第7話 夢幻城
その城は、人里から離れた静かな場所に佇んでいた。
湖の畔にあり、朝日が昇ると、清らかな光が湖面に反射し、白亜の城壁を赤く染める。
それは見事な情景だった。
「素晴らしい出来栄えだ」
アージェスは遠い目で呟くように言った。
築城の責任者であるセレス・アルドリスは、何も言えない様子で押し黙っていた。
『城を建ててくれ』
遠いあの日、セレスに築城を依頼したときのアージェスは、輝かしい未来を信じ、幸福の絶頂にいた。
ルティシアと想いが通じ合い、晴れて正妃に迎えようとしている時だった。
自ら率先して婚儀の準備を進める傍ら、アージェスは王家直轄地に築城を計画した。
忙しくなるであろう政務の合間に、王都を離れ、そこでルティシアと一時を過ごそうと考えたのだ。
候補地から城の外観、内装、備え付ける調度品に至るまで、アージェスはルティシアが快適に過ごせるようにと、妥協することなく指示を出した。
だが、着工する頃には状況は一変し、アージェスは別の女を后に迎えることになった。
走り出した築城計画は、セレスの計らいで一時的に中断したものの、アージェスは再開させた。
こじんまりとした小規模の城は、十年の月日をかけて完成された。
完成しても、セレスはしばらく報告しなかった。
言い出せる状況ではなかったのだろう。
四人目の側妃がまた女児を生み、世継ぎを期待していたアージェスは、酷く落ち込んでいたのだ。
「こんなことなら、遊んでいるうちに産ませておくんだった」
きつい酒をあおりながら、アージェスはぼやいた。
毎晩のようにセレスを酒につき合わせて同じことを言う。
親友から返ってくる言葉もまた同じものだった。
「先のことなんて誰にも分からないんだ。それに、お前の選択は間違っちゃいない。どこの馬の骨とも分からない女に産ませた男に、この国を任されても困る。まだ若いんだ。そう焦るなよ」
「ルティシアを早く安心させてやりたい。……早く世継ぎを設けて王位を……」
「おいおい、勘弁してくれよ。この国はやっと落ち着いてきたところなんだ」
アージェスが最後まで言う前に、セレスがやめさせる。
親友が言うことは最もで、アージェスとて死に物狂いで掴んだ安寧を、みすみす乱したくはない。
だが、ルティシアに会えない夜が続くと、誰といても孤独感に襲われて辛くなってくる。
早く王位を譲って、静かな地で誰の目も何も気にせず、ルティシアと朝から晩まで一緒にいられるような暮らしを送りたかった。
「俺の離宮は完成したか?」
「……ああ、一月前に完成したよ」
「明日の午前中なら時間が取れる」
静かで、美しい場所が良い。小規模でいいから白い城壁の優美な城にしてくれ。
目前の城は、まさにアージェスの要望を漏らすことなく叶えた城だった。
ルティシアを喜ばせたい一心で建てさせたのだ。
「俺はまだ使えそうにない。だが、これほどの城だ。無人にしておくにはもったいない。世話になった礼だ。おまえ達家族が好きに使うといい」
「何言ってるんだ。そんなことできるわけないだろ。休暇をとってあの方と過ごせばいい」
「無理だ。ルティシアと一緒にいられるのはほんの数時間だけだ。それ以上一緒にいようとすれば、不安がる。……それに、ルティシアには、新しい城よりもむしろ、誰かが使った後のものの方が馴染みやすいだろう。王位を退く頃に返してくれればいい。程よく古くなって使いやすくなる」
築城計画時よりも随分と色あせ、ささやかな望みになってしまったが、それでももう一度描くことのできた夢は、アージェスに一筋の光を指し示していた。
新たな夢を想像しながら城を眺めるアージェスを、セレスが複雑な表情で見ていた。
あれから六年、アージェスはあの優美な離宮を思い出し、いつまでも近づくことのできない夢に溜息をこぼす。
六人目の側妃バーバラが流産し、振り出しに戻されたアージェスは、ひたすら困惑していた。
やるべきことは明確に分かっているというのに、体が動かない。
後宮に踏み入っても、誰の部屋を訪ねるべきか決められない。
会いたいのはルティシアだけだった。
迷った挙句、アージェスは王妃の部屋を訪ねた。
「まあ、陛下。お越しくださるなんて嬉しゅうございます」
マリアは目に涙を浮かべ、感激して彼を部屋に招き入れた。
侍女たちが下がり二人きりになると、マリアに耳打ちする。
「期待させて悪いが、長椅子で構わない、寝る所を借りたい」
あからさまな拒絶だった。
しかしマリアは、心得ているというように柔和に微笑んで、寝室の長椅子に毛布を用意してくれた。
「すまない」
「いいえ。何もお役に立てず心苦しいばかりです」
マリアの父は宰相だ。
アージェスが、宰相や他の側妃の父親らを責めていることを、彼女は聞き及んでいるだろう。
「気にするな。お前を責めたいわけじゃない。ただ俺は、……」
未だにルティシアを偏見の目で見ている者がいることが許せない。
続く言葉を、アージェスはグッと飲み込んだ。
「ただ?」
「なんでもない」
そっけなく話を打ち切ると、マリアは大人しく引き下がった。
深夜、マリアがそっと起きてアージェスの様子を見に行くと、王は丸めた毛布を抱きしめて寝入っていた。
その頬は以前よりもやつれ、疲れているように見えた。
控えの間で休んでいる侍女を起こし、別の毛布を用意させるとそれをアージェスにかける。
「愛してる、ルティシア」
零れ落ちた王の寝言に、マリアは呟く。
「存じ上げております、陛下」
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