三章 その五
日曜の午後。俺は約束通り、姉さんと二人で買い物に出かけていた。
「尽くーん? どしたの? 最近なんか元気ないじゃーん?」
ショッピングモールを歩きながら、姉さんは俺の顔を覗き込んでくる。
「ほっといてよ。色々あるの、俺にも」
「んま、いっちょまえにー」
わざと突き放した言い方をしたつもりだったが、姉さんはいつものように軽く流してからからと笑った。
休日になっても、外出していても、頭をよぎるのは石井のことばかりだった。ここ数日、どうにも彼女とうまくいっていない。それは日に日に悪化していって、最近では一緒に登下校するどころか、顔を合わせても挨拶以上の言葉を交わさなくなってきていた。それもギクシャクしているというより、一方的に避けられているような感じだ。
俺としては、ただ疑問を解消したいだけだった。なぜ姉さんに対してあんな態度をとったのか。なぜその翌日から俺とも距離を置くような真似をしたのか。
理由の見えない拒絶というのは存外、心の負担になる。多少なりとも彼女との距離が縮まってきたと思っていただけに、余計骨身に沁みた。願うなら、こんな訳の解らないわだかまりなんて今すぐとっぱらって、前みたいに並んで歩いたり、自転車で風を切ったり、笑い合う関係に戻りたかった。そんなことばかり考えていては、気が滅入るのも当然のことだろう。
でも、もちろん元気がない理由はそれだけではない。頭痛の種は他にもしっかりと存在する。
例えばそれは、姉と二人で只今絶賛仲違い中のクラスメイトに宛てたホワイトデーのお返しを買いに行く事だったり、とか。
「あ! 分かったー!」
言いながら姉さんは小さく両手を打った。
「あれでしょ、綺麗なお姉さんと一緒にお出かけできて、照れてるんでしょ?」
「違うよ。全然違うよ。ていうか自分で綺麗とか言っちゃうのってどうなのさ……」
呆れた声で返事をすると、姉さんは恨めしそうな顔で、頬を目いっぱい膨らませて見せた。こういう仕草は、素直に可愛いと思う。
そう。姉さんも、外見は整っているのだ。容姿も服装も雑誌から飛び出てきたかのように洗練されているし、ころころ変わる豊かな表情は気さくに話しかけやすい雰囲気を醸している。余計な口さえ利かなければ、きっと恋に落ちる男も多いのだろう。
余計な口さえ聞かなければ、だけど。
「まったくもー、可愛くないなー。少しは喜んだら? 久しぶりの姉弟でのお出かけなんだからさー」
「いや、いい歳して家族と出かけるのって、普通は照れくさいもんだと思うけど」
俺が至極当然そうに言うと、姉さんは一瞬だけ呆気にとられたような顔をしたが、すぐにプッと吹き出し「尽くん思春期だねー」と再び笑い出した。
これだ。この同い年のくせにやたらと年上ぶったところが、どうにも気に入らない。なんだか見透かされたような気になって、居ても立ってもいられなくなる。
黙り込んだ俺を見て、姉さんは笑顔のまま、すかさず口を開いた。
「まあまあ、そう邪険にしないでよ。私たち他に比べて姉弟歴が短いんだから、その分たくさん仲良くしたって、バチは当たらないと思うよー?」
表情から気持ちを察したのだろう。ゆったりと、荒れた心を均すようなフォローだった。
こう言われてしまっては、こちらとしては返す言葉もない。ずるいと感じつつ、答えの代わりに曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「お、尽くんやーっと笑ってくれた。よかったよかった」
そう言って満足げに何度も頷く姉さんを見て、自分でも初めて気がついた。そうか、俺、今日全然笑ってなかったのか。そりゃあ心配させるし、気を使わせちゃうよな。
不貞腐れ気味だった態度を反省しつつ、照れ隠しに少しだけ頭を掻いた。
「それで尽くん、今日は何を買うか決めてるのー?」
「まあね。って言っても、漠然とだけど」
仕切り直しとばかりに、姉さんは朗らかに聞いてきた。俺も意識して明るめの口調を作る。
「よーし、なら話は早い。さあ尽くん! 目的のお店までレッツらゴーゴーだよー!」
「うわ、ちょ、姉さん押さないで!」
その対応で正解だったのか、姉さんは俺の背中を無理やり押し進み、小さな子供のようにはしゃぎだした。おどけて見せる屈託のない様子に、思わず笑みがこぼれる。
そんな風にじゃれあいながら進んでいると、不意に目の端に見慣れた人物が映った気がした。一瞬だけ見えたのは、白に近い金髪とつり上がった瞳が印象的な、背の低い女の子。
「……石井?」
気になって、人影が見えた方を振り返る。そこには雑然とした人混みがあるだけで、見知った人間を見つけることはできそうになかった。
……気のせいか。一瞬、石井がいたような気がしたけれど、見間違いか何かだったのかもしれない。
「ほらほら尽くん、行くよー!」
後ろから元気よく追い立てる声に急かされ、仕方なく俺は石井を探すのを諦め、その場をあとにした。




