表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/25

二章 その八

 息を切らせながら小走りに手を引く石井は、店が見えなくなった辺りでやっと歩調を緩め、こちらへ向き直ってきた。

「この、ばかたれ! 何いきなり恥ずかしいこと叫びだしてんだ!」

 かと思うと真っ赤な顔のまま俺の胸ぐらを荒っぽく掴み、鋭く睨みつけながら、辛辣に言い放った。

「ごめん……」

 普通に謝ったつもりだったが、口から出てきた詫び言は、店内での大声はなんだったのかと思うほど、掠れ切っていた。

 いくらか冷静になった頭で、思い返す。

 どうかしていた、と言えばその通りなのだろうが、自分がここまで煽り耐性が低いとは思っていなかった。まさか軽く甘攻めされただけで、半狂乱になるとは。

 衝動的に、豆腐の角に頭をぶつけたくなる。目を噛みたくなる。先ほどの自分の言動による羞恥と後悔の念で、顔から火が出そうだった。彼女の顔を、まともに見ることができない。

「ほ・ん・と・に! 分かってんのかぁ? あぁん?」

 石井はきつい目付きのまま掴みかかっていた手を離し、代わりに今度は片手を自分の腰に当てながら、俺の胸元をツンツンと突っついてきた。

「重々反省しております……」

 彼女にされるがままになりながら、なんとか言葉を絞り出す。

 その後もしばらくプリプリと怒る石井に「ばか!」「あほ!」と罵られ、その度に俺はペコペコと謝り続けた。

「ったく……。人前であんなこと言うとか、今度やったらタダじゃおかねぇぞ」

「……人前じゃなければいいの?」

 言った瞬間、悔恨の情にかられた。

 ゆっくりと彼女の方へ目を向ける。視線の先にあるその瞳は、寒気がするくらい冷たいものだった。

「すみませんごめんなさい冗談です!」

 即座に頭を下げるが、石井はわなわなと震えながら、固く拳を握ったままだった。

「んな事はなぁ……!」

 地を這うような、彼女の声。

 これはダメだ。今度こそ確実に、ぶん殴られる。

 咄嗟に頭をガードして、身を屈めた。息を飲み、目を瞑る。

 しかし、いつまで経っても彼女の鉄拳は飛んでこなかった。

 怖々様子を伺うと、石井は確かに握り拳を作ってはいるが、表情には既に鋭さはなく、どちらかと言うと拗ねているような、照れて上気しているような、そんなニュアンスが見てとれた。

「……んな事はなぁ、言わなくても、分かれよ。恥ずかしい」

 そしてプイッ、っと顔を背けたかと思うと、彼女は小さく呟くように言い放った。

「雰囲気次第じゃ、……構わねぇよ」

 構わねぇよ。構わねぇよ。構わねぇよ。

 頭の中でその言葉にエコーがかかり、何度も何度も繰り返される。その度に、胸いっぱいに甘い痺れが迸った。

 表情は見えない。だけど、石井がどんな気持ちでいるか、僅かに見える真っ赤になった耳から、察することはできる。

 そしてきっと俺も今、彼女と同じ顔をしているんだろう。

 冬の寒さが全く気にならない。首から上が燃えるように熱い。

 さっきまでは、まるで地の底にいるような気分だったのに。

 今ではもう、どこまでも舞い上がれそうなくらい、気分が高まっていた。

「……でも! やっぱりさっきのは、いただけねぇよな!」

 石井は明後日の方向を向いたまま、顔の火照りを誤魔化すように、あるいは現在俺達の間に流れる微妙なムードを仕切り直すように、わざとらしいくらいに明るく元気いっぱいに振舞った。

「だからさ、その、さ。お詫びの印として、さ」

 しかし、言葉を紡いでいくにつれて、次第に彼女のそれは歯切れが悪いものになっていく。むず痒さを我慢するかのように落ち着きなく動き、それを治める為か、一度大きく深呼吸をして、再度、俺の方へ顔を向けた。

「また今度、ケーキ食べに行こうぜ、駅前の! もちろん、尽の奢りでな!」

 その時の石井の顔は、例えようがないくらい、晴れやかで、爽やかで。

 そして彼女の誘いは、『また二人で出かけよう』という、近い未来の約束に違いなくて。

「……ああ、もちろんっ!」

 だから俺は当然のように、二つ返事で引き受ける。カモられているなんて、もう、思うわけがない。

 気がつけば陽は僅かに傾きかけ、西日が眩しく照らしている。反射的に目を細めてしまうが、それでも彼女から、目を離せない。

 燦然とした光を浴びて、彼女の紅をさしたような顔が、俺には一層目映く、そして一層赤らんで、何より、一層美しく感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ