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三章 その二

 三月に入っても、春らしさは一向に感じられない。

 俺と石井は、指先がちぎれそうな寒さの中、これまた凍りつきそうな程冷たい北風を受けながら、自転車にまたがり、二人で帰路についていた。

 石井は何を考えてか、相も変わらず運転する俺の後ろに立ち乗りをして、短くなった髪をなびかせながら、クソ寒い向かい風を一身に浴びている。

「風が冷てぇなあ畜生!」

「じゃあ座ればいいじゃん。立ってたら、そりゃー風を受けるのも仕方ないって」

「座るとケツが冷たいし、チャリの荷台が固くて痛てぇんだよっ!」

 彼女は俺の肩に乗せた手の力を強め、乱暴に文句を言い放った。

 ここのところ、俺と石井はほとんど毎日、一緒に登下校をするようになっていた。理由はなんてことない、石井の家が、俺の家とごく近所だと分かったからだ。

 それにかこつけて石井が『登下校、チャリの方が楽だから乗っけてってくれよ』と言い、どうせ通り道だからいいか、と俺も大して考えずに安請け合いしたことから、こうして朝夕の送迎体制が完成したのだった。

 しかしこれだけ手厚くされても、人の欲望とは尽きないものらしい。なおも石井はブツブツと後ろで文句を言っていた。

「暖かくなるまでは立ち乗りも厳しいもんがあるぜ……。なあ、今度荷台に座布団つけていいか? そうすれば寒くねぇし、痛くねぇ」

「ダサいからダメ」

「ちぇっ」

 バレンタインの頃の刺々しい雰囲気はどこに行ったのやら、石井の態度は日に日に砕けて、懐っこいものになっていった。おかげで俺も、かなり彼女と打ち解けて気兼ねなく話せるようになってきていた。

 学校での周囲の反応も、段々と変わってきた。

 髪を切った当初、それでも彼女はやはり、恐怖の対象でしかなかった。当然だ。人の評価が一朝一夕で変わるわけがない。

 それでも俺が石井と学校で一緒にいるところを目にした何人かが「山岸って石井と付き合ってるの?」とおっかなびっくりに、しかし興味に目を光らせながら聞きに来たりもした。

 曰く「彼氏が出来たからあんなに大胆に、かつ急に可愛らしくなったんじゃないか」とのこと。

 むしろ振られたから髪を切ったのだ、と言ってやりたくもなったが、咄嗟のことで言葉に詰まり、仕方なく苦笑いでごまかした。別に、一瞬だけ脳裏にちらついた『石井と付き合っている自分』を想像して照れくさくなったからじゃない。ないんだ。

 まあ、そんな感じで。

 校内の腫れ物扱いだった石井も、今では世間話のタネになるくらいには興味を向けてもらえるようになっていた。

 千里の道も一歩から。石井の計画はいつ成果が出るかも分からない途方も無いものだが、それでも、大きな進歩を見せたのは間違いなかった。

 気持ちが弾み、ペダルを漕ぐ足にも力が入る。

「うわっ、尽、速度上げんなって! 寒ぃよ!」

「あ、悪い悪い」

 一層強く風を浴びた石井が、柔らかく怒りながら文句を言う。ころころ変わる表情は、素直に可愛いと思えた。鋭く研がれた刃物みたいだった半月前とは、天地の差だ。俺が変わったのか石井が変わったのか、それとも二人共なのか。一体どれが正解なのかは分からなかったが、一つだけ、言えることはある。お互いがいろんな表情をさらけ出せるくらいに、間違いなく、そして確実に、俺たちの心の距離は縮まっていた。

 そこまで考えて、自分の青臭い思考に恥ずかしくなってしまい、咳払いでごまかして、再び意識を石井との会話に向ける。

「っていうか、石井も自転車で通学すればいいじゃん」

「してんじゃん、今。この通り」

 そう言って俺の肩にかける手をポンポン、と軽く叩く。指先は鮮やかなグリーンに塗られていて、いつの間にネイルなんて修得したんだと、内心驚かされた。感嘆を顔には出さず、話を続ける。

「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて。俺ん家の近所ってことは、石井もチャリ通許可されてるはずでしょ? だったら、自分のチャリで通学すれば、今みたいな文句も出ないんじゃないかなーと……」

 前々から疑問に思っていた。なぜ石井は、自転車通学じゃないのかを。

 うちの中学は学校と自宅の距離が一定以上離れている生徒に限り、自転車通学が許可されている。つまり、俺とご近所さんの石井も、許可されていて然るべきなのだ。

 なのにコイツが自転車で通っている姿を、俺は一度も見たことがない。

 俺の疑問を理解したのか、石井は「あぁ」と短く言い、急にかったるそうな口ぶりで話し出した。

 少しだけ、もしかしたら俺と一緒に二人乗りで登下校したいからワザとそうしているのかも、と淡い期待を持ったが、彼女の態度を見て、そういう訳ではなさそうだ。そのことに自分が予想以上に残念がっていると気付いて、内心、結構驚いた。

「私も最初の頃はチャリ通してたよ。でも、先公に禁止されちまった」

「? なんでさ?」

「見た目がみっともねえとかなんとか言ってたけど、細けぇことは忘れちまった。ちょこっと改造しただけなのによ」

「改造って、自転車を? ……どんなふうにしたの?」

「別に。普通だよ。風防つけて、三段シートつけて、鬼ハンにしたくらい」

「族チャリ!?」

 とんでもない魔改造だった。しかもその末に自転車通学を禁止されてしまっていた。石井は納得していない口調だったが、しかしこれは教師の言い分もよく分かる。というか、そんな自転車で本当に注意されないと思っていたのだろうか。

 ブー垂れる石井に呆れつつ、自転車の速度をゆっくりと緩める。そろそろ彼女の家が見えてきた。

 錆び付いたブレーキ音を響かせて、自転車を止める。同時に石井は俺の肩にかけていた手をパッと離し、滑り落ちるように自転車から飛び降りた。俺も自転車から降りて、石井へと向き直る。

「そんじゃ、明日もお迎え、夜露死苦ぅ!」

「了解。でもその挨拶は勘弁して」

 石井の冗談を苦笑で受け止める。ふざけて言っているのは分かるけれど、それでも『夜露死苦』とか言うのは昭和のヤンキーみたいで少し恥ずかしかった。彼女も、言ってみたはいいものの、といった様子で、ちょっとだけ照れくさそうに笑った。

「それじゃ、尽、また明日――」

「あれー? 尽くんじゃーん。何してんのー?」

 石井が片手を上げかけたところで、それを遮るように、妙に間延びした声が突如割って入ってきた。馴染みのあるその声に嫌な予感がして、自分の表情が硬くなるのが分かった。

 声の方をギリギリと首を回して見やる。見覚えのある人物が、セミロングの茶髪をかきあげながら、のんびりと俺たちの方に歩いてきていた。

「……。姉さん」

「珍しーね、帰り道で一緒になるなんてさー」

 そう言う彼女は見るからに高級そうな洒落たマフラーをまいて、これまた上品さを漂わせる手袋をはめた両手を擦り合わせ、柔らかそうな唇のあいだから、白く染まる息を吐きかけた。

 見紛うことなく、この少し垢抜けた感じのする彼女こそ、我が姉こと山岸チエリその人だった。眉を整え、薄く化粧をした顔にのほほんとした笑みを浮かべて、こちらへと軽快に歩み寄ってくる。

 まずい所を見られちゃったかな、と思わず目線を泳がせる。姉さんも最初から気付いていただろうに、俺の隣にいる石井に目をやってから、わざとらしく「おやっ!」なんて驚いてみせた。小憎らしく、顔を伏せ少し落ち込んだ演技までして、実に手が込んでいる。

「尽くん……」

 妙に重々しく、勿体つけて言ってきた。

「な、なんだよ」

 雰囲気に釣られて、俺もつい生唾を飲み、どもってしまう。少しの間を置いて、姉さんは顔を上げながら、にやりと不敵に微笑んだ。瞬間、嫌な予感は確信に変わる。

「おとなりのその子は、尽くんの彼女さんかなー?」

「違うよ!」

 ほらきた。即座に反論した。

 半ば予想していたとはいえ、げんなりとしてしまう。

 姉さんは恋愛話が好きだ。大好きだ。それこそ、三度の飯より恋バナが好きというくらいに。

 そんな人が、だ。弟が同級生の女子と二人でチャリに乗って、一緒に下校している姿を見たら、そりゃあこう思うのも無理はない。

 無理もないけど、でもさあ。

「そうやってすぐ勘ぐるの、勘弁してよっ!」

 俺は驚くくらいの早口で、悲鳴にも似た声を上げた。

 自分の顔がどんどん熱くなっていくのが分かる。指先も僅かに震えてきた。

 お年頃な思春期真っ盛りの男子にとって、身内との恋愛トークは、これ以上ないくらい耐え難く、恥ずかしいものだった。

「ほら、石井も黙ってないで何か言って――」

 助けを求めて石井へと話を振る。

 しかし彼女は白熱する姉弟のじゃれあいに目を向けることなく、ただ俯いて唇を強く噛んでいた。最初は、俺のように照れくささからだんまりを決め込んでいるのだと思った。でも、それにしてもなんだか様子がおかしい。

 石井の顔色は、青白かった。もとから透き通るような白い肌ではあったが、今の彼女のそれは、病的なまでの蒼白さだった。瞳は顔からこぼれそうなくらいに見開かれ、指先はわなわなと震えている。寒さのせいでないのは、明白だった。

「い、石井?」

 もう一度呼びかけてみるが、やはり返事はない。目に見えて彼女の様子はおかしかった。強張った表情のまま、石井はほとんど独り言のように呟く。

「悪い。私、帰る。じゃあな」

 聞こえてきたのは、そんな素っ気無い一言だった。言うが早いか、彼女は踵を返し、俺達の方を一度も振り返ることなく一目散にその場を去り、自宅のドアを乱暴に開けてその中へ消えていった。

「……なんなんだよ」

 呆然と立ち尽くしたまま、石井の急な態度の変化に意味が分からず戸惑ってしまう。

 姉さんがこの場に現れた途端、石井は急に態度を変えてしまった。確かに俺も姉の登場には面食らったが、それでもあんな風に、逃げるように立ち去る要素はなかったように思う。

 そして、彼女のあの反応。あれは、多分。

「……動揺?」

 直感的に、そう思った。しかし声に出してみても、当然のように正解は返ってこない。

 残された二人のあいだには、何とも言えない気まずい沈黙だけが、只々漂っていた。

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