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三章 その四

 翌日。

 昨日の別れ際の事が気になった俺は、石井に会って話を聞くため、いつもより早く家を出た。

 早く会いたい一心で、必死に自転車を漕ぐ。空気の冷たさに耳の奥が痛んだが、気にしている余裕はなかった。

 荒い息を吐きながら、自転車を彼女の家の前で止める。石井の姿はなかった。

 普段は俺が迎えに行くと、既に玄関先で仁王立ちして「遅ぇぞ、尽」なんて言いながら待っていてくれていた。だが、今朝はどうやらまだ出てきていないらしい。

 迷わず家のインターホンを押す。

 通話越しに出てきた親御さんらしき人に、愛歌さんはいますか、と聞くと、今日はもうずいぶん前に登校していった、と教えてくれた。

 それを聞いた瞬間、俺の思考は完全に固まってしまった。

 先に行った、って。俺だっていつもより三十分は早く家を出た。いったい彼女はどれだけ早く家を出たというのだろうか。

 そもそも何故だ。いや、理由なんて分かっている。昨日の事で顔を合わせ辛いからだ。これだけタイムリーならば、それ以外に考えられない。

 混乱する頭をなんとか切り替えて、曖昧な表情でインターホンに向かってお礼を言い、再び自転車を漕ぎ出した。

 まさか置いていかれるとは思いもしなかった。とんでもない肩透かしだ。それだけ彼女も昨日のことを気にしているんだと言えなくもないが、それにしたって、連絡の一つくらいくれてもいいだろうと、石井に対して少しだけ腹が立つ。

 そこまで考えて、むしろこちらからメールであらかじめアポを取っておけばよかったのではないかと、教室の前に着いた後、今更のように思った。

 ドアをくぐると、既に石井は自分の席に座っていた。

 どこを見るでもなく視線を泳がせながら、静かにその場に溶け込んでいる。およそ彼女には似つかわしくない光景だった。

「おはよ」

 彼女の近くまで行き、努めて平静を装いながら声をかける。その瞬間石井はハッとした表情になり、相手が俺だと認識した途端、急に困ったような顔へと変わっていった。

「お、おう。尽か。おはよう」

 なんだかただの挨拶ですらぎこちなく、たどたどしい。間違いなく石井も、昨日の一件を引きずっていた。

「今朝はどうしたの? ずいぶん早いじゃん」

 昨日の事。今朝の事。一刻も早く彼女から聞き出したい気持ちをぐっとこらえて、あまり石井を刺激しすぎないよう、まずは当たり障りのない話題から入り、様子を見る。

「あ、ああ。別に何でもないんだけどよ。そういえば悪かったな、勝手に先に行って。連絡しとけばよかった」

「いや、別に構わないよ」

 大嘘だった。さっきまで連絡をしない事に怒りが燻っていたくせに、平気な顔をして何でもないかのように言う自分に、心の底からうんざりした。

 そこから話が続かず、しばらく沈黙が降りる。いつもなら俺が黙っていても向こうから二、三ほど適当な話題を振ってくれるのだが、今日に限ってそれはなかった。

 嫌な沈黙だ。ちらりと時計を盗み見ると、あんなに早く家を出たのに、もう始業ぎりぎりの時間になっていた。

「……昨日のことなんだけどさ」

 途切れた会話に業を煮やして俺がそう口にすると、石井はぴくりと肩を震わせた。

 彼女の視線は決して俺と目を合わせまいとするかのように俯いて、俺たちの足元らへんで固定されている。そんな硬い壁を隔てているかのような反応にひと握りの侘しさを感じたが、それでも俺は構うことなく言葉を続けた。

「うちの姉さん、すごく気にしてた。んで、すごく謝ってた。自分のせいで石井を不快にさせたんだったら、本当に悪かった、って」

 姉さんから夕べ預かった伝言だ。細部までは流石に覚えていなかったが、ニュアンスは間違っていなかったと思う。

 答えを促すように、視線をまっすぐ彼女に向ける。

 俺の言葉に相槌を打つでもなく、でも無視しているわけでもなさそうで、石井は曇った表情のまま一瞬だけこちらを伺うように目を向けたが、すぐに視線を落とし、立ち尽くす俺と向かい合ったままのつま先を、再びぼんやりと眺めていた。

 彼女の返事を待つ。しかしいくら待っても石井は口を真一文字に結んだままダンマリを決め込んで、何かを話す気配はなさそうだった。

 らしくない。明らかにいつもと違う。今日の彼女の態度は、なんだか見ているだけでやたらと胸がざわついた。

「なあ、いし――」

 堪えきれずに再び口を開くが、タイミング悪く鳴りだしたチャイムの音に被さり、俺の声はかき消されてしまう。

「……チャイム、鳴ったぞ。席につけよ。……この話は、また後でな」

 石井はやっと喋ったかと思えば、弱々しい声で、不良のくせに妙に優等生ぶったような、わざと意図を外したとしか思えないことを言った。

 違う。聞きたいのは、そんな言葉じゃない。

 咄嗟に食い下がろうとするが、口を開きかけるとほとんど同時に、いつも軽く十分は遅れてくる呑気な担任が、何故か今日に限って時間ぴったりにやってきて、俺の言葉は形になる前に遮られてしまった。

「おうほら皆、ホームルームはじめるから席に着けー」

 先生は入ってきて早々、教室全体に向けてかったるそうに声を張った。

 正直まだ全然石井の話を聞けていないし、こっちとしても全く納得出来ていない。が、今これ以上彼女と話をするのも、躊躇われた。

 仕方がない。不承不承の態で、俺は小骨が引っかかったような思いを抱えたまま、踵を返し自分の席へと着いた。その時視界の端に映った石井の顔は、ホッと安堵しているような、しかし少しだけ残念そうな、なんとも形容し難いごちゃまぜな表情を見せていた。

 結局、石井は一日通してそんな風によそよそしく、声をかけようとしても、俺を避けるようにフイッと何処かへ消えていった。放課後もちょっと目を離した隙に、朝と同様に何も告げることなく先に帰られてしまった。いつもは俺を無理やり引っ張ってでも一緒に帰るのに。

「なんだってんだよ、クソッ」

 駐輪場に向かう道すがら、周りの生徒に奇異の目を向けられるのも構わず、やり場のない感情を吐き出すように荒々しく叫んだ。独りで自転車に跨り、息が乱れるのも構わず、消化しきれない情動をぶつけるように思い切り漕ぎ出す。心の中は少し突っついただけではち切れそうなくらい、どす黒いもので張り詰めていた。

 けれども、どれだけ乱暴にペダルを踏んでも、怒りとも落胆とも悲しみともつかない気持ちのうねりは、消えることなく胸に渦巻き続けていた。

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