第1話 望むものは……
「おめでとうございます、陛下」
妻の部屋に入るなり、そこにいた侍女たちがアージェスに頭を垂れた。
「ああ、やっと生まれたか」
部屋の奥では、乳母が産湯からあげた赤子を、真新しいリンネルに包んでいるところだった。
閨での営みから出産まで長かった。深く吐息を吐いたアージェスは待ちきれずに、乳母の元へ行く。
乳母が赤子を抱き上げて国王に見せた。
「おめでとうございます。姫君にございます」
言い終わらないうちから、アージェスは背を向けていた。
「皆、ご苦労であった」
「申し訳ございません」
寝台でぐったりと身を横たえていた王妃のマリアが、上体を起こして謝罪した。
后の寝室を出ようとしていたアージェスは、無表情で振り返った。
「仕方があるまい、養生せよ」
「はい、お気遣い感謝いたします」
頭を垂れたマリアは、小さく肩を震わせ、伏せた顔の下から涙を落とした。
アージェスは溜息を漏らすと、マリアを抱きしめてやる。
亜麻色の髪を優しく撫でると、そっと離して寝台に横たえさせる。
「ゆっくり休め」
言い残し、部屋から出るとアージェスは項垂れた。
期待していただけに、それを裏切られた反動は大きい。
廊下の先から近づく足音に気づいて顔を上げれば、部下を従えた騎士がやってきた。
「おめでとうございます、陛下。産声が聞こえましたので、ご挨拶に参上いたしました」
浅黒い精悍な顔に、穏やかな笑みを浮かべた長年の親友セレスを、アージェスは無愛想に眺めた。
「軍の総司令官殿は忙しかろうに、部下だけを寄越せば良いものを、ご苦労なことだな。期待させて悪いが、生まれたのは元気な姫だ。これで、何人目だったかな?」
投げやりに言いながら、アージェスは歩き出した。
後をついてくるセレスの部下の中に、背の高い男達に交じって、見かけない少年がいることに気づいた。
少年は柔らかそうな栗色の髪に青い双眸を持ち、整った小さな愛らしい顔は、遠い日の彼のひとを思起させた。
セレスが主の視線の先に気づいて紹介をはじめる。
だがその声はアージェスの耳には届いていなかった。
手を伸ばし、男達の中から引っ張りだすと、驚く少年の唇を奪った。
「陛下っ!」
セレスが仰天して叫ぶ中、アージェスは少年を抱き上げた。
瞠目して声もだせない様子の少年に命じる。
「俺の側妃になれ」
「できるか、馬鹿アーシュッ!」
あらぬ疑いが広まるのを恐れ、セレスは立場も失念してアージェスから無理やり少年を奪い返した。
「これは男だっ」
「本当に?」
アージェスは信じられず、親友の背後に隠された少年を覗き込む。
セレスが疲れた様子で溜息をつくと、幾分冷静さを取り戻した。
「正真正銘の男にございます。親の私が申し上げるのですから間違いありません。……ご挨拶をしなさい」
促された少年が父の背中から出てくる。
青ざめて顔をひきつらせながらも、アージェスを見上げた。
「お初にお目にかかります。セレス・アルドリスの三男、シャーリーにございます。本日より、騎士見習いとして登城させて頂きたく、陛下のお許しを頂に参りました」
見た目とは違いその声は低く男らしい。よく見れば喉仏もある。
堂々たる物言いに、真っ直ぐ王を見上げる双眸は、なかなかに意思の強さが見て取れた。
アージェスの高鳴った胸は、落ち着きを取り戻し、納得と同時に気持ちは降下してゆく。
大きな溜息を吐き出した。
「悪かった。転んだとでも思って忘れてくれ」
「はい、そのようにいたします」
アージェスは自嘲気味に笑むと、シャーリーの肩をポンと叩いた。
「さすがはセレスの息子だな。よく教育がされている。父の為にも励むが良い」
「はい、陛下」
胸を撫で下ろして安堵するセレスに、アージェスは悔し紛れに助言する。
「俺のような良からぬ虫にたかられんよう、せいぜい男を磨かせておけ」
「心得ております」
「……残念だったな」
「何が、でございますか?」
「シャーリーが娘なら、俺に嫁がせられただろうが。側妃となり男児を生めば、おまえの孫が王位に就くことも夢ではなかっただろうに」
「そのような大それたこと、考えたこともございませんが、私はむしろ息子で安堵しております。陛下の一時の戯れに泣かされずにすみますからね」
「それもそうだな」
アージェスは苦笑して、もう一度少女と見誤った少年を見やった。
シャーリーは気後れすることなくアージェスを見上げている。
「おまえがうらやましい限りだよ」
言うつもりのなかった言葉が漏れてしまった。
アージェスは誤魔化すように、友から背をむける。
「戯言だ。俺はまだまだ諦めてなどいない」
「当然です」
セレスが励ますように、背に投げかけた。
アージェスは振り返ることなく手を上げる。
ベルドール国王アージェスが即位して十八年の月日が流れていた。
その間にセレスは実力を認められ、王の近衛から軍の上官に昇進し、この春軍の総司令官にまで昇った。
妻のエミーナとの間に設けた長男と次男は、すでに騎士の叙任を受けてそれぞれの任務についている。
そして、此度は三男のシャーリーを騎士に育てるべく自身の傍仕えをさせることができた。
国王の背をいつまでも見送る父を、シャーリーが怪訝に見つめている。
「父上、陛下は何を望んでおられるのですか?」
セレスは頭一つ分背の低い息子を物憂げに見やった。
「お世継ぎだ。お子は此度で六人目なのだがな。何の因果か、姫君ばかりお生まれになっている」
アージェスの威光は諸国にも届き、かつてのように侵略者に国土が荒らされることはなかった。平穏ではあったが、ただ一点のみの不安は続いていた。
後宮には王妃マリアを始めとし、五人の側妃が埋めていたが、誰一人として王子を授かることができなかったのだ。
「そうですか、お気の毒ですね」
同情的な息子に、セレスは言わずにはいられない。
「陛下には近づくなよ」
「なぜですか?」
濁りのない息子の青い双眸を眺めて、セレスは息子に耳打ちする。
「あの方に性別の違いは通用しない。陛下の愛人になりたくなければ近づくな」
息子は一瞬で硬直して顔を引きつらせた。
「ことごとく姫とは、なんということだ」
国王不在の議会室では、重臣達が嘆いていた。
「やはり、これはもうあの女の呪いに他なりませんな」
「全くだ。このままでは、婿養子も避けられまい」
入り口から聞こえてきた雑談に、アージェスは嫌気を通り越して吐き気を覚える。
「くだらん浅知恵はそのへんでやめておけ。忘れたわけではあるまい。ベルドール王家始まって以来、我が国は代々直系の男児が玉座を埋めてきたのだ。婿など王に据えてみろ、民が黙ってはおるまい」
定刻より遅れてやってきた国王の登場に、大臣らは慌てて閉口する。
居住まいを正して立ち上がった面々を、アージェスは睨みつけた。
「王子が望みなら、養子の議論をする前に新しい側妃でも後宮にあげるんだな」
アージェスは女児が生まれる度にこうして側妃を増やしてきた。
宰相であり王妃マリアの父であるパステルが、アージェスに深々と頭を垂れた。
「娘が此度もお役に立てず、誠に申し訳ございませぬ」
后は二人目の出産だった。
アージェスは宰相の顔を見ることなく吐き出す。
「全くだ。どれだけ俺をこき使えば気がすむのか。俺は貴様らの生贄ではない。世継ぎも生めぬ娘ばかり送りつけておいて、この期に及んで『呪い』などとよく言えたものだ。責任転嫁しかできぬ貴様らは、所詮口だけの負け犬ではないか」
側妃の父親達が身を縮め、部屋は静まり返った。
椅子に荒々しく腰掛けると、不機嫌を露に議長に進行を促した。