第19話 決断の時
いつにも増してアージェスは集中して執務をこなした。
今日だけで最低限終わらせておかねばならないことを粗方片付けると、着替える時間も惜しんで、セレスとシャーリーを連れてルティシアの屋敷へ向かった。
「王宮へお戻りください」
馬から下りて、門を開けるなり、親友の妻にまさかの門前払いを食らった。
六児と男四児の計十人を育ててきたつわもの夫人は、屈強な男達に気圧されることもなく、後ろ手できっちり玄関の扉まで閉ざした。
神妙な面持ちで、手にしていた手紙をアージェスに差し出す。
「ルティシア様に関する報告書です。私はしばらくこちらに滞在させて頂きますので、ルティシア様のことは引き続きお任せください。報告は毎日致します。ですからしばらく、こちらにお越しになられませぬようお願い致します」
「そんなに酷いのか」
不安に駆られ、受け取った手紙を握り締めた。
「今は落ち着いて、ファーミアと一緒にお食事を取られています。ですが、些細なことで発作を起こされ、緊張状態にあります」
昼間駆けつけたときに、謝罪したルティシアを思い出す。
「俺が咎めると思っているのか」
エミーナの顔が綻ぶ。
「あなた様を想うあまりのことですわ。妊娠中の不安定さもございますから、とにかく今はそっと見守って差し上げて下さいませ」
嬉しいような悲しいような、複雑な気分にさせられる。
「そういうことなら」
バシッとセレスに背中を叩かれ、ニヤリといやらしい顔で笑われる。
「良かったじゃないか愛されてて。……心配するなよ、女のことは女に任せるのが一番だ、な、エミーナ」
「はい……」
セレスが見せ付けるように妻の唇に口づけた。
「屋敷への連絡は任せておけ」
「感謝する、セレス」
「良いってことよ。それよりルティシア様のことを頼んだぞ」
「ええ、任せて」
「お前は本当に最高の女だよ、エミーナ」
妻を万感の思いで見つめて告げるセレスを見て、アージェスは親友が自分のことで妻に無理ばかりさせてきたであろうことを想った。
「礼を言うよ、エミーナ、感謝してる」
「はい。もうお行きください。早く戻らないと。ルティシア様を放ってはおけない」
去り際、控えていたシャーリーが、エミーナに微笑んで手を振っていた。
「王子殿下もお健やかに」
「母上も……あ、あの」
「気にするな。面倒だからどっちも母と呼べばいいし、父と呼べばいい」
「随分大雑把だな」
セレスが屋内を気遣う妻を手払ってやり、エミーナは一礼すると戻っていった。
アージェスは息子の肩を引寄せた。
「良いじゃないか、四人もいて。心強いに越したことはない。今日はシャーリーが王子になった日だ。祝杯を挙げねばな」
「あ、いや、あの、僕は……」
「少しだけで構いませんよ。後は私が付き合いますから」
セレスがそんなことをシャーリーに言っている横で、アージェスはエミーナから渡された報告書が気になった。
王宮に戻ったアージェスは迷った挙句、一人で報告書を読む勇気が持てず、セレスを招いた居室で読むことにした。
シャーリーは気を利かせたのか、体調不良を訴えて、新しく用意された王子の居室へ引き下がっていった。
報告書には、アージェスが王宮へ戻ってから夕刻までの、ルティシアの様子が詳細に記されていた。
アージェスのことを気に病むあまり、尊称を出すだけで発作がぶり返すともあった。
顔に手を当て、天を仰ぐ。
「大丈夫か?」
ナッツを摘まみながらセレスが聞いた。アージェスは上手く話す自信がなく、報告書をセレスに渡す。
それに眼を通したセレスは、無言で丁寧に畳むと、アージェスに返した。
「……まさかここまで酷いとは思わなかった。……シャーリーを公表できたことで、側妃も世継ぎ問題まで解決した。俺は正直、今日から毎晩ルティシアと過ごせる気でいたんだ」
「そりゃそうだろう」
(早く会って抱きしめたい)
想いが溢れて止まらない。だがそれを、アージェスは大きく溜息をついて吐き出す。
「ルティシアと会うのをやめる。一月……いや、三月。無事に出産を終えて、一月経つまで会わない」
「……辛いだろうが、それが最良だろうな」
「頼みがある」
「何なりと」
「産後一月まで、ルティシアを預かってくれないか? 迎えに行くのは、状態が安定してからになるだろうが……」
「喜んで」
セレスはふっと安心したように笑った。
「俺の方から申し出ようかと思ったんだがな。お前がまた『ルティシアが俺を気に入ったら』、なんて言い出しそうな気がしてたが、……さすがにそんな余裕はもうないか?」
「まあな。それに、もうあそこから出してやりたいんだ。ルティシアの為にも、息子たちの為にも。これ以上後ろめたい思いはさせたくない」
二つの杯をとると、セレスがとぷとぷと音を立ててぶどう酒を注いだ。一つをアージェスに、もう一つを自分が手にして掲げる。
「お前の描く幸せまであと一歩だ」
「ああ」
無二の親友に倣い、輝かしい未来に向けて杯を掲げた。