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二章 その四

 そして、日曜日。

 俺は待ち合わせ場所で、二本目の缶コーヒーを飲みながら石井を待っていた。

 ちらりと腕時計を覗き見る。現在時刻は午前九時五十分。集合時間は十時。彼女の姿は、まだ見えない。対する俺はかれこれ一時間近く前からこの場所で待ちぼうけていた。

 早く来すぎた自覚はあった。理由は単に、俺が元々時間にうるさい性分だからというだけであって、決して初めて異性と二人きりで出かけるということに緊張して眠れなかったからでも、落ち着かない気持ちを抑えきれなくなり、辛抱たまらず家を飛び出してきたからでもない。そんなことは、決して、ない。

 それも全て、原因は姉にある。

 先日、姉の『モテカワヘアカタログ最新版』を無断で借りた後、俺はすっかりその本の存在を忘れてしまっていた。返却していないことを思い出したのは、つい昨日のことだった。

 面倒くさかったので黙って返そうかとも思ったが、勝手に持ってきてしまった上に、少々長く借りすぎていしまっていた。一応、一言でも礼を伝えるのがスジだと思い、少し考えた後、姉の元まで直接本を持っていった。

「姉さん、これ、返すわ」

 リビングのソファに寝転がりながら漫画を読んでいた姉は「んー? 何ー?」と唸るように言って、気怠そうに目線を向けてきた。雑誌を姉に突きつける。

「姉さんがいなかったから、勝手に借りてた。返すの遅くなってごめん。あと、ありがとう」

 要点だけを早口で言い、さっさと自分の部屋へ戻ろうとする。が、そうは問屋が卸さない。姉の目が一瞬、猫のように光るのを俺は見逃さなかった。

「なーに何? 尽くん、これ女の子用のヘアカタログでしょー? こんなの何に使ったっていうのー?」

 うつ伏せにしていた体をむくりと起こし、姉は怪しげに瞳を輝かせながら、興味津々といった様子でこちらを見上げてきた。

「別に大したことには使ってないって。ただ、知り合いが髪型で悩んでたから、ちょっと参考にしたいと思ってさ」

 何となく嫌な予感がしたが、とりあえず面倒な説明は省いて正直に言った。

「その知り合いって、女の子? だよね? もしかして尽くんの彼女? きゃー! とうとう我が弟もそういう年頃になったかー!」

 先程とは打って変わって、まるで近所のおばちゃんのような事を、一オクターブ高い声で言いながら擦り寄ってきた。

 そらきた。

 心の中で、吐き捨てるように呟いた。

「違うよ」

 できるだけ平静を装ったつもりだったが、俺の返事は姉と反比例するかのように、自分でもびっくりするくらい冷たくて低い声だった。

 ……一応断りを入れると、姉のことは決して嫌いではない。

 嫌いではないが、こんな風に、何かにつけてすぐ色恋沙汰と結びつけて考えるところがあり、正直に言って俺はそんな時の姉を鬱陶しく感じることもあった。

 しかし姉は大して気にした様子もなく、妙に間延びした声で「いやーお姉ちゃん感無量だよー」と嫌になるくらい澄んだ笑顔で言ってきた。

 本は返した。既に目的を達成していたし、家族とこういう話をするのは非常に疎ましい。俺は尚も話しかけてくる姉を無視して、自室に戻った。姉も、特に追いかけて来る様子はなかった。

 部屋に入って、勢いよくベッドに倒れこむ。枕に頭を埋めながら、ついさっき姉に言われた言葉を心の中でグルグルと駆け巡らせていた。

『もしかして尽くんの彼女?』

 違う。むしろ、友達と呼べるかどうかさえ怪しい。

 しかしそこはモテない男の悲しい性。普段女っ気が無いせいで、少し親しい子ができると、途端に意識してしまう。

 いやいや無いわー、と思いつつも、心の中では燻る何かがもやもやと渦巻いていた。結局、悶々と考え事をしてほとんど眠れず、気がついたら朝を迎えていた。

 何度目かのあくびを噛み殺しながら、缶コーヒーを一口啜り、もう一度腕時計を見る。九時五十七分。これで少なくとも、石井が五分前行動をできるやつでないことが分かった。

「おぉう。お待たせっ」

 そんなことを考えていると、後ろからのんびりとした調子で声をかけられた。

「いや、俺も今来たとこ――」

 声の方へ振り向きながら、まるで合言葉のようにお約束な返事をしようとして、俺は言葉に詰まってしまった。

 そこにいたのは、間違いなく石井愛歌本人だった。それはいい。問題は、彼女が着てきたその格好だった。

 石井は上下セットらしい毛玉だらけになったライトグレーのスウェットに、その上から安っぽいファーのついたダウンジャケットを羽織っていた。足元はボロボロになったスニーカーで、髪型はいつもと変わらずチョンマゲ頭に結っている。もちろん化粧なんてしていなかったが、顔に関してはもともとの造形が良いのでさほど気にはならなかった。

 彼女はどう見ても、近所のコンビニへ来た時のような、服装に気を使っていない感丸出しの、言ってしまえばまんま部屋着の格好で来ていた。

 それを見た俺はあっけにとられて、放心して、脱力して、最後に頭を抱えた。この時の俺を他人から見たら、さぞ面白いものだっただろう。もちろん、当人からしてみれば、少しも笑えるものではなかった。

 確かに「普段着ている服は?」と彼女に問いかけた時、一番に「スウェット」と答えていた。それを脱するために今日二人で待ち合わせたといってもいい。

 だからって、でも、ねえ?

 異性と二人で出かけるというのに、まさか本当にそんな格好で来るとは。意識しすぎていた自覚はあったが、それでも、考えすぎて眠れなかった自分が馬鹿みたいに思えた。

「? なんだよ、尽」

「……いや、なんでも。じゃ、早速行こうか」

 だんだん自分が何にショックを受けているのか分からなくなってきたので、咳払いを一つして、気を取り直す。

「じゃ、まずは服屋に行こう!」

「おうよ!」

 活きのいい返事をする石井と共に、俺達は目的の服屋へと向かった。

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