四十八、君は確かにそこにいた・君、後編
『××××××』
「ようこそ、リル殿、テグ殿。小生がこの里の長、セェロだ」
リルたちは里長という男の屋敷に招かれ、その男と向かい合っている。
まるで骸骨のような風体の男なのだが、身に秘めた武力がありありと雰囲気で伝わってくる。それをテグも感じているため、緊張感が抜けていない。
それはリルも同様だ。下手な行動をしたら、一瞬で首を刈られると思わされるような、研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる。
屋敷に案内されたリルとテグは、靴を脱いで上がるらしい屋敷を案内され、居間と思われる部屋で床に座って里長と話をしている。
里長の隣には先ほどの鴉が座っていて、通訳をしてくれている。なるほど、確かにリルたちが知る言語とは違う言葉で話をしている。何を言ってるのか、全くわからない。
『××××××、××××××』
「小生が君たちに期待しているのは、閉塞して停滞しているこの里に、新たな刺激を与えることだ。噂に名高い魔工の技と弓術を、是非とも教えていただきたい」
「わかった」
「依頼として受けて、きっちり前金をもらっている以上、オイラたちはちゃんと仕事をするっスよ」
リルたちの言葉を、鴉が通訳しながら里長に伝える。
里長は納得したのか、二回ほど頷いてから何かを話した。うん、何を言ってるかわからない。言葉尻や通訳の内容から言葉を解析しようと思ったのだけど、いまいち理解しきれない。
これは本格的に、滞在中に言葉を学ばないとダメだ。そうしないと、こちらの会話は筒抜けなのにあちらの会話はわからないという、情報の面で不利になる。何を話されてもわからないのだから、何を企まれても対策が取れない。
リルがそう考えていると、通訳の人は外に向かって何かを話す。
すると、二人の男が入ってきた。
一人は髭と髪の毛で毛むくじゃらになっている大男だ。威圧間が凄い。なんというか、歴戦の戦士を彷彿とさせる風体だ。
もう一人はその息子らしいのか、面影はある。さすがに毛むくじゃらではないけども。
『××××××、××××××』
『××××××? ××××』
『××』
ダメだ、何を言ってるかわからない。話されてる言語の数や発音、顔色から解析しようとするが、時間と話す言葉を見た回数が少ない。
でもやるしかないか。やれるだけやろう。片言だけでもわかれば、儲けもんだ。
『××××××』
「こちらは里一番の料理自慢が作った、“外”のそれに合わせた食事だ。歓迎の印として、まずは食事をしていただきたい。無論、毒は入ってない」
息子が持っていた鍋を、毛むくじゃらがおたまを使って皿に盛って、リルたちの前に差し出す。
瞬間、リルとテグの顔に緊張が奔った。顔が真っ赤になって、皿の中身を見る。
それは……諦めつつも諦めきれなかった、仲間の残り香を感じさせる、料理だったからだ。
「……ポトフ……?」
テグが呟くのを見て、リルは思わずテグの方を見た。
テグもリルの方を見たから、間違いない。これは、まさか……!!
『××××××?』
里長がこちらを不思議そうな顔で見てくるので、リルは思わず言ってしまった。
「こ、この料理は誰が作ったの?」
通訳の鴉は不思議そうな顔をしていたけど、すぐに里長たちに伝える。
里長たちは何か相談しているように言葉を交わしてから、鴉に何かを言った。
「だから、この里一番の料理自慢です。それ以上でもそれ以下でもありません。誰か、と問うことに意味があるのですか?」
「……!」
その物言いに、リルは思わず立ち上がりそうになった。こいつら、隠そうとしている!
燃え上がるような激情に体中が包まれる。こいつら全員を相手にすることになってもまだ、燃え尽きることの無い激情。
だけど、そんなリルの肩を掴んで止めた――テグが、無表情のままで、リルを止めていた。
「落ち着くっス。……この数年間でようやく得られた手がかりっス。この料理を教わったのか、どこかで聞いたのか、それとも……」
そうだ、まだこれを作ったのがシュリ本人だと決まったわけじゃない。シュリに教わったのか、それともシュリが作った料理を食べた人が真似をした代物なのか。
リルはそれを確かめるべく、ポトフに手を伸ばす。匙を手に、ポトフの腸詰め肉とジャガイモを一気に口に頬張った。
そして、一瞬で理解する。
これは、シュリが作ったものだ。
さんざんシュリの料理を食べてきたリルだからわかる。シュリがする味付けそのままだった。同時に蘇る、シュリが元気だった頃のたくさんの思い出が。
出会ってから、あの砦で生き別れるまでのたくさんの思い出。楽しかったこと、悲しかったこと、全てが脳裏によぎる。
もう、涙が止まらなかった。
「う、うぇ、うぅ……!」
記憶の彼方に消えそうだったたくさんの思い出と、舌に馴染んでいたけど消える寸前だった味が、同時にリルの頭と舌に刺激を与える。
涙をボロボロ零し、リルは嗚咽をあげることしかできなかった。
『……×?』
目の前の里長たちは明らかに困惑しているが、それでもリルの涙は止まらなかった。
「ああ……懐かしいっスねぇ……」
隣では、テグもまた泣きながらポトフを食べていた。
「優しい味で、しっかりと味の染みた具……何よりスープの味付けの仕方が、まるっきりシュリのそれっスな……」
もう決まりだ。これは間違いなくシュリが作ったんだ。どこかにいるんだ、間違いない!
「お願い! これを作った人に会わせて」
リルは必死に、目の前の男たちに懇願していた。
「お願い、会いたい、会いたいんだ、これを作った人に、お願い……」
言葉にならないほど泣けてきて、目の前が涙で滲んで見えなくなるほど泣けてきて。
リルは必死にお願いしたものの……鴉が何やら話をしてから、首を横に振った。
「申し訳ない。こちらの家長であるノーリ殿が、会わせることはしないと仰せで。何をそんなに泣いて、それほどまでに会わせて欲しいのかわからないとのことだ」
「いるんだな、この里に! どこかに!」
リルはそのまま走り出した。後ろでテグたちが何か叫んでいたが、聞こえない。
靴を履き、里に飛び出した。どこにいるのかわからない、いつの間にか太陽は夕焼けに変わろうとしていた。
驚いた顔をする里の住人を尻目に、リルは里の中を走り出した。
坂の上の家まで回り、反対側の……何やら鍛錬場のようなところにも行った。
「どこ……どこにいる……!」
涙を流しながら、リルは笑顔を浮かべていた。
シュリに会える。ただそれだけが嬉しい。
会いたい、一刻も、一秒でも早く!
「見つからない……!」
でも、そんな思いとは裏腹に……シュリの姿は見当たらなかった。必死に里の中を走り回っても、見つからない。太陽が夕焼けとして山の向こうに沈みそうなほどの時をかけても、見つからなかった。
……大人しく帰った方がいいだろうか。テグに迷惑をかけただろうか。
いや、でも……と思って里長の家に戻ろうと、里を歩いていた。
そんな時だった。視線の端で、見覚えのある服装を見たのは。
そちらを見ると、あの服を着た人物が歩いていた。
髪の毛は白と黒の斑になってるけど、白いチュニックと藍色のズボンを着た人物が、そこにいた。隣には誰か、女性が立って一緒に歩いている。
ああ、見たかった。忘れる前に、もう一度だけ見たかった。
二度と会えないと思って、諦めて、でも諦めきれなくて、諦めないといけないのにあきらめたくなくて、そんな矛盾した思いがぐるぐると胸の中に渦巻いて。
ようやく、後ろ姿を見た。
リルは二人に駆け寄り、少し距離があるところで叫んだ。
「シュリ!!」
必死にリルは、そうであってくれと思って叫んだ。
隣の女性が身構えながら振り返り、その人を守ろうとした。そして、見覚えのあるその人も、振り向いた。
間違いなく、シュリだぁ……!!
髪は白と黒の斑で、片目が白く白濁してしまってるけど……間違いなく、シュリの顔だ。見間違えるはずがない、見間違う余地なんてどこにもない。
思わず泣きそうになるほど、胸の中で感動が濁流のように荒れ狂う。
そんな思いを必死に押さえて、抑えて……リルは問うた。
「シュリ、なの?」
恐る恐る聞いてみるが、シュリは不思議そうな顔をするばかりだ。
不思議そうな顔で、口を開いた。
「誰、ですか?」
ショックで頭を殴られたような感覚が、リルを襲う。
間違いなく顔つきも雰囲気も服装も、シュリなのに。
口に出た言葉が、誰……。
何故――と言う前に、シュリは頭を抱えて座り込んだ。
「誰? だ、れ……?」
まさか、まさか、まさかだけど……シュリ、記憶を無くしていた?
それを思い出そうとしてる?
リルが声を掛ければ、リルだとわかるだろうか?
なら、それに賭けてみよう。リルがもう一度声をかけようとした瞬間、
「あ、あああ、ああああああああ!!!」
空を仰いで目を剥いて叫び……倒れた。
マズい、明らかに様子がおかしい! リルが慌ててシュリに駆け寄ろうとしたら、その前に女性がシュリを抱き上げた。
『××!?』
そして背中に担いで、どこかに行こうとする。
「シュリ!!」
連れて行かれる! 慌てたリルはシュリを取り戻そうと手を伸ばしながら、二人に駆け寄ろうとする。
が、女性は慣れた手つきでシュリを肩に担ぎ直すと、片手を空けてこちらに向ける。
近寄らば、迎撃するというスタンスをありありと見せて。
『××××××、××××××』
女性が自分に、何か優しく言ってくる。こちらを諭す言葉だろうか?
牽制で出された手に、リルは警戒せざるを得ない。近寄れない!
「待って! シュリなの!! その人は、リルの仲間なんだ!」
必死に伝えるものの、女性の表情も雰囲気も何も変わらなかった。
ただ、ジリジリと距離を取ろうと後ずさっている。
『×××、××××××××××××。××××××××××××』
何やらさらに言ってくるが、もう待てない、逃がすわけにはいかない!!
「置いていけぇっ!!」
リルは女性に向かって、突っ込んでいった。ただでさえシュリを担いでるんだ、リルの方が有利なはず!
だけど、伸ばしたリルの手がシュリに触れる前に、女性に掴まれる。
気づいたら宙を回転しながら、投げられていた。
すぐにリルは地面に激突する前に受け身を取り立ち上がる。だけどリルには余裕がなかった。背中に冷たい汗が流れる。
全くわからなかった。どうやって投げられたのか理解できない。これがヴァルヴァの技か!
『××××××××××××。××××××××××××?』
女性は身振り手振りを交えてリルに何か伝えようとしてくる。
多分、シュリの身の安全の保証だろうか、それともここを引いて欲しいということだろうか。
関係あるか、求めていた人が目の前にいるんだ引く理由がない!
『×××××、×××××××』
「取り返してやる……!」
リルは袖をまくり、魔工を発動できるように準備する。ここで見せるのは早いかもしれないが、そんなこと言ってられない。
女性もリルの腕を見て警戒心を抱いたのか、明らかに顔が焦っている。取り戻してみせる!
『××××××!』
『とおぅ!』
だが、女性の前に二人の少女が家の屋根から飛び降りて、守るように立った。
どうして家の屋根から? と思うけども、それ以上に現れた二人がそっくりな顔つきと背格好をしていたのも驚きだ。
双子? と思っていたら二人とも短剣やら投げナイフやらを手にして、明らかな臨戦態勢に移っている。
双子は後ろの女性に何かを話していた。くそ、言葉が通じないのがここまで困るとは!
そして、女性は双子を盾にしたまま走り出してしまった。
「待って行くな!! シュリ!! シュリー!!」
リルが叫ぶものの、シュリが目覚めることはなかった。担がれたまま、逃げられてしまう!
すぐにでも追わないと、どこに行かれたかわからなくなっちゃう! リルは女性の後を追おうとするけども、双子がリルの行く手を遮ったままだ。
「そこをどけぇ!」
『××××××××××××、××××××××××××』
『××××××××××××!』
「何を言ってるかわからないけど、押し通る!」
リルは魔工を発動させて双子を排除しようとする。
瞬間、リルの前に誰かが立った。
鴉だった。鴉が、リルの前に立って武器を抜いていた。追いつかれる気配も、潜り込まれる予兆すら感じられなかった。
「お客人。これ以上里を騒がせないでいただきたい」
鴉の声が、明らかに冷たいそれだ。殺気の籠もった声だ。
リルの首筋に、冷たい感触が通り過ぎる。
「何を考えてらっしゃるのかわからないが……契約がある以上、こちらがあなたを傷つける真似はしない。だけど、何事もやり過ぎる相手には容赦しない」
「……!」
「一度だけ。一度だけならこの暴挙を許すと、里長が仰っています。ここは大人しく着いてきてもらいたい。どうです?」
ふざけるな、と口を開く前に鴉が続けた。
「里長の家に残ってる御仁。あの人に何かあっても? 先ほどあなたが必死になって会おうとしていた人物に何かあっても構わないと?」
鴉の言葉にリルは急速に体温が抜ける錯覚を覚えるほど、頭が冷静になっていく。
そうだ。里長の家にはテグがいる。そして、あちらの方にシュリがいる。
ここで無茶をしてしまうと、シュリに会えないかもしれない。
ようやく掴んだ、シュリとの再会の機会を逃すわけには……いかない……!!
「わかった……ここは引く」
リルはまくった袖を元に戻し、両手を挙げた。降参を示す態度だ。
「わかっていただければ、嬉しいですね」
「……さっきの人に、また会わせてくれる?」
念のためにそう聞くと、鴉は武器を……普通の剣より拳一つ分短い、鍔の無い剣を鞘にしまってから言った。
「あなたが契約通り、仕事をしてくれればあるいは」
……今はそれに従うしか、ないか。
ここでこんなに暴れて、一度は見逃すと言われてる以上、リルが暴れるわけにはいかない。
リルは溜め息を吐いてから答える。
「ん、それならちゃんと仕事をするよ」
「では、里長の屋敷に戻りましょう。『××××××××××××』」
鴉が後ろの双子に何か言うと、双子は武器をしまってから女性が去って行った方に走り出した。シュリの様子を見に行くつもりだろうか。
……無事なら良いけど……。
結局、リルは里長の屋敷に大人しく戻ることにした。
だけど、ようやく会えた。
会えた。
シュリ、生きてて良かったぁ……!




