第30話 熱い抱擁と惜別の嘆願
たった一晩抱いただけで、アージェスはルティシアに溺れていた。
重臣らが急遽王の妃候補を集い、急ぎ整えられた茶会に渋々顔を出したが、どれほど魅惑的で美しい婦人がいようと、抱きたいと思える女はただの一人もいなかった。
それどころか、昨夜のルティシアの痴態が鮮明に蘇り、危うく身体が反応しそうになって、慌てて戦術の模索に集中するはめになった。
だが気がつけばまた思い出していた。
ルティシアは確かに女としては若く、身体は華奢で、キスも拙いが、蕩ける瞳や敏感さ、受け入れる身体の相性の良さは想像以上だった。
理屈ではない。
心と身体が真にルティシアを欲していた。
何より、アージェスにはどうしてもルティシアを今抱いておきたい最たる理由があった。
ひとたび戦に出れば、何ヶ月も王宮には戻ってこられない。
留守を預かるのは、宰相を筆頭とした一派閥だ。
戦に出るアージェスは友人こそ多いが、ほとんどが下級の武官や文官だ。ルティシアに後ろ盾をつけられるような大駒を持っていなかった。
例え、王の首輪を付けていようと、食事に毒でも盛られたらおしまいだ。
守ってやるには、懐妊させてやるしかない。
無論抱いてすぐに妊娠を確認することは出来ないが、必要なのは王の子を懐妊しているかもしれない、という可能性だ。
ベルドール王家は、代々直系の男児が玉座に就く歴史ある由緒正しき家系だ。
家臣も民もそれを自国の誇りとしている。
そのプライドの前では、ありもしない呪い話など無きに等しい。
万一、戦でアージェスが死ねば、「悪魔」と罵られるルティシアは、すぐに王宮から追い出され、路頭に迷うことになるだろう。だが、遺児を孕んでいれば、ルティシアが残った家臣らに乱雑に扱われることはまずない。
唯一正当なる王位継承者を身篭っている者として尊ばれ、男児でも生めばそれこそ国母として、その地位は揺るぎないものとなる。
ゆえになんとしても、子を授けてやらねばならない。
だが、愛しい女は今日も拒んで逃げようとする。
人の気も知らず、妻になったとも認めない。またも他の女を勧めてくる始末だ。
主人を怒らせるのが得意な妻を、廊下で控える騎士たちに聞こえるほど激しく犯してやろうと企んだ。
脅して大人しくさせてキスをするうちに、ルティシアは簡単にアージェスに堕ちていく。
困惑と羞恥で朱を刷き、潤ませた目が次第に蕩けていく。
大概キスをするときは目を閉じるのだが、アージェスはルティシアとキスをするときだけは目を閉じない。
始めは俯いてばかりのルティシアが気に入らないという理由だったが、見つめるうちにキスに酔わされていくルティシアを見るのが愉しかった。アージェス自身も気持ちが昂ぶり、身体が熱くなるのだった。
行為を進めながらルティシアを見れば、死にそうなほど恥ずかしいといわんばかりに、真っ赤になって泣いていた。その顔が可愛くて可愛くて、もう我慢などできない。
泣きながら甘く声を漏らすルティシアに、アージェスは悩殺されていく。
ルティシアはアージェスよりも年下だ。
だがもう小娘ではない。
誘惑して夢中にさせてしまう愛しい妻で、浅ましく強請らされるのはアージェスばかりだ。
抱いた後、唇を解くと涙でぬれた頬や目元に口づけた。
「いい子だ、えらいぞ」
すっかり大人しくなったルティシアを、抱っこして奥の寝台へ連れ込んだ。
連日、ルティシアを朝まで抱き潰しても、アージェスの性欲は尽きなかった。
夜になると悶々として、ルティシアを求めずにはいられない。
そして今夜も嫌がられるのだろうと予想する。
「陛下、お戻りなさいませ。私は廊下で休ませていただきますので、どうか、どうか今宵は他のご婦人をお召しくださいませ」
近衛が居室の扉を開くなり、ルティシアの嘆願が聞こえてきた。
目の前に姿はなく、己の寵妃は床に這うようにして嘆願していた。
(全く、想像を裏切らん女だ)
「部屋に鍵を掛けておけ。コレが泣き叫んでも、決して開けるなよ」
近衛に命じる隙に、床に平伏していたルティシアが、起き上がって足元をすり抜けようとする。
昨夜にも増して、本気で逃げたいらしい。
アージェスは手だけ伸ばして、細い手首を捕らえた。
廊下へとルティシアの半身が出たところで引き戻す。
嫌がる細身を引きずるように隣室へ連行し、騎士が静かに見送り、扉を閉ざして鍵を掛けた。
「お許しください、陛下ッ! どのような罰も甘んじてお受けしますから。今宵は、今宵だけは、どうか、他のご婦人に子種をお授けくださいッ」
他の女にくれてやる種はない。
一々言うのも面倒になる。
寝台の周囲には、あらかじめ侍女に命じて明かりを灯させていた。
天幕の中には、燭蝋の茜色の光が柔らかく広がっている。
明日はいよいよ戦地へと発つ。
その前にルティシアを目に焼き付けておきたかった。
諦めの悪い強情な女のおかげで、今夜も息子は絶好調だ。
小柄なルティシアを寝台へ投げ込むと、必死になって逃げようとする肩をつかんでひっくり返した。
逃げた罰だと言って、有無を言わさず奉仕をさせる。
すっかり夢中にさせられたアージェスは、気がつけば空が白むまで延々とルティシアを抱き続けていた。
半ば気を失うように腕の中で眠りに落ちた額に、唇を寄せて胸に強く抱き締める。
(離したくない)
戦を前にそんなことを思ってしまう自分が不思議でならなかった 。
これまで逆境を苦と捉えるよりも好機と捉えてきた自分が、死の恐怖を感じていた。
絶体絶命の戦況だ。生きて戻れるかは誰にも分からない。
王都が陥落しないとも限らない。
自分自身が死ぬことが恐ろしいのではない。
愛しい者を守れず失うことが何よりも恐ろしい。
セレスに理不尽な怒りで剣を交えたときに運動不足であったことに気づき、以来毎日時間さえあれば体を鍛えた。
それでも戦とは、不足の事態が起きうるものだ。
守れずに失うくらいなら……俺は悪魔にでもなんにでもなってやる。
「ルル、俺を待っていてくれ」
囁くと、うっすらと瞼が開かれる。
瑞々しい柘榴のような鮮やかな瞳がアージェスを映した。
間近で見つめ、言葉を重ねる。
「俺の帰りを待っていてくれ、ルティシア」
もの言いたげに唇が開いたが、言葉が紡がれることはなかった。
紅い双眸に涙が盛り上がり、アージェスは堪らず己の唇を愛おしい彼女のそれに重ねた。
離すと、ルティシアは深い眠りに落ちた。




