第29話 壇上の国王一家 3
身体は無意識に立ち上がり、壇上から降りた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
王子のシャーリーが一人の婦人に、気遣うように声をかけていた。並んで歩きゆっくりと玉座へと近づいてくる。
背はシャーリーよりも低く、腕にはリンネルに包まれた赤子を抱いていた。
シャーリーはアージェスの前まで婦人を連れてくると、そっと離れて父に申し出る。
「こちらのご婦人が、陛下にどうしても申し上げたいことがあるそうです。聞いて頂けませんか」
女は赤子を抱いたままその場に傅いた。
「あ……ああ、かまわん」
いつになく、動悸が激しくなり、声が上ずる。
「四ヵ月前に、この子の父親がわたくしに、生後一月で迎えに行くとお手紙をくださいました。ですが二月経ってもお迎えに来てくださいません」
透き通るような美声に、整った顔は麗しく、結い上げた髪は漆黒。
鮮やかな柘榴のような赤い双眸に、細い首には現国王の紋章が刻まれた金の首輪を嵌めていた。
白磁のような白い滑らかな肌に、意匠を凝らした真紅のドレスがよく映えている。
アージェスは信じられない光景に息を呑んだ。
「……そ……それは……」
「この子にはまだ名がございません。国王陛下に名付けていただきたく参上いたしました」
婦人の台詞がアージェスを突き動かす。
「……よかろう……」
言いたいことがあるのに、上手く継げない。
それなのに、身体は引き寄せられて勝手に動いて歩み寄る。婦人が抱いている赤子を丁寧な手つきで預かった。
「あーう」
可愛らしい声を上げて、掴もうと小さな手が元気よく振りあがる。
見あげる穢れなき瞳に、アージェスの息は止まりそうになった。
「ルティシアッ……」
思わず名を呼び、慌てて口をつぐんでその名を持つ婦人の顔色を窺った。
彼女は胸元に不安げに手を寄せて、震える手に手を重ねていた。
「名を……寛大なあなた様なら、名を頂けると思いまして」
アージェスは赤子をもう一度見下ろした。天使のような柔らそうな淡い金の髪に、珠のような美しい顔。そこには、婦人と同じ真紅の双眸があった。
「良かろう、そなたの子に名を授ける」
鎮まりかえる広間の人々は、赤子を抱いた王の目から静かに涙が流れていくのを見ていた。
「『ガーネット』。余がこの世で最も愛する宝玉の名である」
美しく紅を引いた唇がわなないて、顔を伏せてしまう。
「赤ちゃんにお名前、頂けて良かったですね、母上」
赤いドレスの後ろから、金髪に青い双眸の快活そうな少年が出てきてそう言った。
「ええ」
ルティシアが、王族の正装を纏う少年を抱きしめて頭を撫でた。
そこへ反対側からも一人二人と更に背の低い子供達が出てくる。
「父上、ガーネットをお預かりします」
どこまで気が回るのか、傍にいたシャーリーが声を掛けてきた。
いつの間にかその隣にセレスもいる。
二人に頷かれ、アージェスは内心で大いに戸惑いながらも、長男に名づけたばかりの娘を預けた。
赤子の扱いに慣れた手つきで抱いているシャーリー。
王子として育てられていれば、することのない赤子の世話をしていたのだろう。
人として、四人の兄として優しく頼もしい。
その間に少年らは、背筋を伸ばして背の順に並んでいた。
「お初にお目にかかります、ルティシアが母、次男のロベルトにございます」
「おお、なんとご立派なっ」
緊張した面持ちではっきりと申し出た少年に、周囲の家臣らがどよめく。
他国へ送る王子である。他の兄弟とは家臣らの見方も違っただろう。
まだそのことを知る由もない息子は、密かに彼らの間で高得点を弾き出したに違いない。
堂々たる姿は親としての色眼鏡なしでも、申し分はない。
まだ幼い息子は、ざわめく重臣らに少々うろたえていたが、すぐに父へと視線を戻した。
「三男のリシャウェルです……」
「マルクスです……えと、四男です」
ロベルトに勇気を得てリシャウェルが続き、まだ何か言おうとしているところに、末っ子が待ちきれずに発してしまう。
それには三男が目を剥いて口を開こうとしたが、そっと頭に乗せられた母の手に、ビクリと震えて水をかけられた火のように、しゅんと大人しくなった。
震えていたはずのルティシアがいつの間にか落ち着いた様子で、息子らを守るようにその後ろで静かに佇んでいる。
慈愛に満ちた母親の姿に、アージェスは一瞬目を見張ったが、すぐに平静を取り戻した。
(成長、したのだな、ルティシア)
「そなたらの父だ。よくぞ参ったな、我がベルドール王宮へ。今日からはここがそなたらの家だ」
「はい、父上っ」
膝をつき、手招くと幼い息子達が一斉に抱きついてくる。
ルティシアがいて、四人の息子と生まれたばかりの娘がいる。
夢にまで描いた光景がそこにあった。