食事室の居心地
同じ思いをしていたのは、ルティシアだけではなかった。
暗闇で、何かが体にまとわりついて、引きはがしても引きはがしても、アージェスをそこに押しとどめようとしていた。
不意に、糸のような細い光を見つけて掴んで引き寄せると、辺り一面が光で包まれ、その中に青く美しい鳥がいた。手を伸ばそうとした瞬間、羽ばたいていく。
もぞりと、すぐ近くで動く気配にアージェスは敏感に瞬いた。
隣で眠っていたルティシアが、慌てて身を起こすところだった。
周囲を見れば、そこは王宮の自室の寝台内で、何も纏っていないルティシアを眺めて安堵する。
夢かと思った。
一緒にいることが。
昨夜の出来事すべてが。
何度も拒絶されたルティシアが受け入れてくれたことが、まだ信じられない。
実感したくて、昨夜は二度、三度と求め深く愛し合った。
ここにいるのだと教えてくれるように抱きしめてくれた細い腕。
華奢な四肢。
明け方前の暗闇の中、慌てるルティシアをなだめて眠らせた。
落ち着いたルティシアが眠ると、アージェスももうひと眠りする。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「やはり、食事室に行かなくてはいけないの?」
アージェスを、国王を支えると決めて殻を脱いだつもりでいた。けれど気が緩むと弱気になってしまう。
また、かつてのように重臣らの威圧を受けるのではないかと気が重くなる。
王の寝室で支度を整えたルティシアは、強くなり切れずに侍女のファーミアに溢した。
「陛下のご命令です」
これまでずっと味方でいてくれたファーミアを困らせたくはない。
胸元の大きく開いたドレスの胸に手を当てた。
「あの……痣はついているのかしら?」
かつてアージェスの愛妾になったばかりの頃、露出した肌にまでキスの痕を残されて恥ずかしい思いをした。彼に愛されることは至福の一時ではあったが、キスの痕をファーミア以外の誰かに見られるのは今も恥ずかしい。王宮の森中の別邸にいたころは、ほとんど人に会うことがなかった為気にせずにいられたが、王宮に戻ったとなればそうもいかない。
気鬱になっていると、ファーミアがふっと穏やかに微笑んだ。
「私が拝見した限りでは痣はどこにもございませんでしたよ」
「どこにも?」
聞くと同時に蘇る昨夜の記憶。
まるで宝物のように優しく触れて、口づけてくれたアージェスを思い出した。
いつもなら、容赦なくつけられる痕が残るほどの強いキスをされなかった。
「そ、そう」
己が一番よく分かっていることを聞いてしまった恥ずかしさに頬が熱くなる。
何か話して誤魔化そうと口を開こうとして、先にファーミアが話し出す。
「御心配には及びません。とてもお美しいですよ」
「あ、ありがとう」
促されて寝室を後にする。
廊下を歩くこと数分。
「あ―っ、ははうえだぁ。ははうえ」
「あっ、走っちゃだめだよ、マルクスっ」
次男のロベルトが止める間もなく、駆けつけてくる。
小さな体がルティシアのドレスの裾に抱き着く。
愛くるしい息子に改めて母親であることを思い出さされる。
柔らかな髪を撫でて屈んだ。
「おはよう、マルクス」
「おはようございます、母上」
頬に息子から口づけを受けると、ルティシアも丸い小さな頬にキスを返す。
「宮殿内で走ってはいけませんよ」
「ごめんなさい」
「ちゃんと謝れるなんて、良い子ね」
マルクスの頭を撫でていると、リシャウェルにロベルトが近づいてくる。
「おはようございます、母上」
待ちきれなかったのか、マルクスと同じく挨拶と頬へのキスを交わす。
それは、ガーネット城で親子と分かってから、欠かさぬ息子たちとの挨拶になっていた。
「それなら僕も」と、挨拶だけしていた長男のシャーリーが便乗するようにルティシアの頬に口づけた。
一度に増えた息子たちに囲まれて、ルティシアは思わず微笑み、シャーリーにもキスを返した。
すっかり緊張が緩んだところで一室に案内される。
「なんだ、なんだ、俺だけのけ者か」
七人掛けの大きなテーブルがあり、その最奥の席に着いていたアージェスがぼやいた。
皆で集まってから食事の間へ行くのだろうか。
「ただの挨拶ですよ。父上はすでにご自分のお部屋で母上に挨拶をなさったのでは?」
「まあな」
白々しくシャーリーがのたまい、アージェスが含み笑って答えた。
彼の言う通り、二度寝から目覚めてすぐ、起こされたアージェスにキスをされた。
起きるまで傍にいてくれたことが嬉しく、恐縮した。
これからどんな日々が待っているのかと想像するだけで、嬉しくなる朝だった。
父と息子のやり取りをクスリと微笑みながら聞いている間に、ルティシアはファーミアに促されて部屋の奥へと歩んだ。
アージェスの左隣の席を進められ座ると、前にシャーリーが座り、次いで付近の席に弟たちが座った。
そこへ食事が運ばれてくる。
(え?)
重臣たちとの会食ではないのか。
アージェスと息子達、その周囲には侍女や小姓らが働いている。
「ここは王族専用の食事室だ。重臣らとの会食はやめた」
内心の疑問に答えるようにアージェスはそう言った。
「お前を王妃に迎えられたからこそできたことだ。愛妾では重臣らとの会食の席に同席させるのが関の山だった」
あの頃は、別室で一人で食事させる事はできなかった。お前を良く思わない連中に何を喰わされるか心配だったからな。
後の言葉は、子供たちが席を立ち、二人きりになった時にそう説明してくれた。
なぜあんなにも嫌な思いをしながら食事をしなければならないのかと、何度思っただろう。当時のルティシアは、疑問に思いながらもアージェスの命にただ従うだけの人形だった。食事にも気を配られているとも知らず。
「感謝の言葉もありません」
ルティシアは自ら彼の胸に寄り添い、二人は抱きしめ合った。
ガーネット城で子供たちと親しい人たちに囲まれて取る食事も、ルティシアをなごませてくれたが、家族だけでとる食事は少し違う。
三人の息子に加え、長男と、何よりアージェスがいる。
賑やかで気の張らない食事は、これまで食べてきたどれほど豪華な食事よりも美味しく、楽しかった。