幕間、血と愛
「その程度か、ヴァルヴァの民というのは」
小生の前には、三鬼一魔の将の一人であるミコトが立っている。
巨大な薙刀を肩に担ぎ、呆れたような顔をしてこちらを見ていた。
『(……情けない、小生の腕も、衰えた、ものか)』
小生は割られた額から流れる血を拭い、ミコトを睨む。
横目で見れば、すでに胴を袈裟切りに深く切られたノーリが、今にも死にそうな息の仕方をしている。
情けない、なんと情けないことか。
代々引き継いできたヴァルヴァの里、その血脈を僅かに残すことはできたものの、小生の代で里を失うこととなろうとは。
ご先祖様たちに顔向けができない。
「衰えた? 『(何をバカな、ただ私が強すぎるだけだ。お前の腕など関係ない)』」
『(言うねぇ。小生が全盛期なら、お前なんて一捻りだぞ)』
これは強気とかじゃないぞ。事実だ。外見は秘術にて若々しさを保っている小生だったが、体の中や筋肉、反射神経は著しく衰えてる。
今だって息切れをしているが、昔だったら息切れどころか疲労すらないんだよなぁ。
「さて、そろそろ時間だ。『(ここで長居をしても意味はない。仕留めさせてもらうぞ、セェロ)』」
『(来い、せめてお前は相打ちにて仕留める)』
ミコトが大上段に薙刀を構え、小生は地に伏せる狼の如く体勢を低くする。
この一瞬、たとえ首を飛ばされようと小生はミコトの喉仏に食いつき、絶命させる。
それだけの覚悟を持っていたのだが……。
「おーい。戻ったぞぉ」
そこにビカが戻ってきた。
あいつ、ゼロたちを追ってたはず。小生が一瞬だけそちらに気を向けた。
ミコトは戦闘態勢を解いてビカへ呆れたような顔を見せる。
「おい、私はヴァルヴァの血を絶やせといったのだが。もう終わったのか」
「いやー。協力者が死にかけてたから、そっちのフォローだなぁ」
「……隠れて見てただけか? さっさと追いついて殺せば」
「あそこにテグがいた」
ピタリ、とミコトの体が止まった。
「……そうか。ガングレイブの元から出奔した三人の隊長格。リルだけかと思っていたが、テグもここにいたのか」
「さすがにヴァルヴァの子供四人にリルとテグ、この六人相手じゃヨンと協力したって勝てねぇよぉ。ローケィの二の舞はゴメンだぁ」
「それもそうか。ローケィを失ったのは痛いが、次の将の候補はいる。いたずらにお前まで失うことはない」
「だろぉ?」
「それで? 協力者は?」
「森の奥で、俺の部下に治療を任せてるぅ。ちょっと深手を負ったみたいでなぁ」
「死なれても困る。彼は今度から、三鬼一魔の諜報員として働いてもらわねばな」
「そういうこったぁ。リルとテグ、あとヴァルヴァの子供と……もう一人、白と黒の斑髪をした男の七人が、外から出てったなぁ」
ミコトとビカの言葉を聞きながら、小生は安堵の息を吐いた。
実のところ、小生は外の言葉がわかる。聞き取ることができるんだ。それをおくびにも出さず周りにも悟られないようにしていた。いざというときのために、だ。
内容から察するに、子供たちはみんな無事逃れたらしい。
これでヴァルヴァの血脈は保たれる。
受け継いできた技が途絶えることは、ない。
あの子たちには、もうヴァルヴァの技を引き継ぎ、修練が終わっているはずだ。
問題はない。
「それでぇ? セェロはここでどうするんだぁ?」
「もちろん殺す。ヴァルヴァの血は絶やす、それがギィブ様の指示だ」
「でもなんでだろうなぁ? なんでヴァルヴァの血を絶やす? こいつら、ほっときゃいいじゃんかよぉ?」
ビカの言葉を聞きながら、小生も頭の中で反芻する。
確かにこいつらがヴァルヴァの里を襲う理由はない。ヨンが裏切ったとしてもこいつらが話に乗る理由がない。
小生は表情に出さずに、必死に理由を考える。
「簡単だ。こいつらが残している記録が欲しい」
ミコトが言った。
「ギィブ様はいずれ、この大陸を制覇するお方だ。できるだけ正確な歴史を記した書物が欲しいらしい。歴史は情報の塊、さらにヨンの話だと記録はヴァルヴァの目線から見た、あらゆる国の暗部や後ろ暗いことも記していると聞く。この情報が手に入れば、より一層他の国よりも優位に立てるだろう。私はそう聞いている」
……なんだと……? あの本が、欲しいだけ? あの記録を、見たいだけ?
確かに小生たちヴァルヴァの民は、日々の日常や任務で得た情報、国の裏側や出来事、世の中の動きを事細かに記録するようにしている。それも、任務の失敗やヴァルヴァにとって隠したくなるような闇に葬るべき事件、汚辱、恥辱、残したくないようなものに至るまで全てだ。
なんでそうするか? それはヴァルヴァ成立より数世代のちの里長が命じたこと。目を背けたくなるような歴史の出来事こそ、成功や栄光の記録よりも失敗や凋落の記録こそが、未来に残すべき財産であり教育である、ということだからだ。
里長となった小生が最初にしたのは、記録を全て読み漁ること。これは全ての里長がすべき、最初の任務で義務だ。
思わず小生ですら目を背けたくなったよ。小生が誇りに思っていたヴァルヴァが、醜い争いや権力闘争を行っていたことも書いてあった。華やかに見えたかつての先達たちが、裏側では信じたくなくなるような汚い手段で任務を達成していたことを。
思い出したよ。小生が子供の頃、里長に選ばれた大人が次の日には死んだような目になり、そのまま里を立派に治めていた。
『(そうか……あの膨大な記録を……)』
思わず小生は呟く。
歴代の里長たちが立派に里を治め、みんなに的確な指示を出せていたのは、あの記録があったからだ。
記録書はヴァルヴァの財産であり、ヴァルヴァがヴァルヴァであるための文化的遺産だ……。
あれを奪われるわけには、いかない……。
『(動け……小生の体よ……ここで小生が死ぬのは避けられぬ……子供たちはすでに逃げたはず……里に、里に生き残っているものに……あの記録書を奪われぬように指示を……出さねば……)』
途切れ途切れの呟き、さすがにこの声量ではミコトは聞こえてないはず。
小生は体を揺らし、道具を取り出そうとする。ミコトに気づかれてはならぬ、ビカに悟られてはならぬ。
「でぇ? 俺はどうするぅ?」
「兵士たちに指示を出して、記録書の捜索と運搬の準備を整えさせろ。私はここでセェロとノーリにトドメを刺す」
「容赦ねぇ。まぁ、セェロを殺さねぇといけねぇのは確かだぁ。こいつに勝てるの、リュウファかお前くらいだろぉ? コフルイもネギシも無理だからなぁ」
「そういうことだ。さっさと行け」
「了解ぃ」
ビカは里に足を向ける。記録書を奪われるわけにはいかない。だけどミコトはこちらに警戒していて隙がない。背を向ければ一瞬で殺される、ビカを止めなければヴァルヴァの歴史が死ぬ。
記録書を運び出すか……無理だ、記録書はすでに数百冊に及ぶほどの量。生き残っているものがほとんどいないヴァルヴァの里の民では運ぶことはできない。
なら、燃やすか壊すかしかない。文化を奪われるなら、奪われる前にヴァルヴァの民の手によって闇に葬ろう。
「じゃ、行くかぁ」
ビカが歩き出した瞬間、予想だにしないことが起きた。
いきなりノーリが立ち上がり、ビカ目掛けて棒手裏剣を放つ。
「ん、はぁ!?」
ビカは驚きながら身をよじらせて避ける。ミコトも突然のことで動けず、小生もノーリの顔を見ていた。
ノーリの顔に、覚悟のそれが見えた。
小生はすぐに懐に手を入れ、導火線の付いた球を取り出す。
それを地面に叩きつけると、その場に爆発と煙を撒き散らした。
『(すまん、ノーリ)』
小生が一言だけ呟くと、微かにだが返事が来る。
『(行ってくだされ、里長さま。あとを任せます)』
うむ、うむ。小生は必ずやり遂げよう。
「くそぉ! 見えねぇじゃねぇかよ!」
「落ちつけ……そこか」
後ろでブォン、と大薙刀が振るわれる音が聞こえた。
同時に、肉を裂き骨を砕く深い音も。
すまぬ、ありがとうなノーリ。
小生が里の中を走ると、すでに兵士たちは捜索活動に入っているらしく、一人一人が疲労している様子。
当然だ、ヴァルヴァの民は弱くない。一人一人が暗殺者であり、一瞬で死兵と化す。例え勝利したとしても、被害は甚大になるだろうさ。
地面を見れば、笑顔のまま死んだ青年の姿がある。体中を切り刻まれているが、ヴァルヴァの民としての矜持を示せたようだな。
『(ご苦労であったな。ゆっくり休め。安心しろ、ヴァルヴァの血は絶えておらんからな)』
地面に膝を突き、事切れた青年の頭を軽く撫でる。そして開いていた目を閉じておく。
ヘトヘトのまま作業をしている兵士たちに、里を襲われた怒りのまま飛びかかるのは簡単だ。小生が全てを捨ててやればいい。
だけど、ヴァルヴァとして育てられた小生の生き様が、それをすぐさま否定する。
ヴァルヴァとして育ち、ヴァルヴァとして誇りを持ち、ヴァルヴァとして死ぬ。
ここにいるヴァルヴァのみんなは、その誇りを大切にしておる。小生が怒りのまま仇討ちなんてしようものなら、あの世でみんなに怒られてしまうな。
小生はそのまま、里長の館へと向かう。兵士が何人かおり、すでに中にいるのが、遠目から隠れていても見える。
建物の影より兵士を確認した小生は、安心する。
どうやら記録はまだ見つかってないらしい。あんな探し方では、記録は見つけられぬからな。
里長の館には、いくつもの隠された脱出路がある。それは知らぬものが館の中にいても、どこにあるか気づかぬように細工されているのだ。
その脱出路の一つに、記録を保管している隠し倉庫と繋がっているものがあるんだ。今回はそれを、逆から辿る。
里長の館を離れた小生は、兵士たちに見つからないようにしたまま訓練場に足を踏み入れる。
ここには誰もおらず、追っ手が来た様子もない。
『(ここに人がおらぬなら、倉庫は見つかってないな。倉庫が見つかっているならば、ここまでの道もすでにバレているはずだから)』
小生は訓練場にある建物に入る。ここは訓練に使う手裏剣、木剣と様々な用具が置かれているのだ。
その奥、角の床。周りとみても同じ色をした部分にあるくぼみに、小生は指を入れて持ち上げる。
ここに倉庫と館、どちらにも繋がる隠し通路があるのだ。記録がある倉庫そのものが、隠し通路の途中にあるのだ。
実のところ、隠し通路を介さない記録を保管した倉庫は里のどこにあるのかと言うと、建物の一つに擬態を施してある。ここと館の中間にある、一見すると民家に見えるそこにだ。
だが、そこから倉庫へ行こうと思うのならば、ある特殊な仕掛けを解かねばならぬ。もはや崩壊したこのヴァルヴァの里でその仕掛けを使うことは、二度とないのだがな。
記録は普段、ヴァルヴァの民が仕事先から送ってくる報告書を元に作成し、保管し続けている。
小生は隠し通路に入り、床を戻して先に進む。中は整備されていて、走っての移動も可能だ。
走ってる途中で、小生は懺悔を呟く。
『(すみませぬ、ご先祖さま方々。小生の代でヴァルヴァの里は崩壊してしまいました。罪深く里長として至らなかった小生は、間違いなく皆様と同じところには行けぬでしょう。せめて、せめて歴史だけでもお守りいたします)』
ヴァルヴァの歴史は長く、深い。何代も何代も世代交代を繰り返し、里長が何人も入れ替わり、何人も死んで、死んで、死んで。死体を積み上げ。
その何倍も、無事に生まれてきた子供たちを祝福した。
死ぬことが珍しくない職業である以上、新しく生まれる命は尊く素晴らしいものだからな。
同時に、小生は気づいていた。
ヴァルヴァの血は、限界が近かったのではないかと。
ゼロたち以後から生まれた赤ん坊には、何かしらの病気や体の弱さが見えていた。
今は気にするほどのものではない。体を鍛え、健康に気を遣い、体調の改善をちゃんとすればちゃんと生きられる。ヴァルヴァの技術には、そういうものもあるから。
だが……これがあと何代も血を重ねていけば……。
昔、どこかの国の医療の記録を残したものを見たことがある。人間は、血が濃すぎると体に不調が多くなると。
ヴァルヴァもまた、血が濃くなってしまったんだろうな。
『(……そう考えたら、シュリとリルが来たのは救いだったのかもしれぬな。みんなは反対するだろうが、小生の主導で外から人を入れ、血を薄める政策は必要だった。あの二人……恋人同士で気が引けるからリルは駄目だが、シュリの方には頼めばなんとかなったか? いや、リルに殺されるか。
どのみち、限界だったのかもしれんな。だが、小生の代で終わらせていい理由にはならんが)』
自分の不甲斐なさに自嘲する。こういう事態を避けるのも、里長の仕事であったはずなのに。
しかし、もはや何もかも遅く、新しい芽はすでに旅立った。
ゼロたちが生き残ればヴァルヴァの血は続き、血が濃すぎる問題も解消する。
全ての技を伝承したことで技術も途切れぬ。
あの子たちならいずれ、新しいヴァルヴァを作るだろう。その未来を、あの世で楽しみにすることにしよう。
『(……これは)』
隠し通路を走りきり、小生が記録が収められた隠し倉庫にたどり着いたとき、そこにあったのは凄惨な戦闘のあとだった。
一人の男性が地面に突っ伏して血を流して死んでいる。手にはヴァルヴァ流で使う剣が。
そして、もう一人の女性は棚に背中を預けて、鼻に横一文字のと体中に細かい切り傷を受けて血まみれで浅い息をしている女性が。
『(スィフィルか)』
『(……あ、里長、さ、ま……)』
閉じていた目を開き、スィフィルは小生の目を見る。もはや目に光はない、もうすぐ彼女も死ぬだろう。
すまぬゼロ、レイ。お前たちの両親を、救えなかった。
『(こいつ……ヨンの父親の)』
『(はい……襲撃があったとき、この人が真っ先にここに向かったのを、不審に思いまして……追跡すると、兵士たちを伴ってここへ……)』
『(兵士たちは?)』
『(人知れず、消しました。最後にこの男と差し違えて……ああ、最後に役目を果たせて、良かったです……)』
スィフィルは満足そうにしながらヨンの父を見る。ああ、この女も骨の髄までヴァルヴァだ。自らの死よりも、役目を果たせたことを喜んでいる。
小生も薄く微笑みながら、スィフィルの頭を優しく撫でる。
『(ああ、ああ。よくやった。スィフィル……ノーリが待っているぞ)』
『(あら、そうですか……あの人は、どうでしたか?)』
『(小生をここまで来させるために、最後の命を使ってくれた)』
『(あらあら……さすが私の夫……ご立派ですね……)』
嬉しそうに微笑んだスィフィルは、震える手で部屋の隅を指さした。
その先には、ちろちろと燃える木の棒と大量の油。
『(最後に……火は、用意しました……ここを燃やして……)』
『(ああ。ゼロたちは無事に逃げおおせている。あの子たちがヴァルヴァの血を継ぐだろう。だから大丈夫だ。
スィフィル、一人で逝くのは寂しかろう。小生もともに逝く、怖くはないぞ)』
『(駄目です、里長さま)』
スィフィルは突然、目に光を宿して小生の胸に手を当てる。
押してるつもりなのだろうが、力が入っていない。まさしく最後の力を全て使って、意識をしっかりと保っているんだろう。
『(里長さま。あなたは生きねばなりません。あなたを最後の里長にしてはいけません)』
『(なんだと?)』
『(ゼロたちが逃げたのは重畳。しかし、里長さまはあの子たちを守りヴァルヴァの全てを授けてください。そして、逃げた子の中から次代の里長を決め、しっかりとその座を譲るのです。それが、あなたがやるべき最後の役目です)』
『(小生に生き恥を晒せと言うのかっ)』
『(そうです。ヴァルヴァの里が崩壊した代である里長さまが、セェロさまが。しっかりとこのことを次の代に伝えるのです。そして、我らの報復をなさりなさいませ。あの子たちとともに)』
スィフィルの強い瞳と言葉に、小生は言葉を詰まらせた。最後の最後に、とんでもない呪いを残そうとしているな、この女は。
小生はここで死ぬつもりだった。最後は火に焼かれ、歴代の里長さまたちへ懺悔しながら地獄に落ちる覚悟をしている。
だが、この女は、スィフィルは。この世界で生き恥を晒し生きる地獄を与えようとしている。
『(……わかった。それが、ヴァルヴァの里長としての役目として、小生は見事に果たそう)』
その呪いを受け取るように、小生はスィフィルの手をしっかりと握る。
握られた手の感触と小生の目を見て安心したのか、再びスィフィルの目から光が消えた。そして、握っていた手から力が抜けていく。
『(安心、しました……お頼み、しますね……)』
スィフィルはそのまま、満足そうに微笑みながら目を閉じる。
綺麗な死に顔を、そこに残して。
小生は目を閉じて黙祷を捧げたあと、立ち上がる。
周辺を見れば、遙か昔から残されてきた膨大な量の記録がそこにあった。本という形で残されたそれは、軽く数百冊に及ぶ。
『(ああ、頼まれた。ここの記録は全て小生の頭の中にある。子供たちは生き残っている。仇が存在してる。
ならば小生は、記録を復元し、子供たちを導き里長を任命し、仇を誅戮しよう。
生き恥を晒すこととなった小生の、最後の奉公を見てくだされ。里長さまたち)』
小生は倉庫に火を付けたあと、逃走する。
子供たちの行き先は……おそらくガングレイブの元だろうか。
先回りし、待つこととしよう。
途中で死ねばそれまで、小生は一人でもやる。
だが、ガングレイブの元にたどりつくならば、子供たちを導くとしよう。
小生は最後に丘の上から里の有様を目に焼き付けてから、旅立つ。