第36話 生涯を掛けて 2
『アレは自殺を図って死んだ』
アージェスは嘘を付いた。それを姉達は嘆くどころか、醜い安堵の笑みを浮かべた。
『それは宜しゅうございました。悪魔の呪いは祓われ、この国も陛下も必ずお幸せになられますわ』
『ルティシア様は、ご自身の幸せよりも、陛下のお幸せを切に望まれておられます』
ルティシアを館へ移した直後のことだ。ファーミアが、アージェスにそう言って、ルティシアが綴ったという刺繍を手渡してきた。
そこには見事な青い鳥が描かれていた。
アージェスの幸せを願い、せっかく美しく仕上がった刺繍を、ルティシアは願掛けの為に月光の降り注ぐ裏庭の土に埋めたという。
捨て置けず、ファーミアは掘り返したらしい。
今では懐に忍ばせ、肌身離さず持ち歩いている。
『お前達の教育の賜物というわけか、この国の為に』
姉達は美しく微笑んだ。
アージェスは姉達と騎士に命じる。
『では、今以上にこの国の為に働かせてやる。六人とも娼館へ送れ。手当たり次第子を孕ませ、生ませよ。一人十五人、合わせて九十人だ。素晴らしい貢献を期待しているぞ。達成できた者から開放してやれ』
『そ、そんなっ! 何故、わたくし達がそのような仕打ちを受けねばならぬのですっ!?』
『ルティシアが黒髪と赤い瞳を持って生まれてきたように、そなたらがそなたらとして生まれてきたが所以だ』
(同情の余地はない。この場で首を撥ねてやりたいぐらいだが、簡単に死なせるようなぬるいやり方では終わらせん)
生まれてからずっと、誰からも愛されず、誰にも近づくことを許されなかったルティシアの苦しみと孤独を思うと、同じだけの、いやそれ以上の苦しみを与えてやらねば気がすまない。
望みもしない男に弄ばれ、孕まされ、生んだ後も延々と繰り返される陵辱と逃れられぬ絶望。
病に侵されようと、気が狂おうと死ぬまで終わらぬ生き地獄。
(もがき、苦しめば良い)
青褪める女達を一瞥すると、アージェスは廊下で控えさせていた衛兵らを入室させた。
捕らわれて泣いて許しを請う女達を黙殺し、アージェスはその部屋を出た。
洗脳は今もルティシアの中で巣食っている。
王妃であることよりも、ルティシアは日陰の愛妾でい続けることを強く望んだ。
結局アージェスは、並々ならぬ強い訴えに負けたのだ。
締め上げられるように胸が苦しくなるというのに、幸せそうに微笑むルティシアから目がそらせない。
時間が押し迫り、セレスが国王を連れ戻しに来る。
「陛下」
動こうとしないアージェスにルティシアが不安げに呼ぶ。
「キスが欲しい、してくれるまでは動かんからな」
困った顔をしながらも、ルティシアは駄々を捏ねるアージェスの我がままを叶える。
柔らかな感触が唇に触れ、アージェスはルティシアのうなじに手を滑らせてキスを深めた。
ルティシアから唇を離されると、首筋から頬へと撫でて見つめ合った。
(お前だけを愛している)
喉元まで込み上げる言葉を、胸を掻きむしりたくなるような苦しさで押し殺すと、アージェスはルティシアから離れた。
屋敷の玄関までルティシアが見送りに出るのだが、そこまでのほんの短い時間でさえ惜しく、アージェスは彼女の腰を抱いて歩いた。
玄関の外には数人の近衛騎士が主の馬を用意して待っている。
ルティシアが立ち止まり、感情の読み取れない表情ですっと身を引いてしまう。
頼れる者が一人しかいないというのに、その唯一の存在であるアージェスにさえ、ルティシアは甘えることができない。
別れを惜しむことも、憂いを見せることもなく、気丈に頭を垂れる。
ある意味強い女だ。
こんな女は他にいない。
あまりの徹底振りに、アージェスの方が不安に襲われる。
「頼むから、もう来るなとか言わないでくれよ」
自分でも驚くほどの女々しさだ。
何を仰っているのですか、と言うように、ふっとルティシアが口元を緩め、手を伸ばしてきた。アージェスの手を取ると自分の首に嵌められた金のリングを触らせる。
「あなた様がこの首輪をお外しにならない限り、わたくしはあなた様のものにございます」
言われるまで気に留めていなかった存在を、改めて思い出してアージェスは苦笑する。
なんという忌々しい首輪なのか。
ルティシアを悪し様に言う者達から守るためにつけたものだ。
良くも悪くも、金の輪がルティシアとアージェスを硬く結ぶ。
誰にも認められずとも最愛の妻だと思っているのに、そうさせてくれない。
酷い女だ。
(惚れた弱みだ、仕方がないからお前に合わせてやろうじゃないか)
(だがな、ルティシア……)
「そうだったな、お前は俺のものだ。この首輪を嵌めたあの瞬間から、お前は俺と強く結ばれている。誰にも引き裂けないほどにな」
ルティシアが俯いた。
その頬が紅潮しているのをアージェスは目ざとく見つけ、堪らなくさせられる。
抱きしめて嘘をつく。
「悪いが、うっかり首輪の鍵を失くしてしまった。いくら探しても見つからない」
「失くすだなんて酷い。……でも探しても見つからないなら仕方がないですね」
言葉は素っ気ないが穏やかな口調だった。
抱きしめる腕にアージェスはギュッと力を込めた。
(俺はお前に生涯を捧げる。
こんな肩身の狭いままで満足などさせない。
俺がこの手で必ずお前を幸せにしてやる。
女としての本当の幸せを。
誰かに気遣うことなく、燦燦と降り注ぐ太陽の下を歩ませてやる。
それまでこのアージェス王の首輪で甘んじているが良い)
「そう、仕方がない。だからお前はこれからもずっと俺からは離れられん」
顔を離すと、細い頤を捉えて唇を奪う。
アージェスは今度こそ彼女から離れて、待たせている家臣の元へと戻る。
意気込んだアージェスは、騎乗するとルティシアに声をかけた。
「……また来る。俺だけを待っているが良い」
「仰せのままに、あなた様をお待ち申し上げております」
丁寧に頭を垂れる姿を見つめると、馬の腹を蹴って王宮へと走り出した。
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