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二章 その三

 そうして互いに読み進め、十分程が経過した頃。

「うおおぉぉぉおお!」

 それまで食い入るように読んでいた石井が、突然獣じみた雄叫びをあげながら立ち上がった。あまりに突飛だったので、俺も驚いて、反射的に飛び上がる。

「ど、どうした石井!?」

 すわ何事、と読んでいた雑誌を投げ捨てる。彼女につられて、ついこちらの声も大きくなってしまった。

「うおおお、なんだこのハンパないシャレオツっぷりは!? こんなもん、私には無理だぁ!」

「諦めんの早っ!」

 石井は叫びながら手に持った雑誌をグシャグシャと握り潰す。我が家に来てから四半時にも満たない時間で、彼女の計画は最初の壁にぶち当たっていた。

 興奮状態から次第に落ち着きを取り戻し、紅茶を一口含んでから、石井は控えめに話し出した。

「なんかよぅ。雑誌に載ってる服屋とかって、妙に店員がお洒落だったり、店自体が凝った造りだったりするんだよ」

「まあ、そうだね」

 俺が読んでいた雑誌にも『最新トレンド! 流行のショップ紹介!』というタイトルで、入店するだけで鯱張るであろうスタイリッシュな店構えが紹介されていた。商品にあったスペース作りも大切、ということだろう。

「んで、そんな店に自分が買い物に行くところを想像したら、こう、気後れするというか。正直言って、お洒落な服屋に着ていく服が無ぇ、って気分だ」

「流石にそれは身構え過ぎでは……」

 恐らくこういう店に入ったことがないのであろう石井は、誰がどう見ても分かるくらい、必要以上に気負ってしまっていた。いつも胸を張り堂々と振舞う彼女が背を丸めてしょんぼりとする姿は、なんだかとても新鮮に感じる。心なしか、石井の心情に合わせてチョンマゲも下を向いている気がした。

「普段着で十分でしょ。ついでに言うなら、普段着と似た系統のお店なら、いくらか入り易いんじゃないの?」

「似た系統の店なんて、載ってねえよ」

 フォローを試みるが、石井の表情は晴れない。頬を膨らませながら、不貞腐れたように言った。

「ちなみに、石井の普段着てる服ってどんな感じなの?」

 彼女をとりなすように尋ねてみる。思えば、これは最初に聞いておくべきだった。彼女が普段どんな格好をして、どんな服装を好むのか。それをヒントに話を進めて行ったほうが、ただ単に雑誌を眺めているよりもよっぽど建設的だと今更ながらに思った。

 石井は少しのあいだ思案顔で顎に手を当てていたが、やがて滔々と話し出した。

「スウェット」

「え?」

「もしくはジャージ」

「……」

「あとは、そうだな……。親戚のおばちゃんが旅行のお土産にくれた変なプリントのTシャツとか、そのくらいか。あ、あと制服! 意外と便利だから休日でも着てるぜ」

「それ違う! 全部部屋着じゃん! もっとこう、よそ行きっぽいのはないの?」

 流石に我慢できなくなり、ツッコミを入れる。だが突っ込まれた当の本人は目を丸くして、何を言っているのか分からない、といった調子で見返してきた。

「ってもなぁ……。普段、大体は家にいるし、ちょっとした買い物くらいなら服装なんていちいち気にしないからなぁ」

「友達と遊びに行くときとか、どうしてるのさ」

 あまりの干物女っぷりに辟易してしまう。最早まともな答えが返ってくるとは思えなかったが、一応、聞いてみた。

「いやだって、私、友達とかいないし……」

 ぶわっ。

 手を組み、人差し指をくるくると回しながら視線を泳がせる石井の姿に、俺は込み上げてくるものを抑えられなかった。

 そうか。そうだった。こいつは全校生徒に危険視される不良少女で、孤独な一匹狼。クラスでも完全に腫れ物扱いだし、コイツが誰かと会話する姿を、そもそも見たことがない。大体そんな女友達がいるなら俺に相談せず、まずはそいつに相談するはずだ。今回のお鉢が回ってきた時点で、察してやるべきだったのかもしれない。

「尽?」

 名前を呼ばれ、ひとり巡らせていた思考を現実へ戻す。見れば、彼女は困ったような顔をしながら、上目遣いでこちらを見ていた。

「い、いやっ、なんでもないっ。とりあえず、今見た雑誌の中から石井の好きな服の系統を探ることから始めよう!」

 予期せぬタイミングでカミングアウトをされ、無意識に同情してしまったことを悟られぬよう、声を張って強引に誤魔化した。

「? お、おう」

 いきなり大声を出した俺に驚きつつも、彼女は握り潰してしわくちゃになった雑誌を机に広げた。

 石井は雑誌をめくりながら、自分の好きなタイプの服を一つずつ指差して教えてくれた。てっきりダボついた厳つい格好が好きなのかと彼女のイメージから勝手に想像していたが、予想に反し、彼女はワンピースやフリルが多い服など、ガーリッシュな服装が好みだと分かった。やはり人間は自分に無いモノを求める生き物なのか、と妙に感心したが、口に出すと間違いなく鉄拳が飛んでくるので、そっと心の中に止めておいた。

「あとはやっぱり、この髪だよなぁ」

 自分のチョンマゲをいじりながら、石井はそう言った。

 確かに、髪型は外見を変えるにあたって重要なファクターの一つだ。第一印象は髪型で決まると豪語する人もいることだし、気を使うに越した事はない。

「石井は髪をどういう風にしたいとかって希望はあるの? やっぱりロングが好き?」

 そう言って、背まで伸びた黄金色の髪に目をやる。

「希望って言われても、別に。今だって髪を切りに行くのが面倒臭ぇから、とりあえず伸ばしているだけだし」

 彼女は長い髪を気怠そうに手で梳きながら答えた。

 こういう時、相手から大雑把にでも要望が出てこないと、辛い。しかしこちらから提案しようにも、服装同様、俺は女子の流行に決して明るくない。なにか参考にしようと思っても、石井が持ってきた雑誌に髪型の類が載っているものはなかった。

「……ちょっと待ってて」

 このままでは埒があかないと判断し、一旦部屋を出て、五分と経たずに戻る。言われた通り大人しく待っていた石井に「ほら、これ」と一冊の本を手渡した。

「なんだ? これ? ……『モテカワヘアカタログ最新版』?」

 石井は渡した本をまじまじと見つめながら、不思議そうにタイトルを読み上げた。

「そ。女子の髪型とか俺もよく分かんないから、とりあえず雑誌を見て、気に入った髪型を写真に撮って美容院に持っていこう」

 同じようにしてくださいと注文すれば、向こうはプロなんだから、それっぽくはしてくれるだろう。

「まあ、そりゃあ良いんだけどよ。……素朴な疑問なんだけど、この本、お前の私物か?」

 そう言ってモテカワヘアカタログ最新版を手に持ったまま、石井は訝しげな表情で俺を見上げてきた。俺がどこからともなくこの本を持ってきたことが疑問なのだろう。当然の問いに、俺は苦笑しながら答えた。

「違うよ。借りてきたの。だから雑誌を直接切り抜くのは勘弁してよ?」

「借りたって、誰に?」

「うちの姉さん」

 本当は姉が不在だったので本棚から勝手に持ってきただけなのだが、面倒くさいので不要な説明は省いた。その回答に納得したのか、石井はそれ以上話を膨らませようとはせず「ふーん」と曖昧に言って本をパラパラとめくった。

「あ、この美容院! 結構近所にあるぜ」

 本をめくる手を止め、そう言って彼女は開かれたページを指さした。白黒印刷されたそこには『サロン一覧』と書かれており、店名と住所、電話番号がまるで電話帳のようにびっしりと記載されていた。石井が指さした店の住所を見てみると、たしかにここからそう遠くないようだ。

「本当だ。近所なら今後も通いやすいだろうし、そこで髪を切ってもらったらいいんじゃない?」

 当たり障りのないアドバイスをし、様子を伺う。

「そうだな。んじゃ、早速連絡っと」

 言うやいなや携帯電話を取り出し、素早くキーを打つ。電話はすぐさま繋がり、彼女はあっというまに美容院の予約をすませてしまった。

「予約、とれたぜ。今度の日曜、午後二時からだって。折角だからその日の午前中に服も買っちまおう。勿論お前も一緒に来るんだからな、尽」

 通話を終えた携帯電話を上着のポケットにしまいながら、石井はさも当然という調子で言った。それは、最初から予定表に書き込まれていたスケジュールを読み上げるように自然だった。

「マジすか……」

 薄々そんな気はしていたが、それでも実際そう言われると緊張を隠せなかった。

 非常に悲しい話ではあるが、俺は女の子と付き合った経験が全く無い。デートの経験だってこれっぽっちもない。当然、女子の買い物に同行したことなんてあるわけがなかった。石井は男子代表のご意見番として俺からアドバイスを貰いたいんだろうが、はっきり言おう。無理だ。力不足過ぎる。

「頼むぜ、尽っ」

 俺の不安をよそに、彼女は自分の顔の前で勢いよく両手を合わせて、頭を下げてきた。声色からは、痛々しいまでの真剣さが滲み出ていた。

 まるで冗談みたいな話だった。自信なんて全くない。無茶振りにも程がある。

 しかし、それでも。

 たとえ、彼女がどれだけの不良少女であろうとも。

 たとえ、俺がどれだけ役に立てるか分からなくても。

 可愛い女の子に懸命な顔でお願いされたら、断れるはずなんて、あるわけがなかった。

「……しょうがないな」

 大きく息を吐きながら言う。

 俺は今度の日曜日に、石井と二人で、買い物と散髪に出かける約束を交わした。


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