四十五、隠れ里暮らしときんぴらごぼう・後編
『しっかしなんだ』
『なんだ兄者?』
『俺たちも、なんだか変わったよなぁ』
訓練の帰り道で俺ことゼロが呟く。
『前まではなんというか、ギラギラに訓練に打ち込んでたような気がしてたんだけど』
『否定はしないよ。兄者もレイも、そんな感じだった』
『家でも親父殿は怖かったし、お袋殿は厳しかったし』
『うん』
『それが……なんというか、毎日が穏やかとはまた違うけど、とにかく安心して過ごせてる』
俺の言葉に、レイは頷いた。
『親父殿もお袋殿も機嫌が良いからね』
『そこだよな』
そうなんだよ。レイの言うとおりなんだ。なんというか、ここ二年ほど家族の間での雰囲気が柔らかくなって過ごしやすくなって、親父殿もお袋殿の機嫌も良いし俺たちも過ごしやすいんだ。
だから毎日が楽しくて、気持ちが穏やかになって、今日の訓練だってとうとう三式の訓練を許可してもらうほどだ。
『俺たちも穏やかに過ごしているからな』
『殺し屋としてそれはどうなの、て思われるけども……でもレイは今の方が良い』
『同感だ』
俺たちは訓練所からの帰り、坂道を下って帰路に就いている。
訓練所から俺たちの家までは村の真反対の位置にあるから、結構距離があるんだよな。
段々畑になっている坂を下り終えれば、村の中心地だ。
ここに村長の家や鍛冶屋、集会所に外から商品を集めた商店などがある。
さらに家も結構多くあって、ここに住めるのはヴァルヴァの中でも結構な自慢なんだよな。
俺たちが中心地を抜けてさらに歩けば、畑作や家畜を飼っている牧場がある。
基本的に俺たちは狩猟や採取など、山の恵みをいただいているのだが、それをしていた昔に食糧難に陥ってしまったことがあったらしく、それからは仕事に出てないときは家畜の世話をしたり畑作で野菜を育てたりと、対策をするようになったってさ。
『そういえば、今日はお袋殿はさっきの鞣し場で狩猟したイノシシの解体と毛皮の処理の手伝いだっけ?』
『そうそう。それで親父殿は畑仕事をしてる』
『じゃあ俺は昼から畑仕事を手伝うことにするか』
『レイはお袋殿と毛皮処理か……あれ結構臭いがキツい』
『仕方ねぇだろ。あの毛皮だって、寒い時期になったときに必要なんだから』
思えば、レイとこんなふうに穏やかに会話するというのは今まで、そんなになかったような気がする。
互いに訓練や家の仕事で頭がいっぱいだったし、お互いを労うなんてことをしたのはたまにしかない。
『さて、そろそろ家か』
今度は坂を上り、段々畑の中途にある我が家へ向かう。
この家は親父殿が自分の仕事一本で稼いだ金で建てた家で、親父はこの家を誇りに思ってる。
俺自身も、殺し屋稼業だけで家を建てるほどの腕前を持つ親父殿を素直に尊敬してるからな。
『ただいまー』
家の引き戸を開くと、良い匂いが家の中に立ちこめていることがわかった。
この匂いを嗅ぐと、心が安らぐ。
そして、それを作っている奴がいた。
『おかえりなさい、ゼロ様、レイ様』
白髪と黒髪のまだら模様の髪の毛に、白濁した片目の変わった風体の男。
それが俺たちの家の奴隷……使用人? まあそんな役割を持ったヌルという男だ。
ヌルは素早く布を用意して、俺たちに差し出してくれた。
『どうぞ。これで顔と腕を拭いてください』
『おう、いつも助かる』
『気が利くね』
俺たちは二人とも嬉しそうに受け取り顔やら腕を拭き始める。
冷たい水で濡らされたそれは、汗や外の砂などで汚れた体に気持ちよく馴染む。
こいつはいつもそうだ。こちらの用事を把握して、帰宅したら適切に労ってくる。
だから疲れて帰宅しても気持ちが凄く穏やかになるんだよな。
俺たちは靴を脱ぎ、囲炉裏に上がって寛ぐ。
すでに食事が用意されていて並んでいた。それを前にして、俺とレイは食べたい欲求を抑える。
食事は全員が揃ってから。それがヴァルヴァの民の礼儀作法だからな
『うちの奴隷が仕事が出来て助かる』
なので、腹が減って辛いのを会話で誤魔化すことにした。
『全くだ兄者。他のとこの奴隷は逃亡しようとしたり仕事ができなかったり、そもそも言葉が通じなくて苦労するからな』
『お前の意見を聞いて大正解だよ』
これは本心からだ。こういうとレイはいつも自慢げに胸を張るのだが、張るだけの胸はない。平らだ。そこを指摘すると狂ったようにレイが怒るので口には出さない。
だけど、本当にレイの言うとおりヌルを拾って良かったと心から思う。
この二年間、こいつが当たり前のように甲斐甲斐しく働いてるから家の雰囲気が良い。
てか、家が綺麗なんだよな。
今までは全員が外で何かしらしてるから、家の片付けが行き届かないときがあったんだよな。基本はお袋殿がやってくれてたんだけど、俺とレイもやっていた。
ちなみに親父殿は家長だからやらない。
それがなんだ。ヌルはあっという間に家事を身につけ家の中を綺麗にしてしまった。
そうなるとどうなるか。親父殿やお袋殿が家に知り合いを連れてきたら、とても羨ましがられたわけだ。
鼻高々だったろうなぁ。
『その分、こいつが何者なのか気になるよな』
『兄者……それはもう追求しないって二年前に決めたろ……? どっかの宮廷料理人だか執事が事故で流れ付いたって結論にしようと言ったろ?
ヌルは謎過ぎるんだから』
『そうだけどなぁ』
俺は怪訝な目でヌルの後ろ姿を見る。こいつは今、残りの仕事を片付けているところだ。
レイの言うことは正しい。気にするだけ無駄なのがヌルだ。
でもなぁ……気にするなって言う方が無理じゃないだろか?
家事は完璧に料理の腕は抜群に良い。人柄も良く気も効くし仕事ができる。
何より、俺たちの言葉を完璧に扱っていることだ。
俺たちの言葉は外の奴にとっては通じないらしく、外の言葉を学んだ仲介人によって仕事の依頼が運ばれてくる。
なのにこいつはどこで俺たちの言葉を学んだんだろう。全く違和感がないほどに使いこなしているんだ。
『いつかは知りたいもんだよ』
『知ってどうする? レイはヌルを解放する気なんてないよ』
『ヌルはお前の奴隷じゃないだろ』
『レイが拾ってきたからレイの奴隷だ。親父殿やお袋殿、兄者には貸してるだけ。けけけ』
全くこいつは。思わず笑みが零れてしまう。
『戻ったわよ』
俺たちが話しているところに、今度はお袋殿が帰ってきた。
ヌルは素早く桶に水を用意して乾いた布もお袋殿に渡す。
『お疲れ様です奥方。こちらの水で手を洗ってください』
『そうするわ』
お袋殿は手と顔を洗って布で拭き、囲炉裏の側に座る。
なんか当たり前のように見えたけど、ヌルは本当に素早く相手を観察して適切な対応をしている。
これを当たり前と思ってると、後が怖い気がするんだよな。
『あら? お父さんはどうしたの?』
『もうすぐ帰るだろ、お袋殿。今日は畑作で、そんなに時間が掛からないはずだ』
『今年の実りも順調らしいから。天候に恵まれてるって』
『なら今年は行商人からやたら買わなくて良いわね。助かるわ』
お袋殿は嬉しそうにしていた。
まあ、仕事でいくら稼いでも必需品で金が飛んだら、意味がないよなぁ。
『仕事の方は?』
『外の人によると、近日中に三つは来るだろうって』
『内容は?』
『あなたたちは気にせず、訓練に集中しなさいな』
お袋殿が俺たちを窘めてくるが、どうにも収まりが付かない。興奮してしまう。
『お袋殿。俺は今日御師様から投剣術三式訓練の許可をもらったぞ』
『あら! それは良かったわね。三式の訓練が終わったら、とうとう初仕事よ。それまでに他の術も二式まで完璧に修めていれば、高確率で仕事場で生き残れるでしょうね』
『だろう? だからそろそろ、仕事の話だって』
『ダメよー』
さらにお袋殿が話してくれないので、俺は思わずふてくされてしまう。
『ふふふ、懐かしいわね』
お袋殿が、優しく俺の頭を撫でてくれた。
『私もかつて、そうやってお母様……亡くなったあなたたちのお婆様におねだりして困らせていたわ。私も仕事の話がしたい、早く仕事がしたい。てね』
『お袋殿が?』
『ええ。血気盛んだったわ』
想像できない。いつも穏やかで静かで、仕事は確実にこなす印象があった。
俺が信じられない顔をしていると、お袋殿は俺の頭から手を離す。
『でもね、今はゆっくりと力をつけなさいな。慌てずとも、時は流れるものよ』
『時は、流れるもの?』
『私もお婆様と同じ事を言われたわ。まさか自分の子供にも同じ事を言う日が来るなんて思ってなかったわ』
朗らかに笑うお袋殿。
それを見て、俺は自分の内面で反省する。
お袋殿は俺を心配してくれてるんだ。俺のように慌てた奴から仕事で死ぬことがわかってるから。
『わかったよお袋殿。今はゆっくり、力をつける』
『そうしなさい。それがいいわ』
『お袋殿お袋殿! レイも柔闘術の腕が上がったって御師様に褒められた!』
『レイもよくやったわね。私も稽古をつけてあげるから、早く三式訓練が認められるようにしましょうね』
『わかった!』
『帰ったぞ!』
レイが褒められて喜んでいるところに、今度は親父殿が帰ってきた。
それを見たヌルがせっせと親父殿の足を洗う用意を整える。
親父殿は縁側に座ると、ヌルから渡された濡れた布で腕や顔を拭く。その間にヌルは親父殿の足を手際よく洗っていた。
そして囲炉裏の側に座り、親父殿は俺たちの顔を確認した。
『全員揃ったな。では、食前の祈りを捧げよう』
親父殿の言葉と共に、俺たちは手を組んで胸の前に出す。
目を閉じ、頭を伏せ、祈る。
『我らを見守る荒神様へ、今日も食をいただける命がありますことを、感謝致します』
『『『感謝致します』』』
これは俺たち、ヴァルヴァの民が食前にする祈りだ。
俺たちは明日の仕事で死んでもおかしくない生活をしている。いつ死んでもおかしくないし、明日死んでもそうだったと言われるだけだし、昨日死んだ奴のことをいつまでも引きずることはしない。
だから、今この瞬間生きて食事にありつけることを感謝するんだ。
生きて食事ができることを、家族と一緒にいられることを、感謝して祈りを捧げる。
ちなみに荒神さまというのは、俺たちが信仰している神様だ。
どういう謂われなのか詳しくは知らないが、ともかく戦いの神なのだろうと勝手に思っているんだなこれが。
『じゃあいただこう』
親父の言葉を合図に、俺たちはいっせいに肉を素手で掴み食べ始める。
これを外の人間が見るとギョッとした顔をするのだが、これが俺たちの食文化だ文句を言うなと、一度親父殿がキレて依頼主を殴ろうとしたことがあるんだな。
しっかし、ヌルの作る料理はやっぱり旨い。
今まではお袋殿が仕事の合間に作ってくれたりしてたのだが、それと比べても柔らかさや塩加減が違う。なんというか、自然と口に運びたくなるような感じだ。
濃くもなく薄くもない、ちょうど良い塩加減に焼き加減。
親父殿はそんな肉を一口食べてから、ヌルが作った野菜料理を食べ始める。
そうだな、視界の端に映ってた野菜料理なんだが……俺は今まで、野菜をそんなに食べてこなかった。というか、好きじゃなかった。
野菜を食うなら肉を食う。そして力にする。ていうか好みの問題だ。
だけど、ヌルのそれは違う。こいつが来てからの二年間、出された野菜料理を残すことはなくなったんだ。
『ううむ、旨い』
親父殿は無表情だが、その料理を食べ続けている。
表情には出さないが、こういうときの親父殿は上機嫌だ。
『ごぼうの旨みにニンジンの甘み、それらが少しの辛味でまとめられている』
『ニンジンもごぼうも歯ごたえ十分だ。顎にしっかり効くな』
『こういう塩っ気のある野菜は好みだよ』
『そうね。私もヌルから料理をいくつか教えてもらうけど、ここまで美味しくはできないわ』
俺たちも親父殿に倣い、ヌルの野菜料理を食べる。
今日はゴボウとニンジンの炒め物らしい。
食べてみれば、ゴボウの歯ごたえ抜群の食感が顎に直撃する。
肉では味わえない、新鮮な野菜による感触が心地よい。
ゴボウは元々、良い出汁が出るもんだ。お袋殿が外の調味料と一緒に作ったゴボウのスープは、なんとも旨かった記憶がある。
そして炒め物だってしてくれた。旨かったなぁ。
で、お袋殿には悪いんだけどこの炒め物はそれより旨いんだよな。なんというか、作り方と調味料の使い方がそもそも違う感じがする。
なんかこう、わからないけど一手間加えられてるのかね。
まあ、旨いから良いんだけど。
見ればレイなんかは野菜料理と肉を交互に食べてるからな。
『汗をかいて塩っ気が欲しいからな。こういう味がしっかりしていて歯ごたえがある副菜が、助かる』
親父殿はそのままきんぴらごぼうを食べ尽くし、残りの肉も食べ尽くす。
『いつも旨いからな、ヌルの作る料理は。こういっちゃなんだけど、お袋殿が作ってた料理よりも同じ品目でもどこかひと味違って旨いもん』
『そうね。私もそう思うわ。仕事の合間の料理だけじゃなくて、ヌルの作る料理は私のよりも手間を省いてあっても美味しいもの』
『ワタシは良い拾いものをした。そうでしょ?』
『全くだな』
俺たちが楽しそうに話しながら食事を取っているところに、ヌルはさりげなく水を用意し俺たちの杯の水を補充してくれる。
気づいたら水が増えてる感じだ。殺し屋なのにこういうときのヌルの気配は捕らえられないんだよな。凄いと思う、純粋に。
そんな働き者のヌルだからこそ、親父殿は昨日俺たちにあんな話をしたんだろうな。
『あー……ヌル』
ヌルが離れたところで、親父殿が呼び止める。
『なんでしょう、旦那』
ヌルが不思議そうな顔をして振り向くと、親父殿は恥ずかしそうに顔を背けた。
『お前がここに来て、二年が経つな』
『はい』
『お前はうちに来てから、十二分に仕事をしている。家事も、料理も、家の細々としたこともお前は十分な働きを見せた』
『はぁ』
ヌルは尚も不思議そうにしている、
親父殿が小さい声でボソボソと呟いた。
『お前も一緒に食え……』
親父殿、そんな小声じゃヌルに聞こえねぇよ。
レイは笑いを堪えてそっぽ向いて肩を震わせていた。後で説教な。
『え? も、申し訳ありません旦那。聞こえませんでした。もう一度』
だが、親父殿の懸命も空しくヌルには聞こえてなかったらしい。
親父殿は何度か逡巡し、もう一度言おうとしては止めてを繰り返していた。
親父殿……そこでそんなに悩むなよ……レイがもう隠せないくらい肩を震わせてるからよ……。
『今度からは、ヌルも食卓につきなさい』
そんな中で、お袋殿がヌルに優しく微笑みかけながら言った。
おそらく、これ以上親父殿に任せても話が進まないと思ったんだろうな。その判断、正しい。
『この二年であなたの仕事っぷりはわかったわ。私も大助かり、細やかな気配りもしてくれるから、毎日助かってるのよ』
『俺もそうだ。家に帰れば旨い飯と綺麗な家、整理整頓された広間は気分を晴れ晴れとしてくれる』
お袋殿の言葉に、俺も同意した。
事実、ヌルが来てから我が家の状況はとても良くなった。
家は綺麗になり、いつも誰かがいるから完全に留守にしてるわけじゃないから安心できるし、料理は旨い。
感謝してるんだ。
本当ならヌルは奴隷だ。こんなこと、奴隷として当たり前の働きだと言えばそこまでになるだろう。
だけど、それをさっ引いて考えてもヌルはよく働いている。
だからこそ親父殿は決断したわけだ。奴隷に対して最大の感謝と最上級の扱いである『食卓を共にする』という決断を。
それを聞いた俺たちは驚いたが、反対はしなかったな。当然、俺たちのヌルに対する評価が高かったから。
『ワタシも。帰ったときの用意は嬉しい』
『あ、はい……』
レイの言葉に戸惑う様子を見せるヌル。
そこに顔を背けたままだった親父殿が膝をバシンと叩いて鳴らした。
『まあなんだ! お前もよくやってるからな! 認めるんだ!』
『……わかりました。今度からは、ご一緒させていただきます』
ヌルは微笑みながら、そう言ってくれた。
食後、ヌルが食器洗いと後片付けをするために外の水瓶へ出かけた折、俺と親父殿は囲炉裏を囲んで話をしていた。
レイとお袋殿は何をしてるかというと、家の裏で稽古中だ。
『親父殿、俺は反対しないが、本当に良かったんだよな。ヌルと食事を共にしても』
『反対しないなら、それでいいってことだ』
親父殿は煙管で喫煙しながら言う。
『儂は決めたからな』
そういう親父殿の顔は、いつもより柔らかい。
『そうか……それと、聞いてもいいか?』
『何をだ?』
俺は親父殿の目を見て言った。
『気づいてるか? あの後、料理の名前を聞いたらヌルはきんぴらごぼうですって言ったの』
『……気づいてたとも』
親父殿の目が細くなる。
『やはりヌルは、何かの要因で記憶を失ったというより、何かの要因で記憶を意識的に思い出せない状態なのだろうな』
『やっぱりか』
俺と親父殿の目線が、鋭くなる。
ヌルは記憶喪失だ。最初にあった頃、自分の名前すら思い出せなかった。
なのに奴隷として家に連れてきて仕事をさせたら、テキパキと家事と料理をこなした。
見たことのない料理を作り、その料理の名前を俺たちに言ったんだ。
記憶を失ったわけではなかったのか? と思って聞いてみても……ヌルは思わず口に出してたって感じで、自分でも驚いてたんだよな。
『じゃあ、何か本人にとって衝撃的な出来事を目にするか……』
『もしくは記憶を失った要因と同じことがあれば、記憶が蘇る呼び水となるのだろうな。
料理を作ることで、料理を作れるという記憶を思いだしてるんだろう。言葉にすると、妙ではあるが……そうとしか考えられない。そうでなければ自分で名前を言ってるのに気づかなかった料理を作れる理由にならない。
儂が思うに、最初に見つけたときは腹部の刺傷痕と火傷痕から……戦争に巻き込まれておったのだろう』
『料理人が戦争に巻き込まれるって……』
『このご時世だ。珍しくもあるまい』
親父殿はそういうと、再び喫煙を始めた。
確かに、珍しくはない。この戦乱の世の中、俺たちのような殺し屋稼業が成り立ってる時点で戦争は身近なんだ。
ヌルがそういうことに巻き込まれる可能性だって、無いわけじゃない。
『しかし、普通に料理で包丁やら火を使ってるのに、それで思い出さないってのは……』
『本当に殺されかけたのだろうな』
『……じゃあ、おいそれと思い出さないってことだよな』
俺が不安そうにそう聞くと、親父殿は驚いた顔をしていた。
そしてすぐにくしゃっと笑顔を見せた。珍しい、親父の笑みだった。
『なんだ、ヌルが全てを思い出してここを出て行くって言うかもしれんと、不安に思っとったのか』
『いや! そんなことない! そんなこと、ないからな!?』
『わかってるおるわかっておるっ。クククク……』
親父殿は愉快そうに笑いを堪えていた。
俺は恥ずかしくなってしまい、顔が熱くなるのを感じる。
『ともかく! 違うからな!』
『ククク、わかったわかった。これ以上笑わせるな』
親父殿は煙管を吸って、煙を吐く。
『なに、今までの生活で肝心な記憶の中心のようなものを思い出さぬのなら、それこそ本当に戦に連れてかねば思い出さんだろうよ』
『そうか……』
『まあ、儂としても今更ヌルに去られるのは困る。家のことで困る』
それには俺も同感だ。
ヌルはもう、この家になくてはならない人間なのだから。
しかし、本当にヌルは何者なんだろうか。
また一つ、謎が深まった感じだ。