八、魅惑のチーズケーキ・中編
最近、ようシュリに話しかける奴が増えてきよった。
ガングレイブの命令通り、部下に監視させとる。中には露骨な距離の詰めかたをしよるもんもおって、そいつをとっちめると、ニュービストの王様にこっそり引き抜けと金を渡されとるもんもおる。
そいつは問答無用で懲罰を与えたが、シュリは全く気づいとらん。出来ればこのまま、気づかんで欲しいもんや。
こんなドロドロな謀略、あいつに知られてしもたら傷つくやろ。
歩兵隊隊長から歩兵隊総隊長として名前が変わり、クウガは凄いと回りに広まってきおった今日この頃。
ワイは少し憂鬱な気分になっとった。
なんでかって? 簡単な話や。
最近、リルちゃんとアーリウスの間で争いがあるんや。
無論、ただの喧嘩ならワイは黙っとく。首突っ込んだってええことあらへんし。当事者が相談するまで手を出さんのがワイの主義や。
ただなぁ。菓子をめぐって喧嘩すんのはガキやろ?
「アーリウス。リルはこの道具を作った。先に試食するのはリルに決まり」
「リル。あなたはほぼ毎日、好きなハンバーグを作ってもらってるでしょう? なら、今度は私の好きなものを先に試食させてもらってもよろしいのでは?」
「アーリウスは、湯豆腐をガツ食いしてる。菓子を食べたら太る」
「リルこそ、ハンバーグばかり食べてたらお腹が出てきますよ」
怖い。ワイはこんな下らん争いから発展した修羅場をどうにかせなあかんのか。
事の発端は、シュリにある。
というのも、ニュービストの商人と渡りを付けたことで、食材の販路を手に入れたときに、卵や小麦粉や砂糖がえろう入るようになったんや。
そんとき、シュリは試しにと卵焼きを作った。
砂糖で作ったもんと出汁で作ったもんの二種類、ワイも食べたが出汁の方が旨かったやんな。砂糖はちいと甘かった。
ガングレイブとテグも出汁派やった。やけんど、リルちゃんとアーリウスは砂糖派や。
うちの隊でも砂糖派と出汁派で別れてもうて、日夜どっちが旨いか議論しとる。下らんから、ワイは参加しとらん。卵焼きは出汁が一番や。無論口には出さん。争いに巻き込まれたかない。
そのとき、シュリが口走ったんや。
お菓子作ってみようかな、て。
お菓子。ワイが知っとるお菓子はとにかく甘ったるい。卵焼きの比にはならんほど甘い。甘すぎて胸焼けしたりするほどや。
菓子の価値は、使われとる砂糖の量で決まる。砂糖を大量に使えば使うほど、高級で良いとされとる。
じゃが、甘すぎて食う気にならん。それが庶民の認識や。あれに手ぇ出すんは貴族様や領主様と相場が決まっとる。
リルちゃんやアーリウスなんかは、女性らしく菓子が好きや。飴玉一つでもおおはしゃぎ。正直、あれの何が旨いんかワイにはわからん。
ともあれ、菓子作りに必要な機材を揃えて作ろうとしたとき、二人が先に食べる順番で争いよった。ガングレイブは早々に避難して、ワイに事態の収拾を命じた。殺意がわいたわ。
ちなみにテグは止めようとしてノックダウンされとるよ。きれいな腎臓打ちやった。たぶん死んどらんやろ。痙攣はしとるけど。
「お二人さん。落ち着きなや。二つ作ってもろうて、一緒に食べりゃよかろ?」
「ですが、菓子は一つずつ作られましょう?」
「そう、これは戦争。菓子第一段、その最初の一口を巡る聖戦」
「譲れない戦いが、ここにあるんです」
く、下らん。
大仰な言い方しとるけど、要するに先に食べたいだけやろお前ら。
こうなったら止まらんなあ、と困っとると、シュリがオタマ片手に二人の間に割って入った。
「お二方。そろそろその辺にしてください」
「シュリ、これは戦争。邪魔はだめ」
「ええ、これは私たちの聖戦です。邪魔はしないでください」
「ならいりませんね、お菓子。作るのやめます」
「アーリウス、一緒に食べよう」
「そうですね。世界は平和が一番です」
胃袋掴まれた人間の、醜い心変わりっちゅうもんを見た。
結局喧嘩など最初からなかったかのように振舞う二人に違和感を覚えつつ、せっかくやしワイもご相伴に与ることにした。
ちなみにガングレイブは後で持ってこさせようとしとるし、テグのやつは訓練の合間にこっちを遠くから見とる。お前ら、素直に来いや。
取り出したのは砂糖と小麦粉、チーズ、卵にバター。それと前に菓子作りの練習や言うて作ったビスケットっちゅう菓子や。
ただひとつ、奇っ怪なもんがある。
白くてふわふわした、謎のもんや。
「シュリ、小麦粉とかはわかるけど、この白いふわふわはなんや?」
「これですか? これは生クリームです。苦労しましたよ作るの」
そう言ってるうちに、ビスケットを粉々にしてバターと混ぜ、なぜか押し固めた。
そこでアーリウスに頼んで、冷やしてもろうとる。
そしてチーズと生クリーム、砂糖と卵をひたすらかき混ぜ始めよった。
何をしとるんやこれ。
「シュリ、それはなんや?」
「はぁ、はぁ、これ、は、こう、して、作るもの、なんです」
息も絶え絶えやないか。
相当な時間が経った頃、ようやっと出来たらしく、小麦粉を加えてさらに一混ぜ。
そしたらさっきのビスケットを固めたもんに流し込み、新しく作ったオーブンちゅうので焼いた。
しばらくして完成や。
「粗熱を取りたいんで、後日ですね」
女性陣二人が、この世の終りのような顔をしとるのが印象的やった。
後日、オリトルの式典にワイらが呼ばれることになった。
理由は、オリトル近衛隊と騎士団の、御覧試合の来賓や。
しかし、本来ならワイらは呼ばれる理由なんてあらへん。無論、以前に塩街道死守戦で活躍したし、ワイらのおかげで勝ったようなもんや。
だが、裏の情報では、オリトルの近衛隊と騎士団は仲悪うて、決着つけるべくこの公式試合を組んだらしい。
どうも近衛隊隊長と騎士団団長は兄弟が務めとるらしい。どちらも相当な使い手や。魔法も剣も、一級品やと聞いとる。
シュリがその話を聞いた時、ふたつの組織で協力すればいいと言っとった。
「みんなシュリみたいに考えりゃあ、楽なんやけどな」
「そうですよねえ。ところで、その式典に僕たちが呼ばれる理由は?」
「覚えとるか? 去年、塩街道の利益を巡った戦があったやろ。あれのお礼も兼ねて、今回の武芸仕合で来賓として招かれとるんや」
「なんか、唾付けに思えてしまいますね」
「その通りや。ワイらの団を来賓に招いといて、これだけ懇意にしとるんぞと周りにアピールするんが目的や。
気いつけや。シュリも狙われる可能性、あるんやからな」
ワイらの団と仲ようしたいんはあくまで貴族の事情や。
騎士団と近衛隊は、ワイをぶっ倒したい一心がある。
今回、ワイはこの試合で御覧試合することんなっとうや。
それも騎士団と近衛隊の隊長どちらかとや。
試合を見とると、どちらの部下も相当訓練で練ってあるんがわかる。
ワイに勝てるやろうか、あれだけの部下を率いる隊長さんとやらに。
試合も近づき、ワイは控え室におった。
遠くに来賓席も見える。
なんでか、シュリもここにおる。
「もうすぐですね」
「ああ、ワイはどっちとやってもエエんやけど、向こうさんの出方次第や」
「僕も実はガングレイブさんに頼まれごとをされてるんですよ」
「ほう、なんやろ」
「御覧試合で、お偉方にお菓子を作ってくれとのことです」
ほう、それは先日作ったやつのことか?
シュリはそれをいくつも取り出すと、一部を切り取ってワイに渡してくれた。
遠くでは、来賓席で同じようなもんが配られとるようやった。
切り分けたそれは、三角形で不思議な形をしよった。
なんや黄色と茶色の三角形を組み合わせたような。
「とりあえず、クウガさんに試食をとこちらを」
「これが、チーズか? チーズ言うたら酒のつまみくらいしか思いつかんわ」
酒の肴にチーズ。あれはたまらん。
そういえば、前にリルがチーズとハンバーグを組み合わせたら啓示を得た言うとったな。よう意味はわからんかったけど。
試しに匙で切ろうとすると、不思議な感じがまたしよった。
「これは……下が固くて上がほんのりと柔らかいんやな」
「上から匙で切って、下の土台もまとめて切るんです。一緒にどうぞ」
なるほど、これは土台とチーズを一緒に食うもんなんやな。
力ずくで切り取って口に運ぶと、驚いた。
甘い、けどくどくない。
でもチーズやクリームとかいう甘味はある。ビスケットやバターもや。
それだけなんや、この菓子の甘さは。
まず、上のほうは、とろけるような食感や。
ふわふわしてて、舌で砕けてまうほど儚い。
でも歯で噛めば、しっかりと食感がある。
これは下の土台が生み出す食感なんや。
上はほのかな甘味ととろけるようなコクが同居しておって。
下はこんがりとした食感とあっさりとした一瞬で終わる甘さがある。
そこら辺の市井に出回る菓子なんぞ、これの足元にも及ばへん。
まさしく、一番旨い。
「これは……半端なく旨いな。ワイ、菓子言うたら甘いんが当たり前やと思っとったわ」
「これに砂糖はほとんど使ってません。チーズと小麦粉の本来の美味しさと甘さを味わってもらおうと」
「なるほど。ワイ、この菓子なら好きやわ」
嘘やないし、遠慮でもない。
本当にこの菓子は好きや。
砂糖をくどく使わんとうても、これだけ甘さと旨さを感じる菓子はそうはない。
ワイのような甘いの苦手でも、おいしく食べられる最高の菓子や。
ちなみに女性陣二人は、とろけるような顔で食っとる。
あれは、リクエストするに違いないな。
「ちなみにこの菓子、みんなに配っとんか?」
「ええ、近衛隊の人や騎士団の人、重臣さんや王様にも配ってますよ」
ほう、そらええもん食わせてもろうとるな。
なんや力も出てきたし、いっちょやるかな。
剣を担いで舞台に上がると、なぜか騎士団団長と近衛隊隊長が二人してワイの前に立っとった。
何事やとガングレイブに視線を送ると、困ったようにゴメンのサインを出してきよった。
「失礼、クウガ殿。私は騎士団団長ブリッツ・リィンバルだ」
「我は近衛隊隊長ヒリュー・リィンバルと申す」
「ワイはクウガ。名乗るほどのもんやないけどな」
「いえ、以前の戦の折、あなたの戦いは見させてもらった」
「まさしく鬼神にふさわしき武人よ」
赤髪の刈り上げで屈強な巌のようなブリッツと、赤髪を後ろで束ねた華奢な柳の如きヒリュー。
対極のような二人やけど、強さはひしひしと伝わってきよる。
「一人では、あなたのような鬼神に対抗できぬと思い、私は兄とともに出場することに相成った」
「許されよ、クウガ殿。我らにも矜持がある。たとえ二人がかりで卑怯と言われても、負けられぬことがあるのだ」
まあ、貴族の用事なんてそんなもんやな。
「そして、ひとつ約束いただきたい」
「なんやこの状況で頼み事かい」
「図々しいのは承知の上。控え室でもらった不思議な菓子。あれはそちらの料理番が作ったものと聞いておる」
シュリのことかいな。
「我らが勝ったら、かの料理人をこちらに引き取りたい」
……はぁ?
「あの菓子は素晴らしかった。我らの不仲を直すほど」
「しかれば、その料理人を迎え、是非我らの国で料理を作ってもらいたい」
……ワイは黙ってガングレイブを見た。
あのサインは、思いっきりやれ、のやつや。
「ええやろ。ただし」
剣を上段に構え、
「勝てるもんならな」
宣告してやった。
シュリはワイらの家族や。
誰にも渡さへん。引き抜きなんてさせへん。
あいつの料理があったれば、ワイはここにおるんや。
家族を売り渡すような真似はせえへんし。
奪おうとするもんは容赦せん。
「……兄者」
「うむ、凄まじき気迫よ。むしろ鬼迫か」
ブリッツもヒリューも剣を構えた。
そして、どちらともなく、一気に床を蹴る!
ブリッツが先に出てきた、ワイの喉めがけて剣を突いてきよった。
「しゃらくさい!!!」
ワイは持てる限りの技術と身体操作を駆使し、
剣に最大の重みを乗せ、
一気に振るう!!
バキン!!
神速とも言える速度で振るわれた剣は、相手の剣を真っ二つに叩き切った。
「ば、ばかな」
ブリッツが狼狽しとる隙に、ヒリューが横薙ぎの斬撃を見舞ってきた。
振り下ろした剣を。
足首の回転から膝の回転へ。
膝から腰へ。
腰から肩へ。
肩から腕へと完璧に伝え。
再び神速の切り上げが、ヒリューの剣を中程からぶった切った。
「そ、そんな」
二人が反撃する前に、ワイは腰に下げた小剣も抜いて、二人の喉へ突きつけてやった。
「まだ、やるか?」
二人は観念したかのようで。
審判が止めの合図を出した。
「ワイの勝ちや。料理人のことは諦めえ」
すかさず釘を刺しといて、ワイは舞台から降りた。
後日、ガングレイブに聞いた話やと。
あの二人はすでに魔法を使っとったみたいやった。
剣と身体能力を強化しとったみたいやが、魔法を使えんワイが魔法をぶち抜くような斬撃を見舞ったらしい。
重臣の中にはシュリを引き抜こうとしよるもんもおったらしいが、ワイの試合を見て一気になりを潜めたそうや。
自分でも驚いとる。
あの時、シュリを奪われまいと体全ての力と技術を引き出して使った、あの斬撃。
ワイが出せる、まさしく全力全開の斬撃やった。
修行のすえ、ワイはそれを手に入れることになる。