第14話 親友の裏切り
「助けて……この子……だけは……」
寝台の上でルティシアが、苦しげに眉根を寄せてうわ言を繰り返していた。
王宮から急遽呼びつけた御殿医が早速診察する。その背後で、アージェスは鋭く睨んだ。
「ルティシアを死なせたら、お前を八つ裂きにしてくれる」
「ぜ、善処いたします」
御殿医は威圧する国王に顔を引きつらせ、ルティシアを診ながら、連れてきた侍女に指示を出した。
重臣との間で側妃候補の件が片付いたばかりだった。
ルティシアの護衛が駆け込み、側妃のバーバラが襲ってきたと報告を受けて、アージェスは隠れ家にすっ飛んできた。
玄関に入るなり、廊下の奥から言い争う声が聞こえ、直後に部屋からルティシアが出てきた。
ひとまず無事な姿にほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、声をかけると、驚いてビクリと震え上がり、慌てたように奥へと行ってしまう。
聞こえているはずなのに遠のく姿に、アージェスは無性に不安を覚えて追いかけた。
「ルティシアっ、待て、どこへ行く気だっ」
すぐ後ろまで近づくと、ルティシアが怯えて伏せた顔をいっそう俯かせて萎縮した。
屋敷に移り住んでからはめっきり見なくなっていたが、その反応は王宮にいた頃のルティシアを彷彿させた。
小柄な身体は振り返ると、おもむろに床に膝をついて大きな腹部を気遣いつつも、深く頭を下げた。
「私はどうなっても構いません。でもこの子だけは、……どうか……生ませて……下さ……いっ」
「何を言っているんだ。俺がおまえをどうにかするわけがないだろう。子もちゃんと生ませてやるから、安心しろ」
苦しげに浅い呼吸を繰り返し、なおも言い募る。
「はぁ、はぁ……今度こそ、この命で……はぁ、はぁ……あがない……ます……」
アージェスの声を、言葉をまるで聞いていない。
側妃のバーバラの父親は、日頃からルティシアを悪魔と罵り、何かあると呪いだと責任転嫁して憚らぬ大臣だ。
娘が父親の戯言を真に受けていても不思議ではない。
すべてをルティシアのせいにして責めたのか。
一瞬で頭に血が昇る。
アージェスは握りこぶしを怒りで震わせた。だが、務めて冷静に、ルティシアを抱きしめてやろうとして嫌がってかわされる。
「ルティシア、落ち着け。お前は何も悪くはない。俺の言葉を信じろ」
「お、おなか……がっ」
床に倒れてうずくまり、手を腹に宛てて苦しみだす。
近くで控えていた近衛が、気を利かせてすぐに御殿医を呼びに王宮へと走った。
「うっ……助けて……この子だけでいいから。……たすけて、あーしゅ……」
ルティシアは額に脂汗を滲ませて苦しみながらも、アージェスの長衣を掴んで必死に訴えた。
「しっかりしろ、必ずお前も助けてやるから……」
「……この子だけで……良い……の」
昇ったはずの血の気がさーっと引いていく。
十七年前のあの日、衣裳部屋で見つけたげっそり痩せたルティシアの姿が、脳裏を過ぎる。
「息を吸いすぎてるじゃないか。布だ」
後から駆けつけてきた無二の親友が、蒼白になるアージェスの腕にいるルティシアを覗き込んだ。
借りるぞと断わると、アージェスの懐から手巾を抜き取り、広げてルティシアの顔を覆う。
「その上から呼吸ができる程度に鼻と口元を覆ってやれ」
指示されたままに、アージェスはルティシアの顔に宛てた布の上から、更に口元を覆う。
硬く強張っている白い手を掴むと、セレスはアージェスのもう片手をルティシアの手に重ねさせる。
「心配ない、ちゃんと治まるからしっかり手を握っていろ」
時間さえあれば積極的に子育てに参加し、年頃の娘を持つよき父でもある。
うろたえることしかできないアージェスにとって、親友の言葉ほど頼もしいものはない。
セレスがルティシアの反対の手を握ると、背後を振り返った。
「ポトス、王宮にまだエミーナがいるはずだから連れてきてくれ。シャーリー、こっちへおいで」
若い騎士が快諾して玄関を去り、近くにいた三男のシャーリーがすぐにやってきた。
文官のお仕着せをきたシャーリーは、今は宰相の執務室で勤めている。その少年が何故ここにいるのか。
振り返ったセレスが握っていたルティシアの手を、シャーリーに差し出す。
「こちらがあなたの産みのお母上です。しっかりお手を握っていて差し上げてください」
「は?」
「え?」
さらりと流したセレスの台詞に、ルティシアを挟んでアージェスとシャーリーの声が重なった。
「悪いな、お前の四人の息子は、俺が預かってたんだよ」
セレスに託した我が子は、皆孤児院へ入れてくれるように依頼し、納得して従ってくれているものと信じきっていた。
「まッ、まさかおまえっ、俺を騙していたのかっ?」
口を半開きにして呆然とするアージェスは、離れて立ち上がった親友をまじまじと見上げた。
セレスはまるでいたずらが成功した子供のような顔でニッと笑い、世にも珍しいアージェス王の見事なまでの間抜け面をたっぷり拝んだ。
「俺達は親友だろう? 人聞きの悪いことを言うなよ。孤児院に入れ忘れていただけだよ」
「ばか言え、そんなことがあるか、確信犯めっ」
(おまけになんなんだ、このどっかで聞いたことのあるやり取りはッ!
いつぞやの仕返しかっ)
養父を見上げていたシャーリーが、その視線を追って判明した実父へと目を向ける。
さすがに息子にまで動揺を見せられず、アージェスは顔を伏せた。親友に完全に騙されていたというのに、熱いものが胸の奥から込み上げてきて、とても顔を合わせられなかった。
「くそセレスめっ、俺を嵌めやがって」
「ごちゃごちゃ仰ってる暇はありませんよ。早く寝台へ運んで差し上げて下さい」
「お前だろうが、こんな時にっ」
十六年も澄ました顔で騙し続け、悩むアージェスに寄り添い、叱咤激励を送り続けたセレス。
酷い裏切りだ。
(俺を泣かせやがってっ)
恨めしいのに顔が緩む。
いつの間にやら、ルティシアの手の硬直と呼吸が幾分治まってきた。アージェスは袖で乱暴に目を擦ると、身篭る彼女を丁寧に抱き上げて寝所へと運び込んだ。
寝かせたところで御殿医が駆けつけてくる。
後のことを医師と侍女に託すと、アージェスは廊下に出た。
控えている近衛らを別室へと下がらせ、部屋のすぐ前の壁にもたれ、御殿医が出てくるのをじっと待った。
近くでシャーリーが手を組んで祈り続け、その横にセレスがついていた。
ルティシアのことを思うといてもたってもいられないというのに、息子が傍にいると思うと、不思議なほど落ち着いていられた。
一見華奢で頼りなげだが、その小さな体で、すぐ傍にいるシャーリーを含め四人もの子を産んできたのだ。
意外と身体は丈夫な方で、滅多に風邪などの病にもかからない。
儚く頼りないようで、その実は強くしなやか。
死にそうで死なない、それがルティシアだ。