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三章 その六

 翌日、月曜日。教室に一歩足を踏み入れた時点で、雰囲気がいつもと違うことに気がついた。

 空気はピリピリと張り詰め、誰の顔を見ても不安げに俯いているばかりだった。

 ただ、一人だけを除いて。

 その唯一面を上げている女生徒は、不安というよりもむしろ不愉快さを隠そうともせず、目が合っただけで噛み付いてくるんじゃないかと思わせる程、眉間にしわを寄せ、鋭い三白眼で誰彼構わず睨みつけていた。間違いなく彼女が、この不穏さの発信元だった。

 自然と、自分の口からため息が漏れる。嫌だなあ、あんな状態の彼女に話しかけるの。でも話しかけなきゃ、なんでイラついてんのかも分かんないし。気が引けるが、仕方がない。

「……おはよう」

 意を決して話しかける。前髪を揺らし、ちらりとこちらを向く少女――石井愛歌は、まるでバレンタインの再現のように、尖った視線で俺を射抜いてきた。

 石井は挨拶を無視して、席に座ったまま俺を見上げ、そして露骨に、聞えよがしに、わざとらしく、大きく一つ舌打ちをした。

「おいおい」

 本当に出会いの日を繰り返すような彼女の態度に、不可解さを通り越してむしろ清々しさすら感じ、思わず苦笑が漏れる。

「どうしたっての。今朝はなんだか随分と機嫌悪そうじゃん」

 場の空気を和ませようと努めて明るく振る舞ってみたが、それが彼女はお気に召さなかったらしい。憤怒に染まった表情はさらに厳しく歪み、これでもかと言うほど怒りをあらわにしていた。

「うっせぇ。気安く話しかけてんじゃねえ。っつか早く消えろよ、私の視界から」

「は、……はぁ?」

 そうしてやっと彼女の口から聞けた第一声は、罵倒だった。思わず呆けた返事をしてしまったが、理不尽な誹謗の言葉に思考は全く追いつかず、完全に置いてけぼりを食らってしまった。

「ちょっと、何怒ってんのさ」

「うるせえっつってんだろ。あと別に怒ってねえよ」

 なんとか現状を把握しようと懸命に繕ってみるが、どうしても言葉に滲む必死さは消えなかった。そして石井は変わらず静かに、だけど重たく沈むような声で俺を突き放す。

「いやいや、明らかに不機嫌じゃん。なに、俺なんかした?」

「だから怒ってねえって言ってんだろ、しつけえな。お前には関係ねえよ」

「関係ないって、じゃあ八つ当たりってこと? だったら尚更――」

「関係ねえって言ってんだろ! このクソが!」

 なおも追求しようとする言葉を遮って、石井は机を大きく叩いて立ち上がり、俺の首元を掴んで、喉が裂けんばかりの怒声を上げた。彼女の叫びを不意打ちかつ至近距離で聞いてしまい、一瞬だけ、思わず意識が飛ぶ程の眩暈に襲われた。

「分かんねえのかよ!? テメェとは今話したくねえんだよ! 分かったら少しは黙ってろや! 畜生が!」

 まだ耳鳴りと眩暈が止まないところへ追い討ちをかけるように、石井は続けて怒鳴り散らす。あまりの勢いと迫力に、思わず一歩後ずさりそうになる。

 しかし、そこまで言われて黙っていられるほど、自分は大人しい人間じゃない。

「な……なんだよ、大声出してキレて! わけ分かんねえ! 癇癪起こせばいいってもんじゃないぞ! 悪いけど、こっちだって頭に来ているんだよっ!」

「知るかよボケがっ!」

「こっちだって知るかよっ!」

 いい加減石井の理不尽な怒りに耐えかねていた俺の堪忍袋が、ついに怒りを噴出させた。売り言葉に買い言葉で、どんどん言葉があふれていく。出来るだけ考えないようにしていた彼女への不信が、ここにきて爆発した。

 彼女に殴られるかも、といった不安は、何故かこの時だけはすっかり麻痺していた。

 石井は歯が砕けるんじゃないかと思うほど強く噛み締めながら、しばらく俺と睨み合った。目を逸らすのは、向こうが先だった。彼女は苛立ちを隠そうともせず、大きく一つ舌打ちをした。

「……どけよ!」

 そう言って石井は俺を突き飛ばし、教室のドアまで一直線に、他人の机や椅子を蹴飛ばしながら、乱暴な足取りで進んで行った。片手にはいつ持ったのか、彼女の通学カバンが握られていた。

「お、おい、どこ行くんだよっ。もうすぐ朝のホームルームが……」

「うるさいっ!」

 俺の言葉なんて聞く耳持たない、と態度で示し、彼女はそのまま一度も振り返らず、ズカズカと教室を出て行った。

 石井が教室を出て行ってしばらく、唖然とする俺は元より、教室にいる誰もが口を開かなかった。開けなかった。まるで、嵐が過ぎた後のようだった。

 やがて石井と入れ替わるように担任がやってきて、教室のやたらと重苦しい空気に首をかしげながら、それでも深くは考えずに、普段通りホームルームを始めた。その通常運行っぷりに安堵したのか、それを合図に、クラスメイトたちは徐々に普段の喧騒を取り戻してゆく。

 しかし、周囲がどれだけ日常を取り戻しても、俺の心だけは変わらず、重たく濁ったまま、ドス黒い何かが渦巻き続けていた。

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