幸せを呼ぶ青い鳥
「抜け出して来られて、誠に宜しゅうございましたの?」
「ああ、俺がやるべきことはやった。後は好きにすれば良い。それにだ、王が常に立派である必要もない。俺がいなければ、いないなりに各々が気を引き締め、己の役割を懸命に果たそうとするだろう。ぬるま湯に浸からせていては、後継は育たんからな」
腕の中の麗人が納得したように聞き入っていた。
アージェスは足早に居室へと向かっていたが、思い直して踵を返す。
「庭を歩こうか」
裏庭ではない。
王宮で最も美しい場所だ。
空は晴れ、まるで二人を祝福するかのように、満月の柔らからな光が、百花繚乱の庭園を照らしていた。
花など全く興味はないが宮廷人らの憩の場に、いつかルティシアと一緒に歩きたいと思っていた。
ベルドール王宮が誇る庭をいつか見せてやりたかった。
「まあ、なんて素敵なお庭かしら」
腕から下ろしたルティシアが、庭を眺めて溜息を吐くように感嘆した。
「この王宮で最も美しい場所だ。いつかお前に見せてやりたかった。お前の瞳が失われずに済んで、俺は心底安堵した」
腕から下すとルティシアが頭を下げた。
「ご心配をかけて申し訳ありません。オリオンのおかげです。陛下の事を考えるように言ってくれたのです。彼がいなかったら、私は恐怖に駆られて目を潰していたでしょう」
風が吹けば飛ばされそうなほど頼りなげであるのに、胸の奥にある芯はアージェスが思うよりもずっと強い。そんなルティシアだからこそ、アージェスは惹かれてやまない。
それにしてもなんという変わりようだろうか。
数ヶ月前、バーバラの襲撃で錯乱し、自ら命を絶ちそうなほど自責の念に囚われていたというのに、見事なまでに乗り越えて帰ってきたのだ。
感慨深く、指先で目元に触れる。
「……会わない間に随分と強くなったな。俺は、お前に会いたくても、またお前を追い詰めてしまうような気がして、怖くて臆病になっていたんだ……」
『知っていたの。本当はあなたが、私をどれほど必要としてくれていたのか。それなのに私は、自分のことしか考えられずに逃げていたの。でももう逃げない。私のために尽くしてくれたあなたの為に、私ができることをしたいの』
「お前は俺の想像を遥かに超えていた。広間での登場もそうだ。この俺が、お前に不意打ちを食らって大いに狼狽させられた。めちゃくちゃ格好良かったぞ。……本当に、よく来てくれた。よく、来る気になってくれた」
『……このようなわたくしでも、少しでも、ほんの少しでも、陛下の……アージェス様の心をお支えできるのでしたら……お傍にいさせて下さい』
広間で求婚をしたときのルティシアの台詞が脳裏を巡る。
胸が熱くなり、顔を上げさせて熱く見つめ合い、互いの唇を重ねると掻き抱いて、深く口づける。
想いが溢れ、体が昂ぶり、今にも押し倒して襲いたくなるほど愛おしくてしかたがない。
しかも、眠れぬほど恋しかった人との数ヶ月ぶりの口づけ。
もう少しも離したくはない。
身長差で背伸びを強いられる小柄な身体を、唇を繋いだまま片腕に抱き上げた。
キスの続きをしようとすると、ルティシアが急に顔を逸らして逃げてしまう。
「どうした?」
「あ、アージェス様が……その……あまりにも素敵で……」
語尾が消え入りそうなほど小さな声であったが、アージェスの耳は漏らさずに拾っていた。
ルティシアがアージェスを褒めた。
珍しいこともあるものだ。
ファーミアやエミーナから間接的にアージェスへの想いを聞いたことはあったが、直接言われるのは初めてだ。
「ルルはいつもと違うな。今宵は一段と美しい。それに、俺を心底喜ばせることばかり言ってくれる。結婚の承諾もそうだ。一体、お前はどうしてしまったんだ」
「アージェス様です」
「俺?」
「はい。……ガーネット城です。……セレス様があのお城は、陛下が私と過ごす為に築城してくださったと聞きました。あなた様のわたくしへの想いが聞こえてくるようでした。……朝焼けと夕日に映える美しい白亜の城に、輝く湖面。白を基調とした内装と家具の数々。気持ちの良い温泉、私が使わせてもらったお部屋には……」
語るうちにルティシアが泣きそうな顔になって俯き、唇を震わせた。
「なんて?」
「……『紅玉の間』と。見るたびにあなた様が私を待っていて下さっているようで、無性にお会いしたくなりました。わたくしのためにいつも心を砕いて、尽くしてくださるあなた様の為に強くなりたいと、……少しでもお支えできたらと、思うようになりました。お越しくださるのをお待ちしていたのですが、我慢できずに来てしまいました」
覆っていた己の硬い殻を、一枚一枚、尖った殻の端で手を痛め、血を流しながらも、懸命に剥がす姿が目に浮かぶようだった。そしてついに、閉じこもっていた殻から出てきたのだ。
トルテが、親友が、そして元妻が、想いが伝わることを願ってくれた。
ルティシアはこうしてアージェスの胸に、羽化して舞い戻ってきた。
「そうか、お前にしては随分頑張ったではないか」
美しく結い上げた髪には触れないので、よしよしと背を撫でて褒めた。
「あの城は、気に入ってくれたか」
「はい、それはもう」
嬉し気に声を上げた。だがすぐに気恥ずかしくなったのか顔を俯ける。
短い間にころころと表情を変えるルティシア。
いじらしさに胸が熱くなる。
「お前の喜ぶ顔が見たくて、俺が、俺の為に建てた」
「……とても素敵なお城でした。私はこんなにもあなた様に愛していただけて幸せです」
バサリと、胸の奥から何かが翼を広げて飛び立った。
「ああ、そうか」
不意に出た答えに、ルティシアが顔を上げてきょとんとした。
疑問符を浮かべる彼女に、アージェスは想いを言葉に乗せて応える。
「俺の幸せは、お前だ。お前に幸せを感じてもらえることこそが、俺の幸せなんだ。お前こそが青い鳥だ、ルティシア」
「私が……」
「そうだ。もっとお前が幸せになれば、俺はもっと幸せになれる。俺だけじゃない。シャーリーも他の息子もガーネットもだ。お前が子供達を想うように、子供達もお前の幸せを願っているんだ。お前が幸せそうに笑っているだけで嬉しくなるんだ。だから誰かを幸せにしたいなら、お前がまず幸せになれ」
細い手が、アージェスの首へと回される。ルティシアがアージェスを抱きしめた。その細い腕に力を込めて。
「私、幸せになります」
「ああ」
細い身体を潰さぬように抱きとめた。
「父上の抱っこ良いなぁ」
「明日は遊ぶお約束をしてくださったのですから、それまでの我慢です。今日は私の肩車で我慢して下さい」
大広間のバルコニーでは、第四王子が養父でもあったセレスの肩の上で、つまらなそうにぼやいていた。
その視線の先には、誰もいない夜の幻想的な庭園で、抱き合う王と王妃となった二人の幸せそうな姿があった。
「……寝るとき絵本読んでくれる?」
「喜んで」
マルクスが欠伸をして、ふにゃりとセレスの頭に頬をつけた。
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