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第5話 変態アーシュ

 幼い頃、アージェスは先王の六番目の側室を母に持ち、王宮で暮らしていた。

 だが母親は、人一倍気が小さく、権力争いに巻き込まれることを恐れて、いつも幼いアージェスと部屋に閉じこもり、怯えるように暮らしていた。その母も、彼が七歳のときに病でこの世を去った。

 母方の祖父である子爵に引き取られたアージェスは、そこで子爵が集めた家臣らの息子たちと共に武芸や学問に励んだ。セレスなどはこのときからの友人だ。

 

 一方で、王宮で何か催しがある度、アージェスは子爵に連れられて王宮へ出向いた。

 宴や茶会、狩に舞踏会。幼い頃から落ち着きに欠けるアージェスにとっては、学問に勝る苦行だった。普段はアージェスに甘い子爵も、このときばかりは、何位であろうと正当な王位継承権を持つ王子なのだからと煩い。

 王侯貴族たちは上辺だけの笑顔で、アージェスに社交辞令を交わすだけだ。常に権力者たちの興味は王太子と第二王子にしかなく、醜い権力争いが見え隠れしていた。そんなものを見るのも関わるのも嫌で、十六歳の誕生日を迎えた翌日、アージェスは単身屋敷を抜け出し、流浪の旅に出た。

 一年ほどして屋敷へ戻ると、子爵は何も言わず、孫が無事に帰ってきたことを喜び、また旅に出ると言えば、もう何も言わずに送り出してくれた。

 気ままに旅をしては友人宅を転々とし、屋敷へ戻る。そんなことを繰り返していた。


 そして四年前のことだ。

 東の隣国モントロベルを旅してから、ベルドールへと入国して間もなく、アージェスは物取りに襲われた。

 慣れた旅とはいえ異国の文化に触れて、やや調子を狂わせていたのかもしれない。

 油断していた。

 背後からすぐ近くまで迫ってきた盗賊に気づかず、背中を切りつけられた。

 辛うじて身を翻し深手になることは避けた。すぐさま反撃し、その場にいた男たちは倒せたものの、盗まれた荷物は持ち去られた後だった。

 追うにしても既にその姿はどこにもなく、背中に負った傷は、彼に荷物を追うことを諦めさせた。

 民家を探したが、歩けど見当たらない。

 雑木林が続き視界が悪い。傷を負った背中が燃えるように熱く目が霞んでくる。

 思い返せば朝食をとったきり、水以外のものを口にしていなかった。

 日が翳り、辺りが暗くなっても歩き続けたアージェスは、ついに力尽きて草の上に倒れた。

 降り注ぐ薄い光に気づいて見上げると、濃紺の空にぽっかりと満月が浮かび上がっている。

 どれだけ人々が賞賛し、羨望の眼差しを向ける宝石よりも、月の方が何倍も尊く美しく思えた。


(俺はこんなところで死ぬのか)


 急速に遠のいていく意識の中、死を覚悟した。



 目覚めると、彼はうつ伏せの状態で寝台の上にいた。


「つッ……」


 起き上がろうとして痛みに呻く。

 裸の上半身に、包帯が巻かれ、手当てされていた。


(なんだ、付近に家があったのかよ。よくまあ、あのまま野たれ死なずにすんだもんだ。何にしてもまだ運は尽きていなかったらしい)


 見えない恩人にアージェスは感謝した。

 寝台から降りたは良いが、立ち上がろうとして目眩を覚え、上半身をシーツの上にうつ伏せた。


「まあ、起きてらしたのですかっ」


 侍女らしき女が部屋に入ってきた。半身倒れているアージェスに気づくなり、慌てて駆け寄ってくる。


「無理なさらず、横になってください」


 アージェスは痛みを堪えて、再び寝台に戻ると、顔を巡らし女を品定めする。

 たいして美人でもないが、胸と尻の大きな女だ。誘えばすぐに乗ってきそうな、安っぽい雰囲気が滲み出ていた。


「君か、俺を助けてくれたのは?」


 アージェスに見つめられ、女は頬を紅潮させた。

 恥ずかしげに彼を見つめ返して答える。


「いいえ。あなたをお助けしたのはこの屋敷の主です」


「そうか。礼を言わないとな」


「でしたら、ご伝言を承ります」


「いや、直接ご本人に会って伝えたい。……だが、すぐに会えないなら……」


 躊躇って言葉を切ると、侍女が首をかしげ、アージェスは苦笑しておどける。


「世話になってるついでに、先に何か食べ物をもらえないだろうか? 腹が減って死にそうなんだ」


 お前を食うのはその後だ、と付け足すのはやめておいた。

 侍女はクスリと微笑むと、すぐに食事を用意してくれた。


 

 多めに用意された食事を、アージェスはあっという間に平らげ、出された食後の紅茶を楽しんだ後、侍女に寝台を勧められた。

 寝台に身を横たえると、侍女が気を利かせて彼の体に毛布をかけようと手を伸ばす。

 その手をアージェスは掴んだ。


 彼が言葉もなくじっと見つめると、侍女からゆっくり顔を近づけてきた。

 アージェスは女の唇に己のそれを重ねる。

 部屋の扉が僅かに開いたままであることに気づいていたが、アージェスは気に留めなかった。

 侍女はそういうことに慣れているようだった。

 二人は寝台の上で肌を重ね、その最中に、前触れもなく扉が大きく開かれる。


 緩慢な動作で振り返ると、そこには貴族の娘らしい装いの黒髪の少女が立っていた。

 驚いて真紅の双眸を大きく見開いている。

 アージェスはせせら笑う。


「男女の秘め事を知るにはまだ早い。子供は黙って扉を閉めて去るんだな」


 言われるままに少女は黙って扉を閉め、その向こうで足音が遠ざかっていく。

 それが、ルティシアとの初めての出会いだった。

 


 林の中にひっそりと建てられた屋敷は、部屋数はそれなりにあったが、住んでいるのはルティシアと数人の使用人だけだった。

 アージェスが目覚めた日に部屋に来ていた侍女は、メリエール伯の屋敷の母屋から交代で来ていた。

 二日おきに別の侍女が来る為、飽き性のアージェスにはこれほどおいしい話はない。

 性欲に昼も夜もなく、新しい侍女が来るたびに寝台に招き入れる。

 ルティシアはアージェスと会うこともなかったが、あるとき偶然廊下で鉢合わせた。

 アージェスをまるで汚いものでも見るような目で、ルティシアはこう言った。


「変態」


 暴言をアージェスは笑い飛ばした。


「俺の名は、アーシュ。助けてくれて感謝しているよ、ルル」


 彼女が別邸(はなれ)の主であり、アージェスを助けたことも、名も、年も既におしゃべりな侍女たちから聞き及んでいた。

 会って間もない正体不明の男にいきなり親しげに呼ばれたルティシアは、あからさまに顔を引きつらせた。


「私の名はルティシアよ。私の屋敷で変なことをするのはやめて」


「変なことって、何のことだ?」


「とぼけないで」


 アージェスは更にからかうべく、大股でルティシアに近づいた。

 ルティシアが慌てて後退する。

 一歩近づくと、二歩、三歩と彼女が怯えた顔で遠ざかる。


「なんだおまえ、俺が怖いのか?」


「こ、怖くなんかないわ。汚らわしいだけよ」


 虚勢を張る姿は小動物のようで可愛らしい。


「何が汚い。お前とて父親と母親の男女の営みで生まれてきたんだ。おまえも大人(おんな)になれば、男に抱かれたくなるさ」


「ならない。男なんて大嫌い」


「ふっ、ネンネちゃんにはまだ難しいか」


 アージェスがまた一歩近づくと、ルティシアが顔を引きつらせて後退する。


「馬鹿にしないで、知りたくないだけ……ち、近づかないでっ。アーシュの部屋はあっちでしょう?」


 ルティシアは自分の背後を指差し、壁側に身を引いた。

 いたずら心で己を拒絶する少女を騙し、幼馴染たちがつけた愛称で呼ばせたことに、アージェスはほくそ笑む。

 彼は知っていた。ルティシアの部屋が、アージェスが来た方向にあることを。

 知っていて、からかうべく彼女の道を塞いだ。


「せっかくこうして会ったんだ。一緒にお茶でもどうだ?」


 少女は無言で首だけを振った。


「いくら女好きの俺でも、おまえみたいな子供に興味はない。ましてや俺は豊満な女が好みだからな」


 未成年にいかがわしいことをするほど落ちぶれちゃいない。少女には少女の接し方がある。乗ってきたら、部屋で話し合い手をして、甘えてきたら抱擁でもしてやろうと軽く考えただけだ。


 だが、細い手首を掴むと、予想に反して少女はライオンに睨まれたウサギのように、いよいよ怯えた。小刻みに震えて目に涙を溜めるではないか。

 これにはさしもの色男も、罪悪感を覚えて手を放してやった。


「わかった、わかった。嫌なんだな。もう誘わないよ」


 諦めて引き下がると部屋に戻ることにした。

 以来なんとなく侍女を抱くことにも飽きて、アージェスは黙ってルティシアの屋敷から出て行ったのである。



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