワシを非難するが、それは尤もだ。
ワシ自身、先ほどの発言から揚げ足を取られる可能性もある。
だけども、だ。取られぬ自信があるのだよ。
「それならば、そういう目で見る領地に魔晶石の販売を止めればいい。
この領地には、それだけの資源があるのだからな」
魔晶石は無限に湧いてくる。
この領地の価値はその一点において他の追随を許さぬ。
採掘量も質も、この領地は頭一つ抜けておるほどよ。
故に、魔晶石を売買する領地はワシの言葉を無視できぬし。
機嫌を損ねることもできない。
「パパ。隣の貧相な体つきの小娘はいいや」
「ふむ、ならそこの女で構わんか」
フリュードの言葉に、ワシは納得して答えた。
確かに、そこの貧相な女はワシの目的ではない。
もうひとりの女。
アーリウスを奪えば、少しは意趣返しにでもなろう。
「そういうことだ。そこの女をこっちに寄越せば、相場の十倍で二分の一の量くらいは売ってやる。悪くないだろう?」
ワシは笑みが浮かぶのを抑えられなんだ。
金も、女も、誇りも。
この憎らしい男から奪える。
愉快としか言いようがない。
「まあそういうことだ。息子にやるには田舎臭いがその女で勘弁してやる」
「……それは」
「ガングレイブ……」
悔しそうな顔をするガングレイブに、ワシの自尊心は幾分か晴れた。
笑みを浮かべるのを我慢できぬ。
さて、ここからどう虐めてやろうか。
そう思ったとき、奴が出てきた。
「やーやー。少し失礼」
道化のごとき態度で、一人の男が立ち上がった。
兵士のような体つきではなく、線が細い男だ。珍しい黒髪黒目でナヨナヨとした印象の顔つき。
何者かわからんが、無礼にもほどがある!
「なんだキサマ」
とはいえ、これ以上この場を乱せば王の威厳に関わる。
努めて静かに、だが怒りを含んだ声色で問う。
「僕はガングレイブ傭兵団の料理番、シュリと申します。
失礼ですが一つ。
王子の食されている魅惑の菓子、そちらは何処で手に入れたものでしょう」
いきなり何の話か。
ワシには理解できん。頭に来るものがあるが、ここも冷静に返す。
「……ニュービストだ。それがどうした」
「いえいえ、念の為に」
念の為、だと?
何を確かめたかったのか。ニュービストと聞いて何がしたいのか。
シュリと名乗った男が続けた言葉に、ワシは耳を疑った。
「ここで一つ、僕に料理を作らせてもらえませんか」
料理。
ここで料理を作らせろと言う。
この男、確かに料理番とは名乗っていた。
しかしここで料理とは何を考えているのか。
それに、アルトゥーリアは食糧自給が低いとはいえ、ここは王城。
宮廷料理人がいるのは当然のことだ。
「なぜキサマのような田舎料理人に食事を作ってもらわねばならん」
その宮廷料理人より、この男は旨いものでも作れると言うのか。
ありえぬ。それに毒を盛られては話にならん。
それとも単に時間稼ぎか?
ワシと話をしておる間に、ガングレイブがこの状況の打破のための作戦を練っておるとでも?
しかし、ガングレイブも驚いたまま行動できてはおらん。
そう考えると、この男の独断で行動を?
わからぬ。この男の考えが読めぬ。
この飄々とした男の真意を悟ることができん。
「いえいえ、王子様のお菓子。
僕がそれを超える魅惑の料理に変えてみせましょう」
魅惑の料理。
ワシの頭の中にスっと入ってきた言葉。
この地において極上の料理は何にも代え難いほどの価値が有る。
食材が限られたこの地で工夫を凝らした料理は、他の国の料理にも劣らぬだろう。
それをこの男は、息子の菓子を使って作ると言った。
「魅惑の料理、だと」
料理外交という手段で来たか。
それも魅惑の料理という文言を付けて、だ。
男の心理はわからん。
しかしその料理とやらに興味がある。
「はい、じゃがいもと人参と玉ねぎと肉。これだけで十分です。
これだけでそのお菓子の何倍もおいしい料理を作ってご覧に入れましょう」
それらの食材は、貿易によって入手できる我が領地の食材だ。
どれもポピュラーであり、民も購入できる。
そんな庶民の食材で、菓子を組み合わせて料理とな?
……舐めておる。
雪国の猿と侮って、ちょっと奇をてらった料理で篭絡しようというのか。
よかろう。お前もガングレイブより奪ってやる。
「……面白い。チョコとそれらで食事だと? やってみせるがいい。
不味かったらその腕、両方とも切り落とす」
「どうぞどうぞ。では調理を開始します」
ところが、腕を賭けたとてこの男は微塵も恐れを見せん。
どういうことだ。それだけ自信があるのか。
見ていると、変わった紙を取り出して料理を始めよった。
食材を手頃なサイズに切りそろえ、懐から妙な粉を取り出して焼いていく。
毒か? そう思ったが違う。香りが違う。
毒は基本的に、焼けば効力を失う。例え焼いても毒の効力を持っておったとしても、その毒は精々目眩を起こすくらいにしかならん。つまり、意味がない。
そして香り。なんとも芳しい香りよ。思わずヨダレが溢れてくるわ。
その粉に、持ち歩いていたのかバターやら小麦粉やらを加え、トロミを付ける。
そして食材を別の鍋で焼いていき、先ほどの鍋に加える。
そこへチョコを投入し、オタマでかき混ぜて蓋を閉めた。
……ちらっと見たが色が……。
「……なんだその気持ち悪い色の料理は」
なんというか茶色。
あれだけの粉を加えておいて茶色。
気味が悪いにもほどがある。
しかし、シュリという男は悪びれもせずに平気な顔をしておる。
「まあまあ、ここは一つどうぞ」
「……まあいいだろう」
これは食べるまでもなく両腕を落とすことができそうだ。
ガングレイブよ。お前がこの場にこの男を呼んでいるということは、相当重要な人物なのだろう。
その男の両腕を、ここで奪ってやろうぞ。
しかし、シュリが蓋を開けた瞬間、その考えはどこかに吹っ飛んだ。
「これは……」
ワシも息子も、それどころか後ろのガングレイブたちですら動けなんだ。
素晴らしい。香りが素晴らしいのだ。
何種もの調味料が組み合わさり、魅惑の香りとなって謁見の間を包んだ。
もはや部屋の隅にまでこの香りは広がっておろう。それほど強烈な勢いで香りが襲ってきた。
しかし不快さはまったくない。
食べておらんのに、味覚が騒いでおる。
嗅いでおるだけなのに、ヨダレが溢れんばかりの勢いだ。
「どうぞ」
「う、うむ」
食べたい。その魅惑の料理を。
皿に移されたそれは、茶色であるが人参の紅さやじゃがいもの黄色で彩られておる。
よく見れば、ただ茶色なのではない。
様々な調味料が完璧な配合と適切な温度管理によって混ざり合った姿なのだ。
毒見も忘れ、ワシはそのスープを口に運んだ。
「これは!!!?」
なんという味か。
甘い。甘いのだ。
しかしただの甘さではない。辛くて甘いのだ。
一見矛盾するこの二つの味覚。これははちみつの甘さにスパイスの辛味が見事に調和された甘さなのだ。
よく味わえば、主体としては辛味だ。
しかし不快な、舌が痛い辛味ではない。
程よい刺激。そして口全体をまろやかに包む独特の食感。
具材と一緒に口に運べば、その具材にまとわりつくスープによって極上の食材に変わる。
肉も、人参も、じゃがいもも。
どれも食べたことがないほど素晴らしい食材に変わってしまう。
匙が止まらん。
これほどの美味。ワシは味わったことがない!
「そうでしょう。私の包丁の腕も、捨てたもんじゃないでしょ」
そう言ってシュリが示した包丁を見て、ワシは血の気が引いた。
それはニュービスト王家の紋章。
この紋章が使われる物を持つのは国賓級の人物か、または王族と懇意にしておるものに限られる。
つまり、シュリはニュービスト王家より実力を認められ、またその王族と親しいことを示す。
それが明らかにするのは、我がアルトゥーリアの領地における、ある事実。
ニュービスト王家と懇意にしておる傭兵団を侮辱してしまったということ。
我がアルトゥーリア領地において、魔晶石との関係性で下に見ることができる国はたくさんある。この時代、魔晶石を多く所持せねば戦に勝てぬこともある。
魔工においても魔法においても必需品。歩兵の武器や防具の生産にも活用する領地があるため、需要が切れることはない。商売相手は腐るほどいるのだから。
しかし、ニュービストは違う。
かの国は、聖なる森を所持しておる。
あの森には大量の資源が眠り、魔晶石も発見されている。
マナが溜まりやすい特異な領地。そして我が領地と同じく無限に取れる。
そして食料生産において他の領地と比べても頭二つは飛び出ておる。
加えて我が国の主な食料輸入国でもある。
魔晶石の有利が働かず、なんとか質で貿易が成り立つ相手。
立場で言えばワシらの方が低い。
ニュービストにだけは喧嘩を売れないのだ。
「う、うぐぅ……!!」
まさか、あの時チョコを確認したのは、それを再認識させるためか。
ワシらがニュービストと繋がりを持ち、立場が弱いことも知っておったのか。
この料理は、もしやニュービスト王家と何か関係があるというのか?
匙が止まらん。旨すぎて止まらん。
しかし、止めねばニュービストに弱みを見せることになろう。
そうなれば、最悪ニュービストから何かしらの行動を起こされるやもしれん。
「王子様にもどうぞ」
「うむ!」
しかし、息子はそんな考えを持っていないようで、出された皿を喜んで受け取りおった。
お前はここで、頑として断らねばならないのに!
「美味だ! チョコがこんな美味になるとは!」
「それはどうも」
「パパ。そんな女よりこっちの料理人の方が欲しい!」
「そ、それは」
このバカ息子が! 最悪の行動を取りおって!
ニュービストとの貿易による食料供給に依存しておる我が国が、ニュービストがお手つきしている男を勧誘してしまったとあっては、何が起こるかわからん!
向こう側から何かしらの行動を起こされる前に、手を打たねば。
「これ、この粉とチョコを組み合わせればできますよ。差し上げてもよろしいです」
「本当か!!」
「その代わり、魔晶石が欲しいのですがね」
「パパ!」
「だ、黙りなさいっ。
……何が目的だ」
目的、結局それがわからん。
アルトゥーリアとニュービストの関係に付け込み、この男がしようとしていることを知らねば。
単なる魔晶石狙いとはとても思えぬ。
だめだ、このスープが美味すぎて頭が回らん。
なんたる魔性のスープ。
ワシをここまで骨抜きにするとは……!
「だから魔晶石ですよ。
相場通りの値で譲ってください」
相場通りの値で魔晶石。
この男が。『市場で取引される魔晶石の適正価格』なんて言葉を。
『そっちの失態を黙っとくんだからその分、融通するよね』を隠すために使うとは。
くそ。だめだ。
せめて、最後の悪あがきをするしかない
「……わかった。
そのかわり、息子がお前を勧誘したのは無しにしろ」
勧誘してしまった事実だけでも消さねばならん。
それが無ければ、この場は魔晶石交渉で揉めただけと言い逃れができる。
ニュービスト関係者に失礼を働いたのも、なんとかできるだろう。
だからこの事実だけでも消すことに集中せねばならん。
しなければ、破滅が待っておる。
「ええ、構いませんよ」
しかし、シュリは思いの外あっさりと応じた。
まるでこの要求の意図がわかっていないような。
ここで、わかっていないのはワシの方だと気づいた。
この男はあくまでガングレイブ傭兵団に所属する身。
目的など、我が国に打撃を与えることでも何でもない。
単純に魔晶石が欲しいだけなのだ。
包丁を見せたのも失言を引き出したのも。
全てここまでの交渉を優位にするためだけのポーズ。
ワシの立場と国の立場、そしてシュリの立場。
この三者三様の関係を手玉に取り、あるいは隠し、あるいは騙し。
ワシを謀るための伏線を張っておったのか!
ガングレイブたちが去ったあと、ワシは頭を抱えてしまいたいほど悔しかった。
終わってみれば、ワシは言いように騙されて魔晶石を売ってしまっただけだ。
こっちが攻勢であったのに、だ。
どこでひっくり返されたか。
決まっている。あの道化のような男。
シュリという存在だ。
おそらく、ガングレイブ傭兵団がここまで大きくなったのは、単純に隊長格が強くなったからだけではないだろう。
シュリという策士、料理番がいたからだろう。
あれだけの交渉力と機転、料理の知識と技術。
これらで難しい局面を乗り切ってきたのだろうと簡単に予測できる。
確かに、あれだけの料理人ならニュービストも確保したくなる。
ニュービストは食料が豊富であるからか、料理の技術も高い。
その美味珍味を食い尽くしたようなニュービスト王家が、わざわざ包丁に刻印をしてまで渡し、お手つき状態にした男。
なるほど、その評価に違わぬ男よ。
しかし、不可解なのは、それだけの厚遇を受けているにも関わらずに、勧誘を断っているシュリという男。
いったい何を考えて傭兵団などに身をやつしているのか。
「……調査の必要があるか」
何時、またアルトゥーリアに牙を剥くかわからん。
あの男について調査をしておかねばなるまい。
「フルレ様! 大変にございます!」
「なんだ騒々しい。ワシは考え事をしているのだぞ」
「それが! ニュービスト側から貿易見直しについて鳩が来ました!」
「!? どういうことだ!」
「なんでも、『我が国と懇意にしているシュリ・アズマへの不当な接触と勧誘について。こちらは貿易制裁の形をとらせてもらう』とだけ!」
情報が早すぎる!
なぜだ? どこでそれを知った!?
「まさか、スパイか!」
「は、はい。警備隊の中で一人の姿が忽然と消えているそうです!」
やられた!
こちらの落ち度である以上、弁明をせねばならない。
そして弁明には多くの魔晶石が必要となるだろう。
それも、今後の命運があちらに握られることが決定した証となってしまう。
その後、交渉の場において『美食王女』と名高きテビス殿が直接こちらに出向いてきた。
その交渉の場でかの王女は。
『不当な勧誘における制裁』と『王族懇意の人間に対する侮辱』を引き出してきた。
ここで突っぱねれば食料貿易が成り立たぬ。
結局、こちらは多くの魔晶石と賠償金を払わざるを得なかった。
この一幕は、後の世でたくさんの書物と劇作として描かれることになる。
若かりし頃のガングレイブ皇帝とアーリウス皇后の、波乱溢れる劇作。
不当な扱いを受け、アーリウス皇后を奪われるも、機転と知恵、勇気を持って愛する女を取り返す活劇となる。
この物語はたくさんの形や解釈を持って語られ、後の世の女性に人気となっていく。
しかし、この物語に正しい歴史認識である“食王”シュリ・アズマの機転についてはまったく語られることがない。
それは、別の観点でシュリ・アズマが登場するからだ。
アーリウス皇后を奪われ悲嘆に暮れるガングレイブ皇帝。
ガングレイブ皇帝が落ち込んだところで、シュリ・アズマが登場し、一発頬を殴る。
「お前は愛する女のために命を賭けられないのか」と叱咤する場面に変わっていた。
ちなみにこの劇作を見たガングレイブ皇帝とシュリ・アズマは酒の席において。
恥ずかしさに悶絶していたという。
なんとか更新できました。
反省して頑張っていきますので、これからも応援よろしくお願いします。