五十八、ニュービストへの入国と麻婆茄子・後編
「して? これはどういう状況であったのかを……事細かに説明してもらおうかのぉ」
妾ことテビス・ニュービストは、こめかみに青筋が浮かぶほどの怒りを抑えながら言うた。正直声も震えておるが、これでも理性をギリギリ保っておるのじゃが。
妾の執務室にて、招いた人物は三人。
リル、テグ、そして……生きていた、シュリ。
「あの、スね。テビス王女……その」
「テグよ。妾が聞きたいのは言い訳ではないのじゃ。わかっておろう?」
妾はできるだけ、できるだけ冷静にテグへ言う。妾の怒りに当てられたのか、テグは少し震えておる。
妾は自分の執務机の椅子に座り、机の上に肘杖を突いた。重ねた手の甲の上に顎を乗せ、できるだけ笑顔になろうとした。が、無理じゃな。
机を挟んだ向かい側に、椅子を三つ。
妾から見て左にリル、右にテグ。真ん中にシュリという配置。
テグは妾から必死に視線を逸らしておったが、まぁ、気まずいってことじゃろう。
「まぁ、隠そうとしたのは、悪かった」
代わりに口を開いたのは、リルであった。こちらは震えてもおらぬし気まずそうにする様子もない。堂々としたものじゃ。
むしろなんか腹ぁ立ってくるのじゃが???
「ほう。それで?」
「でも、シュリが生きてることはギリギリまで隠したかった」
……リルがあまりに真剣そうに言うので、理由を問うてみることにした。
「何故かな?」
「……シュリはグランエンドに誘拐され、アユタ姫という人の元にいた。最後……アユタ姫は明らかにおかしかった。シュリに執着していて、手元に置いておきたいと」
「当然であろうな」
納得できなくもない。シュリの能力は、それだけの価値がある。
人のことは言えんがな。妾は納得して頷いた。
「しかし、それとこれとは話が別であろう、親しい人や世話になった人に、こっそりと知らせるくらいは」
「最後、シュリはアユタ姫に刺された」
「……なんじゃと?」
欲していたのに、刺した、とな?
「わけがわからんぞ」
「……あれは、もう病んでる。シュリに恋してるんだと思う。部下としても、人としても、男としても。シュリを手元に置いて離したくなくなってた。リルが最後に見たときは、壊れたように笑ってた」
「なんと……」
リルが淡々と説明した内容に、妾は頭痛を覚えて頭を押さえる。
背もたれに体を預けながら、天井を見上げて数秒だけ思案した。
確かにそういう事情なら、極力情報が漏れるようなことは避けたいであろう。妾は大きく溜め息を吐いた。
古今東西、恋に狂った権力者というのはタチが悪いのは歴史が証明しておる。
ちょっと歴史書を紐解けば、女に、男に、若者に、老人にと……見境なく異性や同性への恋で狂った、笑える話から笑えない話までゴロゴロと出てくるものでの。
アユタ、というのがそういう類いであるならば……厄介極まりないであろうな。
「それは、まぁ、知られたくはないの」
「それが理由」
「本当かの?」
「本当」
「ふむ」
リルと会話をしながら、シュリの方へと視線を向けてみた。
額の冷や汗を拭いながら目を逸らしておった。こういうとき、シュリの正直さは助かるのぉ。嘘じゃな。
「ふぅ」
とはいえ、妾が嘘を指摘しても仕方が無い。大方、妾とシュリを接触させないようにとかそんなものじゃろう。でも、出会った以上は無駄である。ふはは。
妾は再び机に肘を突いた。
「本題に入ろう……シュリはどこにおったのじゃ? そこら辺は詳しく話してくれるじゃろう?」
「もちろん。シュリは」
リルが次の言葉を続ける前に、ウーティンが動く。妾の後ろの窓の前に立つ。
ふわ。……と、風を感じた。おかしい、窓を開けておらんかったはず。
妾がその疑問を考える前に、後ろで何かが壁に叩きつけられる音がした。
「×××!?」
何かの悲鳴か、呻き声か驚いた声か? よくわからぬ悲鳴が後ろで聞こえた。
リルとシュリとテグが驚いた顔をする。
ははぁ、なるほど。
「ウーティンよ」
「はい」
「どうやら、狙われておるのかな?」
「……報告、に、よると、あと三人、発見しました。ここに、一人」
「なるほど、なるほど。……リルよ、これはそちらの手筈で」
「あるはずないだろ」
「で、あろうなぁ」
リルは不機嫌そうに答えた様子からして、真実であろうなぁ。ついでにシュリも驚いて戸惑っているし、テグは気まずそうな顔をして狼狽えておった。
と、なれば。妾は椅子から立ち上がり、ウーティンが取り押さえておるものを見た。
ウーティンが後ろ手を取り壁に押しつけておるのは一人の少女であった。
……妾が知る限り、見たことのない意匠の服を着ている。ウーティンに取り押さえられていながら、冷静でいる。
「ウーティン、大人しくしているのなら」
「いえ、姫、様。この、子供。大人しく、してるようで、自分の捕縛から、逃れる、タイミングを、探っておりま、す。油断した、ら、自分でも、逃れられ、ます」
ほぅ、これはかなりの手練れであるの。
ウーティンにそこまで言わせるとは……油断ならぬ。
じゃが、聞くべきことは聞かぬとな。
「シュリよ。この子はなんじゃ?」
「その子は、僕を助けてくれた恩人です! レイさん、攻撃の必要はありません!」
ほう、恩人とな。それは無体なことをした。
「『×××! ××××××××××××××!』」
……は?
妾はガバッとシュリの方を見る。一瞬、シュリが何を言ったか全く理解できなかったのじゃ。
妾の耳が遠くなったか? と疑い、自身の耳を軽く指でつつく。音や感触は大丈夫、耳に異常はない。
では、今のはなんじゃ? 空耳か? 集中力が乱れておったか?
「『××××!』」
いや、間違いない。シュリは妾には理解できない言葉を発しておる。いや、ウーティンの方を見ればこっちも驚いている。
ハッキリとした。シュリは妾たちとは全く違う言語を使っとる。妾は目を丸くしながらシュリと娘を交互に見る。
『……××××』
娘も、妾にはわからぬ言葉で話している。
『××、×』
娘はウーティンを睨みながら言った。
『×××××××。×××××、××××××××××』
「……姫、様?」
「ウーティンさん、大丈夫。レイさんは『おい、女。もう抵抗しない。さっさと離せ、仲間たちにも知らせる』と言ってます」
シュリはこの者の言葉を理解できるのか?! 妾とウーティンは驚きっぱなしじゃ。
妾は咳払いを一つしてから質問をする。
「おほん……シュリよ、この娘はなんじゃ? そこから説明せぃ」
「ええと……『××××、×××××?』」
『×××××』
二人して何かを会話してから、シュリは妾を見た。
「レイさんの許可も取れましたので、話させていただきます」
『××××××、××××』
「ええ。まず、最初からなのですが……」
そこから語られるは怒濤の内容。信じられぬものばかりであった。
まずシュリは、戦の最中に川へ落ちて流されていたらしい。その際に頭を打って、記憶を失っていたのだと。
川で流されてるところをレイと呼ばれる……ウーティンが捕らえておる少女によって助け出されたのだと。
記憶を失い、レイに助けられ、二年ほどそこで生きていたらしい。
ヴァルヴァの里と呼ばれる、暗殺傭兵団の隠れ里に。
奴隷として、二年も。
扱き使われて。
「……」
妾は思わず真顔になっておった。シュリはそれに気づかずに話を続けておる。話は耳から頭に入ってくる。
だが、心は燃えておる。よりによってシュリを、奴隷扱い、とな。
なんとまぁ、シュリはなんでこんな平気な顔をしておるのか。所有物扱いされて怒らないのじゃろうか。
「ふむ、それで……リルとテグと再会し、グランエンドの襲撃にあったと。そこにミコト、ビカ、ローケィと全員が来ており、ヴァルヴァの里の民はそこのレイと他のものたちを残し、全滅……その復讐のため、シュリと行動を共にしておると。ローケィはなんとか倒したが、他の者はどうしようもなかったと」
「まぁ、そうですね」
「ならば、話は早い」
妾は頭を冷やして冷静に考えてから口を開く。
「まず聞いておきたい。シュリはヴァルヴァの民に奴隷扱いされたこと、怒りはあるのか?」
「全くありません。助けてもらっていたので。それに……奴隷扱いとか奴隷という名目ではありましたが、まぁ、うん、想像するような人道を無視した扱いはなかったかと」
シュリは必死にレイを庇うような言動をするものの、妾は冷めたような目で見ている。
こういうのは人質になった奴が、犯行に及んだ悪人に対して同情を向けるような心境と似ているようなものじゃ。なので、こういうのを全面的に信用することなんぞできん。
妾はリルの方に視線を向けてみる。
リルは妾の疑問を察して、頷いた。
「正直、シュリの言葉は立場もあっての同情の部分が大きい」
やはりか、と妾は溜め息を吐く。
「シュリ、それは」
「ただし」
妾がシュリを諭そうとしたところ、リルが被せるように言ってきた。
「リルも戦闘に巻き込まれたときに、ヴァルヴァの民にはこれでもかと助けられた。あいつらの人となりとしては暗殺者らしいものだけど、まぁ、そこまで酷くはないのは、リルが保証する」
「テグもか?」
「オイラも同意見っス。まぁ、そこまで酷くはない。少なくとも、シュリが怒らないのならばオイラたちに怒る理由はないってほどっス」
テグの言葉は言外に「妾がシュリのために怒るのは筋違い」と言うのが伝わってくる。同時に「部外者として口出しできるところでもない」と。
それを言われてしまっては、妾としてもどうしようもない。事実、妾はヴァルヴァの里にシュリがいることも知らず、助けに行くこともせず、死んだと思って放置していた状態なのじゃから。
シュリが怒っておらず、実際に見つけて助け出した二人もヴァルヴァに対しての悪感情はすでにない。
妾は部外者でしかない。
寂しいしムカッとするが、事実である。
なので、切り口を変えよう。
「して、妾に知らせようとせなんだこと。これまでの経歴と、ヴァルヴァのこともわかった。しかし肝心なことがわからぬ」
「というと?」
リルは本気でわからないという顔をしておった。素でやっておるな、これは。
「むやみに妾に知らせるのではなく、妾に庇護を求めることもできたはず。それこそ妾に会おうとか知らせよう、ではない。ウーティンを通じ、妾と極秘裏に連絡を取り、援助や庇護などを求めようとせなんだのは何故じゃ?」
「一国の王族に、リルたちが頼めるはずがない」
「シュリとテグはそうじゃが、リルよ。お前は違うじゃろ」
妾はリルを指さして言った。
「お前はかつて、この国で暮らしておった。その際の仕事ぶりから、妾はお前を城に呼び勧誘した。その事実から、この国の庇護下に入りたいからグランエンドから守って欲しいとすれば、妾とて無碍にはせん。シュリもおる、テグもおるのじゃ。断る理由がない。
なのにそれすらせずに、妾に秘密にしたままで去ろうとしたのは、何故じゃ?」
最初の話である、グランエンドの姫がシュリに対して執着心を抱いておるのは間違いでなかろう。テグも、シュリも。当時のことを思い出して嫌な顔や嫌そうな仕草をしていたのを、妾は見逃してはおらぬ。
絶対に、何かを隠しておるじゃろ、お主っ。妾の言外の追求に対して、リルは大きく溜め息を吐いた。
「だって、生きてることを知ったら何してた?」
妾は目線を逸らした。
「住居も役職も仕事も与えるから……もう、ニュービストに住めば良いとは思わんか?」
「そうはいかんでしょ」
「そうはいかんっス」
「そうはいかない」
くっそ、こういうときだけシュリもテグもリルも、全員して言葉も意思を揃えおってからにっ!
すっとヴァルヴァたちの方を見れば、すでに話への興味が失せていたのか姿勢も態度も崩して、楽にしておった。こやつら、本当にっ。
机の下で、ギリギリと拳を強く握りしめる。全く、妾の二年近くの心配はなんだったと言うのじゃ!? 久しぶりに、死んでると思うておった人物と出会えたのに、今まで通りの態度と言動で、このっ!
「はぁー……ふぅー……!!」
「どうしました? テビス王女?」
「はぁー!! ……いや、何でもないわ」
落ち着け妾、ここで荒ぶっても怒ってもどうしようもない。仕方のないことじゃ。
シュリが心配そうな顔をしてこちらを見てくるが、妾は深呼吸を繰り返して必死に気持ちを抑えようとする。ここで荒ぶってしまっては失敗じゃ。
「まるで豚みたいな呼吸。ぶひーぶひー」
「リルゥゥゥァァァアアアアア!!」
「リルさん止めてくださいテビス王女が見たことのない顔で荒ぶってらっしゃる!!」
とうとう妾は爆発してしもうた。これ、妾は悪くない?
結局、シュリたちは城下町の宿屋に泊まることとなった。
妾は城に滞在することを許可したが、リルが頑なに拒否したからな。
「全く、強情であるのぉ」
妾は自分の執務室より、城下町を眺め呟く。
部屋の灯りは消され、城下町の灯りが良く見える。あの宿屋の一つに、シュリが泊まっている。ここにいる。
ここにいて、ここで生きてる。
死んでない。
生きているのだ。
生きているのだ、実際に。
「……フフフっ」
妾の口から笑いが漏れた。
「これほどマヌケな話があろうものかの。いやはや、いやはや……」
笑いが見えないように、右手で口元を隠す。
「亡くして惜しいと思っておった男が、実は亡くしていなかったと。気づかず、確かめようともせず、そのままにしていたとは」
目尻がぐにゃ、と歪む。
「生きておるなら、良いかの」
視線が向かう先は、シュリが泊まってるだろう宿屋の方角。
「そろそろ、シュリを本格的に手中にするために」
「姫、様」
後ろから聞こえた、最も信頼できる部下の言葉に妾は気を取り戻した。
妾は今、何を言おうとした? 何を思った?
昼間の話で、アユタの話を聞いて、妾は思ったはずだ。思い至ったはずだ。
恋に狂った権力者など、ろくなものではない、と。
……恋に、狂った??
「ウーティン、妾はっ!」
「何も、言われなく、て、良いです」
必死に弁明しようとした妾に向けて、ウーティンは冷たい目で言った。
「諦めて、いただき、ます」
「っ」
妾はその言葉に、口を閉ざす。悔しすぎて顔が怒りで歪んでしまった。
言い訳も、理由も、弁論も何もかもぶった切り、妾の考えを全て悟られた末での「諦めろ」。
ウーティンは、全てを悟って全ての要素を盛り込んで考えた末に。
「シュリを、諦めろ、と」
「はい」
「あれだけの技術を持つ料理人を、か?」
「あれだけの、料理を、作れる、男、を」
あえて誤魔化した言葉なのに、ウーティンは訂正を加えてきよる。
「諦めて、ください」
「っ……。……ぅ」
ウーティンを睨むが、全く怯むことがない。今の妾の睨み程度では無駄なのだろう。
恋した小娘程度、ウーティンにとっては全く恐れる理由がない。
「今の、あなた、は、ニュービスト、を、治める、器が、ありません」
「き、さま」
「こちらを」
そこでウーティンが、持っていたものを妾に差し出してきた。
一つの皿、そこに盛られた料理は、見慣れたものと嗅ぎ慣れた匂い
麻婆豆腐。
では、ない。
「これはなんじゃ」
「シュリ、が、久しぶりの再会に、と」
「そうか」
先ほどまでの怒りはどこへやら、シュリの料理を見た瞬間には顔がほころんでいた。
久しぶりの、シュリの料理を目にすることができたからの。
差し出された料理は麻婆豆腐……過去にシュリが出してくれたそれで、妾の大好物のものである。外見は、ほぼ同じ。
しかし、この料理には豆腐が使われていない。代わりに入れられていたのは。
「……茄子か」
「は、い。市場、にて、多く、出ていたから、と」
「ほほう」
確かに、と妾は納得した。そろそろ茄子の収穫の時期で、食べ頃であったなと妾は納得した。
再会の記念に、出会いの思い出とニュービストで今の時期に収穫された野菜を使うとは、粋なことをするものだ。
ウーティンはその料理を机の上に置き、椅子を引いてくれた。
「どうぞ」
「わかった」
妾はウーティンが引いてくれた椅子に座り、同時に用意された匙を手に持った。
さぁ、久しぶりのシュリの料理だ。幸せで沸き立つような気持ちで食事を始める。
早速、と茄子を口いっぱいに頬張った。
良き。
とても、良き。
シュリが作ったかつての調味料と、ニュービストで作られた茄子の相性はとても良い。
豆腐でないので違和感があるかと思ったのだが、そうでもない。これはこれで良い。
旬の茄子は実が締まっており、食べ応えが十分である。
茄子というものには油との相性がとても良い。調理過程で炒めたり揚げたりすると柔らかく美味しく食べることができるものじゃが、この茄子だとちょうど良い歯応えのままであるな。
この茄子を麻婆茄子として、挽き肉などと一緒に食べると最高。とても美味しい。
豆腐とは違う味わいに妾は満足しておる。辛味も前と変わらん、とは思うが茄子を使うことを考え、少し変えておるな。
「美味いのぅ」
「そう、です、か」
「うむ。シュリがいつまでこの国に滞在するかはわからぬが、是非とも城で」
「姫、さま」
ウーティンが目を伏せて言った。
「シュリ、は……リルと、恋仲で、す」
「……は?」
いきなり何を言うておる? 妾は呆けた顔でウーティンを見た。
「だから、姫様とも、可能性、はありません」
ウーティンが何故この状況でそんなことを言い出したのか。何故悲しそうに目を伏せて言ったのか。全く理解できなんだ。
理解して、涙が流れた。
「……会いに」
「行っては、いけません」
立ち上がろうとした妾の肩を、ウーティンが横から片手で押さえる。
振り払って立つことも簡単なくらいの力加減であるのだがな。なんでじゃろうか。
妾は、立てなかった。
「ここで、行けば、アユタと、同じです」
「……」
妾はウーティンから視線を外し、麻婆茄子を見た。
先ほどまで、美味しいと思って食べておった麻婆茄子。
しかし、今、今になって落ち着いて見ればなんてことはない。出会いのきっかけの料理に、豆腐だけ別物にして似ているようで別の料理をウーティンに届けさせた。
別離の料理である。
再会しても、前と同じ関係性にはなれないという意思表示である。
シュリがそこまで考えて料理を作るとは思えない。と、なれば、
「この、料理は」
「シュリが作ろ、うとしてい、たものに、リルが横から、口を挟んで、できまし、た」
「……それで? 他にも何か言うておったであろう?」
「『作ればわかる』」
ウーティンの声だけが妾の頭に木霊した。
「それ、だけ、です」
妾は完全に負けを認めるしかなかった。
両手で顔を覆い、涙を流した。
一国の王女の殻を捨て、ただ一人の、恋破れた少女として泣いた。
嗚咽を漏らして、
「う、うぅ、ううううぅう……!」
恋敵を憎んで、
「うぅぅぅう……」
自分を選ばなかった男を憎んで、
「ううぅ」
行動が遅れた自分を憎んで、
「うぅ」
でも、妾は少女ではいられないのだ。
妾はニュービストの王女である。
妾は国の政に関わる人間である。
恋に狂うことはできず、恋に恋することなど許されない。
一人の男に懸想など、恋愛などしていられない。
妾が泣いている間にもニュービストの民のためにやらねばならぬことが山ほどある。
泣いてはいられぬ、立ち止まってはいられぬ。
残念である。
心の底から残念である。
仕方がないのである。
妾は涙を拭って顔を上げた。
「良い、の、です」
そこに、ウーティンが横から妾を抱きしめてきた。
目を閉じ、妾の頭を自身の胸に優しく押しつけるようにしてだ。
「王族、としての役、割は理解できます。あなたは、そういう、立場の人だからでもっ」
ウーティンの声も震えておった。ウーティンの顔を見ようにも、頭を上げられぬ。確認ができない。
「今は泣きましょう。少しだけなら誰も見てません。誰にも知られることはありませんから、大丈夫」
妾の責任感が消え、再び目から涙が零れた。
「自分も一緒です」
王族としての覚悟が、今だけは消えた。ウーティンの胸に顔を押しつけ、
「うぅ……」
妾の口から、妾も聞いたことのないような弱々しい女の子の泣き声が出た。
一晩だけで、良いから、と。妾は泣いた。
ウーティンも震えておったが、妾が泣いていることでそうなのであろう。
そうなのであろうと、思うことにした。
残念、だったなぁ。負けちゃった。