四十八、君は確かにそこにいた・君、中編
一週間後、その夜にリルは鞄を一つ持って、酒場の前に立っていた。
こうして一週間過ごしてようやく気づいたけど、どうもここはヴァルヴァ関連の村らしい。事実、こうして夜に歩いているにしたって人の気配がなさ過ぎる。
最初、この村に訪れたときは確かにいた村人たちだって、今では姿を見せない。もしかしたらここは、ヴァルヴァの民に仕事を依頼するときの窓口の一つだったのかもしれない。
「今となってはどうでも良いけど」
そうだ、ここで考察しても仕方が無い。すでにリルは奴らの掌の上だ、無事に生き残ることだけ考えよう。
リルは酒場の扉を開けて中に入ると、リルが一週間前に座っていた場所の机にろうそくが一本、立てられている。
誰かがすでに座っているらしく、こちらに背を向けていた。
「……誰?」
一応、この事態に巻き込まれた当事者同士だ。声をかけておいて損はないはずだ。
しかしリルの声に反応して、その人物の肩が大きく動いた。
これだけでビビるのか? リルが扉を開ける音は聞いてたはずなんだけど。
その人物は立ち上がりながらこちらを振り向く。そこで、ようやく暗闇に目が慣れたことで誰がそこにいたのかがわかった。
「テグ、なの?」
「リル? リルっスか!?」
そう――テグと久しぶりに会ったんだ。
テグはこっちに近づいてくると、リルの手を握って嬉しそうに笑う。
「久しぶりっスね! いや、こんなところでリルに会えるとは思ってなかったっスよ!!」
「うん、うん、リルも」
リルも思わず笑みが浮かぶ。本当に、テグもテグでクウガと違って行方がわからなかった人だ。というより、あちこちで話が出すぎて、場所が特定できなかったってのが正しい。
あっちに見たと聞いたら、その一週間後にはこっちで聞いた、なんて序の口。気づいたら大陸の端まで行ってるなんて噂で良く聞く。
この戦乱の世の中では珍しい大陸中を冒険する、冒険者という独自の自称で行動している男だ。
「しかし、なんでここに?」
だからこそ、なんでテグがこんなところにいるのか気になってしまう。
リルがそう聞くと、テグはバツの悪そうな顔をしてリルから手を離した。
「いやぁ……実は、旅の途中で立ち寄った村の宿屋で、疲れから爆睡してたら……ヴァルヴァの奴に夜に襲われたんスよ」
「ふむ。そんなに爆睡してたんだ」
「その前は登山してたんで、その帰りだったんスから。で、武器を取る前にヴァルヴァに交渉を持ちかけられたんス。オイラの弓術の技を教授して欲しいと」
リルと似た感じか。リルの場合は、まんまとあいつらの影響内に入って雰囲気が変わったのに気づくのが遅れてしまい、こうしてここにいるわけで。
「それでまんまと、契約を結んでここにいると」
「したり顔でオイラを責めてるっスけど、リルも大概そのマヌケ側の人間っスからね?」
く、バレたか。
「まあ積もる話もあるし、あいつらが来るまで待とうか」
「そっスね」
リルとテグは、ろうそくの立てられた机の椅子に座り、楽にする。
……困ったな積もる話は確かにたくさんある。リルだって話したいことはたくさんあるんだ。たくさん聞きたいことだってある。
でも、こうしていざ話そうと思うと、何もできない。何を話せば良いか、出てこない。
「シュリの遺体やその後は、未だに見つからんス」
が、先にテグが口を開いた。その言葉にリルは肩を震わせた。
そうだ、それを一番に聞きたかった。テグはシュリのその後を……せめて遺体を見つけたいと思って、国を出奔した。リルのような放浪や、クウガのような挫折とも違った、明確な目的を持った旅路だ。
だからテグなら……シュリのことを知ってると思った。聞けなかったのは、最悪の結末を聞きたくなかったからかもしれない。
「それは……遺体すら見つからないってこと?」
「いや、そもそも遺体になってない……死んでないと思ってるっス」
「は……そんな希望なんて」
「希望から始めないと、こんな捜索の旅なんて続けられんスよ」
テグのしかめっ面から出た言葉に、まあ確かにとリルは納得する。
「まずオイラは、秘密裏にグランエンドに侵入して、あの川に近づいたっス。砦の崖下にある、あの川を」
「……その前に聞かして欲しい。あの砦にいたあの女は?」
「オイラが行ったとき、砦は廃墟同然の無人だったっス……何故かはわからないけども」
? 砦に誰もいない……?
「どういうこと?」
「わかんねっス。なんか……あの直後に軍を引いたのか、誰もいなかったっス。不思議なほど、当時の破壊や戦闘の後をそのままに、ス」
「……あのとき、あの女は魔鬼とか……バラッシュとかいう人の名前を出していた。その人が関係することかもしれない」
リルは眉間を押さえながら当時の事を思い出す。
あの女はあのときの爆発に関して心辺りがあったように見えた。同時に何故こんなことしたのかはわかってなかった。
誰がしたのかはわかってたけど、何故したのかはわかってない。
「なんなんだったんスかね、あれは」
「まあそこはいい。ここで議論しても結論が出ないよ」
リルの言葉に、テグは難しい顔をしながら腕を組む。
「そうっスね。話は戻すけど……オイラは最初、川を辿って下流を探ったっス。手がかりは川に落ちた、だけっスから」
「まあ、そうなるよね」
「でも、あの川は複雑に分岐していて……でも頑張って探っていったっス」
「うん」
「でも服の破片とか血糊とか、シュリの痕跡はどこにも見つからなかったっス。延々と探して回って、誰もいなくなった砦を拠点にして探して……それでも見つけられなかったから、考えた方を変えたんスよ。実は生きていてどこかに行ったか、誰かに助けられてここにいないか、と」
その結論は無理もない。リルだってそう思う。川の分岐が無数にあるような状況で、全てを探るなんて現実的な話じゃない。シュリがいた痕跡がどこにもないのなら、少しでも可能性がある予想を元に行動するべきだ。
「だからオイラ、大陸中を旅してシュリのことを聞いて回ったんス」
「それで山に登ったとか?」
「たとえ嘘とわかっていても、手がかりがあるなら探るしかなかったっス。全部外れだったし、さっきも言ったけど結論から言うとシュリの手がかりすらここ数年で一つも見つからなかったっス」
そっか、結局見つからなかった、か。
改めて説明された上で見つからなかったという結論を言われると、心に来るものがある。
リルはあからさまに落ち込んで顔を俯かせる。
「そっか」
「そういうことっス。だけどオイラは諦めてないっスよ。……遺体すら見つからないって、そんなの認められないっスから」
「うん」
「だから……うん?」
と、ここでテグが顔をキョロキョロさせる。
リルはそれを見て、何をしていると言おうと空気を吸った瞬間に、それに気づいて服の裾で口を覆いつつ、立ち上がる。
「テグ! すぐに布で口を覆って!」
「了解っス!」
どうやらテグもすぐに気づいたらしく、同じように服に裾で口を覆う。
気づかなかった、匂いも何もしなかったから、空気を吸った瞬間の違和感が出てようやく気づくとは! 息を吸った瞬間、意識が少しずつ閉じる感覚。
いつの間にか、この酒場の中に毒を巻かれていたのか! しかも無味無臭の透明なものを、空気に紛れさせるように!
リルはすぐにここから脱出するべく、近くの窓に手を触れる。だけど、何か押さえられてるのか全く開かない。だから腕の刺青を明滅させ、窓をぶち壊すために動く。
しかし――窓を壊す前に後ろから首筋に衝撃を覚えた。その衝撃で裾から口を離してしまい、一気に空気を吸ってしまった。
(しま――)
一気に意識が遠くなる感覚。薄れゆく意識の中で、テグもまた数人の何かに襲いかかられ、倒れる姿を見た。
まさか、こんな伏兵にやられるなんて……。
この考えを最後に、リルの意識はそこで途切れた。
どれだけ眠ったのだろうか? リルは少しずつ意識が戻ってくる感覚を覚えた。
「う……ん……?」
気づいたら椅子に座っていて、気づいたら机に突っ伏して寝ていたらしい。
だけど、日の光を感じて不思議に思う。外で、椅子に座って机に突っ伏して、寝てる?
と、その瞬間意識が完全に覚醒。リルは椅子を倒しながら立ち上がった。
「ここは!?」
「うーん……」
同じ机に据えられていた椅子に、同じように突っ伏して寝ていたテグも目を覚ました。
そして一瞬で臨戦態勢に移り、身構えながら周囲を観察する。
「なんスか、これ……」
「わからない……」
そうとしか言えなかった。
なんせ、森の真ん中に机と椅子が置かれていて、すでに太陽が昇っているのだから。
確か、リルたちは酒場で襲われて、毒を吸い込んで気を失い……その後がわからない。
リルとテグは背中合わせになって周囲を警戒する。視線を感じるが……襲いかかってくる気配がない。こっちを観察してるだけみたい。
「テグ、荷物と武器は?」
「……あるみたいっスね。リルは?」
「……リルもある」
リルとテグは慎重に視線を泳がせて、机の側に荷物が置かれたままなのを見つけた。テグの弓もそうだし、リルの鞄だってそうだ。
二人して慎重に動きながら、荷物と武器を手に取る。重さからして中身を弄れてる様子はない。
「どういうこと、スかね」
「さぁ……」
「手荒な真似をしてすみませんでした」
クツクツ、と聞き覚えのある嗤い声が聞こえた。
二人してそちらに視線を向けると、あの黒い外套に鴉の仮面を被った人物がそこにいる。
……あのときの人物と同一人物? 嗤い方は同じだし……いや、そこはどうでもいい。
「リルたちをどこへ運んだ?」
「契約の通りです。あなたたちを、ヴァルヴァの隠れ里へ案内するために、このような手荒な真似をさせていただきました」
ヴァルヴァの隠れ里……。
「ここからさらに移動した先にある、と?」
「はい。詳しい位置がわからないように、こうして回りくどい真似をさせていただきました」
「……そこまでしてバレたくないっスか」
「当然」
鴉は嗤いを止めた。
「我々の稼業は、ことさらに恨みを買う。報復をされないために、あらゆる防諜対策を施してあります。今回もその一環であると、理解して受け入れていただきたい」
鴉の言い分にリルはまあそういうものか、と身構えるのを止めた。
ここで鴉を責めても何にもならないのは、すぐにわかることだし。
「そういうことなら、さっさとヴァルヴァへ案内して。仕事をさっさと終わらせて帰りたい」
「かしこまりました。……そちらの御仁も、よろしいでしょうか?」
どうやらテグはまだ身構えていたらしいけど、すぐに警戒を解いて頭を振った。
「わかった、わかったっス。オイラもリルと同じ気持ちっス。とっとと仕事を終わらせて帰らせてもらうっス」
「はい、わかりました。ではここからは私の後を、寸分違わず着いてきていただきます……行きますよ」
鴉はそういうと、森に向かって歩き出した。
寸分違わず着いてこい。なんて言うから走るのかと思ったけど、そうでもないらしい。
リルとテグは不思議そうな顔をしてから、とりあえず着いていくことにした。
森の中なんて歩き慣れてる。これなら楽だ。
と思っていたけど、森の中を進んでいるとわかった。なんかここ、頭が変になる。
なんというか、方向感覚というか平衡感覚というか、ともかく頭と耳に違和感を感じるんだ。
「テグ」
「わかってるっス……なんか、魔工道具なのかわからないっスけど……この森、何か仕掛けが施されてるっスね」
テグもリルと同じ感想に至ったらしい。それだけこの森はおかしい。
目の前の鴉がスルスルと進んでるところを見ると、どうやら鴉はこの違和感に慣れてるらしい。
「先にお一つ」
リルとテグが狂わされる感覚に苦心していると、鴉がこちらを振り向かずに言った。
「村では、村での言語がございます。そして私たち鴉と呼ばれるお役目は、外の言葉を学び里との間を仲介する役割のもの。つまり、普通に言葉が通じることはない、と思っていただきたい」
「なんだって?」
言葉が通じない? そんなことは初めてだ。
この大陸では一つの言語で統一されている。どういう理由なのかは知らないけど、ともかくそのおかげで言葉で困る事なんてなかった。
だけどここでは、その常識が通じない。
「では、到着しましたので……ここからは用心をしてくださいね」
森を抜けると、そこには確かに集落が広がっていた。
結構規模がある集落で、人々の営みがここからでもわかる。畑作をし、狩りを行い、それを処理している様子もあった。
そう……まるで普通の、大きめの村のような規模で、穏やかな雰囲気が広がっていた。
しかし、そこにいる人たちの服装は言語は明らかに、外とは異なっているのがわかる。
何を言ってるのか、さっぱりわからないんだ。
服装も外のものと意匠が異なり、見たことのないもの。
「里長のところに案内致しますので、着いてきてください」
ハッと気づくと、いつの間にか周りに鴉と呼ばれる役割を持った人物が十数人、同じような服装でリルたちの周囲を囲んでいた。
これで逃げることもできない。
「テグ」
「いざとなったら逃げる心構え、てのはあるっスよ」
どうやったら逃げれるのか、それを頭の中で想像しながら考える。
テグも同様に村の周囲を観察しながら、いざというときに備える。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……覚悟はしておこう。




