序章
幼い頃、異性と結婚の約束をしたことがある人は、どれくらいいるだろうか。
大きくなったら結婚しようね、とか幼稚園児がしそうな、アレだ。
割とポピュラーな話だったりするから、きっと日本全国どこでも、時代を超えてそういうマセた子供達というのは存在するんだろう。
そして恥ずかしながら、かく言う俺こと山岸尽も、過去にその手の約束をしたことがある。
あれは確か、そう、五歳くらいの時だ。お相手はちょっと気弱そうな、路傍の花という表現が一番似合う、同い年の素朴な女の子だった。
その子はいつもチョンマゲみたいに前髪を結っていた。よく男の子にチョンマゲを引っ張られたりしては、毎日の様にようにわんわんと泣かされていた。
その子が泣くと、まるで自分がその悪ガキどもにいじめられたように悲しくって、悔しかった。
それが嫌で、ある日、家から飴やらビスケットやらをポケットいっぱいにして持って行った。変わらずいじめられて泣きじゃくっている彼女にそれを分けてあげて、二人で隠れながら先生にバレないようにこっそりと食べた。
お菓子を手渡された彼女は、泣くのも忘れてずいぶんと訝しんでいたようだった。きっとそれもイジワルの一環ではないかと、思ったんだろう。
モジモジとしていつまでたっても受け取らない彼女に、幼い俺は痺れを切らした。
「悲しいことは、甘いもん食って忘れろよ!」
そう言って無理矢理お菓子を握らせた。
女の子は手のひらの中身と俺の顔を交互に見比べ末に、聞こえるかどうかというギリギリの声で「……ぁりがとぅ……」と小さく呟きながら、遠慮がちに口にしていた。
たったそれだけの繋がりだった。
それだけだったけれど、それをきっかけに、二人で一緒に過ごすことが多くなった。
そしてだんだんと彼女はいじめられなくなっていった。多分、俺という用心棒がいたからだろう。それくらい、俺は彼女と一緒に過ごした。
気がついたら、他の誰よりも仲の良い、一番の友達になっていた。……その割に彼女の名前を思い出せないのは、薄情かもしれないけれど。
その子に「大きくなったら、結婚しようね」と顔を真っ赤にして言われた時は、もちろん少なからず驚いた。驚いたが、何と言っても当時の俺、五歳。
男女の事どころか『結婚』という言葉だって漠然としか知らず、ただ何となく、ああ、この先ずっと仲良くしようって約束かぁ、くらいにしか思っていなかった。
だから軽いノリで、一も二もなくその子と口約束の婚約を了承した。おまけに、そのことに感極まった彼女からほっぺにチューまでしてもらったりもした。
今思えば、それが俺の初恋だったんだろう。
自分でも思わず顔を覆いたくなるくらいの、こっ恥ずかしい幼少の淡い思い出だ。
そんなハートフルで甘酸っぱい出会いから、十年。
俺、山岸尽。現在十五歳。イコール、結婚の約束をした相手の子も、十五歳。
受験も終え、まったりとしたムードが漂う中学三年生の冬。
恋の約束をした俺達を、時の流れはゆっくりと、しかし確実に変化させていった。




