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第9話 日陰の愛妾と翳りゆく王妃 1

 件の屋敷は、後宮から離れた森の中にひっそりと存在していた。

 王宮でも極僅かな者にしか知られていない。『秘密の花園』と呼ばれ、歴代の王達が王宮の目を盗んで、愛妾を囲う為に使用されている屋敷だ。

 屋敷はこじんまりとし、多種の大輪の薔薇を咲かせる庭園は、決して広くはないが手入れが行き届き、見事なものだった。

 たった一人の婦人のためだけに手を尽くされた庭園。

 足を踏み入れたマリアには、その庭園を見ただけで、婦人がどれほど大切にされているのかが分かるようだった。


「どなた?」


 誰もいないと思っていたマリアは、唐突に声をかけられて驚いた。

 そこには、長い黒髪に鮮やかな真紅の双眸をした小柄で細身の女がいた。

 小さな顔は同性のマリアが目を瞠るほど美しい。

 白く細い首には、国王アージェスの獅子の紋章を刻んだ金の首輪が嵌められ、女の素性を如実に表していた。


(この婦人が……)


 マリアは声にこそ出さなかったが内心でうろたえた。

 噂や王宮で耳にする陰口、そして恋多き国王を魅了した女がどれほど魅惑的なのかと想像していたのだが、その姿は予想からおよそかけ離れていた。

 何よりマリアを驚かせたのは、魅力的とは言い難い身体の細さだ。

 髪と瞳の色は事前に知っていたのでさほど驚くことではなかった。むしろ、騒ぎ立てるほどの畏怖を微塵にも感じない。

 そして膨らんだ腹。


「どちらさまですか?」


 鈴を転がすような透明感のある美声。

 マリアはハッと我に返った。


「わたくしはマリアと申します。突然、お邪魔してごめんなさい。あなたが、ルティシアね」


 ゆったりとしたドレスを着た女は、とっさに膨らんだ自身の腹を守るように手を当て、纏っていた柔らかな雰囲気を一変させて身構えた。


「……はい。ここには、わたくしと侍女が二人いるだけですが、どのようなご用向きでしょうか?」 


「そのように警戒なさらないで。わたくしはあなたとお話がしたくて参りましたのよ」


「どなたの使いでお越しになられたのかは存じあげませんが、わたくしにはお話することはございません。どうぞ、お引取りください」


 ルティシアは毅然と言い放った。

 取り付くしまもない隙の無さに、マリアは本題を出す。


「陛下は今、お世継ぎを設けられず苦しんでおられます」


「わたくしには、あなたの言葉を信じることはできません。どうか、お引取りを」


「なんと無礼な、この方は……」


 マリアの背後で控えていた侍女が、たまりかねて口を出してくる。

 それをマリアは手で制した。


「控えていなさい。わたくしがルティシアとお話しているのです」


 物言いたげな侍女を一瞥すると、侍女は諦めて後ろへ下がった。

 マリアは改めて、ルティシアに向き直る。


「もう少し、穏やかにお話をさせていただきたかったのですが、そうもいかないようですわね。……わたくしは使いのものではなく、陛下の正室です」


「……なぜそのようなお方が、……ここはあなた様のような方が、お越しになる場所ではございません。早々に王宮へお戻りください。陛下をはじめ、家臣の方々がご案じになられることでしょう」


 王の躾がいいのか、愛妾は閉鎖された屋敷にいながら思いの外自身のみならず、マリアの立場を理解しているようだ。これならば説得の余地もあるだろう。後宮に迎えた後も、立場を弁えたルティシアならば、他の側妃たちとも上手く溶け込めるような気がした。


「大丈夫ですわ。帰りが遅くならなければ、何の問題もありません。それより、身重で立ち話は辛いでしょうから、座りましょう。あちらのガゼボを使わせていただいても宜しくて?」


「……はい」


 渋々了承するルティシアに近づくと、マリアは労わるように促した。



 二人の貴婦人は、風通しの良い屋根の下で向き合った。

 王妃の訪問に気づいたルティシアの侍女が、二人の貴婦人に茶菓子の用意をする。

 ルティシアは終始陰鬱に俯き、腹をなでるだけで、彼女から話しかける様子はなかった。


「おなかのお子は、何ヶ月になりますの?」


「八ヶ月になります。……産後一月で、孤児院に入れることになっております」


 先手を打つように、聞いてもいないことまで告げた。

 思いもよらぬことに、マリアの方が驚かされる。


「孤児院、……生後一月で? なぜそのようなことを? 陛下のお子ではありませんの?」


「はい、国王陛下のお子ではございません」


 頑なな表情で躊躇なく即答した。

 まだ彼女が王宮にいた頃、ルティシアは大臣から下働きの者達にまで、悪魔と呼ばれ、王とお付の者以外は、誰一人近づく者はいなかったと聞き及んでいる。

 そんな曰く付きで、しかも王の紋章を刻まれた首輪を嵌められた婦人を、誰が相手にするというのか。

 王妃を相手に恐れをなして嘘をついているのか。それにしてもあからさまなことを言ってのける。


「ではどなたのお子ですの?」


「お教えすることはできません。わたくしは王宮とは無縁の者にございます。どうぞ、わたくしのことなどお気になさいませぬように」


 隙のない受け答えだが、やはりマリアには腹の子が王の子としか思えない。

 ルティシアの両手は、用意された紅茶よりも、慈しむように腹を撫で続けている。

 マリアも妊娠したときはそうだった。

 宿した子を愛する母親の仕草だ。

 それなのに産む前から孤児院に入れようとしているのは、誠に王以外の子を孕んでしまったからなのか。あるいは王の子であると承知の上で、王宮から隠す為か。

 前者であるなら王が許すはずがない。切り捨てるか、堕胎させるだろう。万一後者でれっきとした王の子であるなら見過ごすことはできない。

 

「陛下が時折こちらにお越しになられていることは、確認しておりますのよ」


「わたくしはご覧の通り陛下の奴隷にございます。戯れておられるだけです」



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