第13話 招かれざる客
ルティシアは刺繍をしていた。
生まれる我が子の幸せを願い、青い鳥を一針一針刺しているところだ。
バンッ!
部屋の外で、けれどはっきりと乱暴に扉が開く音が聞こえ、ルティシアはビクッと震えた。
「陛下がお越しになられたのでしょうか、見て参りますね」
傍にいたファーミアが告げた。
「え、ええ」
返事はしていたが、ルティシアにはアージェスだとは思えなかった。王が訪問する時は、いつも静かに扉が開かれ、決して乱暴に開くことはない。
嫌な予感がしてすぐにその場から離れる。
隣の寝室へ向かっていると、聞いたことのない女の怒鳴り声が聞こえてくる。
「ここにいるのでしょうっ? 今すぐお出しなさいッ!」
「お引取りくださいッ。ここにはいらっしゃい、はぐッ……逃げてッ、ルティシア様逃げてッ!」
長年仕えてくれているファーミアのただならぬ声に、ルティシアは引き返した。
刹那。
派手な音を立てて開いた扉に、長椅子の裏側にいたルティシアは、とっさに大きなお腹を抱えて膝をついて身を隠した。
「ルティシア・メリエール出てきなさいッ! 悪魔めッ、ここにいることは分かっているのよッ」
足音が近づき、そして止まる。
急に静かになって佇む殺気に満ちた気配。
かつてそう呼ばれていたルティシアのいわれなき汚名。
乗り込んできた女が、怒鳴って自分を探している。
ルティシアは、かつてない恐怖に戦慄した。
「お前の呪いのせいで、王家にお世継ぎは生まれず、私は流産したのよっ」
『……わたくしにも他の六人の側妃にも、王子を授かることができなかったのです』
『陛下は今、お世継ぎを設けられずに苦しんでおられる』
(わ、私の……)
ドクンと鼓動が鳴り、時間をかけてゆっくりと沈んでいた何かがかき混ぜられてせり上がる。
そうよ、お前のせいよ。
お前が御爺様と侍女、マドレーヌを呪い殺したんじゃない!
どこかから姉の声が聞こえてくる。
ルティシアはふるふると首を左右に振った。
「いいえ、お前のせいよ、全部お前のせいよッ!」
『お前がいるからこんなことになるんだ』
『お前など早く死んでしまえばいいのに』
『悪魔、出て行けッ、出て行けッ』
ヒステリックな金切り声に、死んだはずの父や兄、母の声までが聞こえてくる。
ルティシアは必死で言い募る。
「私は何も、何も……」
「では、そのお腹はなんなのよッ。私には流産させておいて、お前だけ陛下のお子を、お世継ぎを産もうと言うのッ」
「ち、違いますっ、……この子は、……この子は、あぐぅ、や……やめてぇッ」
四つん這いになっていた身体の上から馬乗りにされ、床に押し付けられる。ルティシアは腹をかばって腰だけでもと、必死で横に向けた。
「死ね、おまえなど死んでしまえッ!」
見知らぬ女に、首に手がかけられルティシアは死を覚悟した。
「貴様、何をやってるんだ、離せッ!」
騎士のオリオンが駆けつけ、首を締められた直後、その手が離れていく。
侵入者の見知らぬ女を、騎士のオリオンが羽交い絞めにして離れさせる。
「何をするのよっ! 離しなさいっ!」
オリオンは叫ぶ女を引きずるようにして部屋から連れ出した。
それなのに声が聞こえてくる。
『では、そのお腹はなんなのよッ。私には流産させて、お前だけ陛下のお子を、お世継ぎを産もうと言うのッ』
『……そのような禍々しい姿で……御爺様に侍女、マドレーヌを呪い殺し、父上を狂わせたことを忘れたわけではないでしょうね?』
『お前は恐れ多くも陛下を呪い殺すつもりなの?』
「奥様、奥様大丈夫ですか?」
ルティシアが呆然としていると、いつも美味しく温かい料理や焼き菓子を作ってくれる料理番が駆けつけてきた。
聞かれて答えようとしたが、反応できなかった。
「悪い女はオリオン様が縛ってましたよ。何があったのかファーミアは廊下で気絶してるんでさ。今、オリオン様が陛下に報告に行ってますから、直に人を連れて……」
「だめっ」
横になっていたルティシアは、重い腹を抱え、手をついて上体を起こすと、料理番に訴えた。
「お願いやめてっ、私は平気だから、私の事は陛下に言わないでっ、お願い、お願いっ」
「そ、そんなこと仰られましても、もうとっくにオリオン様が……」
訴えても訴えても、母も父も兄や姉達も、誰もルティシアの言葉を聞いてはくれなかった。
(私が……私が……だから……)
姉の声が思考に割り込んでくる。
『信じるもなにもお前が呪い殺したのよっ!』
「私がいるから……はぁ、はぁ、……この子を産んだら……はぁ」
(今度こそ……。だから、この子だけは……)
天罰が下ったのだ。
呪われた身で、王の優しさにいつまでも甘えていたから。
知らず、知らず、呼吸が浅くなり、息苦しくなってくる。ルティシアは立ち上がると、ふらつきながら部屋から出ようと歩く。
「奥様、だめですよ。ここにいてください」
「いいの。私はいいの。ここにいちゃいけないの。ここにいたら……」
『お前の呪いのせいで、王家にお世継ぎは生まれず、私は流産したのよっ!』
女の絶叫が聞こえてくる。
(私が悪いの。私がいるから……)
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「いけません、奥様っ」
「分かってるわ。だから……」
(どこへ行けばいいの? 私はどこへいくべきなの?)
腕を掴む料理番の手を解き、ルティシアは部屋から出た。
「ルティシアッ」
離れたところからかけられた鋭い声に、ルティシアはビクッと震え上がった。
だがすぐに、その声とは逆の方へと足を速める。
「ルティシアっ、待て、どこへ行く気だっ」
あっという間に迫ってきたアージェスに、ルティシアは縮み上がる。こうなるともう逃がしてもらえない。諦めて振り返ると、床に膝をついてつかえる腹を気遣いながら深く頭を垂れた。
(許してもらえない。父上も、母上も私を許してはくださらなかった)
「私はどうなっても構いません。でもこの子だけは、……どうか……生ませて……下さ……いっ」
「……」
王が何かを言っているが、声は聞こえるのに何を言っているのか分からなかった。
(分かっています、陛下)
ルティシアは浅い呼吸を繰り返し、眩暈を覚えながらも必死で言い募る。
「はぁ、はぁ……今度こそ、この命で……はぁ、はぁ……あがない……ます……だから……」
呼吸ができない。胸が苦しい。
お腹が痛い。
助けて。
助けて……あーしゅ。
ルティシアは腹を抱えてその場でうずくまった。