第6話 恐れぬ王
死ぬときの痛みや苦しみを思えば怖いけれど、長く生られるなんて思ってない。
父が絶対的主君たる王を裏切って処刑され、次いで母と側室、兄達が斬首されたと聞いて、ルティシアは、次は自分の番だと覚悟していた。
ところが、迎えに来た兵らに戦利品として、ルティシアも他の姉たちと一緒に王宮へ召し上げられることになった。
道中で姉と兵がこんなことを話していた。
「別邸に住まわせていたあの子まで、陛下の御前にお出しになりますの?」
「明確な理由もなく下手に隠し立てすると、我々が陛下よりあらぬ疑いをかけられることになる。案じずともそのような娘、お目に留まることはあるまい」
「万一、お気づきになられれば?」
「あのような見目では無論、気分を害されよう。その場で処分なさるやもしれんな。せいぜい、目立たぬようにさせておけ」
「では、陛下のお目に留まらぬ時はどうなさいますの?」
「家中にも貰い手はないだろうからな。陛下より特にご命令がなければ娼館行きだな。格安にはなるだろうが、目隠しでもしてれば客ぐらいとれるさ」
それを聞いた姉は、納得したように微笑んでいた。
王宮へ着くと、彼女達は一室に入れられた。王の御前に出る為、身奇麗にするようにと命じられ、姉達の目に火がついた。
戦利品とはいえ、王に気に入られれば、側室として後宮入りも夢ではなくなる。後ろ盾も帰る家さえ失った彼女達にとって、まさしく絶好の機会だった。
姉達が屋敷からいくらか持ち出せた自分の荷物を漁る中、一人の姉が何かを思い出して、廊下にいる騎士を連れてきた。
部屋に戻ってきた姉は、開いた扉から顔を出す騎士に、ルティシアを指差して見せた。
「この子には町娘が着るような服を用意してくださいませ」
騎士は、嫌なものを見るような目でルティシアを一瞥した。
「そうだな。陛下のお目に留まるようなことがあっては一大事だ」
(そんなに嫌なら、道中にでも置き去りにしてくれれば良かったのに)
聞いていない振りをしながら、ルティシアは胸中で呟いた。
長年疎まれていることは自覚しているし、姉達の邪魔をして国王に取入ろうとも思わない。
何も期待していない。期待して叶ったことなど今まで一つもなく、己には最悪な結末しか待っていないのだと諦めている。だから処刑されるのだと覚悟している。そうなる運命なのだと。
姉達は早速手持ちの中から、それぞれが最も自分に映えるドレスに着替え、時間をかけて丁寧に化粧を施していく。その間に世話役の騎士が戻ってきて、ルティシアに町娘の普段着のような婦人服を手渡した。
支度を整えることに必死の姉達は、着替えの最中に男である騎士が出入りしようとお構いなしだ。そんな姉達を他所に、ルディシアは用意された衣服に着替えた。化粧道具は一応持ってはいたが、意味がないだろうから何もしなかった。
「部屋の隅で、顔を上げないように大人しくしていなさい」
「そうよ。この国をお救いくださった陛下に、決してお前の呪われた目を御見せしてはならないわ」
「分かっているわね、間違っても王に取り入るような真似だけはしないでちょうだい。お前が陛下の怒りを買って処刑されるのは当然のことでも、わたくし達を道連れにしたらお前を決して許さないわよ」
殺気立った姉達の威圧に、ルティシアは押しつぶされそうになって身を縮めた。
「はい、承知いたしております」
姉の言いつけは、ルティシアにとっては絶対だった。
つまり、姉妹にとって最良な結果は、ルティシアが王に気づかれぬままやり過ごし、自分こそが選ばれることだ。
あるいは、姉達に影響がない程度に王の怒りをかい、ルティシアだけ捕らえられ、牢獄に入れられ後日処刑。
娼館に送られて見知らぬ男の慰み者になるぐらいなら、ルティシアは後者を望む。けれどいざ、部屋で国王を迎えると、恐ろしくてならなかった。
なにせ王は、父と母、兄を処刑したのだ。ルティシアを一目見て、切り捨てるかもしれない。
顔を上げないように。
気づかれないように。
息を殺して、壁に縋るように身を寄せた。
ところが王は予期せぬ行動に出た。
姉達に声を掛けることもなく、騎士の制止を振り切り、好奇心の赴くままにルティシアに近づいてきた。
王は、誰もが異形と畏怖する彼女の髪や瞳を見ても、いささかも気に留めなかった。
しかも、四年前に屋敷で蛮行の限りを尽くした変態男が、国を救った新王となって、いきなり目の前に現れるなど夢にも思うわけがない。
驚きのあまり、ルティシアは姉の言葉を完全に失念し、つい本音を出てしまった。
そんな反応を、アージェスは以前と同じく楽しむばかりで意に介さず、気がつけばルティシアは彼に選ばれていた。
余計なことをしてくれる。
彼女達姉妹にとっては、決してあってはならない最悪の事態だ。混乱したルティシアは、とっさにその場から逃げ出した。
(なぜ、私なの? なぜ、私なんかを真っ先にっ? 私の屋敷で侍女たちだけを相手にしたみたいに、お姉様達だけを選んでくれればいいのに。私なんかを選んでどうするのよ? 今頃お姉様達は、烈火のごとく怒ってらっしゃるに違いないわ。真っ先に選ばれた私を、きっと死ぬまで許してくださらない。 ああ、なんてことを)
部屋から逃げ出したルティシアは、泣きたい気持ちを押さえて王宮の中をでたらめに走っていた。
広い殿内の廊下は延々と続き、外へ出る通路が見つからない。
どこをどう通ってきたのかさえ分からない。
「なにあの女、真っ黒な髪、気持ち悪い」
「それにあんな格好で王宮に入ってくるだなんて」
「誰かっ、この娘を摘まみ出してちょうだいっ」
周囲にいた女官たちが騒ぎ出す。
いつのまにか立ち止まっていたルティシアは、すぐに自分のことだと気づいて俯いた。
部屋の片隅から、突然現れた害虫でも見るような、突き刺さす視線に耐えながら、目を硬く閉じる。
「あいつか」
衛兵が駆けつけ、ルティシアは再び走り出す。
少しばかり走った先で、行く手を阻むように、謁見の部屋にいた騎士が立ちはだかった。
「陛下がお呼びだ」
(アーシュ……。あなたが、国王陛下になっていただなんて……)
ルティシアは姉達がいる部屋とは違う部屋へ連れて行かれた。
侍女がやってきて、ルティシアの髪と目を一目見て眉をひそめた。
人前で顔を上げるな。
呼ばれても振り返るな。
相手の目を見るな。
屋敷では 家族ばかりか、侍女にまでそう言われてきた。
おかげで今では、俯くのが基本姿勢になっている。
騎士が運び込んだ箱の中から、侍女がドレスを出して無言でルティシアを着替えさせる。それはルティシアが屋敷から持ち出した数少ない安物ではなく、見たこともないような煌びやかで上質なものだった。
触ったこともないほどの滑らかな絹のドレスに、結い上げた髪に挿された宝石のついた金の髪飾り。
姉達なら目を輝かせ、夢見るように陶酔して、陛下の前に出ることだろう。
化粧が施され、美しく着飾られても、先の見えないルティシアには何の感慨も沸かなかった。それどころか、どんな仕打ちが待っているのかと想像すると、皿に美しく盛り付けられた料理にされたような気分になった。
崩されてぐちゃぐちゃにされて、最後は捨てられる。
そういう運命しか、想像できない。
食事の間へと連れて行かれ、広さと、勢ぞろいした立派なお仕着せを纏った面々を前に、ルティシアは圧倒された。空気は重々しく張り詰め、厳しい視線の数々。針のむしろに立たされているような、生きた心地がしなかった。
まだ地下牢にでも放り込まれた方がずっとましだ。
(いつかは私も殺すのでしょう? だったら早く、処刑でもなんでもすればいいのに)
思考に囚われていると、首輪が嵌められ、圧迫感に息が止まりそうになった。
彼はなにやら語っていたが、何のためにそんなことをするのかが、少しもわからなかった。
ご家臣の中でも優しそうな人が、王はすぐに手放すと言ってくれた。それにはルティシアも同感だったが、漠然とした不安に襲われた。
「良いですか、ご寝所では陛下に身を委ね、決して逆らったり逃げたりしてはいけません。どのようなことをされても、謹んでお受けすること、宜しいですね」
国王付きの侍女長官が、淡々と言いつける。
「……畏まりました」
その夜、浴室で侍女たちに身ぎれいにされ、寝衣が着せられた。
洗い立てで石鹸の香りのする下着と寝衣は、魅惑的とはほど遠い厚手で肌の露出が少ないものだった。
侍女長官が意図的に野暮ったい寝衣を選んでいたことは、ルティシアの知らぬことだ。ルティシアにしても、張り切って薄手の魅惑的なナイトドレスを着せられようものなら、全力で拒絶していただろう。
上から見下ろしてくる侮蔑の視線に耐えながら、聞いてはいたが、侍女長官が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
奴隷の首輪を嵌められた自分が、なぜ王の寝所に行くことになっているのか。
(身を委ねるってなに? あの人、私を相手にするつもりなの? そんなことありえない、あるはずがない。それなら一体……)
折檻を受けることも考えたが、上手く想像できなかった。彼は、初めて会ったときから平気でルティシアに近づき、顔を上げて赤い目を見せても咎めることのない人だった。
物好きな国王陛下は、居室に呼んだルティシアに、やはり平然と近づいてきた。
悪魔とか、呪いを受けるとか、誰しもがルティシアに触れることを躊躇うというのに、近づいてきて腕を掴み、首筋に顔を寄せてきたのだ。
屋敷で侍女達と戯れていたアージェスを思い出し、先刻侍女長官が言っていたことの意味が、額面通りであったことに驚かされる。
成人した婦人なら本当に誰でもいいのか。
(それなら何も私などを相手にせず、姉達を相手にすればいいじゃないっ)
無論、口では敬意を払ったけれど、陛下は一蹴した。
甘く凛々しい顔に、男の色気を漂わせて迫ってくるアージェスが、ルティシアは怖かった。
彼と再会する前に、兵士が言っていた。
『……陛下のお目に留まるようなことがあっては一大事だ』
『お前が陛下の怒りを買って処刑されるのは当然のこと』
妹には釘を刺しておきながら、我こそはと必死で陛下の目に留まろうと美しく着飾っていた姉達。
家臣らの敵を見るような厳しい視線。
他国からベルドールを救った王は、国民の英雄だ。王宮内でも皆が陛下を大切にしようとしていることは、世間を知らないルティシアにも見て取れた。
誰もがルティシアを、王に近づけたがらない。
それなのに王は、ルティシアに告げた。
「役に立つかどうかは俺が決めることだ。それにお前はもうこの国の法で結婚も認められる年だ。胸がなかろうとお前は女だ。俺の子を産むことだってできる」
国王がルティシアにそんなことを語ったと姉達が知ったら、烈火のごとく怒りを滾らせただろう。
さすがは英雄の中の英雄というべきか、恐れを知らない王だ。
ルティシアの方が怖くなる。