五十、再会した『僕ら』で、喜びをここに。
「リルさん」
僕はリルさんの背中に声を掛ける。息を整え、できるだけ落ち着いて。
リルさんは肩をビクつかせましたが、こちらを振り向くことはしません。少しだけ体を揺らしていました。
「シュリ」
リルさんはそのまま、僕へ言いました。
「こっちへ来てもらえる?」
「はい」
僕はリルさんの隣に座って、改めてリルさんの顔を見る。
だけどリルさんはそっぽを向いていて、どんな顔をしているのか全く見えない。体は揺らしたままです。
なんで揺らしてんのとか、こっちを見て欲しいとか。まあそんな感じなのを思うのはありますけども、言うことはしません。
今はただ、もう一度こうして隣に座れていることに喜びたい。
「お久しぶりです」
「……うん」
「お元気……でしたか?」
困った。久しぶりすぎてどう言えばいいのかわからない。僕は乾いた笑みを浮かべたまま言うしかありません。高所で吹く風が、冷や汗を乾かしてくれるけども気持ち悪い。
だけどリルさんは何も言いません。体を揺らすだけです。
「えっと……あのあとですね。何があったのかと、言いますとね」
話題がなさすぎるので、僕はボくであった頃も踏まえて今までのことを話すことにしました。
砦から落ちたあと、川に落ちて頭を打ったこと。
レイ様たちに拾われ、奴隷として今まで生きてきたこと。
それでも親しみをもたれ、最近では奴隷というより家人として扱われていたこと。
この里の人たちに、とても世話になったってこと。
事細かにできるだけ、思い出せるだけのことを、リルさんに話しました。
「という感じなんです。そっちは……如何でしたか? みんな、元気にしてましたか?
リルさんはどうしてここにいるのでしょうか? 仕事でですか?」
「リルは」
リルさんは体を揺らしたまま、顔をこちらに向けないまま、膝の上に置いていた手を強く握りしめていました。
「リルは、シュリに会えて嬉しい」
「はい。僕もです」
「リルたちは、シュリが死んでると思ってたから」
「死んで……いた、と?」
僕がそう聞くと、リルさんは顔をこちらに向けないまま言った。
「テグはシュリがいなくなってから、大陸中のあちこちで旅をしてた」
「……旅?」
「きっと生きてる、どこかで生きてる。それでもダメなら……せめて遺体か遺品を見つけたいそう考えてた」
「……そう、でしたか」
その言葉に、僕は先ほどまでの再会の喜びが引っ込んでいた。
まあ、そうなるよね。僕が平穏無事に生きてる間、テグさんは苦労してたんですね……。
「クウガは壊れかけてる。シュリを守れなかったこと、リュウファに負けたこと、全部がクウガの責任だと思ってるから。オリトルの山奥で、一人で暮らしてる」
「はぁ!?」
なんだそりゃ、あれはクウガさんの責任じゃ無いだろう!
「そんな、クウガさんがそんなに思うことはない! 僕は」
「生きてたけどクウガは知らない。クウガは、壊れる一歩手前で押し留まり、ひたすらリュウファを殺すために生きてるようなもの」
「そんなことって……」
「で、ガングレイブは……もうダメかもしれない」
「なんでですか!?」
「国を富ませるためにあらゆる手段を取ってる。アーリウスも、エクレスとギングスも、それを止めてないんだと思う。だから、悪い噂はよく聞く」
リルさんの言葉に、僕は頭からつま先にかけて体温が急速に抜けていく錯覚を覚えました。そんなことになってたなんて、僕は知る由がありませんでしたから。
「そしてリルは、そんなみんなを見捨てて国を出て、魔工を使って働いて、あちこち旅をして生きてきた」
「どうして、ですか?」
「なんか、もう空っぽだった」
リルさんの体の揺れは段々と、震えに変わっていく。
「シュリが死んだと思って、自分がどれだけシュリを頼りにしてきたのか、よくわかった。だから、シュリがいなくなって空っぽになっちゃった自分に、できるだけ思い出だけでも詰め込みたかったんだと思う。だから、あちこちを旅してた」
「……」
「でも、ようやく会えた」
リルさんは立ち上がり、こちらに一度も顔を見せることせずに足や腰についた汚れを払っていた。
「よかった、本当に」
「リルさん」
「これで安心してガングレイブたちの元に戻れる。帰ろうか」
「リルさん!」
僕は思わず立ち上がり、リルさんの腕を掴む。
「どうしてこっちを向かないんですか! いや、他のみんながそうなってるなら――」
ここを出ましょう、と言おうとして言葉を失ってしまった。
腕を掴んで振り向かせたリルさんの顔は、見たことないくらい顔を真っ赤にして涙を流していた。
それでいても泣き顔ではなく照れくさそうで、恥ずかしがってるのか笑ってるのかよくわからない顔のままだった。耳まで真っ赤だったけど、僕はそれに気づけなかったんだな。
リルさんの顔は今まで見たことのないもので、なんだか泣いてるのに可愛いと思ってしまって、かといってそんなことを考えるのは不謹慎で、ともかく僕の頭の中はごちゃごちゃになってしまって、何も言えなくなってしまったんだ。
「だ、だって、ようやくシュリに会えて、何を言えばいいかわかんなくて、安心して嬉しくて、でもここで安全に暮らしてて、連れ出したくても、連れ出せばまた危ないところに行かなきゃいけなくなって」
僕はリルさんの腕から手を離した。
涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔を、必死に手で拭おうとする。
だけど、あふれ出る涙は止めようがないらしい。止まらない涙に戸惑い、泣き笑いの顔のままで、リルさんは続けた。
「何が、何がしたいのかわからないけど、何か、何かをしなきゃいけないって、わかってる。シュリを探してた、捜してた、見つけた。観測つけた。なら、連れて帰ればいいって、それだけなのに。リルは、リルは……」
「リルさん……」
「リルは、ただ、シュリが幸せに生きてるだけで、嬉しくて」
そして、とうとう腰からストン、と座り込んで、リルさんは泣いてしまった。
「嬉しいんだぁ……シュリが、生きててくれて、嬉しいんだよぉ……!」
「ありがとう、ございますっ」
僕は座り、リルさんの頭を自分の胸に押しつけるように抱きしめる。
ただ自分との再会を喜んでくれる人がいた。
この世界に、確かな居場所があった。
リルさんと同じで、僕はその居場所でリルさんが生きていてくれるだけで嬉しい。
「お久しぶりです、リルさん! 会いたかったです! 忘れてしまっていても、離ればなれになってしまっても! あなたにこうしてもう一度会えて僕も嬉しい!」
僕はこの世界の人間じゃない。いつ、どうなって消えるのかわからないようなあやふやな存在だ。だけど、こうして抱きしめる腕は確かにあるし、抱きしめたリルさんの感触は確かにある。
胸を濡らすリルさんの涙は、確かにここにあるってわかる。
空を仰ぐ。青い空だった。澄み渡った空だった。
この空の下に、僕はいる。
リルさんと確かにいる。
「会えて、本当に良かったです」
「うん……うん……」
リルさんは僕の背中に手を回して、ギュッと抱きしめてくる。温かい。
そのままリルさんは、僕の胸に強く顔を押しつけて口を動かしました。
「リルも嬉しい」
「はい」
うん、僕も嬉しい。
「もうどこにも行かない?」
「どこにも、行きませんよ」
「リルの元に帰ってくる?」
「あなたの所に帰りますよ」
「じゃあもう、離れない?」
「僕はもう絶対に離れない」
リルさんはそのまま顔を押しつけたまま、言いました。
「リルは、あまり自覚がないし。よくわかんないことだけど」
「はい」
「リルはきっと、シュリの事が好きなんだと思う」
……む!?
「はいぃ?」
「友達として好きなのか、仲間として好きなのか、その、女として好きなのか。
わからないけども、多分全部まとめてリルはシュリの事が好きなんだと思う」
「え、あ、僕もみんなの」
いや、違う、違うぞシュリ。ここでお茶を濁すべきではない。頭の中で警鐘が鳴り響き、みんなのことも好きだよ! と言う言葉を飲み込んだ。
きっとそれはここで言うことじゃないし、なんかそれは……とても不誠実な気がしたから。言っちゃいけないと思う。
リルさんは言った。勇気を出して言ってくれた。こんな僕を、友人としても仲間として女性としても好きだと言った。
なら、それに答える言葉とは?
僕は空を仰いで深呼吸をして、強く目を閉じてから言いました。
「いや、僕も……リルさんのことを友人としても仲間としても……男性としても、全部まとめてリルさんのことが好きです」
言った。言ってやったぞ。男を示すべきだと心を炎のように燃え上がらせ、必死に勇気を絞り出して言ってやった。
これで誠実な答えになったかはわからない。けども、僕なりに誠実で筋を通した話はできたはずだ。
リルさんはさらに背中に回した手を強くし、抱きしめてくる。顔は見えない。けど、涙の感触はなくなった。
胸に押しつけられたリルさんの顔は見えないけど、なんかもごもご動いてるのはわかった。
「リルさん?」
「じゃあ、一生リルにご飯を作って」
「……あ、はい」
まあ、深く考えるのは止めよう。これがプロポーズの言葉なのか、それともただ単なる欲求なのか。
どっちもか。ハハハ。
「で? そろそろオイラを忘れて二人の空気になるの、止めてもらっていいっスか?」
っ!!!? 驚きのあまり、僕とリルさんは顔を真っ赤にして照れくさくなって、すぐに離れました。
声がした方を見れば、そこにはニマニマとした顔のテグさんが居ました。
記憶にあるテグさんよりも、体つきも顔つきもなんか逞しくなってる感じがします。
「て、テグさん! お久しぶりです! 会えて良かった!」
「おうおう、オイラの場合は嬉しかったではなく、良かったっスか」
うぐぅ。
「まあええっスよ! オイラもシュリに会えて、嬉しくて良かったっスからね!」
テグさんはこちらに駆け寄ってきて、僕の肩に腕を回して満面の笑みで言いました。
「生きてて良かった! 生きて会えて良かった! 諦めなくて良かった! シュリ!」
「はい。テグさん」
満面の笑みで泣いてるから、僕もまた、涙が溢れていました。
「また会えて、良かったです」
ようやく、僕は仲間と再会することができたのでした。




