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深海を飛ぶ

 君は海に似てるね。

 …………、はあ?


 そう言って、彼はようやく俺に視線を向けた。向けた、というよりも寄越した、と言う方が正しいんじゃないかと思えるぐらいに面倒そうにだったけど。眉根を顰め、口にはしなくたって怪訝に思っていることがはっきりと伝わってくる。

 俺は芝生の上に寝転んだまま、彼が少し前に描いた絵を見つめる。あの時は美術室だったっけ。俺がこの絵を気に入ったと言ったら、何も言わずにくれたんだ。それ以来、俺はこの絵を毎日見つめている。今日なんてこの画用紙を丸めて持ってきたら、何でそんなもん持ってきたんだと呆れられたけど。

 一面に広がる深い青、青、青。群青色、そして黒。だけどそれだけではなく、うっすらと混じる白とオレンジ。不釣り合いなほど明るいその二色は、しかし自己主張しすぎることなく青に溶け込んでいる。きっと深い深い海に潜ってみたらこんな世界が見えるんだろうな、なんて思った。俺が潜ったことがあるのはプールまでだけど……ね。

 俺はこの絵が一目で気に入った。同時に、この絵は彼そのものを表しているように思えた。だから、さっきの俺の呟きに戻るんだ。


 そんな顔しないでよ、せっかくのイケメンが台無しだよ?


 わざとおどけるように言ったら、絵筆を持っていない方の手で頭をはたかれた。はたかれるだけなら軽いものだ。一回彼をからかって鉄拳を腹に受けたことがあるけど、……あれは痛かった。しばらく悶絶したもん。


 そんなに怒んなくたって……俺は本当のことを言ってるだけなのに。

 ……お前、本物の馬鹿なんだな。

 馬鹿って何!? 酷いよ!


 彼はいよいよ俺を無視して、またスケッチブックに色を乗せ始めた。殴られるのも嫌だけど、無視されるのも結構きつい。でも彼の集中を邪魔したくはないから、俺は彼から視線を外した。寝転んでいるから、まっすぐに前を見ると、自然と真っ青な空が目に入る。

 俺は心の中で舌打ちをしてから、絵に視線を戻した。


***


 俺は空が嫌いだ。

 あの日、あの子を吸い込んでいってしまったから。俺は何もできないまま、それを見ているしかなかった。

 だから俺は、“空”を許すことができない。

 俺が好きなのは、この絵みたいな深海なのに。

 深い海の底に沈んでいけたら、きっと心も穏やかになって、何も考えなくて済むんだろうな。


***


 ……なんてね。冗談だよ、俺が能天気なのは君が一番よく知ってるでしょ? 冗談、冗談。

 ……目が笑ってねえぞ。

 え、嘘!? 俺はいつでも笑顔だよ?

 まあ、いい。……んで、これ。


 彼は、ついさっきまで絵の具を乗せていた一枚のスケッチブックを乱暴に破り、俺に突きつけてきた。俺はびっくりして上体を起こす。彼は不機嫌そうな顔をしていたけど、ばつが悪そうに目は背けたまんま、ただとにかく紙を押しつけてきた。


 ……、見ていいの?


 そう聞けば彼は頷いた。さっきまでは、どんな絵を描いてるのって聞いても見せてくれなかったのに。まあ、完成するまで絵を見せてくれないのは、彼にはよくある話だ。むしろ完成したものを見せてもらえるだけでありがたいのかも。彼は目立つのを嫌う人だし……なあ。

 俺はその紙を受け取り、


 ……うわ……。


 その一言しか、言えなかった。感嘆の声しか出なかった。

 やっぱり彼らしい、一面の青い絵だった。でも、さっきの深海の絵とはだいぶ違う。上半分は明るく白みがかった色――鳥も飛んでいるから、おそらく空だろう。下半分は深い青――海だ。だけど、その二つの青は全く印象が違うのに、違和感なく溶け込んで、まるで一つのもののように見える。そして絵のど真ん中には、手を繋いでいる二人の人間が描かれている。これが何を意味するのかなんて、聞くまでもなかった。


 ……ありがと。これ、返すね。


 そう言って俺が絵を差し出すと、彼は受け取らずに首を横に振る。それどころか、絵をずいとさらに押しつけてきた。


 え……でも今日一日、ずっとこれ描いてたんでしょ? いいの?

 いい。

 でもさ……。

 何度も言わせるな。失敗作だっての。いらねえから、やる。


彼は仏頂面のまま、絵を俺に押しつける。ぐしゃ、と紙が鳴ったけど気にしない。


……っぷ、あははっ!


 俺は思わず吹き出してしまった。彼は怪訝な顔で、というか非難するような目で俺を見た。


 うそつき。だって、朝からこんな河原に俺を連れ出して、ずうっと描いてた絵だよ? 君が気に入ってないはず、ない。

 …………うるさい。


 彼はそっぽを向く。その頬が少し赤くなっていたのは、……気づかなかったことにしておこうか。ぶっきらぼうなくせに、変なところで恥ずかしがりやなんだから。


 でも、ありがとう。やっぱり俺、君の絵は全部好きだなー。

 そうかよ。勝手に言ってろ。


 絵の具を片づけ始めた彼にならって、俺も絵を片づける。空と海の絵を大事に丸めて、そしてやっぱり思った。

 全てを包み込む蒼。

 やっぱり彼は、海に似てるな……って。


***


 家に帰ってから、俺は貰った絵を壁に貼った。

 一つになっている空と海。

 スケッチブック一面に広がる真っ青な世界を見て、俺は少しだけ、ほんの少しだけど、じぶんを許せそうな気がした。

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