五十一、ノーリ様の話とトンカツ・前編
「さて、ではここを出てガングレイブたちのところに戻ろう」
「ええ。あ、いや、ちょっと待ってください」
どうもシュリです。ヌルからシュリになりました。
記憶が戻り、頭の中の整理ができてきているところです。なんというか、僕としての人生と、短かったけどボくとしての人生が、頭の中だけでなく体の中でも混ざり合ってきている感じがしています。
うーん、記憶が消えてても僕はボくでぼくだなって感じ。
リルさんは僕の中止の言葉に、何か不満そうな顔をしてらっしゃる。
「なに? シュリは見つかった、もうここにいる理由はない。なら、クウガを回収してガングレイブの所に戻り、あのバカの暴走を止めるべき」
「そうっスよ。ここに残るつもりもないっしょ?」
「そうなんですけど……ここにいる間、世話になった人たちに挨拶やら何やらしないと……と思いまして」
僕はここに居る間、たくさんの人にお世話になりました。奴隷だのなんだのと言われてましたけど、漫画とかにあるような悲惨な境遇になるわけでもなく、言うなれば家政婦として置いてくれてました。
待遇は悪くもなかったし、日々の糧に困ることも、寒い夜に家の中で眠ることを許してくれたことを感謝しなければいけません。
それを伝えると、リルさんは苦々しい顔を浮かべました。
「……まあ、お礼を言いたいってことはわかる。傭兵団で居た頃も筋を通すのは大事なことだったし」
「なら」
「オイラとしてはあいつらが大人しく、シュリが外に出るのを許せばの話なんスけど」
テグさんも何か懸念があるようで、難しい顔になって腕組みをします。
「それは……」
確かに、と僕は思う。レイ様たちは僕がここにいることが当然だと思っているはずだ。
名目上は奴隷で、あの方たちの所有物なのだから。
それをどうやって説得するのか……説得できるのかと思うと、難しいだろうなぁ。
「まあ、話はするべき。世話になったのなら、世話になったなりの行動は大事」
「はい。そうですね」
「じゃ、さっそく行こっか」
リルさんとテグさんは立ち上がると、下半身の砂や汚れをはたいて落としてから歩き出しました。
が、リルさんがすぐに止まって何やら体を揺らしている。挙動不審だ、なんなんだ?
「で、シュリ」
「はい」
「リルとシュリは……そのぉ……恋人? みたいなものになったと思っていい?」
リルさんがしどろもどろになりながら言った内容に、テグさんは目を剥くくらい見開いて驚いていました。まさかここでリルさんがそんなことを、恥ずかしがりながら確認するとは思ってなかったんだろうな。
僕も同然であり、いきなりリルさんに聞かれた内容が頭の中に入ってきませんでしたが、理解できたときには顔が熱くなるのを感じました。
「え、ええ、はい……それで、よろしい、かと……」
やばい、恥ずかしい。顔を逸らし、言葉をどもりながら僕はなんとか口に出す。
なんだか気恥ずかしい空気が二人の間に漂ってきたころ、テグさんが無表情のまま僕に耳打ちをしました。
「ええ雰囲気なのは構わんっスけど。この隠れ里からどうやって脱出するのか考えて欲しいっス」
「ご、ごめんなさい」
「あと帰ったときにエクレスの方をどうにかするのも考えた方がええっスよ」
……あ!
テグさんからの問題に頭を悩ませながら里に戻った僕は、リルさんたちと別れてとりあえずノーリ様たちの家に向かうことにしました。
『帰る』ではなく『向かう』という考えに意識が変わってることにちょっと驚きもしたけど、記憶を完全に取り戻した今、帰るのはここではないって思いが強い。
さてどうしたものか……。僕は一応奴隷という立場だ、そう簡単にここを離れるなんてことはできないだろう。
もしかしたらあっさりと手放してくれるかも? なんてことも考えたり。
『戻りました』
『おう』
家の中に入ると、そこには神妙な顔で囲炉裏の側に座っているノーリ様がいた。
じっと囲炉裏の灰を見つめていました。
『ノーリ様?』
『ヌル、そこに座れ』
ノーリ様は自分の前を指さして言った。
どうやら対面に座って話がしたいらしい。僕は大人しく従って、そこに座りました。
『なんでしょうか』
『記憶、戻ったか?』
心臓が大きく鼓動する。どうやらすでに話は聞いてるらしい。
僕は素直に頷いて肯定する。ノーリ様は尚も神妙な顔のままだ。
何を言われるのか覚悟をしていると、大きな溜め息を吐いたノーリ様がポツリと言った。
『ここを出たいか?』
一言。たった一言だけど、僕の希望が全てそこに集約されている言葉だった。
『はい』
だから僕は素直に、正直に、嘘を吐かず誤魔化さず。
今まで世話になった分だけ誠実さを籠めて答える。
僕の迷いのない答えにノーリ様はまんじりと灰を見つめていました。
『ヌル』
『はい』
『お前の本当の名前を教えろ』
本当の名前。
それを聞くというのはどういうことだ? ダメだわからん。
僕は緊張しながら言った。
『シュリ、と言います』
『シュリ、か。そうか……そうか……』
さっきからノーリ様は何を結論にしようとしてるのかがわからなさすぎて不気味だなぁ……。なんだろうか。
ノーリ様はそうやってずっと灰を見ていましたが、唐突に顔を上げると口を開きました。
『飯が食べたい』
『はい?』
『飯を用意してくれ。儂だけでいい。そこに豚肉がある』
ノーリ様が指さした先には、確かに豚肉が置かれている。
しかしどういう話の流れなのだろうか? どうして料理をここで要求する?
本来ノーリ様は冗談を言う人ではない。だからこの要求も本気なのだろう。
……料理を求められたのなら断る理由もない、か。
『わかりました』
僕は立ち上がり、厨房に置かれている豚肉の塊を確かめる。処理したばかりで新鮮そのもの、材料もある。なら豪勢にしようか。
作るのはトンカツでいっか。あとソースは大根があるから大根おろしと……自作したソースで行こう。
材料は豚肉、小麦粉、卵、パン粉、大根、ネギ、自作のあっさりソースだ。
まずトンカツを普通に作る。特筆すべきことはないね、肉を叩いて切り身をいれて小麦粉をまぶして溶き卵をつけてパン粉をまぶして油で揚げるって感じ。
できたら皿に盛り、ソースを自作する。と言ってもこのソース、酢と醤油とレモンで作ったあっさりソースだ。ポン酢の代わりのようなもんだよ。
あとは大根をおろしてトンカツに盛り、そこにソースをかけてできあがりだ。
『お待たせしました』
僕はノーリ様に完成した料理をお出しして、再び対面に座った。
ノーリ様はできあがった料理をジッと見ていらっしゃいましたが、ゆっくりと手掴みで食べ始める。改めてこういう文化の隠れ里だったな、と再確認。
『……旨いのぅ。ヌルの、シュリの料理は変わらず旨い。むしろ記憶が戻ったことで自分の技術が地に足がついたのかの。
食い応えのある豚肉に、外側についた衣? が汁を吸ってくどい脂をさっぱりと食べさせてくれる。少し辛味があって清涼感のある大根の付け合わせも一緒に食べると、これまた最高だな』
『ありがとうございます』
僕がお礼を言うと、そのままノーリ様は無言のまま料理を食べ続けました。
美味しいのは間違いないらしく、皿のトンカツは全て平らげてくれてます。
そのまま満足な……様子を見せず、困ったように再び囲炉裏の灰を見つめて一言。
『シュリや』
『はい』
『結論から言おうか』
ノーリ様は顔を上げて、僕の目を真っ直ぐに見る。
『お前をこの里から出してやることはできん』




