第12話 代償
「……なんと申した?」
新たな側妃候補を決定したと報告があり、アージェスは重臣が居並ぶ席に着いた。
そこには後宮を預かる王妃や軍の総司令官であるセレスもいる。
そんな中聞かされた名に、アージェスは自分の耳を疑った。
「ですから、我々が議論に議論を重ねた末に絞ったご側妃候補には、ルティシア・メリエール殿を推挙致します」
「ふっ、何の冗談だ」
アージェスは一笑に付した。
すっと立ち上がったのは、王妃のマリアだ。
彼女はいつ議会に参加しても、何も言わずに耳を傾けているだけの大人しい王妃なのだが、この日はどうやら違うらしい。
「冗談ではございません。長年、陛下のご寵愛を受けておられるのはあの方ではございませんか。現にあのお方は今、陛下のお子を身篭ってらっしゃいます」
「だからなんだ」
マリアがやはりと言う顔をする。
王妃は公爵家の娘だ。
確信はなかったようだが、人を使えばいくらでも調べられる。下手な嘘を吐いてもすぐに暴かれることだ。
だが人の隠し事を暴いたのだ。
それ相応の代価を支払ってもらわねばならん。
事と次第によってはこの場で首を撥ねるやもしれん。
一瞬にして纏った殺気は重臣でさえ震え上がらせる。
王妃の発言に、居並ぶ重臣らが黙っているところを見ると、どうやら既に周知の事実となっているようだ。
「悪魔と騒ぎ立てていたのではなかったのか」
「そんなことを言っていられる猶予がないことぐらい、陛下ご自身がよくご存知のはずです」
重臣らは目を逸らし、当事者でもない王妃が代弁した。
知ったような口ぶりに、元凶どもはそ知らぬ顔だ。
やつらはいつだってそうだ。自らの手は決して汚さない。さも己が正しいかのように持論を展開し、賛同する者を思惑のままに動かし、時に大衆を味方につけてきた。
どこまで狡猾なのか。アージェスの堪忍袋の尾はブチンと切れる。
(なぜ自ら動いた、マリア。俺はお前を愛してはいなかったが、王妃として認めていたものを。だがお前は、決して暴いてはならぬ秘密の花園へ踏み入ったのだ)
(その罪は重い。贄となり、償うがいい)
携えている長剣の柄に手をかけると、すらりと鋭利な刀身を引き抜いた。
「へ、陛下っ」
きらりと瞬く真剣の切っ先を王妃の鼻先に向けると、宰相以外の大臣らが慌てて腰を浮かせた。
「皆、動くな。お綺麗な王妃様の顔に傷などつけたくはなかろう」
「何がお望みですか、陛下」
(良い度胸だ)
切っ先を向けられても、マリアは動じることなくアージェスを毅然と見返した。
「かつてルティシアが王宮にいた頃、俺はアレに求婚した。アレが俺になんと答えたかわかるか?」
王妃の美貌が侮蔑へと歪む。
「お受けしたのではございませんの?」
嫉妬で醜く歪んだ顔は、ルティシアを蔑み続けたその他大勢と変わらず、発した想像力に欠ける単純な答えは、ただただアージェスを不快にさせた。
「俺はアレに二度求婚した。二度ともアレの答えは自ら死を選ぶことだった。アレはいつもこいつらの目に怯え、王宮中に蔓延する誹謗中傷に耐え続けていた。己が呪われていると信じ、戦から俺が無事に帰還することを祈って自ら目を潰そうとし、俺が王妃にと望めば、食事を絶って自殺を図った。それをこいつらは愚行と嘲り、婚約を解消してお前を選んだ俺を賞賛した。のうのうと王妃になったお前に、アレの何が分かる?」
にわかに王妃が顔色を失い、静かに炎を燃え上がらせるアージェスの憤怒に青褪めていく。
「温室育ちのお姫さまには分かるまいよ。それでもアレを王宮に戻したくば、お前の両目とその髪を捧げろ。さすればアレにお前の髪をかぶせて王妃に立たせてやる」
誰にも分かるまいよ。ルティシアがこれまで味わってきた孤独と深い苦しみを。
無慈悲な切っ先を目に向けられて恐れぬ者などいるものか。
だがルティシアは、それをやってのけた。
たった一人で。
俺にさえ計り知れぬことよ。
そこまでしたルティシアに、俺がしてやれることはなんだっ。
これ以上の愚弄など、誰であろうと決して許さんッ!
「何を血迷ったことをっ」
正気の沙汰とは思えぬ狂言にマリアは絶句し、声にしたのは大臣の一人だ。
「血迷ってなどおらぬわ。どれだけ機会を与えても男児一人設けられず、挙句散々愚弄して追い詰めた女を、この期に及んで引き戻そうというんだ。それなりの覚悟をみせてもらわねばな」
「ひっ」
にじり寄ると、剣先を眼球前に突きつけられた王妃が、蒼白になって目を剥いて仰け反った。
「ルティシアは、十八で俺の為に瞳と命を捧げようとした。さあ、お前も捧げろ」
気圧されたマリアが震え上がり、後じさりながら尻をついて倒れた。室内がビリビリと張り詰める緊迫感の中、アージェスは一思いに剣を振り下ろす。
その場にいた誰もが、制止の叫びを上げた。
刃はマリアの後れ毛を何本か切り落として、床に突き刺さっている。すぐ近くでは、王妃が白目を剥いて気絶していた。
剣を引き抜くと、懐にしまいこんだ刺繍の青い鳥に、そっと服の上から手を宛てた。
(すまない、ルティシア)
胸中で謝罪すると一同に勅令を下す。
「側妃はもうよい。ルティシア・メリエールにこれまで四人の男児を生ませている。直ちに探し出し連れて参れ。正当性が明らかになり次第、王子として公認する。それに伴い、国母となるルティシア・メリエールの一切の名誉を回復し、今後ルティシアに対する侮辱を口にした者は、非礼罪で極刑に処す。ただし、引き続き王妃はマリアとし、ルティシア・メリエールを王宮へ戻すことは固く禁じる」
王が愛妾を囲っていた年月を思えば、その間に何人か生んでいることぐらいは、この場にいる誰もが想像できたことだろう。
だが、手放した子を一切振り返ることなく、ひたすら後宮に男児を望み続けた王の、偽らざる姿を見てきた大臣らは、愛妾が四人も男児を産んでいたなどとはゆめゆめ思わぬことであったに違いない。
とはいえ、たかだか四人だ。
人の命とは儚く、簡単に消える時世だ。先に何人かの王子がいようとも、アージェスのように第八王子でありながら玉座に着く王もいる。
後宮に娘がいる限り、いつか王子を産み、先に生まれた王子達がバタバタ倒れれば、残った王子が王となり、祖父としての栄華を誇る日がくるかもしれない。
けれどもそんな日が来ないことを大臣達は重々承知しているらしい。
言葉もなく愕然と打ちひしがれ、どうやら一筋の可能性も見出せなかったようだ。
それもそのばずだ。四人の王子に加え、肝心の王が後宮の女に見向きもせず、不能疑惑まで持ち上がっていたのだ。
野望は木っ端微塵に砕けたことだろう。
静まり返る中、面々を見下すとアージェスは部屋から出た。
ふわりと衣服の隙間から、しまいこんでいたはずの布が、ひらひらと足元へ落ちていく。
床につくよりも速く、伸ばした手で掴んだ。
広げた布には、翼を大きく開いて羽ばたく美しい青い鳥がいる。
指先でそっと触れると、不本意な事態に溜息が漏れる。
とうとうルティシアが生んだ息子を明らかにしてしまった。
王家に世継ぎ不在が続き、諸外国からは王のアージェスに留まらず、婿養子にと縁談話まで来るようになっていた。
かつてベルドールを侵略しようとしていた国々は、綻びを見つけようと窺っているのだ。
その為、世継ぎが早急に求められていた。既に生まれて成長しているともなれば、宮廷としてはこれに勝る朗報はない。
血眼になって探し出され、そしてそれはどれだけ隠し通そうとも、いずれルティシアの耳にも入ることになるだろう。
『男児を生もうと王位継承権は与えない』
ルティシアに断言し、安心させて生ませたのだ。それを裏切った。
(俺はまた、お前を追い詰めてしまうのだろうな)
見えない負のループに嘆息をつくと、布を丁寧に折りたたんで落とさぬように懐深くにしまいこんだ。
「陛下ッ」
一人の騎士が血相を変えて駆けつけてくる。
オリオンだ。
ルティシアの近辺につけている護衛に、アージェスは胸騒ぎを覚えた。