第16話 時を越えて 2
「可哀相な母上。王宮から離れられてもう随分経つというのに、今だに口さがない大臣らが罵っているのを耳にします。……父上を裏切った御爺様の娘だからですか?」
「だろうな」
アージェスは素直に認めた。ルティシアの姉達は抜きにして、重臣らが敵視したのはそこに原因がある。
「どのような理由であれ、王が反逆者の娘を大事にしたとあっては、忠義を尽くす家臣らは、ないがしろにされたと感じただろう。俺はただ、后を選んだ後の権力闘争を避けたいがためであったが、単純なことではなかった。はじめから適当に王妃と何人かの側妃を、重臣どもの娘から素直に選んでおけばよかったのだ。……結果論に過ぎんがな。だが俺にはそれができなかった。いつまでも心を許そうとしないルティシアに、いつの間にか夢中になり、王妃にすることしか頭になかった。大臣どもは益々躍起になり、ルティシアは自分を追い詰めていった。……お前にまで不快な思いをさせてしまったな、すまない」
「いいえ、僕のことでしたら大丈夫です。それに、今日、父上がはっきりと、母上の名誉を回復してくださったと聞き及びました。胸がすきました」
「……そうか。……そういやお前が、武官から文官になったのは、ルティシアのことを調べる為だったのか?」
いいえ、そうではないのですが、とシャーリーはことの次第をアージェスに話して聞かせた。
出てきた宰相の名に、思惑が見え隠れし、ふとシャーリーの任命式で親友が浮かない表情をしていたのを思い出す。
「どうりでセレスが嫌そうな顔をしていたわけだ」
怪訝な顔をするシャーリーに、アージェスは苦笑した。
「政務官、任命式の時のことだ。あいつのことだ、いつか俺がお前を手元に戻すと踏んでいたに違いない。そのお前に、母親のよからぬ噂を耳にしやすい場所で、働かせたくなかったのだろう。武官の間では、ルティシアの話はめっきり聞かなくなったと、セレスが言っていたからな」
「そうですか」
情の篤い、面倒見の良い男だ。その男がアージェスのほかの息子たちも預かってくれている。
あと三人。
なんとありがたいことか。
友として、人として、セレス以上に信頼できる男はいない。その男が大切な我が子を預かってくれていたのかと思うと、また感極まって泣けてくる。
いつからこんなにも涙もろくなってしまったのか。
一呼吸つくと、息子に訊ねた。
「……弟達は元気か」
「はい、それはもう煩いぐらいで。本当の父上が国王陛下だと知ったら、きっと驚いて大騒ぎするでしょう」
目元を覆って涙を落とす父を、息子が穏やかに見ていた。
息子の口から出た職業に、アージェスは嫌でも現実に引き戻される。
「……父上?」
涙を拭い、急に顔を引き締めた父に、シャーリーが怪訝に声をかけた。
現実的な話をしなければならない。
先へ進む為に。
「父として、ベルドール王としてお前に命じる。余の第一王子として皆の前に立て」
シャーリーは瞠目したが、意を決したように目の色を変えると、アージェスの前で床に片膝をつき、臣下の礼を取った。
「謹んでお受けいたします、陛下」
「うむ。セレスも共に育ったポトスらもいる。お前の味方となってくれるだろう。早々に教育係もつけるゆえ、何も案ずることはない」
シャーリーは丁寧に下げた面を上げ、アージェスと同じ青い双眸に強い意志の光を宿して奏上する。
「このシャーリー、父上の御名に恥じぬよう励みます」
「よくぞ申した」
(なんなんだ、お前のその眼はっ)
親の勝手で手放し、親の都合で引き戻した。それなのに、なぜそうも熱くなれるのか。
「陛下、一つお願いをお聞き届けいただけないでしょうか?」
(なるほど、その願いとやらの為か)
「内容如何による。話してみよ」
「では申し上げます。母上の首から、どうか『隷属の首輪』をお外しください」
息子は真剣だ。
以前、離れたところから庭先にいるルティシアの様子を見ていたシャーリーを思い出す。
首輪を嵌められ、王宮から隔離され、閉鎖された場所で過ごしているルティシア。
何も知らない者からすれば、囚われた哀れな身と思うだろう。
ただでさえ、王宮で大臣らに謗られていたのが、己の母と知って心を痛めたのかもしれない。
「先ほどのことで、父上が母上を大層慈しんでおられることは察せられました。それほど大切に想われていらっしゃるのならば、いくら戦利品から愛妾になられたとしても、もう十八年も前のこと、奴隷の首輪など必要ないではありませんか」
王である父に、母の寝台を背に切々と訴える息子のなんと立派な姿か。
さてさて、この熱した息子になんと言ってやるべきか。
アージェスは深い吐息と共に、王の顔を剥がし、重くなる頭を抱えた。
「お前の言いたいことはよく分かった。これだけは言っておくが、俺とて好んでつけたままにしているわけではない。外せるなら今すぐにでも外してやりたいぐらいだ」
「と、申されますと?」
「お前が生まれる前の話だ。ルティシアは俺の求婚を拒んだ。だが、俺に囚われていることに満足していた。首輪を嵌めていることで、人としてではなく、俺のモノでいられることに安心しているんだ。無論、俺にとってはお前の母親こそが妻で、誓って、奴隷などと思ったこともなければ、そのような扱いをしたことも一度としてない」
シャーリーの男にしては白い顔が、話している間にもみるみる紅潮していく。
「何赤くなってんだ? お前が聞くから、俺は至極真面目に答えてやってるんだろうが」
からかうつもりもなければ、卑猥なことも一切含んではいない。
だが、女経験が浅い、あるいは皆無にも思われるおぼこい少年には、どうやら刺激が強すぎたらしい。
先刻までの平常心と勇ましさはどこへやら。大いにうろたえている。
「そ、それはそうですが、ま、まさかそのようなこととは思いもよらず……」
「お前とてもう子供ではないんだ。ケツの青いこと言ってないで女を知れ。ただし、ルティシアには手を出すなよ、あれは俺の女だ」
「わ、わかってますよ、そんなことっ」
心外だといわんばかりにムキになっている。
「まあ、楽しみにしていろ、この父がいくらでも女遊びを教えてやる」
「そういうことでしたら、謹んでお断りしますっ」
売り言葉に買い言葉だ。ろくなことにならないと踏んでいるのだろう。
からかいがいのある面白い息子だ。
ようやく年頃らしい反応が見られて、アージェスは頬を緩めた。
「急で悪いが頼む」
「はい。私がしっかり看させていただきますのでお任せください」
セレスの妻エミーナが頼もしく答えた。
エミーナは六児の母で、これまでにルティシアが出産するたびに手伝いに来てくれていた。
しかもその間もアージェスの息子たちを、何も言わずに黙って預かってくれていたのだから、こちらにも頭が上がらない。
この日はたまたま所用で王宮に来ていたらしく、セレスに呼ばれて駆けつけてくれた。事情を説明すると快く付き添いを引き受けてくれることになったのだ。
気さくで明るく、姉御肌で、十人も子を育ててきた頼もしい夫人だ。
人見知りの激しいルティシアも、エミーナには慣れている。
気絶から目覚めたファーミアも、頼りがいのある夫人の登場にほっとしているようだった。
普段から、屋敷の人員が少なすぎたのだ。
護衛騎士一人の侍女一人、料理番一人、清掃の下女二人に、食材などを運ぶ下男と庭師が一人ずつ。最低限の人数だった。ルティシアが人目を恐れ、見知らぬ者に怯えるため、移り住んだ当初から、増員が難しかった。屋敷自体は王宮の本殿から離れているとはいえ、敷地内にあり、それでいて人目から隠すように深い森中にある。
王だけが訪れる場所だ。他に訪問客はなく、周囲の木々が屋敷を守っている。そんなこともあり、衛兵すら置かなかった。
ゆえに、シャーリーに始まり、王妃のマリア、そしてバーバラの侵入を易々と許すことになった。
これ以上、現状のままにはしておけず、早々に周囲に衛兵を配備した。騎士も増やしたいところではあったが、ルティシアの精神衛生をおもんぱかり、増員は踏みとどまった。
できる限りの指示を出して改善を試みると、後ろ髪引かれながらも、アージェスはセレスたちと王宮へ戻った。
実の息子が明らかとなったのだ。世継ぎ問題で揺れる宮廷を一刻も早く平定せねばならない。