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四章 その三

「痛い痛い痛い!?」

「我慢しろよ。男だろぉ?」

 西日の差す、近所の児童公園。俺と石井は、二人並んでブランコに腰掛けていた。

 とりあえず怪我の治療を、と石井が言って聞かなかったので、仕方なく薬局に寄って消毒液と絆創膏を買ってきてもらい、こうして場所を移し、彼女の手当てを受けていた。

 いたの、だが。

「沁みる沁みる沁みるってば超痛いぃ!」

「うっせ! 静かにしろっつぅの!」

 消毒液を綿に染み込ませ、ぐりぐりと乱暴に塗りつけてくる。傷口を更に抉るような痛みに耐えかね、たまらず悲鳴を上げた。

 が、彼女は容赦なくそこかしこへと消毒液を塗りたくってくる。おかげで自分の体中から、エタノールの薬品臭い匂いがプンプンと立ち込めていた。

「おっし、これで終わりだっ」

 治療の締めとばかりに、石井は河辺たちに蹴られた肩を景気よく叩いた。発狂するかと思うくらいに、痛かった。

 声もなく悶えていると、彼女はふわりと立ち上がり、治療道具を今まで自分が座っていたブランコの上に並べて置いた。

「で? 尽は一体、なんで私を探していたんだ?」

「え、ああ、うん」

 そういえば、そうだった。俺は石井を探して駆けずり回って、その末にこうして落ち合えたんだった。途中、あまりに様々な過程を挟んでいたので、すっかり目的を忘れてしまっていた。

「その、色々あるんだけど……。まずは、俺の話を聞いて欲しいんだ」

 そう切り出して、俺は姉さんから聞かされた話をそのまま石井へ伝えた。

 幼い頃、仲の良かった少女。

 彼女をお菓子で慰めたこと。

 結婚の約束をしたこと。

 お互い、初恋だったこと。

 時が経ち離れ離れになってしまったが、なんとその少女が、姉さんであったこと。

 ぽつり、ぽつりと、止めどなく喋り続ける。

 話を聞く石井は、真剣で、無言だった。頷く以外の動作を全くしようともせずに、ただ真っ直ぐ俺を見つめていた。

 しばらくの間、そうして一方的に話していた。俺が語り終わると、僅かな沈黙を置いてから、石井は緩やかに微笑んだ。

「そっか。尽も、もう全部知っているんだな」

「全部じゃないよ。まだ分かんない事、いっぱいある」

「私がなんで、それを知ってんのか、だろ?」

 言い当てられて、即座に答えることはできなかった。

「いいよ。そこまで知ってんなら、別に隠すことでもないし。むしろ尽には、知っていてほしいっていうか。……だから、聞いて」

 彼女が言葉を区切ると、冬の澄んだ空気が、一層張り詰めた気がした。

 凛とした姿勢からは、全てを明かそうという決意がにじみ出ていた。

 こちらが話すべきことは全て話した。

 あとは彼女の番だった。

 俺は石井の覚悟を邪魔しないよう、言葉にはせず、小さく首を縦に振って、話を促した。

「私が幼稚園の時な、とっても優しい男の子がいたんだ」

 話の開始点は、やはり、幼稚園の頃だった。

「当時、園には一人、イジメられてる女の子がいてな。イジメって言っても、男子のしょうもないからかいとか、そんなんだったけど。それでもその子は毎日グズグズ泣いてて、全然皆の輪にとけ込めてなかったんだ。その時は私も助けてやろうとか、そういうことは特に考えちゃいなかった」

 沈みゆく夕日を仰ぎ見て、石井は目を細めた。陽が眩しかったからなのか、当時を懐かしんでいたからなのかは、分からない。

「でも、そんな女の子を助けようと、笑顔にさせようと精一杯頑張ってた奴が、一人だけいたんだ。そいつが最初に言った、優しい男の子」

「……見てたんだ。俺と、姉さんのこと」

「ちなみに、私以外も、ほとんどの奴が気付いてたけどな」

 あの頃の俺は、誰にも見つからないよう、細心の注意を払い、いじめられていた少女――姉さんと接触していたつもりだった。

 しかし、そんな努力も虚しく、周囲に二人の密会はバレバレだったということだろう。まぁ、所詮は子供の浅知恵だ。冷やかされなかっただけ御の字だろう。

「男の子は、不器用で、青臭くて。でもどこまでも直向きで、真摯だった。そんなところに惹かれたんだろうな。――まぁ、ぶっちゃけ言って、それが私の初恋ってやつだよ」

 石井は仄かに頬を赤らめながら、照れくさそうに笑った。しかしそれも一瞬、すぐに微笑みは哀愁を帯びたものになる。

「でも、その男の子は私のことなんて見向きもしなかった。当然って言えば当然だけどさ。だってそいつには、既にとびっきり仲のいい女子がいたんだから」

 石井は笑いながら話し続けていた。笑っていたけれど、悲しげで、苦しげだった。自嘲的な卑屈さを感じさせる、乾いた笑顔だった。

「当時の私はやんちゃで、がさつで、そして素直になれなくて。……どの気持ちが一番強かったのか、もう忘れちまったけど、二人の間に割って入るなんてことは、できなかった。んで、気がついたら男子はいつの間にか遠くへ行っちまってて。それから十年経って、そいつは再び、私の前にひょっこり現れた」

 それが、バレンタインの一件か。しかし姉さんもそうだけど、石井もよく数年ぶりに会った奴のことをそこまでしっかり覚えているな。

「……石井はいつ、俺がその男の子だって気がついたの?」

 聞くと、石井は少しだけ難しい顔をして、再会を回想するように少しだけ間を置いた。

「……気がついたのは、やっぱり私が教室で泣いてるところに、尽が入ってきた時だな。あん時の一言で、もしかしたらと思った。そしたら段々と昔の顔とか雰囲気とか思いだしてきて、確信に変わったんだ。姉の方は面影あったから、すぐ分かったしよ」

 俺はついさっきまで分からなかったけどな……。

 しかし、それにしても。

“――悲しいことは、甘いもん食って忘れちゃおう!”

「覚えて、いたんだ」

 不意に自分の口からこぼれてきたのは、純粋な驚きだった。

 十年も前に、しかも自分以外の女の子に向けられた言葉を、こいつはしっかりと記憶していた。そしてそこから、俺のことを記憶の隅に置き去りにされていた初恋の相手だと導き出した。自分の感覚で言うなら、にわかには信じがたいことだった。

「乙女の底力ってやつだ。こちとら現役で乙女やってるからな」

 茶目っ気たっぷりに、冗談めかして彼女は笑った。

「気がついたときは、私も正直驚いたし、本気で嬉しかった。これは神様がくれたチャンスなんだ、運命の再会なんだって、柄にもなく思ったよ」

 揚々と語る彼女の瞳は、絵にしたら星が描かれそうなくらい目映く煌めいていた。

 しかし次第に輝きは失われ、伏し目がちになり、見る間にその表情は曇っていく。

「だけど、そうじゃなかった」

 そして萎れた花のように力なく肩を落とし、長いため息をついた。吐息の白さに隠れて、表情はよく見えない。

「だって、そうだろ? むかし結婚の約束までしてた二人が、数年ぶりに会ったら姉弟になってるんだぜ? そんなの、そっちの方がメチャクチャ運命的じゃんかっ!」

 喋っているうちにボルテージが上がってきたのか、次第に彼女の口調は乱暴になっていく。そして、運命的、という言葉により一層力を込めて言った。

「結局、私に運命なんてなかった。そう思うと、なんだか無性に悲しくて、やるせなくなって、全部がどうでも良くなったんだ。……そんな時だったんだ。河辺のやつに誘われたのは。我ながら尻軽だとは思ったけど、私も軽く自暴自棄になっちまってたから。ついホイホイついて行っちまったんだ」

 ばかだよな、と石井は自嘲を隠そうともせずに吐き捨て、寂しく笑った。

 以前、中庭で見つけた、石井と河辺の密会。

 あの時は俺も混乱の極みにあって、自分の中の『なぜ?』を解消することで頭がいっぱいだった。でも、こうして冷静に話を聞くとわかる。石井も、俺と同じ気持ちだったんだ。張り詰めて、もう何が何だか自分でもわかっていなくて、あんな風に暴走していたんだ。

 石井はそれっきり俯いて、黙り込んでしまった。ふとあたりを見渡すと、いつの間にか日は落ちかけ、薄暗くなっていた。

 覗き見ると彼女の顔は、痛みを堪えるように顔を歪ませて、口を真一文字に結っていた。これで彼女の話は終わり、ということだろう。

 何かを言わなければ。直感的にそう思った。石井は今、すべてを話してくれた。言わば俺のリアクション待ちということだろう。じっと、俺の言葉を待っている。

 しかしこんな時、なんて声をかければいいんだろう。

 彼女を元気づけたい。笑って欲しい。そうした気持ちはあるものの、どういった言葉にすればそれが彼女に伝わるのか、こんな時に限って、全く思いつかない。

 考えあぐねている間にも時間は流れ、俺たちの間を居心地の悪い沈黙が降りかかる。

 何か、何か話さなければ。でも何を? そんな押し問答を頭の中でしばらく続けてみたが、およそ答えと呼べるものは、何一つひねり出せなかった。

 気まずさと不甲斐なさを誤魔化すように上着のポケットへ乱暴に手を突っ込む。すると中で何かが手に触れ、かさり、と乾いた音を立てた。音につられるようにそっとポケットを覗いてみると、さっきの喧嘩で皺くちゃになったのであろう、所々折れたり破けたりしている小さな紙袋がわずかに顔を覗かせていた。

 そうだった。今の今まで忘れていたけれど、これがあったんだ。

「石井、これ」

 紙袋を石井の前に出す。彼女はボロボロの袋を不安そうな目で見て「なに、これ?」と小さく指さしてきた。その手を引き寄せ、強引に紙袋を手渡した。

「開けてみて」

 石井の不安を取り除くように、できるだけ優しく笑ってみせた。伝わったかどうかはわからないが、彼女は硬い表情のまま、だけど迷いなく、意を決したように袋を開けた。

「これ……」手のひらいっぱいのそれを見て、石井は目を丸くした。「あめ玉?」

「だって今日、ホワイトデーじゃん。プレゼントをもらったんだから、お返しをしないわけにはいかないでしょ。しかも三倍返しと言わず、なんと十倍返しだ」

 とは言っても、十倍なのは質ではなく量の方なんだけれど。俺は色とりどりのあめ玉の山から一つをつまみ上げ、包装を丁寧に解いた。

「はい、あーん」

「あ、あぁん?」

 声をかけると、石井はよく状況を理解できていないにも関わらず、まるで条件反射のように、ぱっと口を開けてきた。素直な奴だ。俺は苦笑しながら、すかさずあめ玉を彼女の口へと放り込んだ。

 いきなり突っ込まれた異物に石井は目を白黒させて「いきなり何するんだよぉ!」と文句を言ったが、すぐに黙ってあめ玉を転がし始めた。

「おいしい?」

「……まぁな」

 釈然としない様子ではあったが、それでも石井はあめ玉を舐め続ける。コロコロと口の中を転がる音と、あめ玉でぽっこりと膨れた頬がなんだか妙に可愛かった。

「あのさ、石井」

 あらためて彼女を呼ぶ。石井はあめを弄んでいた口を止め、いくらか勝気さが戻った瞳を、おずおずと向けてきた。その力強い視線に負けないように、俺は大きく胸を膨らませた。

「確かに、俺と姉さんは運命的な出会いをしているかもしれない。……でも、それがどうしたっていうのさ。たとえ運命じゃなかったとしても、俺と石井は、こうして再び出会うことができたんだ。それってさ、なんていうか、すげーことじゃん?」

 吐き出す息と共に、一気に想いを話した。どうにも上手い言葉は出てこなかったけれど、それでもなんとか、伝えたいことは口にできたように思う。

「でも」

 石井はまたも不安げな顔になり、視線を左右に泳がせた。「でも、でもさっ」と繰り返して、その先の言葉を探っているようにも見える。

「でも、……それで、いいのか? そんなんで、いいのか? なんの運命もない、なんの約束もない、そんな関係。……尽は、怖く、ないのか?」

「怖いよ。滅茶苦茶怖いよ。でも、約束は契約じゃないんだ。未来への保証なんかにはなりはしない。だけど、それでも俺は、石井と前に進みたい。だから踏み出す。それにさ、十年ぶりに再会して、また仲良くなって、喧嘩して、仲直りして。そうやって色々あっても、またこうして一緒にいられるのって、充分、運命的だと俺は思うよ。ぶっちゃけ、姉さんとの関係と同じか、それ以上くらいに」

 これが、俺の嘘偽らざる本心だった。形は思い描いていたものとは違ったけれど、俺たちの出会いは、間違いなく、運命だったのだ。そして、俺はその運命を信じて、二人の未来へと、向かいたい。

 それから、どのくらい時間が過ぎただろうか。一瞬のようでもあったし、随分と長い時間のようにも感じた。石井は俯いたまま、一言も喋らなかった。

 やばい。なんだか段々と、恥ずかしくなってきた。あんな青春全開なことを言って、もしかして、退かれちゃった? また俺、やらかした?

 石井の反応がないことに不安になり、「あ、やっぱり今の言葉はナシで」と言おうか迷いだしたところで、ようやく彼女は、ゆっくりとこちらを見上げてきた。

「いいのかな、尽。そんなんで、本当にいいのかな」

「俺たちがいいって言ってるんだから、いいに決まってる」

「だとしたら」

 石井は溜息とも吐息ともつかないものを一つ、漏らした。

「だとしたらさ、一人で悩んで、勝手に突っぱねていた私って、なんか、バカみたいじゃん」

「実際バカだったじゃん」

 素直に言い返してやると石井は「うっせ。バカって言うな、バカ!」と無邪気に、クスクスと笑った。俺もつられて、ゆるく笑う。

 ひとしきり二人で笑いあった後、石井は不意に笑顔を引き締めて、とすん、と俺の胸へ額をくっつけてきた。

「ありがとな、尽」

 しかしそれも束の間、次の瞬間には飛び退くように俺から離れて「へへっ!」と照れたような、泣き笑いのような顔で目尻に溜まった雫をぬぐっていた。

「あー、その、なんだ」

 可愛かった。石井の笑顔も、涙も、全部。愛おしかった。なんともむず痒い気持ちに耐えられなくなり、ついそっぽを向いて頬を掻いてしまう。

 俺は自分の顔が熱くなっているのをなんとかごまかそうと、彼女の持っているあめ玉を再びつまみ上げて、今度は自分の口へと、おどけた調子で放り込んだ。

「色々、あったけどさ。悲しいことは、甘いもん食って忘れちゃおうよ」

 石井も飴玉をまた一つ口に入れて、おいしい、と眩しそうに微笑んでいた。


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