第29話 有無を言わさぬ命令
(お前のような愚かな娘はどこを探しても他にはおらん。さっさと諦めて俺の胸に戻っていれば、優しく抱いてやったものを。俺をこんなにも本気にさせたお前が悪い。だがお前の面倒は俺が一生、死ぬまで見てやる)
目が覚めると正午はとっくに過ぎて日が西に傾き始めていた。
散々責められた身体はおもだるく、節々が痛んで歩くのもままならない。
ファーミアが用意した食事を取り、湯船で身体を洗い流した。
ルティシアは顔を両手で覆った。
嫌って言ったのに、許してもらえなかった。
誓ったのに、無理やりされることを心の奥底では悦んでしまった。
(あなたにもしものことがあったらと思うのに……。
あなたが好き。
傍にいたいの。
あなたの傍にいたいの、……アーシュ)
何もせぬうちに日は暮れていき、重い足取りで夕食の席へと着く。
王が入室し、ルティシアは居住まいを正して待っていると、近づいた気配が、すぐ真横で止まった。
刹那、伸びてきた手に顎を上げさせられる。
気づいたときには唇と唇が重ねられ、ちゅっと音を立てて吸い上げられた。
無防備だったルティシアは不意をつかれてビクリと身体を小さく震わせた。
過敏に反応してしまったことを後悔したときには、冷酷で不機嫌な双眸と表情が、一瞬で和んでいた。
そこが食事の間であったことを思い出し、ルティシアはすぐさま俯いて身体を縮込めた。
アージェスがまるで褒めるように、彼女の頭を優しく撫でる。
「随分と気に入っておられるようですが、今宵もその娘をお相手になさる気ですかな」
重臣の一人が高圧的な口調で質すが、ルティシアの隣に立つ執務着の王は、平然と無視して愛妾の頭に額を寄せて釘を刺す。
「逃げるなよ。逃げたら、縄で椅子に括りつけるからな。食事が終わるまでいい子でいろ。お残しもだめだ、わかったな」
「は、はい」
喉がひきつり、声が裏返る。
重臣らの恐ろしい威圧にルティシアは震えた。
「ファーミア、ルティシアの傍にいてやれ」
静まり、張り詰める剣呑な空気をものともせず、アージェスは侍女を愛妾の隣につかせると、ようやく席に着いた。
遅れながらも王は重臣の問いに答える。
「今夜俺が誰を相手にするかは、後で教えてやるから黙って食え。メシがまずくなる」
ルティシアは重ねられたファーミアの手をぎゅっと握り、カタカタと震える肩を宥めるように撫でられていた。
王の指示で食事が振舞われ、張り詰めていた空気が緩んでほっとする。
支度をして居室へ入ると、王が他の婦人を選んでくれることをひたすら祈り続けた。
就寝時間が過ぎ、長椅子で身を横たえようとしていた。そこへ、扉の向こう側、迫る足音を聞きつけ慌てて起き上がる。
少し遅めに戻ってきた王は、執務着ではなく、寝衣にローブを纏っていた。
「おかえりなさいませ、陛下」
「ああ、ただいま。早速相手をしてもらおうか、奥方殿よ」
大股で近づきながら、王はローブを脱ぎ捨て、寝衣の前を寛げて逞しい胸を露にする。
その間に騎士らが扉を閉ざして鍵を掛けた。
男の色気を漂わせるアージェスに、ルティシアの胸は彼を求めて高鳴る。けれどそれを必死に隠して後ずさり、長椅子の裏側へと逃げた。
「ち、違います。私は陛下の奥方などではございません」
「怒るな、式なら戦の後で挙げてやる。ドレスも冠も、お前に良く似合う最高級の品を用意してやろう」
何を突拍子もないことを言っているのか。
近づきながら、ぶるぶると首を左右に振るルティシアを眺めながら、アージェスは不気味なほど機嫌よく話した。
「そんなものいりません。私は陛下の愛妾で充分です。どうして重臣方のお話に耳を傾けられないのですか?」
(王妃になんてさせられたら、私はきっとあなたを慕う人たちに殺される。死にたくない。死んだら、あなたに会えなくなる)
『悪魔のくせに、王の傍にいることをまだ望むのか』
心の声が聞こえる。
王に恋するルティシアは、傍にいる彼の存在と声に昂揚して、聞こえないふりをした。
「傾けてるさ。女のこと以外は、な」
長椅子を挟み、ルティシアは涙ぐむ。
「お願いですから、奥方様には他の……っ」
伸びてきたアージェスの手に、胸に寄せていた手をつかまれそうになり、ルティシアはとっさに身を引いた。更に追ってくる手から逃げて、長椅子の横に飛び出したとき、わざと出された彼の足に引っ掛けられる。
小さな悲鳴を上げて倒れ、床に手をついた。
そこへアージェスが笑いを漏らして、上から被さってくる。
しかも、床についた両手に、それぞれの手が重ねられて。
脳裏に昨夜の情事で、同じような体勢でされたことが思い出され、かっと紅潮して、床についた足を硬く閉じた。
辛うじてアージェスの足は、閉じたルティシアの足を跨ぐように開かれ、同じように膝をついている。
「昨日、同じ体勢で俺に抱かれたのを思い出したか」
変態アーシュのばかっ!
「な、何のことか分かりませんっ」
羞恥で涙が溢れ、全身が火照る。
「分かってるくせに誤魔化すな。気持ち良かっただろう? 初めてなのに感じてたからな。俺も随分と愉しませてもらった。お前のカラダは最高に良い。今夜も存分に愉しませてもらおうか」
耳元で囁かれる粘着質な猥褻。
女としてはまだまだ幼く、男を初めて知ったばかりのルティシアに容赦もない。
聞くに堪えがたい卑猥な責めにひたすら困惑させられ、耳にかかる吐息にゾクリと震える。
顔を逸らせば耳たぶを嘗められた。
「ひやっ……や、やめて、やめてくださいっ」
精一杯言っているのに、拒絶の声が震えてお腹に力が入らず弱弱しくなる。
昨夜の強烈な記憶を蒸し返す体勢に、羞恥を煽る卑猥な台詞。
早く抱かせろと熱烈に求められていることを、否応なく身体と耳の奥で感じさせられる。
頭の中では必死で拒絶しようとしているのに、身体が愛しい男を切なく待ち望んでいた。
「気持ちよくしてやる」
「い、いやですっ……陛下、お願いですから……ッ!」
お尻に寄せられていたアージェスの腰が離れたかと思うと、後ろから下着が剥かれた。
「やっ、やめてくださいっ」
「我がままをいうな。俺の相手をするのがお前の仕事だ」
今まで散々色んな女達を相手にしておいて何を言ってるのか。
王の相手をしたがる婦人は王宮にもいくらでもいる。
いやだって言ってるのに、膝へずらした下着が足から抜かれて奪われる。
押さえられていた残りの手が僅かに緩み、ルティシアは下着を諦めてアージェスの下からから抜け出した。
「開けてっ、開けてくださいっ!」
「開けぬように命じてある、諦めろ」
廊下へと続く閉ざされた両扉をルティシアが叩いていると、アージェスが余裕の笑みで迫ってくる。まるで箱の中を必死になって逃げ回る兎を、上から手で追い回して愉しむ子供のようだ。
「陛下……」
説得しようとして、アージェスの表情が見る間に冷めていく。
ルティシアは逃げ場を失い、息を呑む。
両手をそれぞれの手でつかまれて、戸板に縫い止められた。
額に額を寄せて、ルティシアにだけ聞こえる小さな声で告げる。
「俺の騎士たちは、この扉の向こう側だ。両脇に行儀よく控えている。騒げば扉を開かせる。俺がお前をどれほど深く愛しているのか、騎士たちの目の前でお前を抱いて見せてやろうではないか」
言葉だけ聞いていれば冗談のようにも聞こえるが、目が少しも笑っていない。
アージェスの本気度が窺えて、ルティシアは首を左右に振った。
「分かったら、さあ顔を上げろ、キスしてやる」
有無を言わさぬ命。
『悪魔のような見目で王を呪い殺す気かッ!』
食事の間で睨む重臣達は、目でルティシアにそう怒鳴っていた。
関係が深くなればなるほど、一歩、また一歩と、大鎌を手に死神がアージェスの背後に近づいているようで、たまらなく恐ろしくなる。
それなのに、陛下は逃げるルティシアを捕まえて、渇望してやまぬ温もりと情愛で、甘い夢の中へ引きずり込もうとしてくる。
溢れた涙を零して、ルティシアは顔を上げた。