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第30話 壇上の国王一家 4

 夢にまで描いた光景がそこにあった。 

 だがあまりにも唐突過ぎて、まるで雲の上を歩いているかのような浮遊感と、高揚感に包まれていた。

 実感が持てないまま、宰相のパステルが声を掛けてくる。


「陛下、明日は一日休暇とさせて頂きますゆえお控えください。壇上に皆様方の席をご用意させましたので、今一度お披露目を」


「うむ」


 親の顔から王の顔へ。


「ルティシア様のお席はいかがなさいますか」


 元王妃マリアの父であり、ルティシアを排除しようとした筆頭。パステルが頭を垂れた下で問うていた。冷徹な男は敗北を認め、国のため、王を支える為に心を入れ替えた。

 ゆえにアージェスはパステルを重用し続けている。


 覚悟を決めて子供達から離れると、ルティシアの前で静かに片膝をついた。

 まだこの王宮に、しかも多くの家臣と諸侯が集う中にルティシアがいることが信じられない。

 だが、求め続けた人は確かに目の前にいる。

 迷ってはいられなかった。

 恭しく白い手を取ると、玉砕覚悟で三度目の求婚に挑む。


「結婚して欲しい。王妃となり、余を支えてはくれぬか?」


 人目を恐れるルティシアが、己を追い詰めた者達が集う王宮へ、自らやって来た。

 それだけでも、以前の彼女からすれば奇跡だというのに、恐れながらも勇気を振り絞ってここまで来たであろう彼女に、アージェスは更なる試練を与えている。

 衆人環視の求婚は、人目を恐れ、王であるアージェスと距離を取りたがる彼女にとっては、公開処刑にも等しい仕打ちだろう。 

 困らせ、苦しめ、追い詰めるのか。


 いや、追い詰められているのは、アージェスも同じだ。

 ルティシアが公の場に出てきたことで、アージェスは選択と究極の賭けを迫られたのだ。

 ここで何もしなければ妃でもない愛妾は、王族とは認められず公の場で同じ場所に立つことは許されない。しかも王の首輪をつけた最下級の奴隷となれば、広間の客らも黙ってはいないだろう。

 共に壇上に立つには求婚しかない。

 王子らの母として、アージェスの最愛の人として。

 だがそれは、ルティシアが拒絶し続けたことだ。

 目に見えた玉砕必至の大勝敗だ。

 頑なに意思を貫く為に、命まで捨てようとしたのだ。

 年月をかけ、人目を忍んでの逢瀬を重ね、育んだ愛の末に何人子を儲けようと、決断したルティシアは非情になる。

 顔色一つ、涙一つ見せずに、アージェスから離れ、子供達を手放した。

 嫌と言うほど思い知らされている。

 それでも妻に迎えたい。 

 いつまでも未練がましく夢を捨てきれないのだ。

 いっそ、皆の前で派手に断られた方が諦めもつく。

 どれほど無様に醜態を曝そうとも、構わない。

 あとはルティシアが命を絶たないように全力で食い止めるだけだ。


(さあ、引導をくれ)

   

 断るように促そうとして、ルティシアが震える唇を開いた。


「……わ……わたくしはまだ、人前に出るのも苦手で、我が国の英雄にして王たるあなた様にはとても釣り合うような者ではございません。……な、何一つ、お役に立てず、あなた様に恥をかかせてしまうかもしれません。ですが、こ、このようなわたくしでも、少しでも、ほんの少しでも、陛下の……アージェス様のお心をお支えできるのでしたら……お、お傍に、いさせて下さい」


(断り……ではない……のか。ではなんだ、……夢でも見ているのか)


 年甲斐もなくドクドクと高鳴る自分の鼓動がやけに煩い。

 脳裏にルティシアの言葉を反芻する。

 応えるのに、数瞬を要した。


「俺の……妻に……王妃に……なってくれるのか?」


 確かめるのも躊躇うほどに信じ難い。


「はい……」


(即答した……あの……ルティシアが)


 絶句していると、まだ何か言いたそうに、苦しげに眉根を寄せて、指先でアージェスの頬に触れてくる。


「……ごめんなさい、アーシュ」


 聞き取るのがやっとというぐらいのほんの小さな声。

 言葉にならない想いが込められた謝罪と愛称に、胸が締め上げられるように苦しくなる。


「ルル、お前が何を謝ることがある」


「知っていたの。本当はあなたが、私をどれほど必要としてくれていたのか。それなのに私は、自分のことしか考えられずに逃げていたの。でももう逃げない。私のために尽くしてくれたあなたの為に、私ができることをしたいの」


 大事にするとか、幸せにするとか、言うべき言葉があるはずなのだが、綺麗に脳裏から消えていた。 

 頭の中が真っ白になって、体が動くまま立ち上がると、腕に優しく抱き包んだ。

 じわりと涙が溢れて、危うくルティシアの頬に落としかける。


(みっともなくてキスもできないではないか)


 誤魔化すように顔を伏せたが、溢れる涙は止まらなかった。


「……ルル、お前が傍にいてくれるだけでいい、他には何もいらない。頼むから、俺が死ぬまでずっと傍にいてくれ」


「喜んで」


 頼りないほど細い腕が、背に回されて、けれどしっかりとアージェスを抱きしめてくれた。


「ねえ父上、どうして父上は泣いてるの?」


 末っ子の場違いな声に、二人だけの甘く切ない世界から、一瞬で現実へと引き戻される。


「父は泣いてはおらん。雨に濡れただけのことだ」


 否応なく王の顔を貼り付けると、ルティシアから離れて何事もなかったかのように、手巾で目元をさっさと拭った。

 広間の隅で控えている近習を見つけると、目で呼びつけた。耳元で指示を出すとその場から下がらせる。


「雨? お部屋にいるのに?」


 セレスの片腕に抱えられているマルクスが、怪訝に首を可愛らしく何度も傾げていた。アージェスは振り返ると、四男の額に指先を押し付けて命じる。


「明日は特製の飴細工を作らせてやるから楽しみにしておくといい。今は、人の腕に乗っかってないで、お前の席に座っていろ」


「はーい」


 天真爛漫な息子は返事をすると、養父の腕から下りて案内された席に着く。

 次いでリシャウェルとロベルトの背を、トンと叩き、見あげる二人を目で促す。

 セレスがお包みの末姫を預かり長男が続いて席へと向かった。


 そこへ近習のトルテが盆を手に、早々に戻ってきた。


「随分早いな」


「伊達に何年もお仕えしておりませんよ。陛下のご意向は心得ておりますとも」


 茶目っ気に微笑むと、トルテは手にしている盆を恭しく掲げた。

 盆の上には綿が詰められたクッションが置かれ、その上には宝物庫に保管しておいた小さな金の鍵が乗せられていた。

 長年の友に思考を読まれ、柔軟な対応には驚かされる。


「流石だな」


 アージェスは鍵を受け取ると、再びルティシアに向き合った。

 紅玉の瞳を見つめて、白い頬にそっと触れる。


(求婚を了承したお前だ。もう、よかろう)


「ルティシア、順序が逆になったが、首輪を外させてくれ」


 穏やかな微笑を浮かべてコクリと頷いた。

 薄暗い獄にルティシアを囚え続けた忌まわしい鎖。

 嵌めるときはこうも長く、主たる自身を苦悩させるとは想像もしていなかった。

 小さな穴に鍵を差込み、金属音を立てて隷属から最愛の人を解放する。

 もう二度と嵌めることはないだろう。

 体温で温まった細いリングをトルテに差し出すと、宝物庫に鍵と共に収めるよう指示した。再び使用されないことを願って。

 アージェスはルティシアの唇に万感の思いを込めて口づける。

 惜しげに唇を離すと熱い吐息を漏らした。

 

「後でゆっくり話そう」

 

「はい」


 ルティシアが白い頬を淡く染めて、どこか恥ずかしそうに顔を伏せた。

 愛しさが込み上げて、細腰を抱き寄せると額に唇を寄せた。

 

 壇上を見ると、玉座の椅子が別のものに取り替えられている。

 猫足にビロード張りの豪奢な椅子ではあるが、一人掛け用から幅の広い二人掛けになっているではないか。

 近くで控える宰相を見やると端然としていた。


「随分と気が利くではないか」


「お気に召しませぬか」


「いや、気に入った。……許せ、パステル」


 王の祖父は宮廷の重鎮であることが多く、治世において欠かせぬ存在なのだが、アージェスの亡き祖父は子爵で、後を継いだ息子は大臣の補佐官でしかない。何の後ろ盾もないアージェスが宮廷の曲者揃いを従えることができたのは、一重に隣国との大戦から自国を守った英雄であったからだ。国中の民がアージェスを支持し、二度目の勝利で絶大な人気を博し、重臣らは民の声を無視できなくなった。

 それを承知の上で我を貫こうとした。折れて、マリアや他の側妃を迎えて重臣らの意向を受け入れはしたが、結局離縁し、捨て切れなかった自我を押し通した形となった。

 仮にも国内最大の影響力を及ぼす公爵家の面目を潰したのだ。 


「お役に立てなかった娘に落ち度がございますれば、もはやお気遣いは無用にございます。娘の幸せまで願っていただき、御寵恩感謝いたします。つきましては、殿下方もいらっしゃいますので、次は王太子妃候補を見繕わせて頂きます」


「ふんっ、懲りんやつだ、勝手にしろ」

 

 背後でパステルが丁寧に頭を下げた。

 いつの間にかルティシアの手には娘が戻されている。

 アージェスは娘を抱いたルティシアと壇上の玉座についた。

 両脇には王子らが並ぶ。

 華やかさには欠けるが、自国の未来を担う若き男児らに場が引き締まった。



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