満ち溢れた現実
無言で、唇に指が触れてなぞられる。
「俺とお前は、ここで初めてキスをした」
ゆるく腰を抱かれて、互いの唇が触れ合う。
触れたアージェスの胸は、素肌だった。
横着な性格の人だ。暗闇でよく見えないが、きっともう全裸になっているのだろう。
一人裸にされるのも恥ずかしいが、一人全裸になられると、自分も早く脱いだ方がいいのかと気になる。
けれどドレスは自分で着付けるのも脱ぐのも難しい。
筋肉質の腕に掴まっていると、その手を取られて、盛り上がった厚い胸板に引寄せられる。
「この寝台で、お前は俺のものになった」
無理矢理ではあったが、好きな人に見つめられて、触れてもらえることが嬉しくてしかたがなかった。
拒みながらもルティシアの体はアージェスに正直だった。
間近で囁く唇が頬を撫でるように触れる。
抱かれる予感に呼吸が心なし乱れて、焦らすような緩慢な動作がもどかしい。
「嫌がるくせに、お前の身体は俺を待ちわびていた。早く抱いてくれと言わんばかりに」
耳たぶに唇が寄せられ甘噛みされる。
「あっ」
敏感に反応して、思わず声が漏れる。
アージェスが満足げに笑って、未だにドレスを纏う身体を抱きしめた。
「わかりやすい女だな。まったく、なんて可愛いのか。さてさて、俺のお姫様をどうやって愛でようか。俺は四ヶ月の童貞で、今日は解禁日で絶好調だ」
どうやら、ルティシアの恥ずかしい告白を彼は聞き流したわけではなく、しっかり受け止めて、大いに喜ばせてしまったらしい。
応えるように太い首に抱きつく。
「抱いてください、アージェス様」
居室へ来る前の庭でキスをされたときから、ルティシアは密かにアージェスに抱かれるのを期待していた。
「無論。随分と早いおねだりだな。夜は長いんだ、焦るなよ。朝までたっぷり愛してやるから覚悟しろよ」
「はい」
吐息混じりに答えると、顔を離して寄せてくる王子様の口づけを受けた。
「真紅のドレス、よく似合っている。このまま抱きたいぐらいだ」
熱く吐息をつきながらアージェスはそう言ってくれた。
唇や首筋にキスを落としながら、ゆっくりとルティシアのドレスが緩められていく。
王宮の片隅の森にある別邸では、性急に抱かれることが多かった。
けれど今のアージェスはいつもと変わらぬようでどこか違う。
大切に優しく触れてくれる。
泣きたくなるほど嬉しくて、ひび割れだらけの杯が修復されて、なみなみと愛情が注がれていくようだった。
シーツの上で手を握られ、丁寧につなげられる。
「愛してる、ルティシア」
頬に、瞼、唇へと口づけられる。
それはこれまでに感じたことのない満たされた幸せだった。
こみ上げる嗚咽に喉が塞がれて、応えたくても答えられない。
「ずっと言いたかった。愛してる」
「……私も、……アーシュ」
ルティシアは、凍えるような寒さに体の芯まで冷え切り、何もかもに疲れ果てていた。歩き続けて、ようやくたどり着いた先は、眩く、ふわりと温かな何かに包められた。
それが急に引きはがされた時、肌寒さと言いようのない不安感に襲われる。
戦場から戻ってきたアージェスは酷く優しく、ルティシアを安心させてはくれたが、絶えず身を引き裂かれるような苦しみを与えていた。
王宮中から移された屋敷にいても、不安に襲われた。
自分は呪われているから、悪魔と呼ばれているから、一緒にいてはいけないと、必死でアージェスとの距離を保とうとしていた。
我がままを言わない都合の良い女を演じ続けた。
でも違う。
本当は、困らせて嫌われたくなかったのだ。
いつも思っていた。
お願い、行かないで。
一人にしないで、ずっと傍にいて守って。
ずっと思い続けていた憧れの人に、三度目の求婚をされてルティシアは承諾した。
呪われた身で王と添い遂げようというのか?
お前は王をッ!
黒い大きな影が大鎌を振るう。
ルティシアは無我夢中で起き上がった。
暗闇で何も見えない。
手探りで慌てて付近を探ると、自分ではない人肌に触れる。
筋肉質で太く逞しい腕。
「どうした?」
のんびりとした声に、ルティシアは忙しなく言う。
「王宮へお戻りを、皆が陛下を案じられます」
ふうっと、吐息をついて、アージェスが身を起こしたルティシアを抱き込む。
「昨日、大広間で結婚を皆の前で誓っただろう。ここは俺の部屋で、お前が居て良い場所だ。まだ明け方前だ。こんな時分に出かけたら、また夢遊病だと思われるぞ。それこそ家臣らを心配させかねん」
欠伸交じりの眠そうな声に、ルティシアはようやく思い出した。
この人を支えるために戻ってきたことを。そして昨夜は、深く抱き合い、想いを確かめ合って眠りについたのだ。
「愛しています、アージェス様」
言葉にすることで、これが夢ではなく現実なのだと教えて欲しかった。
互いに素肌の身体を抱きしめ返し、毛布の中へと戻される。
「愛してる、ルル。もう何も心配せずに休め」
安心させるように、額に口づけられる。
「はい」




