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第11話 妊婦さんとの抱擁

「バーバラ、お前は若く美しい。早く身体を治して陛下に寵を頂きなさい」

 

 王妃マリアの励ましでいくばくか顔色が良くなってきた娘に、大臣は言い聞かせた。


「はい、父上」

「王妃が何を思ったか、新たな側妃にルティシア・メリエールを議会で推挙した」

「へ、陛下を恐ろしい力で虜にしたという悪魔をですか?」

「そうだ。お前が幼い頃から何度も話して聞かせた恐ろしい女だ。王に姫しか生まれぬのも、お前が流産したのも、全てあの悪魔の呪いに他ならん」

「……わたくしのおなかの赤ちゃんも……」

「そうだ。……あの女だけは後宮に入れるわけにはいかん。なんとしても、阻止せねばならん。そのためにも、陛下にもう一度機会をいただくのだ。陛下の身も心もおまえが癒して差し上げなさい」


「……はい、父上」


 娘は父の言葉を信じ、なにやら呟いていたが、大臣はお付の侍女に娘を任せて後宮を後にした。



    ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 マリアが訪ねてきた数日後の夜、ルティシアの元にアージェスが現れた。

 調度、寝衣に着替えたところだった。いつもの如く会うなり寝台に連れて行かれる。

 抱き合うことを好むアージェスには、妊娠も月のものも関係ない。

 妊娠が進み本格的にお腹が膨れる頃から、気遣ってキス以上のことは極力しないが、時間がくるまで抱きしめられた。


「陛下、ご奉仕させて頂きましょうか?」


「いや、今はいい、間に合ってる」


 それを聞くと王宮の夫人たちと睦まじくしているのだと、ルティシアは安心する。


『……わたくしにも他の六人の側妃にも、王子を授かることができなかったのです』

『陛下は今、お世継ぎを設けられずに苦しんでおられる』


 五人目を妊娠するルティシアには、先日のマリアの言葉は信じられなかった。これまでに男児を生んでも、望まれたことがなかったからだ。

 生後一月になると、王の友人であるセレスが来て、約束どおり孤児院へ送られているようだった。


 毛布の中、後ろから抱き込まれると、膨らんだ腹を大きな手が慈しむように優しく撫でる。

 そうしながら、首筋に唇が何度も当てられる。

 求められている気がして、もう一度奉仕を申し出たが断られた。

 アージェスが何を考えているのか、何がしたいのか、ルティシアにはさっぱり理解できない。

 何がいけないのか、「お気に召しませんか」と訊ねてみると、彼はこう言った。


「いや、そうではないが、おまえにされるより、する方がいい」


「わ、私はそれで、陛下のお役に立てているのでしょうか?」


「大いにな。その気になれない女を、意のままに堕とす背徳感がたまらん。俺とて王の顔があるんでな、こんな悪趣味を澄ました妃どもにできるか」


 自覚しているらしい。開き直るところも彼らしくておかしく、つい笑ってしまう。

 逞しい腕にぎゅっと抱きしめられて、耳たぶに口づけられる。


「後宮の寝所でも侍女の監視の目が入る。だが、ここでは何をしても誰にも何も言われることはない。それに、おまえはなんだかんだと言いながら、こんな俺のすべてを、受け入れてくれているじゃないか」  


 その言葉が、どれほどルティシアを喜ばせることか、彼は知っているのだろうか。


「私は陛下のものですから」


 『人』ではなく『物』でいい。

 王妃でも側妃でもなく、ちっぽけな取るに足りない自分などに、心を許してもらえていることが、どれほど幸せなことか。嬉しくて、嬉しくて、声が震えた。

 王宮を離れて以来、王はルティシアに愛を語らなくなり、愛妾と割り切って接するようになった。

 けれど、言葉にされない愛情を、ひしひしと肌で、身体で感じ取り、身も心も満たされていた。

 身体を差し出すだけの愛妾だというのに、ルティシアは幸せだった。

 幸せすぎて、自分だけが満たされていることに後ろめたささえ感じる。王が幸せを得るのは王宮でなければならない。後宮には王を慕う奥方達が主の訪問を待っているはずだ。かといって奥方達の元へ戻るようにとも勧められない。

 ルティシアが他の女のことを口にするのを、アージェスが酷く嫌がるからだ。

 

 妊娠中は医者の許可と状態が安定していれば、受け入れることはできるわけだが、どうにもお腹に子がありながらというのは、後ろめたさが伴う。自ら身体を差し出す気にはなれない。

 いや、心が母親になっていながら、触られると否応なく女に戻ってしまう自分のふしだらさに、嫌悪を覚えてしまうのだ。

 そんなふうに、妊娠するたびに同じことを思い悩まされてきた。こうなることが分かっていたから妊娠を避けたかった。おまけに抱かれた後に渡される避妊薬も怪しい。

 若かりし頃の彼は、いたるところで数多の婦人を抱いていた。しかし、誰もアージェスの子を身篭ったという話は聞かず、必ず避妊薬を飲ませているようだった。だから効果があると信じていたのに、どういうわけかルティシアには効果が実感できなかった。

  

『医者から妊婦の可愛がり方を教わってきた』

 二人目を妊娠している時に彼は楽しそうに語って実践した。

 余計なことを教える医者がいたもんだ。

 なんでも妊婦は体調がよければ夫と触れ合うことが大切だと力説された。ルティシア自身はその必要性を全く感じなかったが、触れ合わずにはいられないアージェスの下心は、ありありと伝わってきた。

 そんなふうに望まれたら、嬉しくて嫌とは言えない。


『陛下は今、お世継ぎを設けられずに苦しんでおられる』


 王妃マリアの言葉を思い出し、急速に冷めていくようだった。


「あ、あの……」


「どうした、急に浮かない顔をして」


 覗き込む気配に気づいて、ルティシアは慌てる。


「い、いえ。……あの……こ、今度お越しになられるときは、や、やはりその……御奉仕させてください。愛妾として貴方様を……」


 王妃マリアの言葉をアージェスに確めようとしていた。それを、警鐘を鳴らす本能が遮った。

 聞くべきではない、と。

問えば、せっかく王宮から隔離したアージェスの意向を無にすることになる。

 王妃にまで望んでくれたアージェスの気持ちを踏みにじってまで、ルティシアの為に今の環境を整えてくれたのだ。それだけはしてはならない。

 歯止めをかけ、誤魔化す為に言葉を並べていた。


「ルル」


 思考を遮るように愛称を呼ばれて、アージェスが額を額に寄せてくる。

 咎められると思ったルティシアは、出すぎたことに気づいて後悔する。


「申し訳ありません、陛下」


「違う。そうじゃない」


 自責の念に囚われ小さくなるルティシア。目元に唇が落とされる。


「おまえ、昔、俺が奉仕させたことを未だに忘れず、俺がまたあんな乱暴なことをするとでも思ってるのか」


「……陛下が喜んでくださるのでしたら、わたしくしはどんなことでも致します」


 それがルティシアの偽らざる本心だった。

 愛を告げる資格を持たぬ『物』でしかない彼女の、精一杯の愛の告白だった。

 アージェスが呆れたように吐息をつく。ルティシアの胸の下と腹部に腕を回し、圧迫せぬように抱きしめなおす。

 

「そんなこと、言わずとも知ってる。この際だ、はっきり言ってやる。おまえに奉仕されると悲壮感が漂って、かえって俺が萎えるんだよ」


「そう……ですか」


 知らなかった。ただすれば良いと思っていたが、そうでもないらしい。案外繊細なのだと思うとかえって親しみが沸いて愛おしくなる。


「俺とてもう若くはない。昔のようにはいかん。だが、女ざかりのおまえを愛でることだけはどうにもやめられん。よぼよぼの爺さんになっても、俺はおまえの身体に触れずにはいられんだろう」


 ベルドールの平均寿命は、男女共に五十半ばだ。アージェスは四十になった。

 見目は貫禄が出て、鍛錬を欠かさぬ筋肉質の身体、盛んな性欲、ルティシアには衰えらしきものは微塵にも感じ取れなかった。けれど言葉の端々に、心情が見えてくる。

 ルティシアはアージェスの手に手を重ねた。


「わたくしで宜しければ喜んで、……アージェス様」


 ルティシアは背後を振り返った。既に乗り出していたアージェスの吐息がかかり、互いの唇が重なり合う。



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