四十五、隠れ里暮らしときんぴらごぼう・中編
『せぃ!』
気合い一閃。俺の放った投げナイフが直線軌道で飛び、的となる木に突き刺さる。
同時に投げた三つの投げナイフは見事に命中し、木に描かれた標的の喉、鳩尾、肝臓へと命中している。
それを見た御師様が満足そうに頷く。
『うむ。ヴァルヴァ流投剣術二式は完璧だな』
『ありがとうございます!』
俺は御師様に向かって勢いよく頭を下げた。内心では上手くいったことで気持ちは昂ぶっていた。
しかし御師様はすぐに険しい顔つきになる。
『だが、そろそろ三式も練習せねばな。この結果に奢ること無く、二式と三式を使いこなせてこそ投剣術は完璧よ』
『はい、御師様』
『では次』
俺はとぼとぼと訓練生の列に戻った。
ちぇ、せっかく二式は完璧にできたのにな。これからは三式の訓練か。
一式、投げナイフに回転を掛けて曲げる投擲が完璧にできるようになってから、二式を習得するのに凄い年月がかかった。
これから三式、さらにその上にある奥義である四式まであとどれだけ習得に時間が掛かるのか。それを考えるだけでげんなりとする。
『おい、ゼロ』
そんな俺の内心の焦りに、横から話しかけてきた男がいた。
『何をそんなに落ち込んでるんだよ。二式は上手くいって、これから三式の習得だろ。やったな、三式からは許可されたものしか教えてもらえない、秘伝だからな』
『秘伝っつったってなぁ……』
『ばっか、何をふてくされてんだよ。ヴァルヴァの暗殺術はどれも、見ただけじゃ理合の解明ができないもんだ。それを教えてもらえるんだぜ?』
『でもなぁ……せっかく二式が完璧にできるようになったのに、あんま褒められねぇんだもん』
『当たり前だろ、俺たちはヴァルヴァの民だ。殺しの中で褒められるなんて、甘えたこと言ってんなよ』
『まぁなぁ……』
俺は気の抜けた返事をして、教官を見る。訓練中のそいつは一式の練習をしていて、コツを教えてもらっていた。
そして俺は空を見上げる。
『俺も早く、親父殿たちのような立派な殺し屋になりてぇよ』
『ノーリ様は今ではいくらか穏やかになったが、昔はかなりの腕利きだったって話だしな』
家では厳しくもやさしく、しっかりしている親父殿を思うと胸が熱くなる。
集落でも腕利きの暗殺者として名を馳せた親父殿。親父殿はヴァルヴァ流の技を全て会得し、俺と同じ投剣術を得意としていると聞いている。
俺も親父殿のようになりたい、そう思う。
俺の名前はゼロ。ヴァルヴァの隠れ里に住む、ごく普通の殺し屋訓練生だ。
ちなみに年は今年で14歳になる。もうすぐでヴァルヴァの定める成人年齢の15歳になる。
この里は外界からは隔絶された、陸の孤島のような場所にある。
具体的に言うと、集落の北側は断崖絶壁があり川が流れ、残りの方角は深い森に囲まれている。ここに来るには、よほど運が良いか道を熟知しているものしか無理だろな。
このヴァルヴァの隠れ里は、随時外にいる『鴉』と呼ばれる連絡役から送られてくる仕事と、森と川の恵み、そして畑作によって生計を立てている。
仕事、つまりは暗殺や諜報任務だな。
主に暗殺の方が多い。
うちはつまり、殺し屋一族なわけだ。俺も物心ついた時には親父殿から効率的な人の殺し方を教わったし、お袋殿からは殺しの道具の整備方法と大切さについて懇々と教えられたからな。
ヴァルヴァの民には、昔から殺しの技を研鑽し伝授し続ける伝統がある。
同時に、優れた民にはさらなる技を教え、質を保つ責任もある。
今日も俺は、その中で訓練を続けていたわけだ。
『今日はここまで。今日教えた投剣術、柔闘術、暗器術、剣刃術、踏歩術は各々で復習するように。
それと、ゼロとヨン』
『『はいっ』』
『ゼロは投剣術の三式、ヨンは剣刃術の三式の稽古の許可を授ける。次回からは専門の教官が付き、別に稽古を始める。いいな』
『はい!!』
『わかりました!』
訓練が終わり、俺たちは整列して終わりの挨拶をした。
訓練生は俺を含めて5人。俺とレイ、それと幼馴染みの双子と男の子。
俺たちは同年代で、修行を始めたのも同じ日だった。
仲も悪くなく、俺たちはともに切磋琢磨する仲間だ。
『よし、帰るかレイ』
『わかった、兄者』
レイは頷くと、今日の訓練で使っていた投げナイフなどの道具を片付けていた。
投げナイフ、丈夫な布、刃渡り長めの短刀……俺たちがいつも使ってる品と同じものだ。
『ちょっと待てよ』
そんな俺たちに、幼馴染みの双子が話しかけてきた。
『何だよ。今日の訓練は終わったろ。あとは昼飯食べて、家の仕事しなきゃダメだろ』
『嫌だ嫌だ、投剣術の天才様は余裕がなくてつまんねー』
『もうちょっと付き合えよ』
この双子はシファルとシューニャという名前だ。女の子で、うり二つの外見をしている。
ヴァルヴァの民族衣装に、双子で左右反転のサイドテールに透き通るような白髪をしている。
外見は可愛いのだがいかんせん気が強く負けず嫌いで、ちょっと意地悪をして相手の反応を楽しむ悪癖があるから、そこは直して欲しいと思ってる。
『付き合うってなんだよ』
『決まってる、投剣術の勝負だ!』
右にサイドテールで髪をまとめたシファルが言った。
『お前もとうとう三式の訓練だからな、その前にどっちが上がはっきりさせようぜ!』
『馬鹿野郎。ここは訓練場だぞ、もう使用時間は過ぎてる。ここからはおじさんたちが自主練をするんだ、邪魔をしたらぶっ殺されるぞ』
俺の意見に対して、シューニャが渋い顔をした。こいつは左にサイドテールをまとめている。
『その前に勝負を付ければいいんだ! あちしたちはお前に負けてないんだからな!』
『そうだ! 本当はあちしたちの方が投剣術は上だったんだ! それを最近調子が良いからって、調子に乗るなよ!』
『なんだろう、お前らの語彙のなさに俺は不安を覚えるよ』
シファルとシューニャは、こうやって何かと俺に突っかかってくる。いろんな勝負を持ちかけられたな。
幼い頃はもっと可愛げのある勝負が多かったのにな。泳ぎの勝負とか、かくれんぼとか、鬼ごっことか、石を使った遠投とか、そんなのばっかだったんだ。
それが訓練が始まってからは、投剣術や剣刃術で勝負を仕掛けてくるから困ってる。
最近までは勝負を受けて、結果に一喜一憂していた。だけど、最近はそんな気が湧いてこない。
だけど家でとある変化があってからは自主練に精を出し、投剣術の素質があると親父殿に褒められ、なんか争う気持ちがなくなったんだよな。
『なんだよ! その余裕の顔!』
『前までは一緒に切磋琢磨してたのに、自分だけ上に行ったような目をしやがって!』
だが、それをシファルとシューニャは面白く思ってない。俺の付き合いが悪くなったと思ってるだろうし、俺だけ抜け駆けしたんだと言い張る。
そして、これだ。
『それもこれもあの奴隷がお前の家に来てからだ! あれからおかしくなったんだ!』
『そうだそうだ! なんか毎日調子良さそうだし、スィフィル様は毎日機嫌良いし、ノーリ様も顔や言葉には出さないけど機嫌が良いのか雰囲気が良くなったし!』
『あの奴隷のせいだろ! そうなんだろ!』
『止めて』
と、ここまで黙っていたレイが呆れた顔をした。
『確かにワタシが拾った奴隷は働き者だ。家事も料理も完璧だし、言葉も通じる。素晴らしい拾いものをした、それは事実だ』
『うるさいうるさい! 何が素晴らしい拾いものだ! それが何だって言うんだ!』
『そうだそうだそうだ! あちしたちの家だって、次の仕事が終わったら奴隷を買えるって言ってたもん!』
『金を払って、言葉も通じない奴隷を、買う』
レイは荒ぶるシファルとシューニャに対し、優越感に満ちた顔で指さす。
『家事も、料理も、これから仕込む』
『それが、なんだよぅ』
『それに対してレイは、拾っただけ』
レイは自分の胸に指を押し当て、笑顔を浮かべた。
明らかな、意地悪な笑顔だ。
『家事も料理も完璧で言葉も通じる。費用対効果、最上級。フフフ、ハハハハ!』
『むかつく!』
『ここで殺っちゃうぞ!?』
シファルとシューニャは同時に、両手に投げナイフを手にした。
いかん、このままでは本当に殺し合いになってしまう。レイとシファルとシューニャの間に、殺意を含んだ剣呑な空気が漂う。
さすがにここは止めた方が良いな。
俺が言葉にしようとした瞬間、三人の間に一人の男が立った。
『あー、待った待った。そこまでにしようぜ』
そいつは訓練中に俺に話しかけてきた男だ。俺の同年代の唯一の同性の友達。
俺よりも背が高く、鍛え上げられた筋肉が盛り上がっている。俺の仲間内の中で、一番の力持ちだ。
『ヨン! そこをどけよ!』
『喧嘩を売ってきたのはレイだぞ!』
名前はヨン。シファルとシューニャの二人から文句を言われて、涼しげな顔をしていた。
好青年の顔立ちをしていて、普段は笑顔を浮かべているような男なんだ。
『さきに勝負をしかけてきたのはシファルだろ? それが原因だ、ここらで手打ちにしようぜ』
『うるせ! お前には関係ないだろ!』
『ここで喧嘩したと知られたら、俺たち全員川底に裸で投げ込まれるんだ。関係なくもないだろ』
ヨンは苦笑を浮かべて言った。
まあ、確かに訓練場の使用時間と使用許可に関しては厳しい掟がある。
当たり前の話なんだが、俺たちは殺し屋だ。暗殺者なんだ。
仕事で受けた依頼によっては、返り討ちにあって死ぬことだってあるんだ。
だから、訓練場で己の技に磨きをかけることに余念がない。
その訓練場を好き勝手個人が使わないように、厳しく掟で使用基準を定めている。
だからヨンの言うことは正しい。正しいからこそ、ヨンは飄々と答えた。
『せめて別の場所でこっそりとやれよ。俺も明日から剣刃術の訓練が始まるんだ、こんなところで連帯責任なんて負いたくない』
『じゃあお前が黙ってればいいだろ!』
『シューニャ』
そこで、ヨンの雰囲気が一瞬で変わる。腰に差した剣に手を伸ばしたんだ。
ヴァルヴァの民の剣は、反りの無い片刃直剣だ。外の奴らの剣よりも拳一つ分小さく鍔も無い。
これは狭い屋内での戦闘を想定しているためであり、ヴァルヴァの剣術もそれに合わせて進化している。こんな屋外で使用するものではない。
しかし、ヨンは違う。恵まれた体躯を持ち、誰よりも身体能力があるヨンの剣刃術は凄まじい。それこそ、俺と一緒に三式の訓練が許されるほどだ。
『それ以上言うなら、まず俺とやるかい?』
ぶわ! とヨンから殺意が溢れ出す。
それに対してシファルとシューニャもまた、殺意を滾らせていた。
しかしシファルとシューニャ、そしてヨンの間合いでは、剣刃術を使うヨンの方が有利だ。
わかっているからこそ、シファルとシューニャは同時に戦闘態勢を解除した。
『止めた止めた』
『ここでヨンとやり合っても損だもん』
『最初の間合いの時点で、気づくべきだったよ』
『あちしたちとしたことが、怒りで頭を真っ白にしてたよ』
三人の間にあった殺意が薄れ、シファルとシューニャは袖口に投げナイフをしまった。
俺は安堵の息を吐いてから、おどけて言う。
『シファル、シューニャ……俺と投剣術で張り合うって言ったって、俺よりもお前らの方が踏歩術と暗器術は上だろ。自分の得意技を磨けば良いじゃん』
そう、シファルは踏歩術……歩法や走法、跳躍や登攀といった移動術では俺よりも身軽で早いし、シューニャは暗器術……袖、裾、そのほか様々なところに武器を隠し奇襲する知恵は上だ。
そしてレイは柔闘術を得意としてる。
俺たちはみんな、それぞれ得意分野が違うんだ。
『それでも先に三式の許可をもらったのお前らだろ!』
『見てろよ、あちしたちもすぐに三式の許可をもらってみせるんだからな!』
そういうとシファルとシューニャは同時に集落の方へと走って行ってしまった。
やはりシファルは早い。そんなシファルに追いすがるシューニャも十分凄いんだよなぁ。
俺は困った顔をして後ろ頭を掻き、ヨンの方へと向いた。
『すまん、ヨン。助けてもらって』
『構わないぜ、お義兄さん』
そういうとヨンは、レイの隣に立った。
『将来は家族になるんだ。これくらいの手助けはさせろよ』
『ふん』
レイはそっぽを向くが、その顔は紅い。
ふふ、こいつが否定しようとしても、顔は照れてるんだよなぁ。
この二人は親が決めた許嫁でもあるからな。
『レイはそろそろ、ヨンに甘えても良いんだぞ』
『冗談を言うな兄者。レイはそんなことしない』
『そうだぜゼロ。レイは二人で丘の上で語らっているときくらいは、俺の肩に頭を乗せるくらいは甘えてくれる』
『こら!』
レイは顔を真っ赤にしてヨンの肩を掴んだ。
そのままぐいっと下に押すと、明らかに体格……身長と体重で劣っているはずのヨンが膝崩れになって倒れる。
これがレイの柔闘術だ。人体に限らない生き物の体の反射と本能を利用し、崩すことを得意とする技なんだ。俺もレイに怒られるときにはよくやられる。
『ははは! 照れるなよ……今度の約束の時には、欲しがってたイノシシの毛皮を取ってくるからよ』
『なら許す』
『おし……そろそろ帰るか』
二人の間で甘い空気が流れ出したところで、俺が水を差した。
『そろそろおっちゃんたちも来るからな』
『それもそうか……レイ、またな』
『ん』
ヨンはそう言うと立ち上がって服の砂を払い、帰って行った。
『お前も幸せもんだな。ああいう、一途な奴に好かれてるの』
『うるさいっ』
レイはまた照れて、俺を投げ飛ばした。背中から落ちて、俺は目の前がクラクラになってしまう。
なんだかんだ言って、ヨンは一途だ。レイとの婚約が決まったときには喜んでいた。
そしてレイもまた、そんなヨンを好いていたからな。幸せな婚約だよ全く。
俺もそういう相手が欲しいわー……。そう思いながら、帰路に就くことにした。