五十五、ターニングポイント3
僕の言葉に、その場にいた全員が僕を見る。
ゼロ様も、レイ様も、シファル様とシューニャ様も、僕をジッと見つめている。その目に光はない。先ほどまでのような感情がある瞳をしていませんでした。
この目の昏さを、僕は知らない。知らないほどの昏さがそこにあった。
『ヌルは、この里の歴史を知ってて言ってる?』
レイ様は僕の目を見て言う。意図はわからないけども、正直に答えるべきでしょう。
僕は小さく頷くと、レイ様は横のゼロ様へ視線を向けました。
『ヌル。この里は幾度も幾度も、外の世界へ出ようとしたことがあるんだ』
外の世界へ。
それはつまり、暗殺者としてではなく傭兵団、もしくは一つの土地を治める国の民になることでしょうか。
僕がそう予想していましたが、ゼロ様は僕の目を真っ直ぐに見つめて口を開く。
『かつての歴代里長の中には、いつまでもこの小さな土地にしがみつくことに危惧感を覚えていたものがいたんだよ。
当然だよな? 住人の数も、土地の広さも、これ以上を求めるなら外の世界へ……隠れ里から出ないといけない』
『そこはわかります』
言ってることは理解できます。僕は頷いて答えます。
『しかし、俺たちは幼い頃から教え込まれる。歴代里長たちの失敗をな』
『失敗?』
なるほど、ヴァルヴァの歴史の話か……と僕は理解する。
真剣な顔をして座り直す。ここからは民族の歴史、決して笑って聞いていい内容ではない。気合いを入れ直して、僕はゼロ様の話を聞く。
『かつて、このヴァルヴァの里長の中で外の世界へ乗り出すことを決めたのが五人いた。最近では……五代前の里長も行動していたな。
当時の国の中で信頼できるところ調べ、そこへ仕官できるように交渉を進めたんだ』
『うまくいかなかったんですか?』
『いや。なんせ俺たちは暗殺一族ヴァルヴァの民。戦力面や諜報の実力、暗殺の成功率から考えても召し抱えるのにためらいはない。すんなりうまくいくことがほとんどだ』
『では、なぜ?』
僕が聞き直すと、シファル様とシューニャ様の顔が苦虫噛み潰したような顔を浮かべた。
『全部、相手がクソなんだよね』
『裏切られるか斬り捨てられるか、いいように利用されるか』
『事細かに記録を残して後世の人が同じ間違いをしないようにしてるけど』
『読めば読むほど、当時の里長がバカだってわかる』
『『領地を与えられようが高い地位を与えられようが、結局暗殺者は都合の良い斬り捨て要員。あちしたちの命の価値はそんなもの』』
二人の様子を見て、これは相当根が深い人間不信なのだと理解しました。
歴史書、というのか記録帳、と言うべきか。そういう失敗談がまとめられて残されてるってのも驚きですが、まとめて残すほどに怒りと怨みがあるんだろうなと思う。
『ちなみにその里長様たちは……?』
『全員、申し訳なさと里のみんなから責められて病んで、結局死んだ』
そして、歴代里長たちの悲惨な最期まで記録されてることから、もはやヴァルヴァの人たちの外の人たちへの人間不信は根にまで及んでるでしょう。
もはやその意識を取り払うことはほぼ不可能、と言わざるを得ないほどに。
だからこそ、その怨みがレイ様たちにも継承されているから、こんな冷たくて昏い目をすることになる。
『その記録ってのは……なんというか、歴史書みたいなものですか?』
『そうだ。とはいえ、二人目の里長が外との交流に失敗してから記し始めたものだけど。当時の里長が自分の失敗を後世に残せ、同じ失敗をするなと死の間際に言い残してから、任務の成否に関わらず記している』
これは凄い……下手したらこの大陸のどこを探してもないような、貴重な歴史書が残ってるということになる。
是非とも一度見てみたい。どんな失敗をしてしまったのか気になる。
けど、そういうのを外の人に見せてくれることはないだろうなぁ。
『歴代の里長様たちの失敗から、外との過度な交流は禁忌になったんですね』
『その通り。というより、光の中へ行くのはやめた方がいい』
『そうですか』
『そうなの』
レイ様の言葉を最後に、もうゼロ様もシファル様もシューニャ様もこれ以上話したがらないような雰囲気を出している。
これは無理かぁ。上手くすればガングレイブさんの元へ帰ったとき、戦力を補充できると思ったのですが。なんせこの人たち、強くて頼りになるので。
でもここまで頑ななら、止めましょう。無理に説得しても、過剰に案を通そうとしても、反発するだけ。
こうなったらどうにかして、ここから抜け出すしかないかぁ……と思った瞬間。
外から、爆発音が響いた。
空気を震わすほどの大きな音。びっくりして背筋が伸びてしまう。
「うわ!?」
なんだ?! とそっちに視線を向ける前に、四人が動く。
レイ様も、ゼロ様も、シファル様も、シューニャ様も。
誰一人としてビックリすることも硬直することもなく、迅速に動く。すぐに家の外に出て行き、状況の確認に向かっている。
そして家の中に誰も居なくなってから十秒後くらいになって、ようやく僕も動けた。
「な、なんだなんだ!?」
僕は口を震わせながら、あたふたして外に出る。
この里には爆発物はなかったはずだ。魔工師もいないし魔法師もいない。爆発事故が発生するような要素は一つもないはずでした。
なのに爆発が起こるってことは……何が?
疑問のまま外に出た僕は目を疑う。
里が、炎に包まれていた。
馴染みにある鍛冶屋も、工場も、家も、畑も、森も。
真っ昼間から戦争の真っ只中になったように、炎が巻き上がり、戦闘が起こっていた。
「な、なんで……?」
僕は思わず膝を突く。呆然と、口から自然と漏れた。
ここは隠れ里だ。外との交流も限りなく隠していた。リルさんと話した鍛錬場の丘の上でも、回りに村も国も見当たらなかった。それほど隠されていて隔絶された土地に、ヴァルヴァの里は存在している。
なのに、今、ここで。外の国の兵士が大量に攻め込んでいる。
まるで作務衣のような上着とズボンに鎧を身につけた、日本の文化と異世界の文化を混ぜ込んだような服装と装備をした兵士が、ヴァルヴァの人たちを殺して回っている。
「や、やめ……!」
殺されている人の中には、この里に来てからお世話になった人が多い。
そんな親しい人たちが、目の前で大勢の兵士に数の暴力によって殺される現実に、僕は足を震わせながら立ち上がった。
何ができるかわからない、というか何もできない。
でも、ここで膝を曲げたまま呆然としているわけにはいかないんだ。
何かができるかもしれない。だから――。
『ヌル』
立ち上がった僕に、誰かが呼び止めてくる。
振り向くと、そこには……。
『ヨン様?』
いつも腰に下げている片刃直剣を片手に、そこに立っていた。
『危ないから、お前は家の中にいろ』
『え』
『ここからは俺たちの仕事だ。料理人のお前は、家の中に避難しているんだ』
『は、はい』
ヨン様はそのままこっちに近づいてくる。だけど視線は僕の後ろへ向かったまま。
これから戦いに行くのか。
『ヨン様』
『問題ない。俺たちは負けない』
こちらを安心させるように伝えてくる言葉に、ヨン様への信頼感と安心感が募る。
確かに僕は戦えない……ここは家の中に避難しているべきなのか? でもこのまま逃げていて良いのだろうか……?
一瞬葛藤して動けなかった。
『俺が、ヴァルヴァを滅ぼすから』
え?
と思った瞬間にはヨン様の立っていた場所に数本の矢が突き刺さる。
トトト、と地面に突き刺さった矢を躱したヨン様は、矢の軌道から放たれた方向へ視線を向けた。
「いやー、間に合って良かったっス」
「テグさん!」
どこから飛んできたのか、上からテグさんが落ちてくる。僕の前に立って守ってくれる位置にいました。
こちらを振り向かずに矢を番え、ヨン様へ狙いを定めます。
「なんで、ヨン様、が?」
「わかんねぇっス。視線も殺気も雰囲気も、シュリを殺そうとする様子は遠目で見てもなかったっスけど、嫌な予感がして家の屋根伝いに跳躍して急いで来たっス。勘が当たったっスけどね」
「テグさんは」
「応戦してたっス。いきなり森から魔法が飛んできて、周囲に炎をまき散らしてきたっス。それも大量に。爆発と同時に兵士がなだれ込んできたっス」
テグさんの言葉に、僕は最悪の可能性に至る。
顔を真っ青にして口を開いた。
『まさか……ヨン様、が?』
僕の短い、消え入るような言葉。
炎と爆発と、鉄と鉄がぶつかる音。誰かの断末魔に悲鳴、掛け声に吠え。
畑が踏み荒らされ焼き払われ、建物が崩れる音。空に巻き上がる火の粉。
戦場のありとあらゆる騒音と現象の中でかき消えてしまいそうな声でしたが……この場には、これでもかと響いた。
ヨン様は、くすりと笑った。
『ああ。俺が……いや、俺と親父が外の奴と交渉して、この里の存在を知らせた』
それは、つまり、ヨン様が……裏切り者、だった、と?
信じられないような真実が目の前にあり、僕の膝が震えた。
あの日。自分は臆病者だと卑下したヨン様はどこにもいない。そこにいるのは、微笑を浮かべる殺戮者そのもの。
僕が知ってるヨン様はなんだったんだ?
『なんで?』
『ヌル、いや、シュリだったか?』
ん?
「あー……こっちの方がそっちの男にも知ってもらうにはちょうど良いか」
「……こいつ、外の言葉も喋れるんスか?」
「まさか……!?」
ヨン様が外の言葉を話してる!? 僕やテグさんたちの言語は鴉が扱うのだと聞いてた。
なのにヨン様が話しているってことは……!!
もう間違いない。
「ヨン様、言葉を覚えて外の人を手引きしたんですね」
「その通り。ああ、なんでって質問だったな、シュリ。お前はさっき聞いてたんだろ? 歴代里長が外と過度な交流を行ったことで裏切られちまったこと」
「ええ」
「五代前の里長は、俺のご先祖様なんだよ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
かつて歴代の里長が外に出ようとして、国へ仕官しても裏切られ失敗し、隠れ里へ戻ってきて、そのことを責められ病んで死ぬ。
そんな里長が、ヨン様のご先祖様?
ヨン様の言葉を聞いて、テグさんの背中に覇気が湧き上がる。
「へぁ。恨みからっスか? ご先祖様が責められて病んだことへの?」
「……そうだ。そうだ。そうだっ。そうだ!!」
ヨン様の顔に、今まで見たことのないような怒りが浮かんだ。
それはかつて、自分は怖がりなのだと打ち明けた、年頃の青年の姿はない。
怒りと恨み、復讐の念に取り憑かれた鬼の姿がそこにあった。
「お前にわからねぇだろ!! 俺たちのご先祖様が、どれだけ苦労したのかをよ!! どれだけ苦労して外の国と交渉して、頑張って、なのに失敗したら手のひらを返したように責め立てられて! 結局誰にも看取られることもなく自殺したご先祖様の辛さを!!」
「いや、そりゃ暗殺一族なら仕事の失敗を命で償うのは、当然じゃないっスかね?」
止めるんだテグさん! そこでそんなツッコミをしてはいけない!!
案の定、ヨン様の怒りの目がテグさんへ向けられる。
「ああ、仕事で失敗したならそうなるだろうな。俺も覚悟していたさ!! だけどな! 誇り高き暗殺の技を持ったものが、戦場ではなく身内からの誹謗中傷で死んだ! これほどの屈辱はない!
しかもそれが歴史書に残る! 記録に残る! そのことで俺たち一族が、どれだけ苦労したことか!! 汚名を晴らすために、親父たちがどれだけ里に貢献したか!!
苦労した、本当に苦労した! ようやく偏見の目が解かれ、俺にレイという婚約者ができたことで、やっとこの里に受け入れられたと思った!」
「なら、もう、恨まなくても……」
「でもダメなんだよ」
ヨン様の目から、涙が一筋流れた。
「俺の爺さんは、レイの親父……ノーリに戦場で殺されたんだからよ」
背筋に氷を突っ込まれたような、冷たい感触が走る。
信じられないような話だった。まさにいきなり、青天の霹靂。
こんな話、聞いたことがなかったのです。
ヨン様は絶望したような顔のまま言いました。
「俺の爺さんは特に頑張った。任務も里の仕事も、人一倍頑張った。偏見と差別の目にも負けなかった。里長の座を、醜い失敗で追われた一族の罪を自分の代で払拭するのだと、頑張ったんだ。
だけど、ノーリとの共同作戦。帰ってきたのはノーリだけだった。ノーリは、俺の爺さんと一緒の作戦の中で、爺さんを殺して帰ってきたんだよ」
「そんな証拠……どこにあるんですか?」
「ノーリが自分で言ったよ。儂が殺した、てな。その瞬間、俺の復讐は何があっても遂行すると決めた。
シュリ、お前には感謝しているよ」
「え?」
僕の戸惑いの声に、ヨン様は左手で涙を拭いながら、顔を隠すように手で覆う。
「仮面を被れ。あの励ましのおかげで、最後の最後で日和ることなく準備ができたよ」
す、と手が退かれたときには、いつものヨン様の顔。
完璧な擬態を身に付けたヨン様が、そこにいた。
「ありがとう。これで俺は復讐を成し遂げられる」
「それは――」
「もう話は終わりっスよ。シュリ」
テグさんが厳しい声で僕に言った。
「こいつはもう、話しても諭しても止まらないっス。戦って、殺さないと止まらない」
「でも!!」
「あいつの顔は、もはやオイラにも何を考えてるのかわからねぇっス」
僕はバッとヨン様の顔を見る。
いつもの平静顔だ。微笑を浮かべ、かつて一緒に話したあの日のあのままの姿。
不気味だ。
こっちへ一歩踏み出し、右手に握った愛剣の感触を確かめる姿は、まさにこれから戦闘を行おうとするものの姿。
なのに殺気も、闘気も、怒りも怨みも、悲しみも何も顔から感じられないのです。
不気味な姿でしたが、テグさんは一歩踏み出す。
「シュリ」
「はい」
「こんなところで、こんなことを言うのは……縁起でもねぇんスけど」
テグさんは深呼吸を一回。
「あの砦で守れなかったけど、今度こそ守って連れ帰るっスから。信じて欲しいっス」
あの砦。何を言いたいのか一瞬で悟る。
みんな、あのとき僕を救おうと必死に戦った。でも、爆発で吹っ飛ばされてみんなとはぐれ、死んだと思われていた。
でも、ようやくこうして再会したんだ。
今度こそ、帰るんだ。
「信じます。テグさん、お願いします」
「了解っス」
テグさんはさらに一歩踏み出して、そこで弓を構え直す。
ヨン様も……いや、ヨンも剣を握り直している。
一触即発の空気。ジリジリと後ろでは戦闘が迫ってくる音が、爆発音や武器がぶつかる音が近づいてくる。
でも僕は信じてここで立つ。テグさんが勝つ。必ずだ。
そして、二人は。
戦闘を開始した。




