四十八、君は確かにそこにいた・急
『さて、料理の準備もできたし……残りの仕事もしようか』
さて、ボくことヌルは料理の準備ができたので、洗濯掃除などの仕事をすることにしました。
この家の人は、油断するとすぐに部屋を汚すからね。綺麗にし甲斐があるよ。けっ。
土間の掃き掃除、高所のはたき掃除、居間のぞうきんがけを行いながら整理整頓も行い、家を綺麗にしていきます。
そうしていると昼過ぎの時間になり、今度は皆さんの食事の準備を開始します。簡単なスープと肉でいいでしょう。それらを準備し、皆さんの帰宅を待ちます。
『ただいまー』
『帰ったぞ』
『お帰りなさい、レイ様、ゼロ様』
帰ってきたレイ様とゼロ様を出迎えたボくは、いつも通りの対応をして、食事を皿に盛って、居間の座った二人の前に置きました。
『ヌル、今日はお袋殿は帰りが遅くなる。昼の食事は向こうで取るそうだ』
『あ、そうなんですか』
『親父殿も同様だ。“外”から来る客人の対応をするからな。俺が食事を持って行くことになってるんだが……できてるか?』
『はい、ここに』
ボくは用意した食事が入った鍋を示します。すでに食べ頃になってるでしょうね。
それを確認したゼロ様は頷きました。
『よし、それなら俺たちは先に食事を取る』
『あ、ヌル。レイからお願いがあるから』
『なんでしょう?』
『レイも今日は兄者と一緒だから、ヨンにこれを渡しておいて欲しい』
レイ様は立ち上がるとタンスから小包を取り出しました
その小包をボくに渡すと、念を押すようにボくに言います。
『大切なものだから、確実に渡しておいて』
『わかりました』
『じゃあ、すぐに行ってきて。食事の後始末は、レイと兄者でやっておくから』
『あ、そうですか。わかりました』
よっぽど大切なものなのかな? この小包。よくわかんないな。
ボくは手を洗ってから外に出る支度をします。
『わかりました。では行ってきます』
『ん、頼んだ』
声をかけ、ボくは外に出ます。
集落の中を歩き、ヨン様の自宅へと向かいました。なんか集落の全体がソワソワしているというか、いつもと雰囲気が違う。
これが集落の“外”から人が来るってことなんでしょうかね。ここ数年、この集落に来てから“外”から人が来るなんてのは聞いたことなかったし。
『さて、おつかいを済ませておきますか』
まあ気にしても始まらない。用事を済ませておこう。
ボくはヨン様の家の前に立つと、戸を叩きました。
『ごめんください』
『おう』
中から出てきたのは、以前にもあったヨン様のお父さんが出てきました。
『おうヌルか。今日は何の用事だ?』
『はい。実はレイ様に頼まれてヨン様に渡すものがあるのですが……ヨン様はいらっしゃいますか?』
『いや、あいつはまだ鍛錬場にいるよ』
『え? レイ様とゼロ様は帰ってきてましたが……』
鍛錬場の使用時間はある程度決まってるし、レイ様たちが帰ってくるってことはヨン様も帰ってきてるってことのはずなんですけど。
ボくが困惑していると、ヨン様のお父さんは苦笑しながら言いました。
『まあ、あいつは最近になって鍛錬に身が入ってきてるみたいだからな。どうせ、鍛錬場でまだ自主練をしてるんだろう』
『大丈夫なんですかそれ? あまり私的に使うのはマズいのでは……』
『なに、次の段階の修練に入ってるのなら、こういうこともある。それか、鍛錬場から帰ってきてる途中なのかもしれないし。鍛錬場に向かって行ってれば、途中で会えるさ』
『なるほど。そういうことなら鍛錬場に行きます』
『おう。ノーリさんたちに宜しくな』
ボくはヨン様の家から離れると、鍛錬場に向かうことにしました。
鍛錬場へ向かう坂の道すがら、振り返って集落を見てみると、何やら集団が歩いてるのが見えました。
遠くなので十数人の集団が、里長の家に入って行ってるのが見えるだけです。
『さて、誰が来てるんだろ。気になるな』
『お、ヌルじゃないか』
声をかけられて振り向くと、そこには布で汗を拭いながら歩いてきているヨン様がいました。
ちょうど鍛錬が終わってたみたいですね。
『お疲れさまです、ヨン様』
『おう、ありがと。どうしたんだこんなところで?』
『はい、実はレイ様に頼まれまして、こちらの小包をヨン様に渡すようにと』
ボくは持っていた小包をヨン様に渡しました。
『レイから俺に?』
ヨン様は小包を持って確認をしました。
裏まで見てから何かに気づいたのか、唐突に優しい笑みを浮かべます。
満足そうに脇に抱えてから、ボくに言いました。
『ああ、なるほどわかった。今日は俺の生誕日だ』
『あ、そうだったんですか。それはおめでとうございます』
『おう。これはその贈り物ってことだな』
照れくさそうにヨン様は笑うと、頬を指でかきました。
『あー……レイにお礼が言いたい。家にいるか?』
『いえ、今日は“外”からの客人のために食事を持って行くのだそうで……家にはいません。今頃、里長の家にいるかと』
『そうか……じゃあまた、後日伺うと伝えておいてくれ。改めてお礼を言いたい』
『わかりました。では自分はこれで』
『ああ』
ボくはヨン様と別れると、家に向かいました。これで用事は終わりだ、あとは家で片付けの続きをするだけだ。
そう考えながら再び集落へ向かいます。
『あー! ヌル!』
『ちょうど良かった! ヌル、こっち来い!』
が、途中で呼び止められて振り向きました。
凄い勢いでこっちに向かって走ってきて、飛び込んでくる影がいるかと思ったら、その勢いのまま抱きつかれます。
『うぉ!?』
あまりの勢いに倒れそうになりましたが、なんとか踏ん張って耐えました。危ない、もう少しで倒れてたよ。
その人物は素早くボくから離れて嬉しそうに跳ねております。
『ああ、シファル様。どうも』
『やぁ、ヌル! どうしたこんなところで』
『レイ様のお使いでちょっと用事を』
『だけどここであったならちょうど良かった!』
『なんでしょうか、シューニャ様?』
ボくに話しかけてきたのは、シファル様とシューニャ様でした。
お二人はボくの腕を掴んでから引っ張っていこうとします。
『久しぶりにバウムクーヘンが食べたい! 用意して!』
『当分食べてなかったから甘味が恋しくて。あちしたち、そろそろ我慢の限界なんだよ』
『ええ……ボくはこれから帰って家のことをしなければならないのですが』
『じゃあバウムクーヘン作ってからやればいい!』
そんなむちゃくちゃな。
……だけど、ここでそんなことを行っても仕方がないのでしょうね。このお二人は、作らない限り帰してくれないでしょう。ボくは苦笑を浮かべてから言いました。
『わかりました。そういうことなら、お二人の家で作りましょう』
『よしきた!』
『材料はあるから! 持ってこなくていいから! すぐに来て!』
『はいはい』
ああ、こりゃ、またレイ様たちに怒られるなぁ。そんなことを考えながらシファル様とシューニャ様の家に向かうことになりました。
結局帰ることになったのは、夕方頃です。
夕焼け空が集落を染める頃にシファル様とシューニャ様が満足されて、解放されたわけです。
『困ったな……早く家に帰って晩ご飯の支度をしないと』
そんなことを考えながら家に向かってると、皮をなめす小屋から見知った顔が出てきました。
『あら、ヌル』
『お疲れ様ですスィフィル様。今日は随分と時間が遅くなりましたね?』
ボくはスィフィル様に近づいてから頭を下げました。それから顔を上げると、スィフィル様の顔には仕事の汚れが付いている。
スィフィル様はコロコロと笑って言います。
『ええ、今日はたくさんの解体と皮のなめしがあったからね』
『何か準備が?』
『前日の狩りで、新人が狩猟しすぎただけよ。たくさん取るのは構わないけど、森の恵みが減ったりしたら本末転倒だから怒られてたわね』
『それはそれは……』
確かに、狩りでたくさんの動物を狩るのは良いけどそれで動物が減ってしまったらダメだ。それはボくでもわかる。
するとスィフィル様は鋭い目で里長の家を見ました。
『それに、今は外から人が来てるからね。客人への食事も考えないと。取り過ぎはダメだけど、だからといって客人の分の肉が無いのはいただけないわ』
『なるほど』
『じゃあ私は帰るけど、ヌルは?』
『ボくも帰る途中です』
『じゃあ一緒に帰りましょうか』
スィフィル様に促されるままに、ボくはその隣に立って帰ることにしました。
……そういえば、この人と二人っきりになるのは久しぶりになるかもしれません。
スィフィル様は集落の中において、絶世の美女だ。二人の子供がいるとは思えないほど体型は整っており、金髪を腰の膝裏まで伸ばしていて、それを一度腰の辺りで結んでいる。
顔つきも美しいと言える類いの人で、可愛いより綺麗が似合う人だ。背丈もボくより頭半分ほど高い。
そんな人の隣に連れ立って歩くというのは、男としてなんとも名誉なことよなぁって思ってしまう。
『スィフィル様、改めてありがとうございます』
『何が?』
唐突にお礼を言い出したボくに、スィフィル様は怪訝な顔をしてボくを見ます。そうだろうよ。
『いえ、ボくを家に置いてくださったこと、礼を言う機会がなかなかなかったなと思いまして』
『ああ、なるほど。気にしなくていいわよ』
スィフィル様は優しく微笑みました。
『初めは怪しいことをしたら、殺そうと思ってたし』
優しい微笑みで物騒なことを言いよった!?
『こ、ころ?』
『当然よねー。レイが拾ってきたとは言えども、“外”から来た正体もわからない変な人を家に置くのは決めかねるわよ』
『うぐ』
言われてみればその通りなので、ボくは何も言えませんでした。
そりゃそうだよ、家に身元不明の人間を置くのって、そんな簡単に決められるもんじゃないよ。
だけど、それでも置いてくれたからこそ今のボくがあるわけで。
『でもね。結局のところだけど……私はヌルが来てくれてよかったわ。家のことまで手が回らなかったけど、今では家は綺麗だしご飯の準備もしてくれるから楽だし。助かってるわ』
『はい』
『ヌル、ずっとうちにいてくれるかしら?』
歩きながらスィフィル様はボくを微笑んで見ます。
ずっといる、か。そんなの決まってるじゃないか。
ボくには昔の記憶がない。過去が無い人間だ。帰る場所も返る居場所もない。
そんな何もない人間が、ここで居場所を手に入れた。
ずっと、ここにいたい。
『ボくは――』
「シュリ!!」
――そんなときだった。記憶の底から、無理矢理何かを引き上げられる声が後ろからしたのは。
スィフィル様は振り向きながら瞬時に身構え、顔から遊びの一切を消して無表情になる。
ボくも思わず怯えて振り向くが、そこには少女がいた。
青い髪を伸ばし、ボくよりも背が低い美少女がそこにいたんだ。
『……』
スィフィル様は身構えながらその少女と相対する。
しかし少女はスィフィル様へ視線を向けること無く、ボくだけを見る。
僕、だけを、見る? 僕? ボく?
「シュリ、なの?」
少女は僕へそう話しかける。
「誰、ですか? 誰? だ、れ……?」
僕はそこで、頭を抱えて座り込んだ。頭が、痛い。いたい、イタい、イたイ
何かを思い出そうとして、何か、を?
瞬間、僕の頭の中に知らない記憶が濁流のように溢れた。
知らない僕が、知らない人と一緒にいて、知らない料理を使って、知らない思い出を刻んだ。
「あ、あああ、ああああああああ!!!」
――ボくは、僕は、そこで意識を失った。