第23話 悲しき母の切望 1
「あにうえ、あにうえ、これがいい」
「いいよ」
「あにうえ、お腹の赤ちゃんも聞いてるのかな」
「聞いてるよ。だからゆっくり読むね」
「ありがとう、リシャウェル。私も聞かせてもらうわね」
「うん」
昼食後、長椅子にルティシアは座っていた。隣にはマルクスとリシャウェルがいる。
マルクスは、金髪に碧眼の双眸をしており、リシャウェルは黒髪に同じく碧眼を持っていた。二人とも整った愛らしい顔をしている。リシャウェルが童話の本を手にし、読んでくれるようだ。
ちょこんと隣に座るマルクスの体温が、服越しに伝わってくる。
温かい存在自体がもう可愛らしく、気づけば我が子に想いを馳せていた。
ルティシアはこれまで四人の男児を産んできた。無事に生きて成長していれば、長男は十五歳、次男は十歳、三男は七歳、四男は四歳になっている。
アージェスの話だと、皆、孤児院からすぐに里親に引き取られて元気にしているとのことだ。
想起のたびに、胸が苦しく、辛く悲しくなったが、後悔はしていない。無理に手元において、彼らに何かあった時のことを考えると、心底手離して良かったと納得していた。けれど、こうして幼い子供達に囲まれていると、我が子と過ごすことのできるエミーナが無性に羨ましくなった。何より、マルクスとリシャウェルの髪と瞳の色が、ルティシアが手放した息子達と同じ色をしていたからだ。
無意識に手が伸びて、柔らかな髪に触れ、小さな頭を撫でた。
撫でているうちにマルクスが振り返って、ルティシアにぺたりと抱きついてくる。
懐いてもらえるといっそう愛おしく、小さな背を優しく撫でた。
アルドリス家の今回の恒例行事には、エミーナと使用人の他に、子供達は五人いた。
成人を過ぎた娘が二人と、三人の子供達だ。
使用人たちと一緒に、大勢で昼食を取った後、エミーナは二人の娘と使用人を連れて、管理の為、敷地内の確認作業に向かった。
男児の中では最年長のロベルトは、料理番を連れて朝から狩りに出ている。なんでも近くで鹿が獲れるらしく、夕食にルティシアに振舞いたいと、張り切っていた。
残る二人の子供達は、昼食を終えるといつの間にかどこかへ行っていた。
エミーナは下の二人がいなくなっても特に気にする様子もなく、「すぐに戻ってくるわよ」と、楽観的に言い残して管理の仕事に行ってしまった。
さすがは肝が据わっている。
それにしても活発な子供たちだ。男の子というのはそういうものだろうか。
ルティシアは子供たちのことが心配になりつつも、ファーミアと談話室に移動した。侍女がお茶の用意をしにいく間、しばらく一人でいた。
そこへ二人の子供たちがやってきたのだ。
リシャウェルの音読は幼く拙いが、新鮮で癒されるようだった。
穏やかな時間が過ぎていく。
「読むのが上手ね。とっても聞きやすかったわ。ありがとう」
物語を最後まで読んでくれたリシャウェルにお礼を言うと、無言で椅子から下りた。
どうしたのかと怪訝に思っていると、マルクスがいる反対側に来て、ルティシアの膝に甘えるように頭をつけた。
もう片手で、労わるようにリシャウェルの頭を撫でてやる。
「頑張って読んでくれてありがとう、立派な兄上だわ」
「あらあら、お戻りになったと思ったら、もうお昼寝されているんですか?」
戻ってきたファーミアが声をかけると、リシャウェルが体を起こした。
「バカだな、こんなとこで寝ないよ。僕はもう七歳だぞ」
ルティシアの鼓動がトクンと跳ねる。
私の赤ちゃんと同じ歳。
「そうですか、失礼しました。でも、マルクス様は眠ってらっしゃるようですね。オリオンを呼んでお部屋に運んでもらいましょう」
「やだっ、ルルといる」
やってきたオリオンが抱き上げようとすると、寝ていた思われたマルクスが目を覚まして嫌がる。ルティシアの膝にしがみついて離れない。
「そ、その名前誰から聞いたの?」
アージェスがつけたルティシアの愛称だ。
王宮を離れて一週間が過ぎ、ガーネット城の生活に慣れてきた頃だった。しばらく会っていないアージェスが、急に身近に感じられた。
教えてくれたのはリシャウェルだった。
「ああ、ロベルト兄上だよ。ルティシアって言いにくいって」
「そ、そうね」
「僕もルルって呼んでいい?」
「え、ええ」
「ルルのお部屋へ行こうよ」
マルクスが目を擦りながらルティシアの手を掴む。
「僕も今日はルルのお部屋で寝る」
反対の手をリシャウェルが掴み欠伸をした。
いつの間にか二人の子供の間では、お昼寝をルティシアの部屋で一緒にすることになっているようだ。
「あなた達が良いならどうぞ」
「今日は、ではなく、今日も、ですけどね」
ファーミアが笑って訂正した。
エミーナは管理の仕事が忙しいのか、一つの部屋に長時間いることが少ない。
子供達はそんな母親を気にすることもなく、広い城で思い思いに過ごしているようだった。
もっぱら下のリシャウェルとマルクスは一緒にいることが多く、何かとルティシアの傍にきて一緒に過ごしていた。
ルティシアが使っている寝台は、大人が四人ほど横になれそうなほどの大きさがある。
一人で寝るには広すぎる寝台に、午睡どころか、夜もなぜか子供達がもぐりこんできて、いつの間にか一緒に寝るようになっていた。ルティシアにしても、誰かがいる方が安心で、どちらが子供なのかと内心で苦笑しながら彼らと添い寝した。
懐いてくれる子供達が可愛くて仕方がない。そう思えば思うほど、我が子への想いが強くなっていた。
城内でエミーナに会うたびに、何度も何度も喉元まで出かかったが言えなかった。
そんなある日の夜。
子供達と寝ていると、遠くで馬の嘶きが聞こえた。
起き上がったルティシアは、両脇で眠る三人の子供達を起こさぬように、そっと寝台から下りた。
「ルティシア様」
生み月が近く、部屋にはもう一つ寝台が置かれ、夜にはファーミアも同室にいてくれた。
ファーミアが近づいて、ルティシアを気遣って手を取る。
「ごめんなさい、起こしてしまって。お越しになられたのがセレス様なら、どうしてもお会いしたくて」
「ご一緒します。お子様方はぐっすり眠っていらっしゃいますから大丈夫ですわ」
コクリと頷くと、ファーミアがルティシアにケープを羽織らせ、階下へ下りた。
「お久しぶりにございます、ルティシア様。お健やかなご様子で安心致しました」
「あなたとエミーナのおかげです」
城に来ていたのはやはりセレスだった。愛妻家の彼は、三日おきに、妻に会う為と王から預かっている愛妾の様子を見に来ていた。
話したいというルティシアに、セレス夫妻は夫婦の貴重な時間を快く割いてくれた。
「妊婦さんの夜更かしは体に障ります。早速、本題を伺いましょうか」
向き合うと早々に促されたが、いざとなるとルティシアは迷う。
けれど部屋に戻って寝息を立てる子供達の存在と、温もりを感じると、きっとまた苦しくなる。それが分かっているから、もう言わずにはいられなかった。
「き、気を悪く……さ、されるかもしれませんが」
「そのようなことはありませんので、どうかお気になさらずおっしゃって下さい」
「そうよ、ルティシア。私達はあなたの味方よ。遠慮しないで」
セレスとエミーナに励まされ、思い切って口にする。
「わ、私が以前に生んだ子が、今、どこにいるかご存知ですか?」
「知っていますよ。ですが、それをお知りになってどうなさる気です?」
決して責めるような口調ではないが、後ろめたいルティシアは、寝衣の上から羽織っているケープの裾を掴んで、重くのしかかる罪悪感に耐えた。
「お、親だと……い、今更親だと名乗る気はありません。他人としてで構いませんから……あ、会わせて……ほ、ほんの少しで構いませんからどうか会わせてもらえませんか?」
触れられなくてもいい。
離れたところからでいい。
生きて、元気に過ごしている姿を一目見たかった。
言った。
とうとう言ってしまった。
我が子の幸せだけを願って手放すと決めた日から、どんなに会いたくなっても会わないと、心に固く誓ったはずなのに。
子を想うあまりルティシアは自ら禁を犯そうとしていた。
向かい側の椅子から、ふっと穏やかに笑い合う二人がいた。
すぐ隣では、傍にいてくれるファーミアが、鼻をすすってぐずぐずと泣きだしている。
どうして、彼らがそんな反応をするのかが、ルティシアには分からなかった。
「構いませんよ。では明日、お引き合わせいたします。ファーミア、ルティシア様をお部屋まで頼むぞ」
あっさりと引き受け、しかも今日の明日と驚くほどの速さに、ルティシアはそんな早く会わせてもらえるとは思っていなかった。言い出しておいて、先方の都合も聞かずに、そんな簡単に決めてしまって良いものか。
「あ、あのっ」
「大丈夫よ、ルティシア、任せておいて」
うろたえるルティシアをエミーナが宥める。
「ぐすんっ……承知いたしました、セレス様」
「ファーミア?」
涙声のファーミアを怪訝に呼ぶと、感極まったように泣き出してしまう。
「ルティシア様がやっとそのように、お子様方のことを仰られるようになられまして、ファーミアは嬉しゅうございます」
長年、ファーミアはルティシアの最も近くにいた。
手放した我が子に、時折想いを馳せていたことも気づかれていたのかもしれない。
ルティシアは、今更会いたがることを罪としか思っておらず、侍女や王の友人達の反応に、複雑になる。
「ごめんなさい、ずっと心配させていたのね」
「いいえ、私の事は良いのです。それよりも、きっと、お子様方も、お母上に会えるのをとても楽しみにしてらっしゃいますよ」
ファーミアは人が良いからそう思うだけだ。
子供たちが、喜んで会ってくれるわけがない。
生まれてすぐ人に預けるような母親だ。恨まれて憎まれていても仕方がない。
母親と名乗るつもりもない。今の生活に慣れているであろう子供達の心を、乱すようなことはしたくない。
何も言えず、ルティシアはしばらくファーミアを抱きしめていた。